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相豊ハンマー
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・鍛冶屋を志した一つの切掛け


今の工場(相豊ハンマー)で仕事を始めて少し経った頃の事です。

当時の私ははっきりとした将来の目標もなく、

家業の金槌鍛冶の仕事を手伝いながら、

前職の金属プレス加工技術を生かして、

アウトドアレジャー用品の登山用ハンマーや折り畳みスコップなどを製造していました。

そして今後、

どんな仕事で勝負していったらいいのかを考えあぐねていたのですが、

もともとここは金槌を作る工場なわけですから、

大工道具関係や建築関係の書籍を読むようになり、

またそれに伴い、

鍛冶仕事に強く興味をひかれたのは自然な事だったのです。


そんなある日、

ある宮大工棟梁が書かれた本の中に、

興味深いことを発見するのです。

それは中卒・高卒の新入社員が入ってくると、

基本は住み込みとなるのですが、

朝昼晩の食事作りや掃除洗濯などを若手が交代で担い、

仕事では他の先輩方と同じ時間働いた上で、

夜は遅くまで刃物研ぎの訓練をする。

休日には有名な建築物を見学学習し、

時間があれば技術的なことも進んで勉強しており、

ほとんど遊んでいるような暇がないということなのです。


我が身を省みると、

ほぼ定時まで仕事をして、

休日にはのんびり休んでいる始末ですから、

彼らと比較になりません。

厳しい訓練を経て、

苦労の末に漸く他人に認めてもらえるようになる彼らに、

自分の商品を認めてもらうには、

彼らに負けない努力が必要だと素直に感じたのです。


彼らは早ければ16歳、

遅くとも大学卒業後に仕事を始めるわけですから、

22〜23歳くらいでしょうか。

当時すでに30歳を過ぎていた私は遅すぎで、

とてもそれから鍛冶の修行を強化して一流を目指しても、

手遅れといった思いもありました。


しかし周りを見まわしてみれば、

私の同世代やもっと若い鍛冶屋の後継者の多くが、

私と同じような生活習慣で、

毎晩のように情報交換などという理由をつけては、

繁華街を飲み歩いていたものです。


そこで他の鍛冶屋もこの程度ならば、

私が生活習慣を改善し、

今までやってきたことの中で、

続けることと止めること、

そして新たに始めることをはっきりと決めて、

集中してそれに取り組めば、

一点突破も夢ではないと考えたのです。


ところが、

当時のお客さんの全てが絶対無理だからやめておいた方が良いと、

善意で忠告してくれましたが、

そこは一途な私です。

そこまでみんなが強く否定するのであれば、

普通の人なら諦めて止めてしまうだろうと考えて、

ますますやる気になったのです。

そして準備万端整えて、

35歳から本格的に鍛冶屋の仕事に取り掛かったのです。
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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。
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