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     丸玄能120匁

第一章 玄能の出現

・玄能の始まり (2)



木製槌を鉄製に変えるには、

大量の鉄が必要になりますが、

玄能の出現以前には、

鉄の生産量は少なく、

とても貴重なものでした。

ですから、

簡単には木製から鉄製への移行が叶わなかった筈です。

しかし、

18世紀後半に起きた鉄生産における技術革新により、

それが可能となります。

それ以前は「野たたら」と言う小規模な鉄生産形態をとっていたのが、

この時期に合理的な「たたら炉」の装置が完成され、

大幅に鉄生産の能率が上がりました。(※1)

したがって、

玄能の出現は建築が盛んになったからだけでなく、

このような技術革新により、

鉄の流通量が大幅に増えた事で可能となったはずです。


(※1)

鉄の生産量が急増するのは、

天秤吹子の使用が始まる元禄四年(1691年)からで、

やがてたたら場を覆う高殿が出現すると、

冬季の操業も行われるようになります。

その後、

それまで木炭や砂鉄を求めて2〜3年ごとにたたら場を移動していたものを、

宝暦年間(1751〜63)に馬匹により木炭や砂鉄運搬手段を増強し、

たたら場を移動する必要が減少します。

又、

鉄穴流し(かんなながし)の普及で砂鉄の採取量が増えることにより、

鉄の生産量は大幅に増加します。

天明年間(1781〜89)にはたたら場が固定化する、

いわゆる永代たたらが始まり、

大正12年(1923)の一斉廃業まで続きます。
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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。
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