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相豊ハンマー
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玄能日記
日々感じる事を思いのままに書き連ねてみます。
2024/12/11 教えられるのが苦手で学校が大嫌い。だが放って置かれたら勝手に勉強し始める。私の様な変人は他にも居るだろう。変人とは単に多くの人と頭の使い方が違う人種の事。昔は私の様な人種も多かった筈だが学校教育で平準化されてしまったのだ。故に伝統的な仕事を進める頭の使い方が苦手になっているのだ。
2024/12/10 鍛冶仕事に答えは無数に有る。創るものに応じて答えを導かなくてはいけない訳だ。学校の教科書の様なものはない。其のうえ教えれば出来る様に成ると考えるのは大間違い。教えられれば出来ると思うのも勘違い。釣り方は自ら編み出し続けなくてはいけないのだ。そんな事はかつて当たり前だった筈なのに。
2024/12/09 様々な要素の組み合わせで答えは幾通りも導き出せる。そんな当たり前な事も学校では教えられない。都合の良い分かり易い一つの答えの導き方を教えられるに過ぎない。其れがエビデンスの本質なのだ。すると教える方も教えられた側も何となく納得してしまう。そんな風にして我々は騙され続けてきたのだ。
2024/12/08 私も両親も会社員には向かない。コミュ障ゆえに集団に馴染めないのだ。運よく古くからの自営業なので何とか稼げている。そうでなかったなら仕事はできない。運悪く犯罪に手を染めていたかもしれないのだ。近年では闇バイト等の犯罪が増えている。優等生以外は稼ぎ難い社会環境に成ったからに違いない。
2024/12/07 ぼんやりした様に見えて優れた特技を持つ。組織に馴染めなくても少人数でなら活躍できる。そんな人も活かされる場が零細企業だった。ところが効率化が求められる余りに零細企業は絶滅寸前。前者の様な人達の働く場は失われてしまうだろう。格差は広がり犯罪も増えるかもしれない。効率化は効率が悪い。
2024/12/06 難しいものは難しいまま学ばなくては再現できない。簡単な方法など有りはしないのだ。其れをあたかも簡単な方法が有ると言って指南する人が居る。だが辿り着く先は上面をなぞるだけの紛い物にしか成らない。現代はそんなもので溢れてしまったのだ。文化や伝統を守るには学び方から学び直す必要がある。
2024/12/05 習うよりも慣れろと言われる。だが習うのも慣れるのもいけない。習えば教えられたやり方に縛られてしまう。闇雲に慣れても間違いを定着させてしまうだけ。だから見取り感じて試しながら変化し続ける事が大切。即ちPDCAサイクルを高速に回すことが肝要なのだ。現代の教育に一番足りていないのがこれだ。
2024/12/04 科学的知識を参考にして鍛冶屋は強みを失った。工芸品的な創り方から工業製品的な作り方に移行したからだ。お陰で平均的な製品の大量生産には功を奏した。だが銘品の生まれる余地は失われてしまった。守られてきた伝統や文化が断たれたからだ。勘を頼りに進めたなら連綿とした叡智を活かせた筈なのに。
2024/12/03 子供の頃には危険だから川で遊ぶなと言われた。だが川を安全に楽しむ方法を学べば良いだけ。高校では危険だからオートバイに乗るなと言われた。しかし安全運転を学べば良いだけ。即ち大人達は責任を取りたくないだけなのだ。現代は途轍もない管理社会。なぜ管理せずに済む方法を考えようとしないのか?
2024/12/02 近所の川は漁業権が設定され有料で釣りを楽しむ事が出来る。だが下流域は漁業権の設定がなく無料で釣りを楽しめるのだ。私は其処で子供の頃から安価かつ気楽に釣りを楽しんでいる。しかし今では危険だからと言って親は子供を川に近付けない。危険だからこそ危険への対処法を訓練する好機だと言うのに。
2024/12/01 鍛冶を学び始めた頃に先輩達に教えられた。金属組織と硬度の検査で刃物の良否を判断できると。だが師匠は其れを否定し諭してくれた。そもそも良否は優秀な使用者が判断してわかるもの。組織や硬度の検査は参考にしかならないと。左様に簡単な答えほど広まり定着し易い。簡単な答えなど無いというのに。
2024/11/30 間違いと分かれば訂正したい。指導的立場にあるなら特に心得たい。多くの人を混乱させるからだ。だが訂正のできていない状況を目にする。追随者は教えと現実の齟齬に混乱しているのだ。左様に現代は間違いが訂正されずに塵の様に積み重なっている。心あるならば非難を恐れず少しずつ訂正していきたい。
2024/11/29 ぶれない人とは変わらない人ではない。微調整を繰り返して変化し続けられる人。即ち自らの意思で進化し続けられる人の事だ。ところが世の中には間違いに気付いても訂正しない人が居る。そんな人をぶれない人と評価して権威付けする人まで現れる。すると間違いを指摘する事さえ困難に成ってしまうのだ。
2024/11/28 勝った時や勝っていると感じている時にこそ気配りは大切。落胆している敗者に配慮しなくてはいけない。もしも何時までも勝ち続けられると思うなら構わない。勝ち誇った尊大な態度で周りに接すれば良い。だが誰にも何時かは必ず負ける日が訪れる。その時に其れ迄の付けをまとめて払わされることだろう。
2024/11/27 教えられた通りにやれば出来ると思っている人が居る。他人の成功を真似れば上手く出来ると考える人が居る。決まりを守り大人しくしていれば安泰と思う人が居る。悪い事をしなければ良い人に成れると信じる人が居る。だが残念ながら彼等に自由は訪れない。他人のルールをなぞるだけでは自由に成れない。
2024/11/26 舐められて腹を立てるのは人生の無駄遣い。無力を舐められているなら実力を付ければ良い。此方の実力を相手が認識できていないなら相手に人を見る目がないだけ。そんな奴は放って置けば良いのだ。何れにせよ他人を舐めるような奴は弱虫なだけ。自らの無能を隠す為に相手を威嚇するだけの臆病者なのさ。
2024/11/25 小さい頃の子供達の写真が書斎に飾ってある。とても可愛らしく天使の様だ。見ていると当時を思い出して穏やかな気持ちに成る。彼等の存在がどれほど私を幸せにしてくれたことだろう。今では憎たらしく思う事も多いがあの頃を思い出せば許せてしまう。何事も今だけで成り立つ訳ではない事がよく分かる。
2024/11/24 やり方が分からないと始められない人が居る。だから手っ取り早く学校や塾に通う人が居る。運動するのにスポーツクラブに通う人が居る。其処を出発点にしてしまうのだ。其れは自らの可能性を狭めている様なもの。私なら分らなくても先ずは一人でやってみる。其の上で足りないものを求める様にしてみる。
2024/11/23 私はスポーツが全く出来ない。ルールで行動を制限される事に我慢ならないからだ。そもそも世の中にはルールが多過ぎる。良い方法を見つけたなら古いルールは捨ててもらいたいのだ。思考が重ったるく成り憂鬱に成ってしまうではないか。だから私は自然に浸り自らのルールで軽やかに楽しむ様にしている。
2024/11/22 ワクチン接種後に身体を壊したが漸く力が出る様になった。避けていた大きな玄能を創ってみたがやり遂げられたのだ。無理だと諦めていたのでとても嬉しい。充分先まで玄能鍛冶を続けられる気がしてきた。ところで私はワクチンで身体を壊したのか?それともワクチンが効かずにコロナに感染していたのか?
2024/11/21 鍛冶屋を始めた頃に多くの鍛冶屋が廃業した。其の多くは儲からないから止めるという事だ。彼等は生活の為に鍛冶屋をやっていただけなのだろう。新たな仕事も儲からなければ止めてしまうのだろう。左様に其れが一般的な行動原理なのだ。だが私の行動原理はやりたい事を始めて如何にやるかを考え続ける。
2024/11/20 大した苦労もせずに今に至っている。他人が挫折する様な事でも苦労と思わずに乗り越えてきた。何より好奇心が旺盛なせいだろう。そしてあまり欲張らないからだと思うのだ。欲張らないから大きな成果を期待しない。少しの成果で満足できてしまうのだ。今頃に成って気付いたが物凄くお得な性格だと思う。
2024/11/19 徒歩5分で行ける所で釣れる魚。春は山女、岩魚、虹鱒。初夏には鯰、雷魚、鯉、ヘラブナ、ニゴイ。盛夏にはウグイ、オイカワ、ブラックバス。秋は鮎。其れらの殆どをスプーンで釣ることが出来る。そして初冬に鮭が上り始め、他には亀や蟹も多い。カワセミを見ることも稀ではない。だが遊ぶ人は少ない。
2024/11/18 近所の川は足場も良くて釣りには最適な環境だ。魚種も豊富で私にとってはパラダイス。だが釣りをする人は少ない。時には釣人も居るが釣れずに諦めて帰っていく。彼等は釣れる方法を編み出す事が出来ないのだ。左様に教えられないと出来ない人が多過ぎる。今後は自ら編み出せる人の独擅場に成るだろう。
2024/11/17 褒めて操ろうとする人を好きに成れない。人間性を認められ相手が自発的に行動してしまう様な人を私は好きに成る。また人間性に惚れて行動する様な人も私は好きに成るのだ。だがテクニックで操ったり操られたりする人を見ると心配に成る。テクニック等の対症療法では互いの正当な成長は望めないからだ。
2024/11/16 嘘つきは何処にでもいる。だが言う事に一貫性が無く直ぐにばれてしまう。しかし其の嘘が周りに都合のいい時がある。すると周りは嘘つきを担ぎ上げて金儲けに走るのだ。お陰で真偽定かでない情報がまかり通る。国民は心の拠り所を失くして疲れ果てているのだ。だから不安に成り心身を壊す人が多いのだ。
2024/11/15 見た目だけを整えた高額な安物は多い。目利きならば直ぐに見抜けるが素人なら騙されてしまう。外国人観光客は良いカモにされている訳だ。真面目な職人ならこの状況は歯痒いだろう。だが出来る事はただ一つ。本当に良いものを創り続けるほかない。万が一にも自らも一枚かんでみたいなんて思わない事だ。
2024/11/14 詐欺師の流すデマにより馬鹿を見る人は多い。其のデマが多くの人に有利に働けば尚更の事。周りの協力の下にデマは拡散され定着する。其れは何処にでもある話なのだ。私の周りにも可笑しなデマは定着している。其れも詐欺師一人の仕業ではない。そして役目を終えれば詐欺師は捨てられ一番の馬鹿を見る。
2024/11/13 整っている事は大切。多くの場合に良し悪しの判断は知識と目利きが必要に成る。だが整っているかどうかは直感で判断できる。例え初見のものでも崩れていれば違和感を覚えるだろう。出来れば近付きたくないと思うかもしれない。ならば先ずは整える事が肝心だ。近付いてもらう為に先ずは入念に整えよう。
2024/11/12 雑な人は上手く成らない。せいぜい慣れて手早く出来る様に成るだけ。だが雑な人は注意されても気付けない。丁寧の概念が理解できないからだ。丁寧とは感性を最大限かつ最善に活かして入念に行う事。其れなくして上達は有り得ない。とは言え雑な人は解ろうとしない。即ち雑とは其の様な精神状態なのだ。
2024/11/11 できる筈がないと叱られる事がある。だが現状を当たり前に感じられないのだ。ところが深く考えずに当たり前で済ませる人は多い。そのくせ不平不満を言い続けるのだ。不満な状態を当たり前にしているのは当人だ。現状を変えるのが怖いのだろう。軽やかに改善して快適な状態を当たり前にすればいいのに。
2024/11/10 軽々しく真実を言うなと師匠に諭された。真実は人を不快にするからだ。故に師匠は真実を語ろうとしなかった。勇気をもって知りたい人にだけ語ってくれていたのだ。お陰で私は目から鱗の落ちる話を聞くことが出来た。左様に嘘を信じたい人は信じていれば良い。勇気の有る人だけが真実を知れば良いのだ。
2024/11/09 師匠は正当なやり方で普通のものを創れと言った。簡単そうに聞こえるが出来る人は稀だ。そもそも「正当なやり方」や「普通のもの」を知る人は少ない。私も師匠の下を訪れ初めて知ることが出来た。そして其れが実に難しい。少しの狂いで台無しに成ってしまうのだ。故に出来たなら類なくなれると感じた。
2024/11/08 最近は酒と肴と本くらいしか買わない。本当はオートリバースと頭出し機能の付いた格好いいソニーのラジカセが欲しい。それからジープとハコバンを足した様な機能を持ったホンダの軽自動車が欲しい。だがそんなものは無いから欲しいものが無い。しかし既に満ち足りているからこのままで充分な気がする。
2024/11/07 最後まで生き残れば安泰と考えるのは大間違い。残存者利益を期待するだけでは駄目だ。出来が悪ければコスパに優れた紛いものに置き換えられる。油断すれば上手い若手が台頭して脅かされたりする。だから真面目に精進し続けなくてはいけないのだ。真面なものが出来なくなれば他に代替されるだけだろう。
2024/11/06 先日の衆院選もモヤモヤした。何時も通りに投票したい人が居ないのだ。立候補者は鼻先に人参をぶら下げるだけで長期的展望を語る人は居ない。故に私は自らに出来る事を精一杯やるだけ。どんな世の中に成ろうと生き延びられる準備と心構えをしておくだけ。今の選挙制度で庶民が幸せに成れると思えない。
2024/11/05 変だと思わないのだろうか?環境破壊されたドブ川に毎年大量の魚を放流し続ける。不摂生しながら健康の為にサプリメントを飲み続ける。幸せに成りたくて嫌な仕事を我慢してやり続ける。或いは出来損ないの商品を売る為に経費を掛けて宣伝し続けるのだ。何故その様な発想に至るのか私には理解できない。
2024/11/04 子供の頃に鍛冶仕事の機械化が一気に進んだ。殆どの場合は大量生産の為の手抜きだった。お陰で熟練職人の減少と品質低下を招いてしまった。だが中には手仕事に負けないものもある。しかし多品種少量生産には向いていない。ならばAIに任せれば良いのか?更なる職人の劣化と品質低下を招くに違いない。
2024/11/03 鮭が上り始めたと聞いて川を見に行ったが鮭の姿は何処にもない。五千円払って入漁した釣人も竿を出せずに呆然としている。そもそも稚魚を放流し帰ってきた鮭を釣るのだから釣り堀と同じ。現実をビデオゲームの様にデザインして操作しようとしている訳だ。ならば瓦礫だらけの川を整備する方が先だろう。
2024/11/02 師匠は私を救ってくれた。行き場のない情熱を受け止めてくれたのだ。当時は省力化の為に機械化が進められていた。だが単なる手抜きに見えて心苦しかった。其の上正当なやり方を知っている人は皆無に等しかった。しかし師匠は正当なやり方を熟知してくれていたのだ。絶対に残さないといけないと思った。
2024/11/01 仕事が楽しいと言うと運が良いだけだと言われる事がある。だがどんな仕事も嫌な事は付いてまわる。それでも嫌に成らないやり方を編み出せたから楽しい訳だ。そもそも人生ってそうだろう?楽しむ人は何でも楽しむ努力を惜しまない。楽しめないのは誰かが楽しませてくれるのを待っているからに違いない。
2024/10/31 師匠は20代で名人とうたわれ有頂天だった。だが目利きに不備を指摘され天狗の鼻を折られたのだ。しかし挫けず勉強し直し真の名人と認められる様に成る。其れは次元の高い共同体に移動できたという事だ。左様に高い次元は此方から見えない。故に見える次元の1等賞で多くの人は満足して一生を終える。
2024/10/30 不況だと言い嘆く人が居た。だがこれが日本の実力だと思えば良い。経済という分野で過去に一寸だけ成功しただけではないか。ダニングクルーガー効果で舞い上がっていただけではないのか?人が生きる為に必要な事は経済だけではないだろう。生きる為に本当に大切な事は何か?熟考する好機が訪れたのだ。
2024/10/29 下手糞な人ほど自信満々に成る事をダニングクルーガー効果という。本当に上手く成り始めれば自らの拙さに気付き自信を無くすからだ。だが其の程度で弱音を吐いたら先はない。ふるいに掛けられ退場するしかないだろう。左様に自信を無くした時が本当の出発点。自信満々な人は出発点にすら届いていない。
2024/10/28 選挙の度に苦しくなる。投票したい人が居ないからだ。実績がある人なら投票したくなる。実績を出しそうな人にも投票したくなる。人間性が優れていそうなら投票したくなる。だがそんな人が居る様に見えない。みんな人相が悪くて性格も悪そうに見えてしまうのだ。其の上私が投票する人はいつも落選する。
2024/10/27 知人は真面目に商品開発を進めていた。時にはヒット商品を出す事もあり業績は好調だった。だが商品は模倣される事もあり遂には倒産してしまった。しかし模倣した企業は優良企業として存続し続けているのだ。左様に模倣は地元で日常的な事。だが模倣できない水準のものを創ればその心配は要らなくなる。
2024/10/26 粗末なものがマーケティングやブランディングで売れている。虚飾のラッピングに惑わされる人が多いからだ。故に真面目に上達しようと考える人は少ない。手っ取り早く宣伝して儲けた方が効率的だからだ。お陰で世間は粗末なもので溢れている。ならば真面目に上達すれば特別になれる好機だと思わないか?
2024/10/25 35歳で鍛冶屋を目指し36歳で長谷川幸三郎に師事して玄能創りの指導を仰いだ。鍛冶全般の知識と慣習は地元問屋と消費地の小売屋に指導してもらった。お陰で順調に上達でき38歳の時に浩樹銘で販売を始められたのだ。左様に強い信頼関係で結ばれた協力者に私は囲まれている。一人では何もできない。
2024/10/24 中には成功して力を付ける鍛冶屋も現れた。だが信頼関係を築く方向に向かわなかった。世話に成った問屋や小売屋を中抜きし始めたのだ。お陰で問屋は滅びつつある。力のない私の様な鍛冶屋は問屋を頼るしかないのに。これから起業する人にも負担を掛ける筈なのに。他人を顧みない産地は滅びるしかない。
2024/10/23 件の問屋に呼ばれた時の話。座らされ3人の番頭に囲まれた。梱包作業を無償で行えと言うのだ。そこで当方に利点はないので断った。すると脅してきたので退出させてもらったのだ。番頭曰く他の鍛冶屋は少し脅せば言う事を聞くという。だが信頼関係の築けない産地は滅びるしかない。故にこの有様なのだ。
2024/10/22 全ての注文を取り消された件の鍛冶屋は廃業した。そして其の注文は当方に回されてきた。だが当方は既に50件以上の問屋とお付き合いをしていた。それでも件の問屋の注文は増え続けて3割を超え始めた。すると呼び出されて値下げの要求を突き付けられたのだ。私は軽く断り何事もなく取引を続けていた。
2024/10/21 50年ほど前の事だ。問屋が鍛冶屋に注文を出していた。そして徐々に大量の注文を出し始めた。鍛冶屋は他所の注文を断り問屋の仕事に集中した。すると問屋は大幅な値引きを要求してきた。だが鍛冶屋は其れを断り全ての注文を取り消されてしまったのだ。地場産業の信頼関係はこの様に壊され続けてきた。
2024/10/20 50年ほど前の事だ。鋏鍛冶が問屋に納品に行った。鋏は二つの部品が組み合わされて一つの商品に成る。其の一つの部品を一個として単価が決められていたのだ。ところが其の日は二つの部品を一個として以前の単価で支払われた。鋏鍛冶は傷心し自殺してしまったのだ。似た様な事は日常的に行われていた。
2024/10/19 曾祖父は隣家に騙され自殺している。家付きの土地だけを買い取り毎月地代を受け取る契約をした。だが地代は払われずに借金だけが残り自殺したのだ。そして其の後も満足に地代を受け取った例はない。其の後に隣家は破産し家人も死んで空き家に成った。しかし税金は私が支払っている。不条理すぎるのだ。
2024/10/18 一人で出来る事には限界がある。苦手な事は他人に任せ得意な事に集中したい。だが其れは共同体が機能して初めて達成される。しかし現代は共同体が消滅して叶わないのだ。ならば先ずは得意な事で困っている隣人を助けたい。其れが共同体再生の始まりに成る。古より其の様に築き上げられてきた筈なのだ。
2024/10/17 業界の目利きを講師として招待し講演してもらった。時宜を得た機会に多くの人が参加してくれた。類ない話と持参頂いたお宝に参加者は満足してくれたと思う。だが又とない機会に参加しなかった人も居る。勿体ないと思うが其れも縁だ。これからも付き合い続けられる人かどうかを判断する基準にもなった。
2024/10/16 自らの考えを熱心に話したり発信したりするのは誰かを説得する為ではない。思考を整理する為であり伝える訓練の為であり共感してくれる仲間を集める為だ。そもそも他人を説得して考えを改めさせる事など不可能と思っている。故に話が空回りしても焦る事も諦める事も無い。淡々と気楽に続けられるのだ。
2024/10/15 メディアで自信満々に振る舞う人の姿は虚構に過ぎない。真に受けて感服する人は慌て者に違いない。挙句に真似て自信満々に振る舞う人まで現れる。何気ない生活に現実と虚構が入り混り混沌としている訳だ。気持ち悪く感じているのは私だけか?本当の自信家は日々淡々と生きていて目立たないというのに。
2024/10/14 冶金学が確立された後も師匠は勘を頼りに創り続けた。一部の分析から得られたデータだけでは良いものが出来ないと解っていたからだ。お陰で銘品を数多く残せた訳だ。そして創るものの周辺を学ぶ事の大切さも私に諭してくれた。知識を積み重ねて俯瞰しろというのだ。全体を見て細部を詰めろという事だ。
2024/10/13 正当なもの創りは時間が掛かる。合理優先の現代に於いて正当など顧みられないのだ。だが合理を優先すれば品質は足りず飽きられるのも速い。事業が短命になったのはそのせいだろう。翻って腰を据え正当に創り上げれば創造力も鍛えられる。完成度が高くなる上に社会の変化にも対応でき永続きできる筈だ。
2024/10/12 基本に忠実にものを創れば特徴の薄いものが出来上がる。だが精度を上げるにつれて唯一無二の特徴が表れ始める。其れが味なのだ。しかし多くの人は目立つ特徴を優先して基本からずれてしまう。其処に現れる特徴は単なる癖に過ぎない。即ち名工とは極めて精度の高い素朴なものを創り上げられる人の事だ。
2024/10/11 鍛冶屋を始めた頃は空回りしていた。存在すべき場所が見えていなかったからだ。だが師匠の下を訪れ自らの居場所が見え始めた。その場所を知れただけでも当時の私は充分に救われたのだ。ところで最近はお金だけが目当ての人が多い様だ。共同体が失われて根を張る場所のない不安な人が増えたせいだろう。
2024/10/10 未熟なうちは嫌な事も我慢しないといけない。ならば出来るだけ楽しむ様に過ごしたい。だが認められ始めれば周りは進んで助けてくれる。それが共同体に所属できた証なのだ。共同体を大切にすれば分かち合う事で不安なく生きていける様に成る。疎かにすれば不安のなか全て自分でやらないといけない訳だ。
2024/10/09 弟子を2人受け入れて居られるのは裕福だからではない。大きな声では言えないが私は抜群に貧乏だ。だが頼れる人は多い。いざと成れば誰かが助けてくれると思っている。だから貧乏でも不安は少ないのだ。しかし金持ちでも不安を抱える人は多い。全て自らやらないといけないと思っているからに違いない。
2024/10/08 大概の事は他人に任せれば良い。自らは成る丈努力しないで出来る事をやればいいのだ。夢中でやれる事ならそもそも努力なしに出来る。共同体が有れば其れが叶う筈なのだ。ところが共同体は壊れつつある。自らで全てを賄わなければいけない時代に成ったのだ。不安に満ちた人で溢れたのはそのせいだろう。
2024/10/07 永く続いてきた事には意味が有る。深く考えずに壊せば後戻りできなくなる。私の地元は出来ないものが無い程の金物産地だった。だが今では共同体が壊され出来るものが激減している。自らの利益を優先して他人を顧みない人が後を絶たないからだ。分かち合う心構えが無ければ共同体は簡単に壊れてしまう。
2024/10/06 今は何が売れているのか?今後は何が流行るのか?そんな情報を血眼に探す人は多い。だが人真似をして儲けられる時代は終わった。今大切なのは先ず覚悟を決める事。今できている事を更に掘り下げ磨き続ける事。相手の期待を少しだけ上回り続けられる様に成る事。相手に惚れ続けてもらう事が大切なのだ。
2024/10/05 覚悟が決まらない人の気持ちもよく分かる。まだ何も見えていないのだから怖いだろう。だが覚悟を決めないから何も見えてこない。即ち覚悟を決める事から始めなくてはいけないのだ。其れでも覚悟を決められない人は多いだろう。しかし覚悟を決めなくては絶対に見えて来ない場所が有る。其れは居場所だ。
2024/10/04 嫌な事をやらない為には覚悟が要る。やらずに済む環境を創る必要があるからだ。先ずは覚悟を決めて取り組み其の道で唯一無二を目指す。そもそも覚悟が決まれば多少の嫌な事も淡々とできる。其の上で唯一無二に成れれば嫌な事を頼まれなくなるのだ。其れ迄は嫌な事も良い経験と捉え受け入れるしかない。
2024/10/03 35歳を過ぎてからは嫌な事をやっていない。やりたい事だけやるから思わずのめり込んでいた。すると少ない努力で上達してしまうのだ。中には褒める人も居るがそんな資格はない。殆どの人が其の人なりに懸命に努力している筈なのだ。世の中では何かにつけて順位付けや表彰が行われる。誠に軽薄すぎる。
2024/10/02 還暦を過ぎてからの心境が面白い。やってきた事の答え合わせを思わず始めてしまうのだ。ところで10年前に10年後の自分を予想して作文した事がある。作文通りに成っているから答えは概ね合っているのだろう。そして予想以上に良い仲間に恵まれている。今後も一味徒党で荒野を進んで行けたら幸いだ。
2024/10/01 自転車の漕ぎ始めは少しだけ負荷が掛かる。だが後は出来るだけ脱力してやらないと続かない。しかし現代人は頑張り続ける事を美徳とする。故に筋トレなんかが流行るのだろう。ところで古より下手糞な人は力ずくで仕事をする。上手い人はコツで仕事をすると言われる。ならばやるべき事は分る筈なのだが。
2024/09/30 師匠の口添えで優良なお客を引き継ぐことが出来た。お客は師匠を信頼して私の玄能を買い続けてくれたのだ。お陰で私は上達できた。感謝してもしきれない。同様に弟子にも引き継がれたら何よりと考える。ならば私が信頼に足る人間に成らなければならない。親方の人望が弟子を生かしも殺しもするからだ。
2024/09/29 自らの生き残りの為に他人を活かそうとする様では未熟なのだろう。情けは人の為ならずなどと言っているうちは打算が働いている。ならば誰の為でもなく無心に出来る様に成るしかないのだろう。自らの生き様に喜びを見出せる様に成るしかないのだろう。あらゆる事に感謝できる様に成るしかないのだろう。
2024/09/28 辛かった修行や掛ける手間暇を考えれば高額にしたいと思う時もある。後進の育成まで考えたら更に手間も経費も掛かるのだ。だが使用者の懐具合も考えねばなるまい。皆が裕福である訳ではないのだ。自らの生き残りを考えるのは当たり前。しかし使用者の生き残りにも配慮しないと自らも続けられなくなる。
2024/09/27 技術継承の難しい鍛冶業界に機械化を検討する動きが強まっているという。安易な省力化が熟練者不足として顕在化しているというのに更に省力化を進めるというのだ。そもそも熟練者を育成しないと機械化した所で品質を管理できなくなる。日々進化を求められる鍛冶仕事を機械で代用しきれる訳がないのだ。
2024/09/26 かつて鍛冶後継者育成事業に受講生として参加した。そこで師範が開口一番に言った。「今までの鍛冶職人は失敗を繰り返して上達した」「失敗せずに上達出来る方法を教える」と。だが永く続いたやり方を軽率に否定してはいけない。取り返しがつかなくなるからだ。そもそも失敗せずに出来る方法などない。
2024/09/25 今迄がこうだからこれからもそうだろうとは思わない。これからは今すぐに変えられると思っているからだ。例えば身の周りを整理整頓してみるといい。景色が全く違って見えて来るだろう。左様に整理整頓はこれからを変える暗示になる。そして同様な暗示は幾らでも転がっているのだ。取り敢えず整理整頓。
2024/09/24 出来ない人ほど革新を叫び奇天烈な事を始める。真面にやっても目立てないからだ。翻って出来る人は地道な作業で実績を積み重ねる。其れで充分に認められる事を知っているからだ。だが何方を目指すのも人其々で勝手に選べば良い。しかし奇天烈なものの殆どは時代の波に木っ端微塵にされ消え失せるのだ。
2024/09/23 ある商品にクレームが付いた。其の対処に仕様を少しだけ変えた。すると他の個所にクレームが付いた。そこで更に少しだけ手を加えた。すると其処まで丁寧にする必要はないとお客は謝ってきた。ほんの些細な工夫なのに驚いてくれた訳だ。左様に大きく変える必要はない。一寸ずつ進化させればいいだろう。
2024/09/22 私は人付き合いが悪い。そして友達も少ない。だが孤立しているとは全く思えない。何時も誰かと繋がっている感覚が有るからだ。困っていれば誰かが声を掛けてくれる。宣伝しなくても御注文は絶えない。それは過去の工人の積み重ねた慣習に従っているからだろう。巨人の肩に乗ることが出来たからだろう。
2024/09/21 師匠からは業界の掟を教え込まれた。規則ではなく永く続く慣習に従えというのだ。すると世間と繋がり孤立しないで済む様に成る。ところが今では掟を守る人は少ない。故に孤立して派手な宣伝が必要に成る。競争せずにいられなくなり金に目が眩んでしまうのだ。強欲な人間は世間と切り離されている訳だ。
2024/09/20 若い頃は多種多様な下請け業者が存在した。起業を志す私はそんな業者を活用し実験を繰り返した。業者の組み合わせで殆どのものを創ることが出来たのだ。だが下請け業者は次々と廃業している。新たに起業するには全て自らやらなくてはいけない訳だ。下請け虐めと内製化が地場産業を地盤沈下させている。
2024/09/19 師匠は私の玄能を批評しなかった。自ら判断しろと言うのだ。軽率に私を褒めたりしない様に周りにも忠告していたという。お陰で宙ぶらりんの状態が続いていた。だが子供の頃に自然の中で遊び惚けた私は慣れていたのだ。自然は気まぐれで答えを教えてくれない。自然は宙ぶらりんを楽しませる天国だった。
2024/09/18 良ければ買ってもらえる。駄目ならば買ってもらえない。其れが評価だと教えられた。評価を他人に聞いている様では埒が明かないというのだ。故に私は他人に評価を聞くことはない。注意を巡らし自ら判断する様に心掛けてきた。そもそも目利きは他人を軽率に評価しない。自らの影響力を分っているからだ。
2024/09/17 嫌な事はやらない。だが大概の事はそつなくこなすことが出来る。かつては嫌だった事でも今なら事務的にこなせる様に成っている。35歳迄は嫌な事でも敢えて引き受け、嫌でなくなる工夫をとことんやってみたからだ。何故その様な自虐的な事を私がしたのか?本当に嫌な事をやらなくて済む様にする為だ。
2024/09/16 35歳を過ぎたら嫌な事を我慢してやるべきではない。そんな風に考え生きてきた。だから今でも嫌な事をやりはしない。だが他人から見れば我慢している様に見えるかもしれない。例えば家人からの嫌味や皮肉。お客様からの不平不満など。しかし適切に対処すれば良いだけ。後は成り行きに身を委ねている。
2024/09/15 気分転換に近所の川にいったら滑って転んだ。腰を強く打ったが大丈夫そうだ。民家に近いから安心できるが人里離れた場所ならば心配になる。だが多くの人は準備不足なまま人里離れた場所に立ち入ってしまう。そして事故を起こして大事にするのだ。身体感覚を通した想像力が欠如しているとしか思えない。
2024/09/14 失敗したら直せば良いと考える人は多い。だが失敗したらやり直すのが正しい考え方だ。前者は失敗を塗りつぶす様なもの。失敗の原因は残されたままだ。後者は失敗そのものを排除する行為。失敗の原因を潰しきるのだ。この微妙な違いは数年後に大きな違いと成って現れる。この違いに気付けたなら幸いだ。
2024/09/13 稼ぎは少ないが支出も少ない。我慢している訳ではなく其れで自然なのだ。だが必要なものには金を惜しまない。仕事に使う道具や知的好奇心を満たすものには金を掛ける。しかし見栄を張るものには全く興味が無い。恐らく人生に満足しているからだ。有るものを存分に活かすだけで充分幸せに成れると思う。
2024/09/12 何故多くの児童が先生の命令に無批判に従うのか?そんな事を小学生の頃に同級生と議論した事がある。そんな彼だが思慮深く観察眼に優れていた。多くの大人よりも賢いのではないかとさえ思えたくらいだ。当時の彼の言動から多くの気付きを得ることが出来た。彼が私を目覚めさせてくれたのかもしれない。
2024/09/11 昔なら引退の年齢なのに必死に働くのは何故か?と尋ねられた。好きなもの創りをしてお客に期待されてお金まで貰える。やる程に上手く成り先人に育ててもらった恩を弟子に送る事が出来るのだ。そんな理想的な環境で必死に働かない訳がない。そもそもこの環境を目指して様々な実験を繰り返してきたのに。
2024/09/10 手造りにこだわる鍛冶屋は金持ちに成れないのか?と問われた。多くの鍛冶屋は機械化を進めるからだ。大金持ちには成れないと私は断言した。だが腕を磨けば充分に豊かに成れるとも答えたのだ。そもそも手造りを続ける鍛冶屋はお金より豊かなものを見出してしまった。其れは顧客の期待と上達する喜びだ。
2024/09/09 出来ているのだから自信を持てと師匠に叱られた事がある。だが出来てないと分っている私が自信を持てる訳がない。そもそも師匠の足元に及んでもいないではないか。しかし私は全く落ち込んでいない。最初から上手く出来る訳がないからだ。左様に私は自信が持てない。だがやるべき事が何かを分析できる。
2024/09/08 若い頃にバイク免許の限定解除試験を受けた。大型免許は教習所で取得できなかったからだ。合格率は1割程だったが多くの人が挑戦した。嘔吐する人も居るほど難しい実技試験だった。そもそも合否の判定基準が分り難かったのだ。そんな先の見えない事に挑む経験は役に立つ。鋭い分析力が身に付くからだ。
2024/09/07 自信が有る人は危険性が見えていない人。自信がない人は可能性が見えていない人。両者共に将来に対して目が明いていない。大切なのは軽く一歩踏み出し深く考えること。更に一歩踏み出し更に深く考えること。その繰り返しが目を明けてくれるのだ。その行為に自信という概念の入り込む余地はないだろう。
2024/09/06 数年前に役所の接客の雑さを非難した投稿をした事がある。だが今では見違える様に丁寧に成った。市役所を始め税務署、年金事務所、地域振興局、何処へ行っても気分が良い。そして彼方の対応が丁寧なら此方も丁寧に成る。なるほど!今迄は私の対応が良くなかったのかもしれない!何事もお互い様なのね。
2024/09/05 根拠のない自信が大切だと言われる。だが失敗した時の落胆は大きくなる。そもそも自信をうんぬんする人は分っていない。何かが有れば出来る様に成ると考えているのだ。しかし何も無くてもやれば出来る様に成る。やる気も気合も根性も自信も全く何も要らない。ただ始めれば次第に上手く成っていくのだ。
2024/09/04 火造り上げの玄能を創っている。通常はヤスリで成形して形を整える。だが火造り上げは火造り工程で形を整えるのだ。お陰で完成までの時間を短縮できる。価格も通常のものより高く設定出来るのだ。しかし一生懸命に取り組んで出来る品物ではない。滞りなく仕事が出来る様に成って始めて出来る技なのだ。
2024/09/03 他人を軽々しく褒める人は自分の印象を良くしたいから。そんな人に褒められて浮付く様では先が知れる。子供でもその程度の事は見破れるだろう。ところで私の幼少時には他人を褒める人は稀だった。半世紀くらい前から他人を褒める愛想の良い人が増えた様に感じる。仲間達ととても気持ち悪がったものだ。
2024/09/02 印鑑証明が必要になりコンビニへ行った。マイナンバーカードで安く入手できると聞いたからだ。だが全く使えない。役所で確認したらカードの磁気データが壊れているという。再発行に一か月と千円掛かるというのだ。すぐに必要なら印鑑登録証も再発行する必要があるという。不便を通り越して馬鹿すぎる。
2024/09/01 私は新陳代謝が激し過ぎる。年がら年中多くの汗をかく。故に夏は涼しく冬は寒い。即ち暑さに強いが寒さに極めて弱い体質なのだ。だが寒ければ一寸だけ厚着をすればいいだけ。貧乏な私には体質が有効にはたらいている訳だ。しかし日本人は汗をかかない体質に成っているらしい。お金のかかる体質だねえ。
2024/08/31 エアコンの利き過ぎた施設で一夜を明かした。エアコンのない生活をする私は酷い神経痛に見舞われた。スーパーや役所に行っても神経痛に見舞われる事がある。だから夏でも長袖の上着を手放せないのだ。ところで熱中症の注意を役所が広域放送し続ける。私は40度近い工場で何事もなく作業を続けている。
2024/08/30 オートバイで転んで重傷を負うのならまだ良い。直ぐに発見され救護できるからだ。だが里山に気楽に山菜取りに行くのは其れ以上に危険を伴う。些細な怪我で動けなくなっても発見される可能性は低いからだ。しかしその違いに気付いていない盆暗が多過ぎる。富士登山に軽装で臨むよりも遥かに危険なのに。
2024/08/29 玄能での釘叩きは珍しくない。だが玄能は鑿を叩く道具として江戸時代に日本で発明されたもの。其れ迄は木槌が使われていたのだ。しかし日本人は木槌に飽き足らず考えた。そして軽い力で正確に打ち込める金属製の玄能を創り出したのだ。だが今でも海外に玄能は少ない。玄能はガラパゴス化の典型だろう。
2024/08/28

左が相豊ハンマーの創業者である祖父の相田豊吉。真中が曾祖母のトメと父の優樹男。右が祖母のヨシ。この部屋は私の生まれた後に工場に改造され機械ハンマーが据えられていた。平成元年に取り壊して新居を立て私は其処に住んでいる。築110年でとても傷んでいたが今になってとても勿体ない気がする。
2024/08/27 私の三条弁は酷いらしい。年寄りさえ使わない古の三条弁を使っているらしいのだ。テレビやラジオを視聴しないから標準語が身に付かないのだろう。最近では地元でも言葉が通じない事が有るくらいだ。だが言葉だけでなく感覚も共有できなくなってきた。言葉の標準化が感性を平準化させているに違いない。
2024/08/26 初代藤六から数えて150年は鍛冶仕事をしてきた。其れで漸くこの程度である。進化熟成させる事の大変さを痛感せざるを得ないのだ。ところが僅か数年で大きく儲ける人も居る。品質以外の要素で上手く儲けている訳だ。左様に良いだけで売れない事も確か。だが後世で評価されるのは良いものだけだろう。
2024/08/25 親孝行したい時には親はなしと言われる。だが孝行してもらいたい親がどれほど居るだろうか?子の世話をするだけでも充分に幸せを感じられる筈なのに。育てる人が居てくれるだけで充分に有難く感じられる筈なのに。ところが今では人を育てようとしない人が多い。幸せをお金に換算してしまうからだろう。
2024/08/24 何時までも豊かだと思っていたら大間違い。何時までも元気で暮らせると思うのも大間違い。ましてや死なないと思っているなら直ぐに目を覚ましたい。人は何時でも貧乏になるし病気にもなるし突然死んでしまう事もある。ところが自覚できない人は多い。人を育てる事も無く何時までもはしゃぎ続けている。
2024/08/23 玄能以外も作ってみろと言われる。だが力不足で玄能以外を作る余裕がない。そもそも玄能さえ満足に出来ていると思えない。完成していると思えないのだ。だが完成していないものを売るのは間違っていると言われる。しかし完成したものなど世の中に殆ど無いではないか?未だ出来る事は幾らでも有るのに。
2024/08/14

相田家の初代藤六の四男与次郎(明治14年生まれ昭和12年没)の肖像画。二代目藤六が家督を継ぐところ故あり与次郎が継ぐ。妻トメとの間に六人の子を授かるが永らえたのは長男と次男のみ。長男豊吉と妻ヨシとの間に生まれた長男が父である優樹男。妊娠中のヨシが与次郎の急逝に驚き生まれたとの事。
2024/08/13

相田家の初代藤六の妻タミ(嘉永元年生まれ昭和8年没)の肖像画。藤六は相田平五郎の長女タミの婿養子となった後に分家し現住所に居住。平五郎は明治4年の一ノ木戸村資料に鍛冶役と記載される。故に藤六は其処で鍛冶を身に付けたものと思われる。また平五郎の名を継ぐ直系は大正時代に神奈川に移住。
2024/08/12 伝統は革新の連続などと軽々しく言う人が多過ぎる。彼等の多くが革新も伝統も生み出せない。地道な活動を積み重ねるつもりが端から無いからだ。そもそも多くの人は天才ではない。一発逆転は有り得ないのだ。だから毎日を精一杯生きるしかない。目立ちたい気持ちが消えるまで自らを磨き続けるしかない。
2024/08/11 我が家の向かいは全て空き家。こちら側もすかすかの状態。人口減少のせいでもあるがそもそも要らない家を建て過ぎたのだ。核家族化を進めたのは目先の金儲けの手段に過ぎなかったのだ。因みに我が家は江戸時代から今の場所に在り続ける。家を整理していたら嘉永元年生まれの高祖母の肖像画が出てきた。
2024/08/10 普遍性と永続性を目安に世間を私は観察する。どれだけ広くそして深く浸透して永く続いているかで判断する。だからブームに興味は無い。関わるだけ時間の無駄と考えるからだ。ところで企業の発展を拡大と捉える人は多い。だが私は永く続ける事を最優先に考えたい。普遍性と永続性を第一と考えるからだ。
2024/08/09 和釘製造から始まる企業に就職した。もの創りは難しいからこそ楽しいと身に染みた。独立後は鍛冶後継者と接する機会が増えた。彼等の多くはもの創りと縁のない企業からのUターンだったが楽しそうに見えない。金儲けの手段としか考えていないからだろうか。永く続けるには内発的動機付けが重要なのに。
2024/08/08 独立しても一人では何もできなかった。幸いにも地元には多種多様な職業が集積していた。当時お世話に成った事業所は数えきれない。例えば木工屋、プレス屋、鉄工所、磨き屋、熔接屋、鍛造屋、鍍金屋、熱処理屋、工具屋、電気屋、修理屋、問屋、小売屋など。だが今では其の殆どが仕事を止めてしまった。
2024/08/07 協力工場の廃業が後を絶たない。不足を補う相棒が居なくなるのだ。故に内製化が加速している。即ち其の技術は外部に開放されず独占されてしまうのだ。ならば産地全体としての進化は鈍るだろう。特に若者の起業はとても難しくなる筈だ。特異分野に秀でた零細企業が多い方が産地は発展すると思うのだが。
2024/08/06 株価も円相場もオリンピックもルールを勝手に変更できない。此方が主導権を握る事は出来ない訳だ。故にルール内で最善を尽くすしかない訳だが其れを面白がる人も多い。だが競争嫌いな私は苦労してでも自らルールを創りたい。主体的に生きていたいのだ。お陰で貧乏はするが結構清々しく生きていられる。
2024/08/05 株価は更に暴落。円高と相まって経済状況は様変わりする。インバウンド人口と輸出額の減少は確実。企業は経営計画の見直しを迫られる筈だ。だが以前から充分に予測できた。要らないものや過剰なものが世に溢れ過ぎていたからだ。即ち其れこそがバブルだ。外的要因に左右されない経営を私は目指したい。
2024/08/04 株価が暴落した。リーマンショックの時を思い出す。当時の私は変額個人年金保険の運用で損を出した。其の後も暫く続けたが臆病な私は耐えきれずに解約した。すると解約手数料をしこたま取られ更に損をした。続けていたら損を取り戻せた筈だが解約して良かったと思う。精神に負担が掛かり過ぎるからだ。
2024/08/03 残念ながら真面目な人が損をする様に世の中はできている。だが損を覚悟で生きているならば其れは損ではなくて尊い事。そんな少数の尊い人が居るお陰で我々は正気を保てているのだ。もしも調子よく生きる人だけに成ったならば世の中からは軸が失われる。根無し草の様になった人類は退化し始めるだろう。
2024/08/02 地元の企業はゴキブリ根性だと叱られた事がある。餌が豊富にある時はどんどん増えて生息域を広げる。ところが餌が少なくなると共食いを始めると言うのだ。確かにブームが来れば職種を変えてまで殺到する。そして暫くすれば足の引っ張り合いを始めるのだ。生き様よりも暮らし向きを自慢したいのだろう。
2024/08/01 出来た筈なのに直ぐに落胆する人が居る。未完成である事に気付いてしまうからだ。其れはとても有り難い事。飽きずに続けられる証なのだ。翻って少し出来ただけで安心してしまう人は気付けない人。即ち向いていない鈍い人なのだ。左様に落胆するのは進化している証。怯まずに勇気をもって進めてほしい。
2024/07/31 師匠は私の弱さに気付いていた。途中で投げ出さないか?欲に駆られて道を踏み外さないか?そんな心配を師匠との会話の中で感じていた。だが私はやり遂げられるつもりでいた。しかし師匠は亡くなり作業の難しさと孤独に打ちのめされたのだ。左様に当時は地獄だった。だが今では良い思い出になっている。
2024/07/30 玄能を創ると言った時に周りの鍛冶屋は笑った。玄能の様な簡単なものは誰でもできるから止めておけと言う。どうせやるなら刃物を作れと言うのだ。だがやらない人ほど簡単だと言う。勉強しない人ほど自信満々なのだ。左様にもの創りを勉強する人は極めて少ない。勉強すれば優位に立てるに違いないのに。
2024/07/29 御支援者に育てられて仕事を続けてきた。彼等は根気強く待ってくれているのだ。だから私は宣伝しない。彼等を大切にしたいからだ。そして其れで充分に仕事は忙しい。有名に成る必要も無く穏やかに仕事を続けられるのだ。だが恩を忘れて宣伝し始める人は多い。根気強く人を育てる苦労を知らないからだ。
2024/07/28 会合では戸惑う事が多い。挨拶の変種を並べるだけの予定調和で終了するのは勿体ない。即ち大切な事を決めているポーズに終始しているのだ。面倒臭い事は承知だが変化を恐れて成長はない。実験を繰り返して失敗してこそ成長の芽を見つけられる筈なのに。そもそも其の方が面白くできるに違いないだろう。
2024/07/27 師匠の長谷川幸三郎は持病を抱えていた。50代で一度引退したが其の後に復帰し65歳まで鍛冶屋を続けた。常人なら絶対に無理な容体にも拘らず仕事は出来ていた。そもそも身体操作が並み外れていたからだ。左様に鍛冶を極めようとすれば身体操作の壁に突き当たる。だが壁に辿り着ける人さえ稀なのだ。
2024/07/26 若い頃は社会のルールが息苦しくて辛かった。だが社会に馴染む為に嫌な事でも楽しく出来る工夫をし続けた。お陰で大抵の事には笑顔で対応できる様になった。しかし私の本質は何も変わらず荒々しいまま。荒々しさを内側に向けていただけなのだ。そろそろ其れを外側に向けても良い時機なのかもしれない。
2024/07/25 遊びも仕事も人生を構成する大切な営みと考えている。収益の発生を基にして分けることはない。ところが世の中は何でもお金に換算するから面倒くさい。早起きは三文の得だとか時は金なりなんて言うからややこしく成るのだ。早起きは気持ちが良いだけで充分。瞬間を大切にして精一杯生きるだけで充分だ。
2024/07/24 サマータイムはやった方が良い。朝の清々しさは心の栄養になる。交通量が少なく通勤が楽になる。一日が長く使えて余裕ができる。早く帰れるから雑用をこなせる。左様に他人とずれる事は良い事だらけなのだ。とは言えやる人は少ないに違いない。何故ならばお金に換算すれば一文の得にもならないからだ。
2024/07/23 鍛冶仕事は探りどころがあり過ぎて私一人の手には負えない。毎日進化させているつもりだが死ぬまでに到底やり尽くせない。後は弟子達に任せるとしても完全に制御するのは彼等とて至難の技だろう。だが課題の山積を感じ取れる我々は幸いなのだ。何時までも飽きる事なく精進し続けることが出来るからだ。
2027/07/22 永く続いているものは実験を繰り返している。PDCAを高速で回転させ続けているのだ。するとお客の目が肥えるよりも早く進化させられるから飽きられない。楽しそうにやるから人を巻き込む力が強く人を育てる事も忘れない。そもそも永く続けるつもりでやっているから失敗を恐れずに実験し続けられるのだ。
2027/07/21 面白いものと面白くないものが有るのではない。面白く出来るものと出来ないものがあるのだ。何気なく始めても面白く出来るものが向いているもの。興味をもって始めても飽きてしまうものが向いていないもの。そんな風に受け止めて良いと思う。すると興味の赴くまま軽い気持ちで何でも始められるだろう。
2024/07/20 何となくメダカを飼ってみた。池に20匹放しておいた。次々と死んで最後の1匹になった。ところが次々と赤ちゃんが生まれ始めた。今は赤ちゃんで池がいっぱいになっている。気まぐれで始めたが実に面白い。左様に私は深く考えずに始めてしまう。始めてから面白くしていく事が多いのだ。鍛冶仕事も同じ。
2024/07/19 事業の寿命を短く捉える人は早く結果を出そうと急ぐ。故に流行を追いかけ迷走した挙句に短命に終わる。一方で一代で完結できないと捉える人は次世代の育成にも力を注ぐ。すると永く続けられる様に成るのだ。左様に世の中の流れを速いと捉える人には速く、長い期間で考えられる人に流れは穏やかに成る。
2024/07/18 未成熟な社会では未熟者でも上達を待ってもらえた。だが成熟したなら初めから高い成果が求められ上達を待ってもらえない。故に急激に成熟した中国では高学歴にも関わらず凡人は路頭に迷ったのだ。左様に成長を急ぎ過ぎれば続かなくなる。初めから10年先20年先を見据えて準備するくらいで丁度良い。
2024/07/17 身長167cm、体重62kg、腹囲87cm、血圧は正常。だが健康診断でメタボと診断されて説教された。「もっと運動しろ、食事に気を遣え、酒は控えろ」と。だが鍛冶仕事で肉体労働をしてウォーキングも欠かさない。食事も飲酒も人並みだと思う。因みにズボンのサイズは79cm。何が問題なのか分らない。
2024/07/16 やりたい事はやる様にしてきた。見切りを付け手段の変更はしても諦めた事はない。無理な事でも時間を掛けてしつこくやる様にしてきたのだ。お陰で20年来の夢を叶えられそうだ。ところで多くの人は他人の敷いたレールの上に群がり競争を始める。「僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る」というのに。
2024/07/15 労働を苦役と捉える人が居る。即ち食う為に我慢してやっている訳だ。一方で労働をライフワークと捉える人が居る。即ち人生を充実させる為にやっている訳だ。そこで貴方が後者ならば更に先を目指したい。やっている事を発信し皆と共有するのだ。すると生き様が洗練され更に充実した人生に向かい始める。
2024/07/14 正当にやるなら面倒を見てやっていいと師匠は言った。其れまで私が作っていたものは正当ではなかった訳だ。其れが分かっただけでも私にとって大きな進歩だった。何が正当なのか分らずに五里霧中でやっていたからだ。お陰で漸く光明が差してくれた。正当なやり方でしか正当な結果には辿り着けないのだ。
2024/07/13 過不足ない状態を目指せば手間も納期も掛かる。そこで多くの職人が安く大量に作る為に必須の作業を省力化した。お陰で以前と同じ姿だが中身の異なるものが増えてしまった。だが既にものは行き渡り平凡なものは売れない。しかし既に良いものを創れる職人は稀なのだ。失くした技術の回復は不可能に近い。
2024/07/12 夏時間を取り入れて2週間経った。格別に過ごし易いとは言えないが朝は清々しくて心地良い。出退勤時に道路が空いているのは安心できる。早く帰れるから様々な用事を足せるのは都合が良い。いっそこのまま年間通してみても良い。降雪時には渋滞も回避できるだろうから。だから皆は真似しないで欲しい。
2024/07/11 未経験な仕事の依頼を受けた際に簡単に出来ると即答する人は信用できない。現在の技能で出来るやり方で安易に始めるからだ。即ち最善なやり方を探る気はないのだ。一方で熟慮して返答する人が居る。最善なやり方を探り技能が足りなければ訓練する覚悟なのだ。左様に返答の仕方で其の人の心構えは分る。
2024/07/10 ある団体に見本が送られ模写を依頼された。模写とは即ち再現である。形だけではなく作業工程も再現する必要がある。其れが技能継承の肝に成るのだ。ところが全く違う作業工程で形だけを真似ようとしていた。即ち思考が工芸品的ではなく工業製品的なのだ。其の違いを理解できている人が余りにも少ない。
2024/07/09 若い頃に韓国製の商品が出回ったが格好だけの紛い物が多かった。其の後に中国製の商品が出回り始めたが同様に紛い物が多かった。だが今では中国製も品質は良くなった。翻って日本製はどうだ?機能を疎かにした格好だけの商品が増えていないか?過去の工人の積み重ねた努力と信頼を軽んじてはいないか?
2024/07/08 過去の工人の製作物の再現ならば創り方も再現したい。実用されないと分っていても実用を想定して作りたい。其れは素材の吟味から最終工程に至るまで再現するという事だ。どうしても再現出来ない工程ならば他の方法を検討したい。だが其れはあくまでも最終手段だろう。技能を継承するとはそういう事だ。
2024/07/07 私の発言を何時も遮る人が居る。「絶対に無理だからやめておけ。変える必要はない。」と。だが必要と思うから言い続けてきた。かれこれ30年近く言い続けたが改善される気配もない。お陰で基本的な鍛冶仕事さえできる人が稀になったではないか。名人と認められる人にこそ後進の育成を願いたいものだ。
2024/07/06 美術館で開催される超絶技巧展に行くつもりだった。だが知人にもっと凄いものを見せるからと言われてある作家の個展に行った。技法について素人の私だが一目で凄い事は分った。そして其れまで凄いと思っていたものが色褪せてしまったのだ。左様に凄いものを見せられると其れまでの自分が情けなくなる。
2024/07/05 大抵の事はやり尽くされてしまった。新しいものを創り出す事は容易ではないのだ。中には画期的な発明をする天才も居る。だが私ごときに出来る筈がない。だから私は既存のものを掘り下げる。目の前に在るものの精度を高めるのだ。其れ即ち感性の精度を高める事。周りが気付く頃には卓越できている筈だ。
2024/07/04 正しい形状を割出し、正しい素材を使い、正しい加工を設定し、正しい成形を施し、正しい熱処理を行い、正しい最終仕上げで完成させる必要がある。十全に機能する性能を得る為には押さえるべき勘所が幾らでも有る。其れを高度に実現したものを精度が高いと言う。其れ以外を精度が高いとは言わないのだ。
2024/07/03 上手い人は勘所を掴み丁寧に作る。ところが下手な人はそもそも勘所を外してしまう。故に丁寧でも駄目なものが出来上がる訳だ。だが丁寧に作らなければ勘所は見えてこない。作る度に違う様では基準が出来ないからだ。そして一番大切なのは丁寧に取り掛かる事。即ち作るものを事前に深く学ぶ必要がある。
2024/07/02 若い頃は色々な人に教えを乞うていた。盗めるものは何でも盗もうと思っていた。だが師匠の下を訪れ其の考えを改めた。本気で師事するなら師匠以外の話を聞いてはいけないと。左様にそんな風に思わせる程の際立つ師匠だった。しかし地元で師匠を知る人は稀だ。本当に凄い人は有名に成る必要がない訳だ。
2024/07/01 お客の目は肥え続ける。どんなに良いものでも見慣れて平凡に見え始める訳だ。即ち現状維持は退化と同義。だが大きく進化させれば続かなくなる。そこで相手の期待を少しだけ上回る様に改善し続けることになる。しかし多くの人は改善の仕方が分からないと言うのだ。我々の受けた教育の成果はこの程度だ。
2024/06/30 地元のスーパーが大安売りしていたが売れる気配はない。財布の紐が固いというより欲しいものが無いのだ。だが無料の特設ジオラマ展は人だかりしていた。しかし有名な作家らしいが作りが雑で全く物足りない。日本人の目は充分に肥えてしまったのだ。経済合理性だけでは立ち行かない面白い時代に成った。
2024/06/29 子供達にはやりたい事をやりたい様にさせた。様々な問い掛けをして自らの特性に気付かせるようにしてきた。すると同じ様に育てたつもりでも全く違う特性が現れた。そして自らに向いた生き方を始めたのだ。私は導くつもりはなく実際に導いていないと思う。そもそも思い通りに導く事など私には出来ない。
2024/06/28 玄能鍛冶で食うには時間が掛かる。一通りの作業ができるまでに早くて5年。品質を安定させるのに更に10年。苦情が来なく成るには更に5年。合計で20年以上掛かるのだ。ところで私の弟子は品質を安定させる段階に入った。現在この段階に居るのは全国でも私の弟子の二人だけ。全然足りていないのだ。
2024/06/27 鍛冶技術は数多の要素で成り立っている。ところが僅かな要素だけで刃物の良否を検証できると流布する人が居る。明らかな誤りだが世間は其れを真に受ける。あろうことか鍛冶屋の中にも精査せずに信じる者さえ居るのだ。そして其れを科学的検証と言ってはばからない。そんな科学は呪術と何ら変わらない。
2024/06/26 職人の引退により出来ないものが増えた。文化の継承の為に誰かが代りにやるしかない。そんな気持ちで引き受ける仕事も稀に有る。儲からないが少しは役に立ちたいのだ。因みに師匠は仕事の2割を儲からない作業にあてていた。だからこその名工なのだ。義務でなくても今やらないと後悔する事を始めたい。
2024/06/25 人は変わらないと痛感した。変われないと言った方が良いだろう。子供の頃の友人達に会ったが誰も変わっていない。性格も話し方も癖も何もかも変わっていない。強いて言えば体形や髪型が一寸変わった程度だ。そして不平不満も子供の頃と何ら変わらない。友人に言わせれば私が一番変わっていないそうだ。
2024/06/24 饒舌に語れる時がある。自分が優位に立った気に成る事がある。だが多くの場合に相手が聞き上手なだけなのだ。聞き上手は相手が気分よく話せる様に導いてくれる。自身が気付いていない潜在力まで発揮させてくれるのだ。だから調子に乗ってはいけない。謙虚であらねばならない。私は何度も失敗している。
2024/06/23 頑なに常識を守れば上手くやれると思っている人は多い。だが其の常識は誰かに思い込まされた虚構に過ぎない。師匠の下を訪れ其れまで信じていた常識が虚構と痛感させられたのだ。しかし今では其れ自体が思い違いだったと分かる。師匠や私は人生を充実させたかった。だが人は金儲けをしたいだけだった。
2024/06/22 仕事では相手の抱える課題の解決に力を注ぐ。時には相手の要望に異議を唱える事さえある。例えば見本通りではなくより良い方法を提案したりする。その為には作るものをよく研究しなくてはいけない訳だ。だが見本通りに作る事を最善と考える人は多い。故に目の付け所を誤り似て非なるものを作り続ける。
2024/06/21 挑戦する度に無理だと言って止める人が居る。だから私は一人で密かに始めてしまう。出来た後にも他人に知らせることはない。お陰で邪魔される事なく淡々と続けることが出来るのだ。ところが世間には無理だと言われて諦める人が居る。少し出来たからといって披露する人が居る。だから続けられなくなる。
2024/06/20 真面目に生きているつもりでいた。だが生き方を改める様に厳しく師匠に諭された。即ち私は真面目ではなかった訳だ。左様に正しい道へ導いてくれる人は極めて少ない。巡り合う事は奇跡に等しいのだ。しかし巡り合う秘訣は有る。真面目に生きる覚悟を見せる事だ。すると誰かが手を差し伸べてくれるのだ。
2024/06/19 競う人と自らと戦う人が居る。競う人は同程度の人とドングリの背比べを始める。勝つ事だけを考え自らの成長を顧みない。翻って自らと戦う人は足元を掘り続ける。自らの成長を考え周りを気にする事はない。そして前者は強引に説得しようとするから目立ち、後者は時間を掛け理解を求めるから目立たない。
2024/06/18 私は人に恵まれている。不思議と素敵な人に巡り合う機会が多い。多くの場合に紹介や彼方から声が掛かる。即ち私の知らなかった人に巡り会う機会が多い訳だ。師匠も紹介されるまでよく知らなかった。師匠に紹介された小売店もよく知らなかった。左様に本当に素敵な人は目立たな過ぎて見えない事が多い。
2024/06/17 本当に上手い人は目立たない。そもそも充分に人気があり目立つ必要がない。更には一般人には理解できない領域に至っているからだ。ところで私の師匠は知る人ぞ知る名工だった。だが地元で師匠を知る人は極めて少ない。知っていても正しく評価できる人は殆どいないのだ。本当に上手いと孤独に成る訳だ。
2024/06/16 家の中を片付けたら祖父の持物が出てきた。炭を入れる竹籠や小物などの出来栄えが素晴しい。普段使いしていたので高価なものではないと思う。当時は良いものが暮しに寄り添ってくれていた訳だ。それらは存在を特別に主張しない。さりげなく傍らにあり安心させてくれるのだ。そんなものを私も創りたい。
2024/06/15 無我夢中に取り組めること自体が楽しいのだろう。だが確実に周りは見えなくなり続ける。特にルールの決められた事なら尚更に視野は狭まってしまうのだ。だがこの感覚は理解され難い。その方が現代では生き易いからだ。しかし自らルールを創り出せる領域を見つけ自由に感性を活かして私は生きていたい。
2024/06/14 かつてはマスコミの取材依頼が頻繁だった。だが有名に成れば興味本位の注文が入る。本当に欲しい人の手元に届き難く成ってしまう。そう考えて取材の依頼を断り続けた。お陰で作業に集中出来て上達も早まったと思う。そして無名でも充分に注文を取れるようになったのだ。有名に成る必要はなかった訳だ。
2024/06/13 業界では良いものを創ると儲からないと言われている。手間が掛かる割に良否を見極める目利きが極めて少ないからだ。故に儲けたい職人は良いものではなく良さそうに見えるものを大量生産する。そして凡眼は勇んで其れを購入する訳だ。お陰で手間を掛けた良いものは安定的に目利きの下に供給され続ける。
2024/06/12 グローバル化の必要性が叫ばれて久しい。国内市場に飽き足らず外国に乗り出して行った訳だ。だがそろそろ満遍なく行き渡ってしまうだろう。次は宇宙に乗り出し異星人にでも売り込むつもりだろうか?其れとも健全なものを破壊して自作自演をするのだろうか?結局最後は戦争と医療に辿り着くのだろうか?
2024/06/11 やる気は要らないと師匠は言った。やらなくてはいけないなら早晩やるしかないからだ。そんな風に構えたならあらゆる事にやる気は要らなくなる。何でもすぐに始められて楽しむ事さえ出来る様に成る。すると上達は早まり信頼は厚く成るのだ。左様にやる気という概念は要らない。ただ始めればいいだけだ。
2024/06/10 惜しまれつつ廃業する職人が居る。技術が絶えて優秀なものが手に入らなくなる瞬間だ。翻って毛を増やしたり減らしたりする商売は繁盛する。多くの人が生きる為に必要のない事に心奪われているのだ。左様に現代人は潔い生き方から目を逸らしてしまった。生活ぶりをひけらかす事に夢中に成っているのだ。
2024/06/09 三匹の子豚は力を合わせて姿を隠せる簡易な藁の小屋を建てる。三匹は其処に隠れつつ少し離れた所に丈夫な木の家を建てる。時間稼ぎで得た暇を使い更に離れた所に頑丈なレンガの家を建てる。左様に力を活かし合えば三匹共に生き永らえる機会は増えるのだ。だが互いに競い合っていたら確実に共倒れする。
2024/06/08 御馳走を食べたい人が居た。彼は一生懸命に稼いでお金を貯めた。すると更に美味そうな御馳走の存在に気付いた。そこで更に稼いでお金を貯めた。そんな事を何度でも繰り返したのだ。そして年を取ってご馳走を食べ損ねてしまった。その時々に味わうご馳走が最高だというのに。潮時を無駄にし続けたのだ。
2024/06/07 ゴミが一つ落ちていたとする。すると見ないふりをして過ぎ去る人が居る。これ幸いと自らも捨ててしまう人が居る。落とした犯人探しを始める人が現れる。果ては規則を作り取り締まる人まで現れるのだ。だが黙って拾ってゴミ箱に捨てるだけでいい。左様にわざわざ世の中を複雑にする人が面倒でならない。
2024/06/06 獲物を求め彷徨う人類も種を撒き収穫を待つ様になった。もの創りも同様に土を耕し種を撒き手入れしながら収穫を待てばいい。すると年間の予定や5年先10年先を見越した戦略を立て易く成る。分を弁える必要があるから腹がくちる事はないが飢える心配もない。腹8分目で却って健康に暮らせる筈なのだ。
2024/06/05 独立した頃はバブルが弾けていた。途上国を視察すれば豊富な若人が最新の機械で作業を始めていた。日本は其れ迄の役割を手放す時期に来ている様に見えた。即ち替えの利かないもの創りが求められ始めた訳だ。だが多くは未だ大量生産を止めない。売れるうちは作り続けるだろう。だが其れが寿命を縮める。
2024/06/04 介護疲労で安静中。🐻
2024/06/03 介護疲労で安静中。🐻
2024/06/02 周囲の雑音に悩まされる人は多い。特にお金にまつわる雑音は質が悪い。資本主義は何でもお金に換算するからだ。そして多くの人は其れに囚われ行動を抑制される。故にやりたい事が分らなくなってしまうのだ。だが一旦お金を脇に置けば世界はすっきり見えて来る。やりたい事の輪郭もはっきり見え始める。
2024/06/01 雑音は職人の成長の妨げに成る。雑音とは即ち外野からの情報だ。待遇や賃金の多寡が心を惑わしてしまうのだ。かつてはテレビや雑誌の情報がそうだった。今ではネットの情報が最大の雑音に成る。だが其の程度で挫けてしまうなら止めればいい。但し替えの利かない存在に成る機会は確実に失われてしまう。
2024/05/31 玄能一つ正当に創るにも精神を病む程の困難を伴う。一つ壁を乗り越えれば其の先にまた壁が現れるのだ。多くの人が其の困難を避け安易な方法で作り始めた。お陰で性能の劣るものが標準に成ってしまったのだ。世の中にはそんな似て非なる商品が溢れている。即ち多くの分野で紛い物を掴まされている訳だ。
2024/05/30 ルールを提示されて喜んで従う人が居る。果ては其れを他人に押し付け始める。これは特別な人の事ではない。日本人の多くがそうなのだ。ところで私はへそ曲がりと呼ばれている。だがルールを自ら創って生きているだけ。そして周りには同様な人が集まり続ける。目立たず密かに自らの志を貫き続けている。
2024/05/29 自らの行いが正しいのか不安に成る事がある。そんな時には自らの心に問うてみる。不平不満はないか?ストレスはないか?興奮していないか?納得できているか?穏やかに過ごせているか?気持ちよく眠れるか?目覚めは良いか?これが出来ていれば少なくとも間違った事をしていないと信じる様にしている。
2024/05/28 どんなに好きな事でも続けられなくなる事がある。付随する好きでもない事につまずくからだ。そんな時には事務的にこなしても続かない。ならば取り敢えず楽しんでしまえば良いのだ。楽しみ方を会得したなら何にでも応用は利く。するととても穏やかに生きることが出来る様に成る。楽しむ事が最強だろう。
2024/05/27 親は老いるし介護も必要に成る。介護者は健康を害してしまう恐れさえある。ならば早めに腹を括って準備をしたい。先ずは楽しむ為の秘訣を身に付けておくのだ。定年する頃には親の介護が待っている。其れが終われば自らの養生が必要に成る。だから早めに介護さえも楽しめる程の技を身に付けておきたい。
2024/05/26 師匠の下を訪れる前の事。確かに長谷川幸三郎の名前は聞いていた。だが正体不明の存在だった。地元の大工でさえ知る人は稀だった。そんな師匠だが全国的に盤石な地位を獲得していた。しかし私でさえ真の凄さに気付くのは後の事だ。左様に無駄に有名に成る必要はない。師匠は其れを背中で見せてくれた。
2024/05/25 過去の名工の創る刃物を分析すれば組織も硬度も微妙に違っている。使い手が刃物の質を理解した上で使い分けていたから銘品足り得た訳だ。現代は使い分けられる目利きも僅かに成りクレームも多く成った。故に攻めたもの創りが難しく成ったのだ。人を含めて可もなく不可もないもので溢れてしまった訳だ。
2024/05/24 有名に成る為に鍛冶屋がマスコミで宣伝している。無名で居た方が腰を据えて腕を磨けるというのに。そもそも上手く成れば黙っていても売れる様に成るというのに。だが最近漸く気付くことが出来た。有名に成る事自体に生き甲斐を感じている人が少なからず居るという事に。なるほど私が理解されない訳だ。
2024/05/23 人は落ちる恐怖から高度を上げる。恐怖を克服すれば低空飛行できるのに。かつて師匠は諭してくれた。「なぜ人は派手に宣伝をするのか?其れはドングリの背比べをしているから。やるべき事を間違えているのだ。」と。左様に恐怖が競争を生み競争が恐怖を煽っている。競争を止めて低空飛行を目指したい。
2024/05/22 私は何時でも低空飛行。景気に関わらず何時でも同じ高度を保っている。急がされても余裕が有っても何時でも同じ。生産数を変えることはないのだ。これが如何に難しいのか分かる人には分かるだろう。だが分からない人には絶対に分からない。そもそも分る人とだけ仲良く出来れば其れで充分と思っている。
2024/05/21 ゴミ置き場の様な庭を整備している。かつては祖父が大切に管理していた。祖父亡き後に荒れ果ててしまったのだ。手元には子供の頃に庭で撮ってもらった笑顔の写真が有る。その頃を再現したくなり整備し始めたのだ。先ずはゴミを処分して伸びきった庭木を始末した。池を据えて周りに苔を植えようと思う。
2024/05/20 両親の介護の話をしたら優しいと言われた。だがそんな感情はない。やらないといけないから始めただけ。やるからには丁寧に進めるだけ。ただそれだけなのだ。かつて師匠は諭してくれた。やる気など必要ないと。やらないといけないならやるしかないだろうと。しかしこれが分からない人は不満が爆発する。
2024/05/19 独立した30年前の事。鍛冶業界では後継者不足が叫ばれていた。だが今でも正当な鍛冶仕事のできる後継者は少ない。皆が他人任せにして問題を先送りしているのだ。左様に直ぐに始められる筈なのに始めようともしない。先延ばして益々難しくしているのだ。老いれば出来なく成る事が分っている筈なのに。
2024/05/18 呆け老人二人の介護の為に家の中を整理整頓している。ゴミ屋敷の様だったが漸く真面に暮らせる様になった。彼等は片付けないし片付けさせてもくれなかった。生涯青春と戯言を述べてうつつを抜かしていたのだ。何故若いうちに老後の準備をしておかないのか?自分だけは死なないと思っているのだろうか?
2024/05/17 分らないから始められただけだろうと言われた事がある。分っていたら怖気づいて始めなかった筈と言うのだ。だが始めなければ分からない。始めて初めて本当の奥深さと面白さが分かる事に彼は気付いていないのだ。分かっている人と分からない人が居るのではない。始める人と始めない人が居るだけなのだ。
2024/05/16 貴方の逆張りは通用しないと言われた。だが逆張りを意識した事はない。世間が私と反対側に流れて行ってしまうだけなのだ。アウトドアブームのピーク時に部門を縮小したのもその証。お陰で最小限の損失で済ませられた。また機械化が進む中で手作りに拘るのも同じ事。其れが正しいと思うからやっている。
2024/05/15 貴方は負けているのに悔しくないのかと言われた事がある。だが気にしていないから絶句した。左様に世間は勝敗に拘りマウントを取り合っている。負けた悔しさを糧に頑張っている様なのだ。しかし其れは脇目も振らずに取り組む姿勢が足りない証。凡百が気になり更に上が有る事に気付いていない証なのだ。
2024/05/14 万人に提供しようとすれば言葉は薄く成り商品は平凡に成る。左様に万人受けさせるには分かり易くする必要があるのだ。すると大量に消費されるが競争は激しく成る。翻って分かり難いものを分かり難いまま提供する。すると難しいものを理解出来る少数が周りに集まり始める。すると其処では共創が始まる。
2024/05/13 職人が売れ続けるには上手く成るしかない。だが茨の道だろう。故に多くの人は其の道を避けて通る。直ぐに宣伝し始めて有名に成ろうとするのだ。お陰で下手糞な動画がネットに溢れる事に成った。しかし意外にも高評価を得ているものが多い。即ち職人自ら文化を破壊しているのだ。悪貨は良貨を駆逐する。
2024/05/12 折り畳みスコップは他社に模倣された。工業製品は真似ようと思えば出来てしまう。工芸品ならば真似されないと考え鍛冶屋に成った。だが稚拙な技能では工業製品に代替されて不思議はない。しかし如何にしても真似されないものを創りたかった。そこで師匠の下を訪れたのだ。我ながら変態な動機だと思う。
2024/05/11 想像を超えたものを目にすれば元の世界に戻れなくなる。だが目にしても元の世界に留まれる人が居る。其れが鈍い人だ。そして鈍い人は鈍い故に雑。世の中が雑なのは鈍い人が殆どだから。其れは太古から変わらない。僅かな鈍くない人が文化を守り世の中を支えているのだ。そんな人達に感謝するしかない。
2024/05/10 師匠の下を訪れ赤い薬を飲んだ。信じているものが幻想だと分かり元の世界に戻れなくなった。弟子も私の下で赤い薬を飲んだ。同様に戻れなくなったのだ。そして薬を飲まない人には此方側が見えない。故に私達は孤立している。即ちブルーオーシャンに居る訳だ。赤い薬を飲む勇気のある人は極めて少ない。
2024/05/09 子供の頃は工芸品が工業製品に切り替わる時期だった。お陰で大量に出来る様になった訳だ。だが今では必要なものは行き渡っている。既に大量には要らないのだ。必要なのは希少性の高い高付加価値なもの。均質な工業製品ではなく際立つ工芸品なのだ。工芸品の精度を上げ続けてきた人達の時代が来そうだ。
2024/05/08 若い頃に地場産品展示場に通っていた。日本は未だ発展途上であり出来の良いものは稀だった。だが当時若者だった今の老人達は自分達が日本を作り上げたと自信満々だ。確かにそうだが未熟だったことも確かだろう。翻って今の若者は自信を持てていない。当時と比べても遥かに真面目で優秀な人が多いのに。
2024/05/07 近所の川の護岸はコンクリート剥き出しで醜い。嘗ては土留めに木の杭が整然と並べられ美しかった。桟橋があり洗い物をしたり布を晒したりする人の営みが有った。今では川が生活から切り離され単なる排水路に成っている。活かせば宝に成るというのに。とは言え、そんな川でも私は遊びつくしたいと思う。
2024/05/06 私は物欲が少なく生活費以外にあまり出費しない。だが環境を整える為になら出費する。例えば快適に過ごせる環境の整備には出費を惜しまない。今は家の中や庭の整理整頓をしている。お陰で一寸だけお金を使うことが出来ている。もしも日本全土で整理整頓を始めたなら景観は良く成り景気も良く成りそう。
2024/05/05 持主の居ない空き家が我が家に倒れかけている。崩れ落ちるのも時間の問題だろう。だが自治体は何もせずに対策を先送りにしている。左様に人の多くは最期を考えずに進めてしまう。故に行き詰るし自らも成熟できないのだ。全ては確実に死に向かう。成熟とは死ぬ為の準備を進める作業の様な気がしてきた。
2024/05/04 有名に成る事で得る事は多い。だが其の人自身の能力が上がる訳ではない。しかし現代は有名な事自体に価値が有る様だ。故に自らを磨くよりも有名に成る事に血道を上げる。だから浅薄な人で溢れてしまったのだ。かつて職人に下積みは要らないと言ったタレントが居た。彼の態度が今の日本を象徴している。
2024/05/03 やりたい事が分らないという人は選択肢が多過ぎて目移りしているのではないか?例えば私の父親は鍛冶屋の家に生まれて鍛冶屋に成った。不平不満を言っていたが他所では勤まらなかったと思う。左様に人は何にでも成れるというが実際には殆どのものに成れない。資質に合う最適なものは足元に眠っている。
2024/05/02 納期が掛かり過ぎて叱られる。だが掛けるべき手間を掛ければ数は上がらない。申し訳なく思うが私一人に出来る数には限界があるのだ。そもそも引退までに現在のバックオーダーを消化する自信がない。故にこれからは私よりも弟子の商品をご愛顧頂きたいのだ。あと十年程度で弟子に受け渡すつもりでいる。
2024/05/01 話を真に受けずに良く調べる様に心掛けてきた。其の上で信用する様にしてきたのだ。だがこの度のコロナ騒動ではワクチンを接種してしまった。迂闊にも心の隙を突かれたのだ。体調を崩して引退を予感したくらいだが漸く完治した模様。体調不良の際に工夫した身体の使い方が効いていて仕事が更に楽しい。
2024/04/30 期待を大きく上回ると後が続かなくなる。絶えず少しずつ期待を上回る事が長く続ける秘訣なのだ。即ち相手を興奮させない事が何よりも大切。其れなのに興奮させたり熱狂させたりするから続かなくなる。ネタが尽きてボロが出てしまうのだ。選挙の度にそんな風に思うが、ビジネスも恋愛もみな同じだろう。
2024/04/29 学ぶ事や得る事は楽しい。だが古く成った事を捨てるのはこの上なく楽しい。そもそもそんな風に思える事が楽しいではないか。何故なら光明が差したから捨てる覚悟が出来たという事。そして其れは順番が反対でも同じ事が起こる。捨て始めると何故か光明が差し始める。即ち其れが覚悟を決めるという事だ。
2024/04/28 玄能鍛冶を始める時に師匠からきつく言い渡された。成功できるとは限らないから今迄の仕事も続ける様にと。だが時間が全く足りなかった。そこで自分が得意でも他人に出来る事なら他人にやってもらう様にした。そうやって時間を創り玄能作りに励んだのだ。捨てて身軽に成らないと次に進めはしないのだ。
2024/04/27 両親がお金以外は何でも溜め込むからゴミ屋敷に成っていた。整理整頓すると怒るので手が付けられない。だがボケが進んで訳の分からない隙を見て後始末を始めた。謎の液体や固形物の残骸などを沢山始末した。すると少しずつ昔の我が家に戻りつつある。祖父母の時代の居心地の良い我が家に戻りつつある。
2024/04/26 下手糞な人は手を抜いて早く終わらせようとする。故に何時までも下手糞なままで仕事も遅い。翻って上手い人は上手く成れば早く出来る事を知っている。故に益々上手く成り早く出来る。そんな教えを信じてきたが本当に早く出来る様になった。ずっと遅かったのに丁寧にやり続けたら早く終わる様になった。
2024/04/25 日本は高度経済成長期に大量生産を始めた。熟練工の知識と技能を注ぎ良品を創り出した。だが熟練工だけでは手が足りなく成る。そこで省力化という手抜きと機械化という代替が始まる。お陰で見た目だけ上等な安価な中級品が氾濫してしまったのだ。即ち良さそうに見えるだけの安物を買わされているのだ。
2024/04/24 儲ける為に多くの鍛冶屋が省力化という手抜きを始めた。だが師匠は手を掛けて良いものを創りつつ続けられる道を探り続けた。お陰で正当な玄能を創り続けることが出来た訳だ。左様に師匠は経営術の達人でもあったのだ。良いものを創るだけでは続けられない。続ける方法を探らなくては続けられなくなる。
2024/04/23 損得抜きに始める人が居る。彼はやりたいから始めるだけなのだ。其の勢いは凄まじく計り知れない。そもそも損得の壁を乗り越えた時に覚悟は出来ているのだ。故に周りが躊躇するうちに彼は前に進む。そして多くの経験を積んで周りの追随を許さなくなる。損得だけで動く人は置き去りにされて当然なのだ。
2024/04/22 競争しない人が居る。そもそも競争という概念を持っていない。彼は周りを気にしないから独自のものを生み出せる。目立とうとしないから周りは存在にさえ気付けないのだ。故に周りが気付いた時には時すでに遅し。手の届かない所に辿り着いている訳だ。左様に競争しない事がブルーオーシャンを創り出す。
2024/04/21 資質と直感を活かして私は生きてきた。お陰で馬鹿呼ばわりされた事もあるが納得している。翻って資質と直感を殺して優等生として生きてきた人も多いだろう。そして其れで納得できているのなら良い。左様に納得できているのなら何も問題はない。だが納得できていないのなら其れは間違っていたのだろう。
2024/04/20 私の親は学校に呼び出されていた。先生は私の行動が気に食わないのだ。其れでも私は行動を改めなかった。そして今でも私は何も変わらない。だが社会で普通に過ごしている。そして私の倅も私と同じ。病院へ連れて行けとまで先生に言われたが社会で普通に過ごしている。学校や先生は何を望んでいるのか?
2024/04/19 小学生の頃は馬鹿だった。中学生に成っても勉強のやり方が分らず授業に付いていけなかった。そこで自分なりの勉強のやり方を考えた。そして2年生に上がる頃に漸く編み出す事が出来た。其れは授業を無視して教科書をひたすら読み込む事。すると成績は1番に成ってしまった。学び方は様々で良いと思う。
2024/04/18 玄能創りには泣かされた。文字通り夜遅くまで工場で涙を流していた。単純に見える玄能だが工程はとても複雑。完成に至る事さえ容易ではないのだ。故に出来さえすれば追随者は居なくなると確信した。こんなに面倒な事をやる人は稀だと思ったからだ。左様に師匠に恵まれた私でも其れほど苦しむのが玄能。
2024/04/17 放って置けば子供は興味ある事に飛び付き教える必要もなく上達していく。即ち観察して検証を繰り返す行為はそもそも人間に備わっている訳だ。ならば本人も周りも其れを活かしてやれば良い。ただ其れだけで世の中は随分と穏やかに成る気がする。お金に執着して無用な苦労をする必要はないのではないか?
2024/04/16 以前勤めていた会社の社長は何時も悩んでいた。飲みに行った時には何時も愚痴の聞き役だった。とても儲かっている筈なのに何時も苦しんでいた。時には泣き出す事さえあったのだ。一体何を目指して仕事をしていたのだろう?当時の私には全く理解できなかった。今の私でも全く理解できる気がしないのだ。
2024/04/15 帰宅して一杯ひっかけるのが習慣に成っている。これが実に美味い!ところで子供の頃は近所に銭湯と居酒屋が幾つもあった。職人が仕事上がりに一風呂浴びて一杯ひっかけて帰るのが日常だった。間違いなく至福の一時だ。その為に1日頑張れた人も居ただろう。そんなささやかな喜びで充分な気がしてきた。
2024/04/14 簡単に儲けられる情報で溢れている。真に受ける人も多いが馬鹿すぎるだろう。儲けられるなら他人に教える筈がないのだ。ところで釣りの穴場を教える奴がいる。誰も知らないから穴場なのに教えるとは何事か?そいつが得する為に違いないではないか。下らない事を真に受けずに穏やかに過ごしたいものだ。
2024/04/13 浮ついた新人が有名に成る事がある。大抵は化けの皮が剥がされて排除されてしまう。ところが稀に長続きする人も居る。嘘の上塗りを重ねて上手く生き永らえてしまうのだ。すると後進は簡単に出来る方法が有る事に気付いてやり方を真似し始める。即ち現代では嘘の上塗りも技術として認められているのだ。
2024/04/12 直ぐに出来る様に成りたがる。直ぐに有名に成りたがる。そんなタイパを重視した甘ちゃんは昔から多い。お陰で淡々と人格を磨く人にとっては幸運だ。気付いた時には周囲の手の届かない高みに辿り着いている筈だから。タイパを重視して得た名声も何時か化けの皮は剥がされる。付けは必ず払わされるのだ。
2024/04/11 失敗しない様に指導する人が居る。先回りして危険を取り除いてやる訳だ。すると失敗は減るが良い発想も生まれない。自ら考えようとしなくなるからだ。其れなのに職人の世界にも丁寧に指導する人が現れた。お陰で胆力のない職人が増えた様に思う。職人は一朝一夕に一人前に成れないから価値が高いのに。
2024/04/10 もの創りに於いても後進の育成にしても絶対に無理だと言われた事を私は続けている。ところで喫煙しても長生きした人の例を挙げて喫煙の害を否定する人を知能の低い人の例として紹介する動画を見た。提供者は有名なお医者様らしいが例えが悪過ぎる。稀な例がブレークスルーを生む事は幾らでも有るのに。
2024/04/09 人は一度手にすると手放せなくなる。手に入れたものに囚われてしまうからだ。だが簡単に手放す方法は有る。持ちきれない程の大量のものを手に入れれば良いのだ。すると個別の拘りは薄れて手放せる様になる。即ち上達するほどに拘りは少なくなる筈なのだ。最終的には全てを手放し自由に成れたらいいな。
2024/04/08 若い頃は頻繁に誘われていた。経験を積む為に進んで誘いに乗った時期もある。だが興奮を煽る人とは距離を置く様にしていた。すると徐々に誘われなく成った。ところが其れ迄とは異なる人から誘われ始めたのだ。左様に華やかな誘いを受け流して辿り着ける未知の世界が有る。淡々と続けて漸く声が掛かる。
2024/04/07 新型コロナ騒ぎは3年程で収まると思っていた。アウトドアブームも3年程で落ち着くと思っていた。其の程度なら立ち直りも速いと考えていた。所が熱狂する余りに問題が尾を引いて業界は滅茶苦茶に成っている。EVに至っては需要がないのに出来過ぎて先が見えない。熱狂は疫病にも増して厄介で扱い難い。
2024/04/06 褒める奴には近付くなと師匠は言った。苦情を真に受けるなとも言われていた。其の上で目利きの言う事は肝に銘じろと諭された。即ち褒める人や苦情を言う人の殆どは分かっていないと言うのだ。ならば分かってもらう為に良いものを創り提示するしかない。その重圧に耐える事でしか伝統は受け継がれない。
2024/04/05 褒めたり褒められたり、ちやほやしたりされたりしている。そんな世の中が気持ち悪くてしょうがない。そもそも褒める人は褒められたい人だと教わらなかったのか?ちやほやする奴には下心が有ると忠告されなかったのか?いい年こいて舞い上がる人が余りにも多過ぎる。梯子を外されない様に注意してくれ。
2024/04/04 熱狂は中毒に成る。覚める度に興奮を欲する様に成り叶わなければ憂鬱に成ってしまう。故に熱狂する手前で引き返す勇気が必要なのだ。有効なのが提供される側から提供する側に回る事。遥かに奥深くて面白い上に冷静でなくては続けられなくなるだろう。応援するよりも応援される方が愉快に違いないのだ。
2024/04/03 化石燃料を燃やして動かすのがガソリン自動車。化石燃料を燃やして発電した電気で動かすのがEV。何方が効率的なのかは明白だろう。もちろんガソリン自動車だ。ならば幸せを感じる事を仕事にして幸せに生きる人。不幸せな仕事を我慢してやって稼いだお金で幸せに生きる人。これは何方が効率的だろうか?
2024/04/02 人は何にでも成れるというが本当は殆どのものに成れない。教育で出来る事など高が知れているのだ。其れなのに幻想を抱かせ挑戦させる。軌道修正しようとすれば諦めなければ夢は叶うと諦めさせる。どれだけ人を追い詰めたら気が済むのか?成れるものに成り如何にやるかを深く考え続けた方が遥かに幸せ。
2024/04/01 近所の河原や裏山で遊び惚ける子供だった。製材所で貰った木っ端で工作をしたりもした。社会人に成ってからは勤労者福祉施設で楽しんでいた。左様に当時は遊ぶのにお金が掛からなかったのだ。そして今でも欲しいものはあまりない。貧乏でも暮らせるのは経費の掛からない生活を心掛けてきたからだろう。
2024/03/31 現代人はストレス中毒。ストレスをストレスで上書きし続けている。即ちストレス解消の為に更に興奮する事を始めてしまう。或いは何でもやり過ぎてしまう。例えばギャンブル中毒は分かり易い。だが何でもやり過ぎれば中毒に成る。だから何時までも満たされないのだ。熱狂する前に正気に戻る事が大切だ。
2024/03/30 前職では最善を尽くしたつもりだ。至らない所も有ったが逃げずに取り組んでいたと思う。辞める際には苦労するぞと社長に言われたが百も承知だった。お陰で収入は半減したが後悔はしていない。左様に私は自ら選択し納得して生きてきた。故に誰にも文句を言えはしない。其れは怖い反面とても自由なのだ。
2024/03/29 千代鶴是秀は「伸びるな、伸びるな」と言って鉄を鍛えた。一般的には「伸びろ、伸びろ」と鉄を鍛える。左様に鍛える塩梅にも様々ある訳だ。同様に塩梅次第で結果が大きく異なる事は多い。所で千代鶴是秀は80歳を過ぎても現役で活躍し不世出の名工と言われている。良い塩梅を探り出す天才だった訳だ。
2024/03/28 必要な商品やサービスは足りている。大抵のものは要らないのだ。故に競争して売り込んでも買ってもらえない。手を尽くして興奮させても買う気にさせられない。即ち競争と興奮という手段が袋小路に入っている。だが多くの企業は止められない。その体質を強化し過ぎたからだ。鍛え続ければ柔軟性を失う。
2024/03/27 発端はワクワクで構わない。だが出来るだけ早く冷静に成った方が良い。其の上で続けられる仕組みを作る必要があるのだ。即ちやる気が出なくても続けられる様にする事。そもそもやる気が出ないと出来ない様では続けられる訳がない。熱が冷める度に止めている様では何をやっても続けられる訳がないのだ。
2024/03/26 釣り道具を購入するだけで魚が釣れる訳ではない。釣り場を選んで仕掛けを整え時合を見計らって始めて釣ることが出来る。其の手間が面白く続けられる秘訣なのだ。即ち人の介在する余地が十分に残されている事。人工的なルールの介在する余地が極めて少ない事。この2点が人を引き付けて長く楽しませる。
2024/03/25 興奮させれば依存される。与え続けないと飽きられてしまうのだ。関係を続けるには与えなくても楽しめる仕組みを作る事。其れはお客様自らが考え工夫できる余地を残しておく事だ。現代の商品やサービスは良くも悪くも完成され過ぎて工夫できる余地がない。お客様がいじくりまわす余地が少な過ぎるのだ。
2024/03/24 聞こえるのに聞き取れない状態はやはり理解され難い様だ。例えば電話は辛くなるほど聞き取れない。テレビアニメは口の動きと言葉が一致しないので聞き取り難い。同様にマスク越しには聞き取り難い。鼻声の人の言葉は殆ど無理。食事しながら会話できない。宴会場は言葉の洪水の様だ。そんな感じなのよ。
2024/03/23 私は聞こえるのに聞き取れない聴覚情報処理障害だ。ざわつく所では聞き取れずに混乱する。電話などのスピーカー越しでは特に聞き取れない。だがそうでない人に理解してもらう事は難しい。同様にその状況に身を置かない限り分からない事は多いのだ。他人と違ったお陰で余計に考えさせられて幸運だった。
2024/03/22 私は目を使う事で学びを深める。見たり読んだりして身に付ける訳だ。一方で耳からの情報を処理できない。授業では先生の言葉を聞き取れなかった。そんな私が学校に馴染める訳がない。人其々に最適な学び方が有る筈なのに私の様な人間は学校から排除されてしまう。不登校が増えるのは健全な成り行きだ。
2024/03/21 百メートル走で十秒きれる人は最初から早かった筈だ。当人も周りも出来そうな気がしていた筈なのだ。所が世間は出来そうもない事を教育で何とかしようとする。其れが幻想であると認めようともしないのだ。現代は半端な能力では生き残れない。自分が突出できるものは何か?苦手の克服などする暇はない。
2024/03/20 前職では職長として多くの人を育てた。痛感したのは素質の無い人を指導しても上達しないという事。素質のある人の採用が要と成る訳だ。そこで社長に採用方法の改善を粘り強く提案した。却下されたがずっと考え続けていた。其れを鍛冶屋になってから弟子の採用に活かした訳だ。素質が全てと言っていい。
2024/03/19 今の仕事は私に向いている。それでも思い通りにならずに苦しむ事は多い。向いていない人なら絶対に続けられないだろう。左様に長く続けるには資質が8割。後は運と言っていい。ならば置かれた場所で咲ける人など殆ど居ない筈なのだ。資質を活かせる場所は何処なのか?其れを見つけられたならば幸いだ。
2024/03/18 出来るだけ商品は安く提供したい。使用者が手に入れやすい価格で提供し続けたい。その為には口コミと紹介で商売する必要がある。周りを無言で納得させる品質に仕上げる必要がある訳だ。すると経費が掛からず良い塩梅で提供できる様になる。所が派手な宣伝で沢山売ろうとするから調和が乱されてしまう。
2024/03/17 子供の頃から自転車が好きだった。二輪や四輪の免許を取ってからも乗り続けた。20歳の頃にマウンテンバイクを購入した。やがてブームが訪れ高価なものが販売され始めた。にわかファンが現れ高価なものを購入して自慢し始めた。自転車乗りはエリートだと言う豪傑まで現れた。少し自転車に興ざめした。
2024/03/16 若い頃にスキーブームが起きた。ゲレンデには人が溢れ危険極まりなかった。私は呆れてスキーを止めてしまった。其の後ブームは落ち着いたが私はスキーを再開しない。スキー業界に嫌気がさしたからだ。左様にブームはにわかファンを熱狂させ共に常連客を醒めさせる。失くした信用は容易に回復できない。
2024/03/15 鍛冶屋の減少で出来ないものが増えた。文化の担い手の使う道具が手に入らないのだ。技術的に出来ない事もあるが価格の折り合いが付かない場合が多い。左様に損を覚悟でやる鍛冶屋などいない訳だ。だがこのままでは文化は途絶える。残る鍛冶屋が損を覚悟で一つくらい取り組んでみても良いと思うのだが。
2024/03/14 鍛冶屋だと言ったら格好良いと言われた。テレビで他所の鍛冶屋のパフォーマンスを見たと言うのだ。だが私は師匠に釘を刺されている。姿を晒して有名に成れば有象無象が無駄話を吹き込んでくる。故に鍛冶場に籠り息をひそめて居ろと。因みに鍛冶屋が格好良いと言うならば品質のみで勝負できる所だろう。
2024/03/13 品質の現状維持は退化に違いない。お客様の成長に負けない様に品質を進化させる必要があるからだ。だが進化の手掛かりは誰も教えてくれない。どの様に進化させるかは自ら編み出すしかないのだ。左様に雲を掴むような作業を毎日繰り返している訳だ。しかしこれが出来ないと工芸品は生き残れないと思う。
2024/03/12 人は教えられると勘が鈍くなる。自らに必要なものは自ら取りにいかなければ勘は養えないのだ。因みに私は学校の先生に俺には教えるなと言って叱られた事がある。鍛冶の講習会でも師範代に同様に言って嫌われた事がある。だが理解ある先生や師範代は私を放って置いてくれたのだ。分かる人は分っている。
2024/03/11 素人の勘は当てにならない。一方で玄人の勘ほど当てになるものはない。その違いは直感を頼りに思考を巡らせるかどうか。素人は直感を全てと信じて思考を止めてしまう。一方で玄人は直感を足掛かりに思考を巡らせ始める。其の蓄積が鋭い勘と成って現れるのだ。素人の勘は点であり玄人の勘は立体なのだ。
2024/03/10 学校で学ばなければ習得できないと多くの人が信じている。スキーを始めた時にそう感じて不思議な気持ちに成った。上手い人の背中を見れば充分に上達できると思っていたからだ。所属先のスキークラブの先輩達も同じ様に言っていた。左様に多くの人が金儲けの仕組みに取り込まれているだけの様に見えた。
2024/03/09 社会人野球のチームに入り球の握り方から学んだ。投げ方や打ち方を教わると楽しく成った。遂にトスマシンを購入して打ち込んでもみた。取り敢えずは煩雑なルールを脇に於いて楽しんだのだ。だが試合は憂鬱だった。勝つ為に手段を選ばない選手が目に付いたからだ。彼等は成長の機会を台無しにしていた。
2024/03/08 若い頃の事。就職した事業所で野球チームが作られた。人が足りずに野球を知らない私にも声が掛かった。ルールブックを渡されたがルールの多さに腰が抜けた。無理と断ったが強引に参加させられたのだ。左様に多くの人はルールに縛られる事に抵抗がない。私ならば野球をするだけで息が絶えてしまいそう。
2024/03/07 最初のキャンプは悲惨だった。雨降りで浸水したのだ。当時のテントは防水性が低かった。だが失敗は成功の母。以後はテント周りに溝を掘り排水できる工夫をしたのだ。左様にキャンプの醍醐味は不便を楽しむ事。便利になり過ぎたら飽きられる。不便を楽しませる提案がサービスを長続きさせる秘訣だろう。
2024/03/06 富裕層ビジネスなる成金相手の商売が繁盛した。これ見よがしな商品やサービスが失笑を誘った。貧富の差が開いて成金が貧乏人を挑発する好機だったのだろう。だが継続的に金持ちぶるには経費が掛かる。一時的な支出で収まる筈がないのだ。お陰で新品同様の高級車が中古車屋に溢れ返っているではないか。
2024/03/05 愛は勝つなんて言う人が居る。一方で貴方を大切にしない人からは離れなさいなんて言う人も居る。又、諦めなければ夢は叶うと説く人が居る。一方で足るを知る事が大切と説く人も居る。左様に世の中は左右に大きく振れた明快な言説に人気が集まる様だ。だが其の中間に本当の自由が不安定に存在している。
2024/03/04 中学生の頃は超真面目と言われ嫌われた。高校生に成ると不真面目だと非難された。だが私は何も変わらない。居場所が変わっただけなのだ。中学校は反抗的な不良が多かった。高校は従順すぎる優等生が多かった。彼等にとっては其れが正当な有様なのだ。左様に人は分り合えない。許し合うしかないだろう。
2024/03/03 真摯に向き合う人は其の行為自体に喜びを感じている。結果がどうであれ受け入れる筈なのだ。もしも結果に不満が有るならば未だ真面目さが足りていない。更に真摯に向き合う事で行為自体に喜びを感じたい。そもそも結果など死ぬ間際まで分からない。ならば過程を充実したものにするしかないではないか。
2024/03/02 無駄な事をする暇はないと考え生きてきた。やらないと決めた事はやらずに過ごしてきた。だが振り返れば結果として無駄に終わる事も沢山あった。だが自ら選択して始めた事は失敗しても無駄ではない。挑戦であり自らを鍛える試行錯誤と考える様にしている。左様に無駄な無駄と無駄でない無駄が有るのだ。
2024/03/01 素質と好奇心が足りていても親方との相性が悪ければ続かない。多くの場合にそれが原因で弟子は辞めていく。即ち齟齬により貴重な継承の機会が失われている訳だ。そもそも親方が其れに気付いていない。気付いていても何も始めない様にも見える。先ずは親方が気付いて学び始めなければ確実に滅ぶだろう。
2024/02/29 戦後我国では教育により工芸品製作に携わる職人能力の底上げが出来た。だが成熟した現代に於いて其の程度の能力では全く足りない。即ち教育程度で得られる能力では通用しないのだ。大切なのは素質と好奇心と親方との相性の3つ。其の3つを満たす求人が必須に成る。受入れた時に勝負はついている訳だ。
2024/02/28 弟子を育てたいと思った理由の第一は面白さを伝えたかった事。其れが出来たなら玄能の伝統は繋がると考えたのだ。即ち伝統を繋げる事は後付けだった。だがこれが最強だと思っている。何故ならば面白いと思うから知恵が湧いてくる。すると良いものが出来るしやってみたいと思う人も現れ始める筈だから。
2024/02/27 弟子を取っても独立されたら元も子もない。お前は馬鹿か?と弟子を受入れる際に忠告された。だが後進を育てなくては伝統が途絶えてしまう。誰かがやらなければいけないなら自分がやるしかないだろう。左様に先達の尻の穴が小さいから伝統は途絶えてしまう。出口を塞がれているから入らないし育たない。
2024/02/26 人の欲求には段階が有る。先ずは足りないものを欲する。次に与えてくれた場に参加したくなる。すると出来る様になる。そして与え始める。この段階を踏む事でより強い喜びを感じられるのだ。続いている事はこれが守られている。即ち人は得るだけでは満足できない。与えられる様になる動線が大切なのだ。
2024/02/25 世の中が便利になり過ぎて楽しくない。例えば私がキャンプを始めた50年前は粗末な道具を工夫して使った。其れ自体が楽しかった。だが今ではお金で何でも揃う。お陰で便利な道具に使われている人が増えた様に感じるのだ。そもそも人は工夫に喜びを感じる生き物だ。其の機会を奪われたから楽しくない。
2024/02/24 35歳で鍛冶屋に成った。其の前後で世界が全く違って見える。以前は世界が閉じて見えた。見えるものだけが全てだと思っていたのだ。だが今では世界がとても広く感じられる。見えていないものが有る事に気付いたからだ。ただ其の資質に私は気付いていなかった。気付くには師匠の導きが必要だったのだ。
2024/02/23 地元の刃物鍛冶が作った玄能を見せられた事がある。勘所を外した出来の悪いものだった。彼はお客に不備を指摘されて憤慨していた。其れを見て気付いたのだ。人は意外と玄能の勘所に気付いていない事を。所で玄能は驚く程に単純な形状をしている。だからこそ少しでも勘所を外せば使い物に成らなくなる。
2024/02/22 商材を探して地元の鍛冶屋を回ったという問屋が訪れてきた。予想外に後継者が居ない事に愕然としたと言う。だが私には世の中全体が人を育てる事を損失と捉えている様に見えてしまうのだ。故に問屋に進言した。他人事として捉えていては自らも身を滅ぼす。鍛冶屋を育てる気持ちで支援してもらいたいと。
2024/02/21 多くの人が無意識に興奮を欲している。故に興奮させる事がビジネスに繋がる訳だ。だが多くの場合に相手の興奮に自らも巻き込まれてしまう。予期せず舞い上がってしまうのだ。そして戦略を誤ってしまう。所で恐れながら私の玄能は何時でも欠品している。納品される迄にお客様の興奮は冷めてしまうのだ。
2024/02/20 鍛冶屋の先輩に勧められた事がある。「マスコミに露出して有名に成り興奮させてマニアを取り込め。」と。翻って師匠は「工場に籠り目立たずに腕を磨き続けろ。」と諭した。当然ながら私は後者を実践した。お陰で冷静に判断してくれるお客に恵まれた訳だ。興奮したお客は程なく醒めて離れていくものだ。
2024/02/19 疑り深い私だが師匠の言葉は直ぐに信用できた。兎に角正直で真っ直ぐな人だと直ぐに分かった。其れまでに出会った誰とも違っていた。そんな師匠に何時も掛けられていた言葉が有る。「先を急ぐ必要も周りを気にする必要も無い。工場で泣き続けろ。」と。そんな言葉を真に受けて鍛冶屋を続けている訳だ。
2024/02/18 子供の頃から大人の言葉を真に受けなかった。勝手な都合を押し付けられていると感じたからだ。社会に出てからも先輩や上司の言葉を真に受けなかった。取引先の指示も命令と受け取らずに要望と受け取る始末だ。左様に私はとても質の悪い性格をしている。だが其の疑り深さは鍛冶仕事に向いていると思う。
2024/02/17 我儘な両親に育てられれば期待もしなくなる。見切りを付けて自立できる様に努力し始めるだろう。国だって同じ事。期待するより出来る事から始めたい。文句を付けても変わる訳がないのだ。誰もが既に気付いている筈だ。上に居座る人達が変わろうとしない事に。彼等に見切りを付け自由に始めたいものだ。
2024/02/16 投資するなら先ずは自己投資。誰にも依存する事なく自らの手の内で行えるからだ。損失は最小限に抑えられ回収は高確率で可能だろう。そうやって経験を積んだ上で他の投資を考えれば良いのだ。だが自己投資に成功した人はお金に執着がなくなる様だ。稼ぎたい時に稼げると思える様になるからに違いない。
2024/02/15 自己投資は効率が良い。本を読むのも良い。優れた音楽や作品に触れるのも良い。感性を磨いて五感を研ぎ澄ますのだ。すると他人に見えない余白が見え始める。其処に競争はなく貴方のやる事も他人からは見えないのだ。左様に自己投資は人生の手綱を自ら握れる様にしてくれる。自由を手に入れられるのだ。
2024/02/14 口を揃えて景気が悪いと言う。まるで他人事の様に言っている。自ら不景気を作っている事実に目を背けているのだ。其れは渋滞に巻き込まれて不満を口にしている人と同じ。ならば事実を認め速やかに行動に移したい。即ち不自由な群れから抜け出せばいいのだ。不景気も渋滞も群れる事から始まるのだから。
2024/02/13 師匠が私に呟いた。職人なんて悲しいものだ。引退すれば顧みる人も居ないと。だがそんな事はない。やり遂げたと皆が思っている筈なのだ。所で2月13日はNISAの日らしい。力を落とした我が国の頼る先が投資だという。日本人総ギャンブラー時代の到来か?誰にも顧みられない国に成らなければ良いのだが。
2024/02/12 規則がなければ自らの身を自ら守らなくてはいけない。ならば鋭くなければ生き残れない。翻って規則があれば規則が身を守ってくれる。ならば鈍くても生きていける訳だ。即ち鋭さは規則の外で養われる。また規則を組織と置き換えても良い。即ち群れれば鈍く成り孤独は鋭さを養う。至極当たり前な事だが。
2024/02/11 好奇心の赴くままに生きる人は自らの無知を楽しむことが出来る。知らないという事を自らの伸び代と捉え恥ずかしいとは思わない。故に喜びと共に挑戦し続けることが出来るのだ。翻って知る事に腰が引ける人は好奇心を大切に出来なかった人。図らずも他人の目を気にして自らを偽ってきたのかもしれない。
2024/02/10 知らない事を知るのは苦痛を伴う。自らの無知を突きつけられるからだ。故に知っている事の再確認で安心しようとする。だから同じ事を繰り返して上達を試みてしまう。だが上達は無知を知る事から始まる。未知の世界が有る事に気付く事から始まるのだ。繰り返しで得られるのは上達でなく慣れでしかない。
2024/02/09 知らない事を教えても多くの人は喜ばない。自らの無知を認めたくないからだ。故に相手を喜ばすには相手の良く知る事を勿体つけて話せば良い。これはある有名講演家が言った言葉。即ち多くの人が集まる場には学びが少ない訳だ。所で私の師匠に教えを乞うた人は極めて少ないと聞いた。怖かったのだろう。
2024/02/08 守破離を実行するのは至難の技。だが赤ちゃんなら容易に実行してしまう。解釈せずにそのまま受け入れるからだ。故に自然にしゃべり始めてしまう。翻って大人が母国語以外を習得し難いのは其れとは逆。一旦母国語で解釈してしまうからだろう。解釈せずに受け入れない限り守破離の守で躓いてしまうのだ。
2024/02/07 弟子の育成を軽く見て失敗する人が後を絶たない。準備もしないで受け入れても上手く行く訳がないのだ。それ以前に覚悟が出来ていない様に見えてしまう。このままでは鍛冶屋は確実に滅んでしまう。故に後進を育成する前に親方が意識を変えなくてはいけない。なんて話を真剣に聞いてくれる親方は少ない。
2024/02/06 怒っている人は馬鹿に見える。そして憐れにも見える。だからそんな人には従わない。故に虐められて生きてきたのだ。だがそんな憐れな人に従う人も憐れに見える。そして同じ罪を背負っている様に見えてしまう。即ち怒る人に従う人が怒る人を正当化しているのだ。言うだけ言ったからこれで水に流したい。
2024/02/05 子供の頃から酷い目に会い続けてきた。しょうがないから水に流す様にしてきた。それでも腹の虫が治まらない事もあった。だが前に進みたいから水に流す様に努めた。お陰で大抵の事には腹を立てなくなった。所で些細な事でも水に流せない人が増えている様に感じる。水に流して晴れ晴れした方が良いのに。
2024/02/04 他人の真似をするなと師匠は言った。周りに目をくれずに独自のものを創れというのだ。だが其れ迄は手本通りに生きる事を周りに強いられてきた。そんな人生に辟易とした私は新鮮に感じてワクワクしたのだ。しかし他人と違う生き方は孤立を招く事に成った。だが新たな仲間との出会いの始まりでもあった。
2024/02/03 生涯掛けてもお客の要望に応えきれない。職人の減少で問い合わせが集中しているからだ。中には安価過ぎて手間に見合わないものもある。創り方の見当がつかないものも数多あるのだ。何とかしてやりたいが私と弟子だけでは手の施しようがない。伝統を守る為の知恵を絞る健気な職人が増えると良いのだが。
2024/02/02 加齢により明らかに体力が落ちてきた。筋肉には頼れない有様だ。だが筋肉に頼らない身体の使い方を編み出してきた。お陰で体力が落ちても仕事は続けられるのだ。即ち引退せずに永く続けられるという事。それでも人生は余りにも短すぎる。出来る事には限界がある。故に後進を育てなくてはいけないのだ。
2024/02/01 コミュ障と言われ続けて60年。学校では酷い虐めにあっていた。だが今では全然困らない。もの創りを通して意思の疎通が出来ているからだ。話下手でも出来たものを見てもらえば大凡の事は伝わる。出来たものが雄弁に語ってくれているからだ。左様にコミュニケーションは言葉だけで成り立つ訳ではない。
2024/01/31 引退後の師匠に弟子入りしたから作業を見ていない。創り方も教わっていない。雑談をヒントに試行錯誤で創っていたのだ。そんな私を師匠は面白がってくれていた。左様に師匠と私の意思疎通の仕方は世間と少し違っていた。所で私は会話の際に映像が頭に浮かんでいる。ヒントだけで出来るのはそのせいか?
2024/01/30 馬鹿で根暗と言われて育った。所謂コミュニケーション障害という奴だ。家族や学校の先生とも言葉が通じず自らも馬鹿だと思っていた。所が師匠の下を訪れて状況が変わった。師匠は私と言葉が通じると言って喜んでくれたのだ。今では弟子達とも言葉が通じている。それだけで充分に救われた気がしている。
2024/01/29 ご飯を食べる時に緊張する。子供の頃から両親に喚かれながら食べていたトラウマだろう。今でも両親と一緒に食べれば味がしない。早く食べて部屋に籠りたくなる。左様に家族団欒など想像すらできないのだ。だが同じ様な家庭も少なくないだろう。仲睦まじいホームドラマなどプレッシャーにしかならない。
2024/01/28 両親と話すことが少ない。同居しているが挨拶を交わす程度だ。必要な事は事務的にこなし世間話などはしない。何故なら会話が成り立たないからだ。だが子供の頃には話す努力をしていた。しかし話が噛み合う事は無かった。だから見切りを付けたのだ。すると気持ちが軽くなり穏やかに過ごせる様になった。
2024/01/27 師匠は私とは言葉が通じると言ってくれた。他の鍛冶屋とは言葉が通じ難いと言うのだ。だが私は師匠の言葉を理解できていなかった。しかし不思議と会話は成り立っていたのだ。其れは言葉ではなく感覚で繋がっていたから。左様に感覚を交わすことで会話は成り立つ。言葉に囚われるから先に進めなくなる。
2024/01/26 先生の言う事を聞かない私を咎める友人がいた。むしろ素直に聞く友人を不憫に思っていた。そして彼は飼い慣らされてしまった。だが彼は今も楽しそうに生きている。翻って私は資質を活かして自由に生きている。そして彼と同様に私も楽しく生きている。ならば指導者の言葉など他愛が無いのかもしれない。
2024/01/25 師匠の教えを冶金学の記号や数字に置き換えて聞いていたのを見透かされた。余計な解釈を入れずに其のまま受け止めろと叱られたのだ。考えたら英語を和訳して覚えるのも変な話。幼児は其のまま受け止め覚えていく筈なのだ。同様に職人も昔から師匠の姿を有りの侭に受止め技能を身に付けてきた筈なのだ。
2024/01/24 習う時は解釈を入れない事。知識で解釈すれば違うものに成る。例えば私は弟子入りの条件として既存の知識を脇に置く様に言われた。最初は迷うが実践出来れば迷いも消える。お陰で有りの侭に教えを受け止められたと思う。左様に言葉で言えば簡単だが実にこれが難しい。多くの場合に其処で躓いてしまう。
2024/01/23 若い頃は有り得ない程に世の中が荒れていた。企業はブラックが当たり前。過酷なハラスメントが日常茶飯事だった。左様に当時の当たり前は今の異常事態。だが今の常識に当てはめて過去を吊るし上げるのは残酷過ぎる。当時の日本人は遥かに未熟だったのだ。過去の反省や更生を認めない最近の風潮が怖い。
2024/01/22 国語の授業やテストが苦手だった。答えの無いものに答えをこじつけている様にみえて辟易としていた。感じるままで良い事に正誤を決めて押し付けられている様に感じたのだ。そもそも世の中の殆どがそんな風に感じられる。だから多数決では何時も負けてしまう。お陰で静かに生きる事を選ばざるを得ない。
2024/01/21 創り出し続ける事は更新し続ける事。故にマニュアル化が難しい。即ちマニュアルの充実は停滞を意味しているとも言える。所で工業製品には均一さが求められる為にマニュアルが大切になる。一方で工芸品には熟練による成熟が求められる為にマニュアルは要らない。工業製品と工芸品は其処が大きく異なる。
2024/01/20 代変わりして品質を落とす事業所は多い。先代の資源を活かしきれないからだ。そもそも資源の価値を理解できていない。故に勘所を外して品質を落とすのだ。所で職人の勘をAIに置き換える動きが有る。だが抽象化された暗黙知を正確に置き換える事は出来ない。出来たと言うなら其れはまやかしに違いない。
2024/01/19 機械生産の方が手創りよりも精度を出せる。科学的に作れば失敗せずに上手く成れる。鋼の組織と硬度の検査で刃物の良し悪しは判断できる。そんな言説を繰り返し先輩達に教えられてきた。だがやってみれば分かるが全て勘違いに過ぎない。前述の様な言説がまかり通る程に人間の感性は鈍く成ってしまった。
2024/01/18 過去の名工が銘品を創れたのは手先が器用なだけではない。日常生活に身体感覚を活かす機会が豊富に有ったから勘が鋭かったのだ。現代人は便利な生活に慣れて鈍く成った。ましてや都会暮らしは環境に変化が乏しい為に其れだけでとても鈍く成る。科学技術が発達しても鈍い人間に良いものは創れないのだ。
2024/01/17 省力化や仕組化で労働者は頭も身体も鈍らせた。誰にでも出来る仕掛けが人の感覚を鈍らせたのだ。AIが導入されたら更に鈍く成る事は間違いない。人は一体何を目指しているのか?一方で私は昔ながらの手作業で仕事をしている。非効率だが身体感覚は研ぎ澄まされる。それでも過去の工人の足下に及ばない。
2024/01/16 腕の良い職人の創るものは目利きが見れば美しく見える。だが見る目の無い職人には素っ気なく見えてしまう。故に見る目の無い職人が作ると勘所を外してしまうのだ。同様にAIの作るものも勘所を外し続けるだろう。何故ならばAIは暗黙知を知り得ないからだ。言葉や数値に出来ない要素こそ職人の宝なのだ。
2024/01/15 目利きが少なくなった。良いものを創っても正しく評価してくれる人が少ない訳だ。お陰でこの有様。AIで職人の勘を再現できると言う人まで現れてしまった。ならばやってみればいい。良いものの定義さえ提示できない人と同様にAIも袋小路に入る。良いものを見分けられないAIに良いものが創れる訳がない。
2024/01/14 製造業の後継者にもの創りの出来ない人が増えている。先代と古参職人の感性で今は仕事が出来ているかもしれない。だが其れも徐々に失われていく。品質は劣化し事故や怪我が増えていくだろう。其れを防ぐ為の仕組化を進めれば更に感性は鈍く成り続ける。すると身体感を失くした後継者には成す術がない。
2024/01/13 教えられる事が嫌いで自ら答えを探り出す事に拘りが有った。所が次第に学校教育に侵され教えられる事を受入れていた。お陰で身体感を眠らせていたのだ。だが幸三郎師匠の教えない指導で昔の感覚を取り戻す事が出来た。教えられなければ実験と検証をせざるを得ない。その作業が身体感を蘇らせてくれた。
2024/01/12 何も始めない人を助けようがない。健気に取り組むから助けたくなるのだ。所で有りの侭で充分と言われたら貴方はどうするだろう?言葉に甘え何もせずに其の侭で居るだろうか?有りの侭を活かす為に自らを掘り下げるだろうか?前者は縁を閉じる事に成り後者は縁を広げ続ける事に成る。貴方ならどうする?
2024/01/11 有りの侭に生きるのはとても大変。何も始めなければどんな状態が有りの侭なのかもわからない。様々な事に挑戦し自らを知る事から始めないといけないからだ。私も多くの失敗を重ねて自らの特性に気付くことが出来た。還暦を目前にして漸く有りの侭に近付けた気がする程度だ。死ぬまでに辿り着けるかな。
2024/01/10 憧れの人が居たなら会いに行くしかない。会えば其の人が本物かどうかも分ってくる。本物ならば会うだけで大きな気付きを得られるのだ。例え偽物と分かっても良い教訓に成る。左様に本物に会いに行き場と時を共有する事に適う学びは無いのだ。その為にも先ずは会ってもらえるだけの自分に磨き上げたい。
2024/01/09 もの創りは2度創られる。先ずは頭の中で観念的に創られる。次に物理的に創られる。左様にもの創りは具体的な行動を伴う訳だ。故に正否や巧拙は露にされ弁解の余地はない。観念的に騒ぎ立てるだけの人達とは緊張感の度合いが違うのだ。試しにやってみれば直ぐ分かる。目利きにコテンパンにされる筈だ。
2024/01/08 鍛冶仕事を始めた頃は体中が痛かった。身体を痛めて腰椎をチタンプレートで固定してある。あれから25年経つが今でも普通に仕事が出来ている。筋トレや薬に頼った訳ではない。ただ楽に仕事が出来る工夫を続けているだけなのだ。左様に大切なのは身体の使い方を工夫する事。身体感覚を鍛える事なのだ。
2024/01/07 身体感覚は脳ミソよりも賢い。頭で理解できなくとも身体は無意識に反応できるからだ。例えば職人は勘を頼りに仕事をするが其れを言葉で上手く説明できない。職人の語彙不足が原因ではなく身体感覚を脳が理解できないからだ。鍛冶仕事に熟練する程に世の中がすっきりと見えてきたのは其のせいだと思う。
2024/01/06 身体活動の減少は人間の閃きを奪う。身体感覚の鈍い知的労働者は身体感覚のみならず知的にも退化し続けるに違いないのだ。スポーツや筋トレで補おうともルールの決められた活動で補い切れるものではない。今後は事故や不祥事が増え続けるに違いないのだ。繊細な身体感覚なくして知的活動は有り得ない。
2024/01/05 何か気持ちが悪い。生理的に受け付けない。そんな時に人は無意識に避けてしまう。だが一寸待て。其処には貴方の知らない世界が広がっているのだ。だから少しだけ覗いてみよう。出来れば少し勉強してみよう。すると驚きの世界が広がっている筈なのだ。好機は違和感の衣をまとって貴方の前に訪れている。
2024/01/04 やりたい事を始める。立ちはだかる障害を乗り越えて前に進む。ただ其れだけで幸せに成れるのに始めない人も多い。生れや育ちを言い訳にして出来ない理由を並べ立てるのだ。だが其れで良いと思う。其の人生を選択したのは其の人であり他人が口を挟む筋合いではないからだ。他人が何か出来る訳でもない。
2024/01/03 地震で倒れて損壊した機械を立て直して修理してきた。1人ならば大変な作業だが弟子達とやれば苦にならない。弟子達には未経験な事も多く学びも深かった筈だ。そして振り返れば私もそうやって育てられた。ならば一人くらい弟子を育てても損はしない筈なのだ。一時的に貧乏に成るがその程度で済むのだ。
2024/01/02 好不況に関わらず私は何時でも低空飛行。上がりもしないし下がりもしない。興奮しないし落ち込まない。大志も抱かず絶望もしないのだ。そして今年も其のまま過ごしたい。なんて思っていた矢先にこの大地震。一寸先が闇だという事を突きつけられてしまった。ならば益々淡々と生きていくしかないだろう。
2024/01/01 褒める人には警戒しろと子供の頃に友達と示し合わせた。裏に意図が有る事を子供心に気付いていたからだ。所が今では慰める人がネットに溢れているから面白い。慰める人など褒める人以上に怪しいと思わないのか?日本人は飼い慣らされてしまったというのか?もっと自由に生きないと身を滅ぼしかねない。
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玄能日記 私のどうでもいい日記です。
お暇な方だけどうぞ。(笑)