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  火造り槌360匁

第一章 玄能の出現
・玄能の始まり (1)



家康が秀吉に転封された1590年当時の江戸は、

低湿地が多く、

人の住める平地も少ない辺境地でした。

そこで家康は、

湿地や江戸湊の埋め立てをはじめ、

河川を改修して水路を整備するなど、

大改造をおこないます。

その後、

家康が関ヶ原の戦いの後に天下人になると、

諸大名に江戸城と城下町の普請(天下普請)を命じ、

以後30年に渡る大工事の結果、

江戸城と城下町は大発展を遂げます。


1657年の明暦の大火では、

江戸の町の3分の2が消失しましたが、

その後の復興により、

市域は更に拡大します。

18世紀後半には人口が100万に達し、

同時期のパリやロンドンを凌ぐ世界有数の大都市になっていたことからも、

当時の建築需要が如何に凄まじかったか分かります。


その旺盛な建築需要に応えるべく、

建築現場では効率よく作業を進めるため、

使用される大工道具にも変革が求められます。

それまでは鑿を叩く道具として木槌が使用されていましたが、

力が効率的に伝わり破損も少ない、

鉄の頭がついた槌が使われ始めます。

これが玄能の始まりで、

その時期は江戸時代中頃と言われます。

そして、

一般の大工の間でも使われ始めるのが、

18世紀後半から19世紀にかけてと言われます。


ですから玄能は、

それ以前から釘を打つために使用されていた鉄製の頭を持つ金槌とは、

明らかに出自が違うわけですが、

現在では玄能で釘を打つこともあるので、

玄能が鑿叩き専用ではなくなっています。


ところで、

玄能が出現してから一般の大工に普及するまでに、

随分と時間が掛かりましたが、

何故でしょう?

玄能の出現以前にも、

鉄製の頭を持つ金槌等は存在していたので、

それを鑿叩きに使用することもあったと、

容易に想像出来ます。

そして、

その有用性がみとめられていたとしたら、

鑿叩き用槌の木製から鉄製への期待は、

その当時から充分に有ったはずなのに、

何故、

玄能は江戸時代中頃まで出現しなかったのでしょう?
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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。
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