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相豊ハンマー
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玄能日記
日々感じる事を思いのままに書き連ねてみます。
2021/05/17 既存のルールの中で自らを最適化できる人が居る。一方でルール自体の最適化を目指す人が居る。前者は数多ある既製品で満足できる多数派だ。後者は枠に囚われない唯一無二を目指す極少数派だ。故に後者は孤独を味わう事に成る。だが類が友を呼び孤独は次第に解消される。そして其の友は生涯の友となる。
2021/05/16 片道徒歩1時間以内で楽しめる釣り場を開拓している。出来る限り気ままに趣味を楽しみたいからだ。残念ながら近所の川はドブの様に汚れてしまった。だが子供の頃とは異なる魚が知恵を絞れば沢山釣れる。左様に自らルールを創り出せば楽しさは無限大だ。自分らしくのびのび自由に生きるには其れが一番。
2021/05/15 世の中の常識には息が詰まる。故にカスタマイズして楽しんでいる。魚釣りも教科書通りにやりはしない。子供の頃からカスタマイズして自分らしく楽しむ様にしてきた。所でカスタマイズには具体と抽象の往復が必要に成る。それを子供の頃に経験できた訳だ。常識嫌いがカスタマイズ能力を伸ばしてくれた。
2021/05/14 頭だけで考えているから観念的に成る。行動すれば自ずと答えは導かれる。即ち身体感覚は率直で残酷なのだ。空を飛べるつもりで高所から飛び降りれば死ぬ。背丈程度の高さからなら飛び降りられる。そんな事すら頭だけで考えていては答えが出ない。赤ちゃんだって熱いモノに触れば二度と触ろうとしない。
2021/05/13 文句を言う人は自らの問題を他人の問題にすり替える。自らの無能を棚に上げて他人を非難する。お願いすれば聞いて貰える筈なのに其れが出来ない。それ自体も無能な証なのに認められない。左様に他人の足を引っ張る人は無能を認められない人なのだ。逆に本当に有能な人ならばそんな人とも仲良くできる。
2021/05/12 ある職人が上手い職人に作業を見せてもらった。分かったつもりでやってみたが出来なかった。すると上手い職人に嘘を教えられたと言いふらしたという。所で「知識」が「出来る」に進化するには思考を巡らす必要がある。職人仕事では身体の使い方の工夫も大切に成る。彼には其の楽しさが分かっていない。
2021/05/11 鍛冶仕事をしていると世界の見え方が変わる瞬間が来る。其れまでとは頭の使い方も変わってしまうのだ。視界は広がり見えないモノも透けて見えてくる。複雑なモノも単純に感じ始める。きっと人類もこの様に進化してきたのだ。道具を使うことで進化が早まり道具を作る様に成ると飛躍的に進化が加速した。
2021/05/10 PDCAなんて子供の頃は普通にやっていた。面白い遊びを考えては仲間と遊びながらより面白く進化させた。所が大人はルールで子供を縛る事が大好きだ。勉強もスポーツも形通りにやらなければ矯正する。お陰で子供はルールを守る事に汲々としてPDCAを忘れてしまう。手間暇かけて子供を無能にしているのだ。
2021/05/09 若い頃は様々な事に挑戦したが今では誘いも断る事が多い。其れは可能性を閉じているのではない。使命を自覚し其の可能性に掛けているからだ。何にでも成れると信じて可能性を探り続けるのも良いだろう。だが一事を深く掘り下げる機会を逃しているとも言える。見切りを付けることはネガティブではない。
2021/05/08 スキー検定の一級を受ける際に初心者用のスキーを履いて受験して落ちた。そこで二回目は上級者用に履き替えて受験し合格した。正しい道具で正しい動作が促され正しい結果に辿り着いた訳だ。所でこれは知識と思考そして答えの関係に似ている。正しい知識で正しい思考が促され正しい答えに辿り着く訳だ。
2021/05/07 答えを欲しがる人は答えを手にして満足する。分かったつもりに成るからだ。一方で自ら答えを探る人は手にした答えに満足しない。より優れた答えを探る為には既存の答えを手放す事も厭わない。左様に前者は知識と思考の違いが分かっていない。後者は知識が思考の出発点に過ぎないことを知っているのだ。
2021/05/06 若い頃、訓練の為に鍛冶後継者育成事業に参加していた。担当講師は一度やって見せるだけで後は放って置いてくれた。他の講師はそれを不親切だと抗議した。傍にいて丁寧に教えろと言うのだ。其れでも担当講師は放って置いてくれた。私の様に自ら考えて取り組む生徒は放って置かれた方が確実に上達する。
2021/05/05 「悪い行いは注意しましょう」と先生に言われて真に受けている生徒は自立できない。相手を矯正できると思っているうちは成長も自立も望めない。相手を活かして変化させられる人が成長し自立できるのだ。大人の中にも何度も同じ注意を繰り返す人が居る。同じ事を繰り返しても違う結果は得られないのに。
2021/05/04 子供の頃は思う存分に遊び惚けていた。野山を駆け巡り虫や魚を捕えては自慢し合った。変なモノを集めてきては変なモノを作り悦に入った。お陰で身体感覚が育まれてコツを掴む事が容易になった。得手不得手も明確に成り進む道が見え始めた。身体感覚を通して観ていたから見え難いモノも見えたのだろう。
2021/05/03 未熟なうちに自然の中で遊び惚ける事は大切だ。余計な知識がない故に何にでも挑戦してみたくなる。すると身体感覚を通して多くの情報を得られる訳だ。得手不得手が身に染み自らの資質にも気付くだろう。そんな子供がやりたい事が分からない訳がない。身体感覚を活かす事は人格の形成に欠かせないのだ。
2021/05/02 小さなゴミを踏んでいるだけで体の重心はぶれてしまう。柱や床が傾げていれば乗物酔いの様に気持ちが悪くなる。モノが正しく配置されていなければ調子は狂ってしまう。身体感覚を鍛えていれば僅かな歪みは大きく感じられる。故に整理整頓が欠かせないのだ。工場を見れば家人の力量は概ね知れてしまう。
2021/05/01 鍛冶仕事をすれば身体の使い方の下手糞さが身に染みる。それは身体の疲労や故障そして玄能の出来に端的に表れる。だから毎日身体の使い方を少しずつ変えてみる。すると単にその場に立つ事でさえ難しい事に気付く。即ち何でも簡単ではない事に気付く事が出来るのだ。身体感覚は思考の潤滑剤に成る訳だ。
2021/04/30 周りを変える必要が無い事に気付いた。自分すら変える必要はなかった。自らに出来る事を精一杯やり続けるだけでよかったのだ。すると出来る事が増えて周りに対する不満は消えていく。即ち周りに対する依存心が消えていくのだ。周りに問題がある訳ではなかった。自らの依存心が不自由にさせていたのだ。
2021/04/29 穏やかに暮らしたい。子供の頃からそんな事ばかり考えていた。だが起きている事は変えられない。他人を変える事も出来ない。自分を変える事だって簡単ではない。そこで何も変えようとせずに自らの出来る事に集中することにした。すると全てが何時しか変わっていたのだ。自立とはこういう事なのだろう。
2021/04/28 競争を繰り返して頭一つ抜け出たところでドングリの背比べ。所詮は十把一絡げから抜け出せない。同じ土俵で戦っている限りは勝ち残っても何時かは負ける時も来る。負けない為には土俵を降りこと。即ち他人との競争を止めるしかないのだ。負け犬の遠吠えの様に聞こえるが極めて知恵と勇気を必要とする。
2021/04/27 SF小説「星を継ぐもの」には四つの人類が登場する。一つ目と二つ目は互いに競争を繰り返して驚異的進化を遂げるが精神的未熟さ故に自滅してしまう。三つ目は争いを嫌い遥かな時を経て進化し精神的及び文化的に成熟し神の様な存在となる。四つ目はその中間の我々人類だがはたしてどちらに向かうだろう?
2021/04/26 見る目が無いと技は盗めない。技の本質を見抜けて初めて盗める様になるのだ。所が未熟者は真似る事と盗む事の違いが分からない。真似る事はなぞる行為であり目に見える行動に過ぎない。盗む事は見抜く行為であり目に見えない思考が中心に成る。指導者は盗む事の本質を先ずは辛抱強く伝える必要がある。
2021/04/25 理解力の未熟な人に難しい事を伝えるには二通りある。一方は一般化して分かり易く伝える方法。即ち取り敢えず分かったつもりにさせる方法と言える。もう一方は理解力の向上に合わせて少しずつ伝える方法。即ち本当に分かってもらう方法であり難しい事を難しいままに伝える事で達成されると思っている。
2021/04/24 曖昧さの解消の為に分かり易く数値化することが有る。すると便宜的な数値が曖昧さの全体を象徴する事に成る。これがいけない。些細な一部を全体として捉えてしまうからだ。すると数値に目を奪われて豊穣な周辺は霞んでしまう。競争による順位付けは一部に光を当て全体を見ようとしない怠慢に違いない。
2021/04/23 分かるとは知識の有無ではない。関係性を紐解き空白を埋める行為なのだ。例えれば知識は目に見える天体や惑星だ。宇宙はそれ以外にも見えない何かで溢れている。それを見えるモノで推測する事が考えるという事。見えなかった何かが見えてくる事が分かるという事。分かるとは極めて能動的な営みなのだ。
2021/04/22 東大を目指した甥が諦めて一橋大学に入学した。東大に行く奴は特別だと甥は吐き捨てた。本当に分かった上で勉強が出来る人とテクニックで勉強が出来る人の違いなのだろう。鍛冶業界でも分かって出来ている人とテクニックで出来ている人の作るものは全く違う。見た目は似ていても内容は全く異なるのだ。
2021/04/21 営業活動をすることはない。イベントに出る事も少ない。理由は出来る限り鍛冶場に居たいから。そして死ぬまでに出来る限り上達したい。弟子達には出来る限りの作業を見せてやりたい。故に出来る限り鍛冶場に引き籠り作業に集中していたい。そして其れを実行している。随分と勝手な生き様だが其れが私。
2021/04/20 私は褒めも叱りもそして注意する事も少ない。他人は変えられないと思っているからだ。だから現状を丁寧に説明した上で振舞いは相手に委ねている。そして自らの出来る事に集中している。所で私に体毛の未処理を注意した人は気付いていない。その行為が自粛警察や煽り運転をする人と何ら変わらない事を。
2021/04/19 若い頃に腰痛のリハビリでスポーツジムに通っていた。其処で体毛の未処理をルール違反だと注意された。私は気にしなかったが多くの人は不快なのだろう。所でこの注意するという行為が不思議でならない。認識なき過失ならば注意で改善も有りうるだろう。だが殆どの場合は軋轢しか生まない気がするのだ。
2021/04/18 多くの人は行き詰ると周りに答えを求めようとする。そして見通しのきく所に光明を見つけ安心する。だが本当の答えは見えない山の向こう側に有る。故に山を越えなくてはいけないのだ。そして其処で見つけられる答えは他人には見えない。其処に至る経緯を他人は経ていないからだ。分かるとはこういう事。
2021/04/17 授業で「分からない」と先生に言うと周りの生徒が驚いた。答えを提示されているのに分からないとは何事かと。だから私は彼らに問うた。問題と答えの関係性を本当に理解できているのかと。所で現代は答えを教えるビジネスで溢れている。それは「分かる」という事を分かっていない人で溢れているからだ。
2021/04/16 教えたから分かる訳ではない。解釈出来て分かるのだ。だから「何度教えたら分かるのだ」なんて怒る人は間抜けなのだ。一方で教えられれば分かると思っている人も居る。知識と思考を取り違えている人だ。分かる為には知識を活用して思考しなくてはいけない。其れが分からないと教えられても分からない。
2021/04/15 職人は一人前に成るのに10年掛かると言われる。其れを短期間で成す為に懇切丁寧に教えたがる人が居る。単なる労働力で済ませるなら其れも良いだろう。だが自立させるなら放っておくくらいで丁度良いのだ。その上で親方は毎日軽快な仕事ぶりを見せてやれば良い。やり方は自ら編み出してもらえば良い。
2021/04/14 何をすればどの様になるかは経験則で概ね分かる。だがその法則を説明するのは難しい。何故ならば法則は知識ではなく思考だから。知識は答えなのでやり取りができる。所が思考は答えが無く人其々に異なるのだ。だから人生の法則は他人から得られるものではない。自ら編み出し続けなければいけないのだ。
2021/04/13 人の話を聞く時にメモを取ってはいけないと師匠は言った。その場で全て覚えろと言うのだ。当時は一期一会の大切さを諭したものと思った。所がそれだけではないらしい。師匠に聞かされ覚えた話の本当の意味が漸く解り始めてきたからだ。そっくり其のまま覚えておけば後々多くの気付きを得られるようだ。
2021/04/12 ふとした事に違和感を持てたなら幸運だ。立ち止まりしっかりと受け止めてみよう。理解しなくていい。ただそのまま感じてみればいい。すると周りに存在する未知なる多くのモノに気付き始めるだろう。所が多くの人は違和感に既存の知識で解釈を加えてしまう。するとその瞬間に何も見えなくなってしまう。
2021/04/11 温度計などの便利な器具を使わない決心をするのは容易ではなかった。使えば容易に答えが出ることが分かっていたからだ。だが使えば感性が鈍くなる事も分かっていた。だから歯を食いしばり感性を磨き続けた。お陰で今では便利な器具は必要ない。この経験は玄能作りに限らずあらゆる事に活かされている。
2021/04/10 エビデンスを振りかざす知的な人達は感覚的なモノを既存の知識に置き換えて理解したり説明したりする。故に未知なモノを受け止めない。それは立体を面の様に面を点の様に受け止めるが如く既知と既知の間に有る膨大な未知を切り捨てている。師匠はその未知を感じ取る感性の大切さを最初に説いてくれた。
2021/04/09 子供の頃から感性を否定され続けた。何よりも周りと言葉が通じないのだ。幾ら説明しても分かってもらえない。世界の見え方が私と周りとでは違うようなのだ。だが私は自らの感性を大切に生きてきた。お陰で長谷川幸三郎さんと出会い教えを受けることが出来た。師匠も私と同じ感覚で生きてきたと言った。
2021/04/08 プラモデルは部品単位で組み立てて最後に全体を組み上げる。実は玄能も同じだ。玄能の頭は一塊で出来ているが部分ごとに必要とされる役割がある。だから先ずは的確に部分ごとに要素分解する必要がある。そして各部に必要な調整を施し最後に全体を調和させるのだ。見えない所まで作り込まれている訳だ。
2021/04/07 低難度の仕事から始めた職人も上達と共に高難度の仕事に挑戦したくなる。そこで低難度の仕事を後進に譲り渡せば次に進むことが出来る訳だ。所が鍛冶業界では譲る相手が既に居なくなった。更に上を目指すには後進を育てるしかないのだ。後進の有無が先進の到達点にも深く影響する事に気付きたいものだ。
2021/04/06 日増しに体力は衰えてきた。以前にも増して身体の使い方を工夫しないと動けない。若い頃から其れを見越して工夫出来ていたならと反省する。衰えないと気付けないのが愚かしく悲しい。もしも若い頃に今の状況を予習できていたなら達人に成れただろう。老人を観察する事で2手先3手先を読めた筈なのに。
2021/04/05 子供達には受験までの時間が限られている。だから効率を求めて丁寧に教え矢鱈と褒めてやる気を引き出す。そうやって飼い慣らされた子供達は自ら決めて行動できない。自粛と言われて引きこもり解除されて羽目を外すのはそんな子供達の成れの果てだろう。目先の事に囚われずに2手先3手先を見越したい。
2021/04/04 自粛と言われて引きこもり解除されれば羽目を外す。指示されなければ動けない自ら決められない人達だ。一方で自粛警察の様に他人の行動に苛立ちを隠せない人が居る。彼等も自ら決めている様でいて反応しているだけなのだ。何故彼らは自ら決める事を放棄したのか?それにすら気付いていないのだろうか?
2021/04/03 時間の節約の為に丁寧に教えれば早く習得できる。一方で教えず寄り添うだけなら習得に時間は掛かる。だが教えれば編み出す能力が育まれず自立に時間が掛かる。教えなければ自ら編み出し始めて早く自立できる。そして親方も早く自由な時間を手にできる。互いに其れが理解できている師弟関係なら幸運だ。
2021/04/02 師匠は褒めない人だった。作為的に私を導く様な事もしなかった。ただ私の話を聞いてくれていた。だから自ら判断して進めるしかなかった。其れは大きな不安ではあったが師匠は寄り添ってくれていた。だから安心して不安と上手く付き合うことが出来た。寄り添ってもらえたから私は勇気を振り絞れたのだ。
2021/04/01 誉めそやされれば褒める相手に依存し始める。相手の顔色を窺い本意でない事に忙殺され自らを見失う。だが厄介なのは誉める側も依存してしまう事だ。相手の言動に囚われ褒める事に忙殺され教育の目的である自立は後回しにされる。犬がよだれを垂らしたら慌ててベルを鳴らして餌を与えに行く様なものだ。
2021/03/31 誉めそやして育てた孫が先生に褒められずに落胆していると朝刊に投書があった。褒めない先生を批判しているが問題を作り出しているのは投稿者本人だ。誉めそやされた孫は他人の言動に依存する習慣を身に付けた。投稿者も孫や先生の言動に依存しきっているのだ。無自覚な善人が孫から自由を奪ったのだ。
2021/03/30 長谷川幸三郎氏に教えを乞う為に訪問した時の事だ。開口一番「何か持ってきただろう」と言う。其処で精一杯作った玄能を差し出した。その後質問攻めにあった。全ての問いに簡潔に答えた。後日弟子にしてくれると言ってくれた。何も持っていかなければ追い返された筈だ。覚悟を認めてくれたのだと思う。
2021/03/29 玄能作りを学びたいと言う鍛冶屋が訪れた。見るだけなら良いと言って勘所を見てもらった。所が其の後に連絡は来なかった。街で会った際に経過を聞いたら上手く出来ずに諦めたと言った。何もやってみもしないで訪れた事から察しはついていた。私が教えを乞うならば精一杯やってみた上で訪れたいと思う。
2021/03/28 師匠は強制しなかった。私は自ら決める自由を得ていた。だから言い訳は出来なかった。所で師匠は自らの経験を話してくれた。多くの人は教えても最後までやらない。そして出来なければ俺のせいにするのだと。そもそも教えられないとやらない人は自ら決めたがらない。未熟さを相手のせいにしたいからだ。
2021/03/27 新出英単語の意味調べの宿題を出す先生が居た。無意識に生徒の支配を企んでいるのだ。真面目な生徒は其の宿題をやる事で支配されていく。賢い生徒はやらずに済む方法を考え支配を免れる。選択の余地は充分にあるのだ。私は先生の悪口を言っているのではない。先生からは多くを学べると言っているのだ。
2021/03/26 師匠は私を見下していなかった。褒めも叱りも教えもせずに対等に接してくれた。私は自ら決めて自由にやることが出来た。故に起きた事に対する責任は私が取るしかなかった。この状態はある人にとっては耐え難いだろう。だが私にとっては自由で軽やかな状態なのだ。学校もこうだったら楽しかっただろう。
2021/03/25 大工道具店の店主は納めた玄能を評価してくれない。自ら判断しろと言うのだ。師匠も同様に評価してくれなかった。そして私も弟子達の玄能を評価しない。私に依存せずに自立してもらいたいからだ。教える事も褒める事も叱る事も相手を此方に依存させてしまう。店主や師匠は其れを承知していたのだろう。
2021/03/24 師匠の仕事を直に見た事はない。作業映像を見た事があるだけだ。具体的な作業のやり方も教えられていない。だが師匠は単なる技術ではなく鍛冶の世界を見せてくれた。雑談だけでとても多くの事を学ばせてもらった。多くの人は其れで玄能作りが上達すると思わないだろう。だが学び方も人それぞれなのだ。
2021/03/23 師匠はやって見せなかった。言って聞かせも褒めもしなかった。たださせてみるだけだった。そして出来たものを前に「おまんはどう思う」と質問した。私は答えているうちに自ら答えを導き出した。すると「おまんが思った通りにやってみなさい」と更にさせてくれた。人生で最高に自由な学びの場と感じた。
2021/03/22 洞察力の足りない人は見えるモノに執着する。全体を捉えきれずに表面上に現れる一部分に囚われてしまう。即ち行間が読めていない。そんな人に抽象的な表現は通用しない。個別具体的でないと分かってくれないのだ。所が師匠は抽象的な表現を多用していた。全体をくまなく伝えるには其れが最適だからだ。
2021/03/21 見たモノしか信じないと言う人は見ても理解できない。理解に必要なのは視力ではなく洞察力だから。即ち見えるモノよりも見えないモノを感じる力が大切なのだ。卓越者を認められない人は其れが足りない。即ち見ているつもりでも見えていないのだ。見たモノしか信じないと言う時点で洞察力は欠けている。
2021/03/20 見えなかったモノを師匠は見せてくれた。見えないモノを見る術を授けてくれたのだ。だが多くの人は見えないと言って師匠の言葉を否定した。彼らは直ぐに結果の出る事にしか興味が無いのだろう。直ぐに結果は出ないが結果が出た時には頭一つ抜け出している2手先3手先を師匠は見せようとしていたのだ。
2021/03/19 鍛冶仕事に行き詰り書籍やネットで糸口を探したが見つからなかった。周りの鍛冶屋に聞いても答えは出なかった。途方に暮れていた時に長谷川幸三郎氏が引退したと聞いた。直ぐに連絡を取り訪問した。すると問題は直ぐに解決できた。本当に貴重な知識は其の道の卓越者に学ばなければ得られないと知った。
2021/03/18 師匠の知識量には驚かされた。何でも即答してくれた。だが師匠は其の知識を口外しなかった。端から否定されるからだ。確かに師匠は地元で変人扱いされていた。とても勿体ないと思った。知らない事、出来ない事、理解できない事を多くの人は否定してしまう。お陰で私だけが貴重な話を聞くことが出来た。
2021/03/17 知らない事、出来ない事、理解できない事を否定する人は多い。未知な事を知る絶好の機会なのに其れを無駄にしている。挙句に秀でた人の非難まで始めてしまう。秀でた人は口をつぐみ優れた話は世に出る機会を失う。だが私は優れた話をもっと聞きたいのだ。秀でた人が活躍する姿をもっと見てみたいのだ。
2021/03/16 人を変える事は出来ない。変えられるのは自分だけ。だが変えられる事は他にも有る。其れは環境だ。人が自ら変わろうとする環境に変えていけば良い。先ずは整理整頓と面白く仕事が出来る方法作りから始める。気持ち良く出来て思わず上手くなってしまう環境を目指すのだ。何よりも其の作業自体が楽しい。
2021/03/15 弟子を取ると言うとクズしか来ないから止めろと言われた。良質な出会いを運次第だと思っているのだ。だが自ら制御できる事は沢山有る。出会いは類が友を呼ぶ事も知っている。師匠は私に言ってくれた。腕を磨くと共に品格を磨けと。故に労働環境を改善し品格を磨けば良い弟子が来てくれると信じていた。
2021/03/14 鍛冶屋の子供として生まれた。鍛冶場はとても汚く雑然としていた。母親が熱湯の鍋を倒して足に大火傷を負った事がある。暫くして完治したがすぐに同じ事故を起こした。私は鍛冶場の整理整頓を促したが聞く耳を持たなかった。両親は坊さんに厄除けの経を唱えてもらっていた。当然何も改善されなかった。
2021/03/13 子供の頃は鍛冶屋で溢れていた。鍛冶場の多くはとても汚れていた。職人の多くはだらしない姿をしていた。お陰で事故や怪我が絶えなかった。子供心に絶対にやりたくないと思った。そして殆どが廃業してしまったのだ。この事実からはとても多くの事を学べる。衰退の原因は需要の減少だけではないだろう。
2021/03/12 整理整頓を欠かさない。動線も確保している。全ての炉に排気装置を備えている。回転工具による粉塵は集塵機で回収する。工場内の空気は換気扇で清浄さを保つ。材料や仕掛品が散乱している事はない。床は掃き清められ何時でも清浄だ。休憩室には書籍も充実させている。良い環境から良いモノは生まれる。
2021/03/11 人生は成る様にしかならない。ならばその中の最高を目指したい。だから自らの資質に真剣に向き合い其れを十全に活かしたい。すると最高の成る様になれるのではないか。所が見栄を張り欲張るから本当の自分や適切な居場所を見失う。世間が言う最高を目指すよりも自分にとっての最高を目指したいものだ。
2021/03/10 大人は子供を偏った基準で評価し順位を付ける。進学先や就職先にも順位を付けて競争を煽る。すると子供達は他人の評価に依存して自分の人生を決め始める。故に他人の評価を気に病む人間に成長するのは当然なのだ。そして残念ながら学校教育のシステムは変わらない。気付いた大人が変わるしかないのだ。
2021/03/09 師匠は私の全てを受け止めてくれた。それは評価を加えず私を味方と見なしてくれていたのだ。だが過去を振り返れば多くの人が私を評価し非難していた。それはまるで私を敵と見なしているかの様だった。左様に不寛容な人は歪んだ価値観で他人を評価する。そして自らを脅かす存在と見なし怯えているのだ。
2021/03/08 自分の強みを知り其れを磨く事に精を出せ。其の道の達人に成る事も夢ではない。だが本当に強く成るには自分の弱みを深く知る必要がある。自らの弱さを受け入れ他人に寛容に成らなくてはいけないのだ。すると漸く人を活かせる様になり本当に強く成れる。私の尊敬する達人たちは皆とても強く優しいのだ。
2021/03/07 他人には簡単に出来る事が私にはできない事が多い。だが其れを負い目に感じる事は少ない。むしろ有りの侭を受け止めてその状態での快適を追求している。お陰でとても変な人に成ってしまったが困る事はない。だってそれが自分だから。自分に無いモノを欲しがらなかったお陰でシンプルに生きていられる。
2021/03/06 仲間からは難聴とからかわれ先生からは真面目に聞けと怒られた。聴覚情報処理障害はよく聞こえるのに聞き取れないのが厄介なのだ。だから静かな場所に一人でいる事が多かった。お陰で大好きなモノ作りに集中して取り組むことが出来た。左様に障害を活かして今の浩樹が出来上がっている様なものなのだ。
2021/03/05 湧き上がる感情や思わずしてしまう行動の意味を深く考える事は大切だ。そんな子供は感性が磨かれ自らの本質をつかみ始める。所が杓子定規に褒めたり叱ったりする善意の大人が口を挟む。すると子供は思考停止し自らが何者であるかを考えなくなる。左様に無邪気な大人が鈍い子供を大量生産しているのだ。
2021/03/04 子供の頃はテレビアニメの歌やセリフが聞き取れなかった。成人してからはミスチルやドリカムの歌詞が聞き取れない。私は聴覚情報処理障害なのだ。それは他人と違う感覚で生きているという事。お陰で無用な苦労も多いが他人に出来ない経験ができる。他人とずれているという事は意外にも幸運な事なのだ。
2021/03/03 目の前の人参を欲しがらなければ自由に成れる。人参とは虚栄心を満たす事だ。例えば褒められたい、目立ちたい、金持ちに成りたい、威張りたい。そんな思いが行動の選択肢を減らしてしまう。所が多くの人は虚栄心を満たすことで自由に成ろうとする。その考えが自らを縛り不自由にさせているというのに。
2021/03/02 自分で決めて行動したい子供だった。そんな私を大人は褒めたり叱ったりして操ろうとした。だがそんな浅薄な手に乗る訳がない。バレない様に綿密に計画を立て実行するのみだ。チクる奴がいるので友達にも言わなかった。お陰で何でも自由にすることが出来た。出来ない理由は考えるだけ時間の無駄なのだ。
2021/03/01 37歳の時に病気で歩けなくなった。身体の使い方を工夫して歩く訓練をした。その経験は多くの事を気付かせてくれた。例えば何時迄も元気ではいられない事。工夫すれば動ける様に成る事。左様に同世代が考えずに済む事を逸早く考える機会に恵まれた訳だ。お陰で麻痺を補いつつ仕事を楽しく続けている。
2021/02/28 人生は長い。だから短期的な事に囚われずにやりたい事をやって過ごしたい。やりたい事が分からないのは他人の目を気にしているから。褒められたい気持ちが心の目を曇らせているのだ。虚栄心に囚われると人はやりたい事を忘れ始める。短期的な栄光を得る為に疲れ果てても人生はその後も長く続いていく。
2021/02/27 小学生の頃は仲間と毎日遊び惚けていた。面白い遊びを考えては互いに自慢し合ったものだ。成績は最低だったが誰も気に留めなかった。所が中学に上がると仲間達の成績はみるみる良くなった。自分達でも驚くほどの成長だった。無我夢中で遊んだお陰で感性が研ぎ澄まされ洞察力が鍛えられたからだと思う。
2021/02/26 管理されて育った子供は社会に出てから途方に暮れる。決められた課題をこなすだけでは高く評価されないからだ。それでも褒められている貴方は新たな管理の中にいる。即ち他人のルールで生かされているのだ。自分らしく生きたいなら管理から抜け出す必要がある。即ち褒める人には近付かないという事だ。
2021/02/25 自分の考えを追随者になぞらせるだけの指導者がいる。其れは色指定した塗り絵を塗らせる様なものだ。其処でできる事は丁寧に完成させるだけ。だから早晩行き詰ってしまう。上達とは自分だけの絵を完成させる手続きなのだ。巧拙の基準は新しいものを生み出せるかどうかであり丁寧はその過程に過ぎない。
2021/02/24 変えられるのは自分だけと言うが性格を変える必要はない。性格は活かさなくてはいけないのだ。私ならば生来の根暗に磨きを掛けた方が感性は確実に活かされる。その上で他人は変えられないと肝に銘じ相手の事は相手に任せると決める。すると人生の舵取りを自ら行える様に成り自由を手に入れられるのだ。
2021/02/23 変えられるのは自分だけと学校の先生は言った。だが教える事も褒める事も叱る事も相手を変える行為に違いない。それでは相手が変わらない限り何も変えることが出来ない。即ち相手の行動に依存しているのだ。故に先生はイラついていた訳だ。自分が変われば世界が変わると気付かせてやるのが教育なのに。
2021/02/22 人生には獲得した常識を捨てる必要に迫られる時がくる。例えば弟子入りの際には師匠から科学的知識を一旦捨てる様に諭された。記号や数値の様な分かり易い知識が視野を狭め感性を鈍らせるからだ。同様に学校で身に着けた習慣の多くも捨てる必要がある。捨てなければ進化の袋小路に入ってしまうだろう。
2021/02/21 同じ事象に対して師匠は遥かに多くの情報を獲得できた。導かれる解釈も私の想像を超えていた。圧倒されて当初は会話すら成立しなかった。そこで師匠に近づく為に感性を高める必要があった。即ち獲得できる情報量を増やし解釈の幅を広げるのだ。指導者が超一流でも追随者が鈍ければ何も得られないのだ。
2021/02/20 私は鍛冶屋の家に生まれた。周りも鍛冶屋だらけだった。だが楽しそうに仕事をする鍛冶屋は稀だった。だから鍛冶屋を継ごうと思えずに他所に就職した。だが他所から見ていると鍛冶屋の仕事は楽しそうに見えた。そこで初めて自分に最高の条件が揃っている事に気付いたのだ。幸せの種は足元に有った訳だ。
2021/02/19 管理されたり監視されたりすると逃げ出したくなる。応援や表彰にすら管理の匂いを感じて居たたまれなくなる。私はただ見守られていると思えれば安心して力を発揮できる。だが本当に見守られている必要すらない。そう思い込めれば充分だ。見守られているという丁度良い距離感が自由をもたらしてくれる。
2021/02/18 寄り添い見守るつもりでいても多くの人は管理し監視してしまう。子供達は其れを敏感に感じ取り期待に副う様に行動し始める。だが其の動機は不安でしかない。故に自信を無くしやりたい事を見失う。安心させるには教えず褒めず叱らずに寄り添ってやればいい。管理する人は教えて褒めて叱ってしまうのだ。
2021/02/17 鍛冶仕事は楽しい。毎日が気付きと進化の連続なのだ。何よりも其の微妙な進化を嗅ぎ取る良質な使用者が居てくれる事は心強い。だが彼らは微妙な退化にも敏感だから気を抜く事が出来ない。所がその緊張感が堪らなく心地良いのだ。きっと監視されているのではなく見守られていると感じられるからだろう。
2021/02/16 弟子を募る為に毎日コラムを書き続けた。お陰で弟子が来てくれて楽しくなった。弟子が楽しく仕事ができる様に毎日話しかけている。お陰で話す事が苦でなくなり更に仕事は楽しくなった。左様に書く事も話す事も苦手な私が其れを苦も無く続けている。夢中で続けていれば苦手の克服を気にする必要はない。
2021/02/15 大人は褒めたり叱ったりして子供の虚栄心をくすぐる。すると子供は他人の目ばかり気にする様になる。そして自分で決めずに周りに忖度し始める。所が褒められる事も叱られる事も気にしない子供も居る。そんな子供は自信がなくてもすぐに決めて始めてしまう。虚栄心がないから他人の目を気にしないのだ。
2021/02/14 出る杭は打たれる。出過ぎた杭に成れば打たれない。だが其処に安息はない。自らを他人と比較している限りは何時か負けてしまう日が来る。その恐怖に耐えられるならば出過ぎた杭に成ればいい。私はとても耐えられない。だからドンドン深く潜っていく。誰にも気付かれずに思う存分に深く掘り下げていく。
2021/02/13 こんな故事を子供の頃に読んだ。政治家を目指す若者が遊説の為の乗馬の稽古に明け暮れた。お陰で政治の勉強を疎かにし政治家に成れなかった。左様に多くの人は問題の周りを回るだけで核心に取り掛からない。例えば幸せに成りたいなら幸せを感じる事を始めればいい。お金や称賛を求める必要はないのだ。
2021/02/12 互いの長所を活かし合う社会は素敵だ。だが現実は他人の短所ばかりをあげつらう。挙句に不必要と見なし排除にかかる。子供達はその様子をつぶさに見ている。だから他人の目を気にして苦手の克服に精を出す。長所を伸ばす事を怠り失敗しないだけの人生を選択する。そして大人を手本に他人を虐め始める。
2021/02/11 競争すれば互いに囚われ似通い始めて個性は薄くなっていく。故に競争は激しくなるばかりで勝ちは遠のいていく。他人を意識せずに自らを高める事に集中すれば個性は磨かれ続ける。故に勝つ事を必要としない競争のない世界に生きる事になる。勝ちを意識するほどに益々勝てなくなる理屈が其処にあるのだ。
2021/02/10 同じ事を繰り返しても上手くならない。上達するには動きの質を変化させ続ける必要があるのだ。出来たならば少しだけ変化を加えて先に進む。すると一度身に着けた技を直ぐに捨て去る習慣が身につく。其の感覚は技の上達に限らず思考を深める際にも応用できる。即ち身体感覚を磨けば思考も磨かれる訳だ。
2021/02/09 仕事の断捨離を進めている。先ずは弟子の育成の為にやってきた下請け仕事を止める。成長に合わせて次の段階に進ませる為だ。次に主導権を握られている仕事を止める。煩わされて他の仕事に支障を来すからだ。最後は他所でも出来る仕事を止めてしまう。すると競争とは無縁なのんきな鍛冶屋が出来上がる。
2021/02/08 師匠は丁寧に私に接してくれた。其れだけで師匠が真面目に生きてきたことが分かる。だから玄能も真面目に丁寧に作られている訳だ。左様に人間は分ける事の出来ない存在なのだ。所が不真面目な人は丁寧にやれば自分にも出来ると勘違いする。そんな人は丁寧とは何なのかを真面目に考えたことが無いのだ。
2021/02/07 やりたい事が分からない人が居る。不安で前に進めない人が居る。其れは虚栄心が行動を規制しているからだ。もし誰にも気づかれなければ何をやるだろうか?お金儲けの必要が無いならばどう始めるだろうか?そんな風に考えてみたらどうだろう。小さな一歩が踏み出せれば目の前の扉は確実に開いてくれる。
2021/02/06 職人の世界では何故技を盗ませるのか?上手くできた時に何故褒めないのか?失敗した時に何故叱らないのか?大切な事なのに答えられる人は少ない。所で展覧会に子供達の絵を見に行った時の事だ。展示された猫の絵は皆同じに見えた。教えて褒めて叱って描かせたに違いない。才能の芽は摘まれてしまった。
2021/02/05 師匠は私を大切にしてくれた。何時でも丁寧な言葉で対等に接してくれた。威張る様子は微塵もなく寄り添ってくれた。褒めも叱りもせずにただ話を聞いてくれた。学ぶに際しこれ程の幸せを感じたことはない。師匠は私の資質を最大限且最善に活かそうとしてくれていたのだ。学校は何故これが出来ないのか?
2021/02/04 人は変えられないと言う指導者でさえ無自覚に褒めたり脅したりして人を操ろうとする事がある。だが感性の鋭い人は軽く扱われている事を容易に見抜く。そもそも指導者と追随者に上下関係はない。互いに敬意を示す事から信頼関係は生まれ始める。雲の上の存在だった師匠は私に対して対等に接してくれた。
2021/02/03 得意を伸ばす行為は自らのルールで新たな世界を切り開いていく事だ。それは肉食獣が狩りの腕前を上げていく様なものだ。苦手の克服は誰かのルールに縛られて不自由させられている様なものだ。それは野生動物が飼い慣らされて家畜にされていく様なものだ。私は新たな世界を見たいので得意を伸ばしたい。
2021/02/02 誰しも苦手な事は沢山あるのになぜ特定の苦手の克服に拘るのか?其れは間違いなく誰かの差し金だろう。褒められたり叱られたりして操られているのだ。そもそも苦手は其れが得意な人に任せればいい。その上で自分の得意に集中して磨きを掛けるのだ。すると益々苦手な事はやらずに済むようになるだろう。
2021/02/01 褒めるのはよくない。上下関係を植え付けてしまうからだ。褒められた人は相手に依存し始める。自ら考えなくなり褒めないとやらなくなる。褒めることは相手をマウントする行為と違わないのだ。ならば「ありがとう」と感謝したならどうだろう?感謝された人は自信を持ち自発的に周りに貢献し始める筈だ。
2021/01/31 お礼は相手の価値を認める行為だ。だから相手は自信を持ってくれる。自信を持てば勇気を持てる。勇気を持てば挑戦できる。挑戦すれば更に良いサービスを提供できる。それは此方にとっても都合が良い事だ。故にお礼は相手の為だけではないと分かる。そもそもお礼をすると自らも笑顔に成れるではないか。
2021/01/30 地元から離れたことが無い。興味ある事が此処に溢れているからだ。主体的に取り組むから尽きる事なく興味は湧く。故に面白可笑しく苦労をせずに上達できる。それで社会に貢献できるから言う事はない。きっと大志を抱き外に飛び出すことも楽しいのだろう。だが足元を執拗に掘り下げてみるのも悪くない。
2021/01/29 物心ついた時には何かを作っていた。飽きれば近所の川で魚釣りをした。身体を思う存分に働かせて楽しんだ。生きている実感がして幸せだった。社会に出てからは様々な仕事や趣味に取り組んだ。だが気付けば幸せだった場所に戻っていた。今では身体を思う存分に働かせて玄能作りと魚釣りを楽しんでいる。
2021/01/28 周りの期待に応えようと思わなかった。自らのやりたい事に何時も向き合っていた。他人の目を気にせずに何でもできる自分が好きだった。周りからは変人扱いされていたが其れも気に成らなかった。そして今でもやりたい事が明確にある。周りの評価を気にしていたらやりたい事すら見失っていたことだろう。
2021/01/27 繊細過ぎて生き辛いことはない。繊細さを活かして楽しんでいるくらいだ。刺激が強すぎる時には休むか避ければいい。主体的に行動すれば感情は充分に制御できる。そもそも繊細さを弱点だとも思っていない。事象から受け取れる情報量が多いのは大きな武器に成る。私が玄能作りに向いている所以でもある。
2021/01/26 繊細過ぎて買い物さえも緊張する。特に支払いの時だ。そこで勇気を出してレジ係に「お世話に成ります」「有難う」と挨拶してみた。すると次第に緊張しなくなった。主体的に働き掛ける事で感情の舵取りが容易に成ったのだ。左様に少しずつ世間に馴染める様に訓練して生きてきた。これが結構楽しいのだ。
2021/01/25 鍛冶仕事は自らとの約束を守る事で成されていく。合格の基準を作り達しないモノは潔く廃棄する。その基準はモノを試すだけでなく自分を試している。故に些細な失敗も潔く認めざるを得ない。そしてそれは誰かに評価されて成される訳ではない。自らとの約束で成されるのだ。其れがプライドというものだ。
2021/01/24 自尊心を育みたいなら「叱られるから」とか「褒められたいから」を動機にしてはいけない。他人の顔色を伺う事なく本当にやりたい事をやるしかないのだ。其れは些細な事で良い。自分で決めてそれを守り続けるのだ。すると其れが自信に成り自らを好きに成る事が出来る。大層な事を始める必要は全くない。
2021/01/23 自尊心は自ら決めて行動する事で育まれる。所が大人は子供を褒めたり叱ったりして操ろうとする。それが子供の自ら決める機会を奪っているのだ。更に子供は褒めてもらう為に競争を始めてしまう。競争相手に心奪われ益々我を忘れ決められなくなる。自尊心は他人とも自分とも争わない状態で育まれるのに。
2021/01/22 プライドとは自尊心の事だ。自尊心は自らとの約束を守る事で高められる。他人に影響を受けるものではない。所がプライドを傷つけられて腹が立つと言う人が居る。其れは自尊心ではなく虚栄心。虚飾の化けの皮を剥がされたから腹が立つのだ。自尊心は自らを解き放ち虚栄心は自らを世間の目に縛り付ける。
2021/01/21 子供の頃からやり方を編み出す事が好きだった。出来るよりも出来る方法を考える事に興味があった。所が頼みもしないのに先生はやり方を押し付けてくる。放って置いてくれと頼んでも聞く耳を待たない。最後は癇癪を起し私はつまみ出された。私の様な分析好きな変人の居場所が学校に有ればいいと思った。
2021/01/20 やって見せれば弟子達は出来る様になる。きっと子供の頃からそうだったのだ。周りが放って置いてくれたからか?自ら孤独を欲したからか?定かではないが過剰な干渉を避けられたのだ。多くの子供が幼少期から過剰に干渉される。だから依存させられ自ら考え始めない。出来るまで放って待ってやれば良い。
2021/01/19 子供を二人育ててみた。同じ様に育てたが全く違う人生を歩んでいる。倅は指示された事を黙々とこなす事で安心している。娘は自ら道を切り開く事を楽しんでいる。同じ事を同じ様にやらせても幼少期から全く反応は違った。其れが個性で有り其処に優劣はないと気付いた。すると子育てはとても楽になった。
2021/01/18 37歳の時に一時的に下半身不随になった。少し動ける様に成ってからも其れ迄の動き方では思い通りに動けない。色々と試して少しずつ歩ける様に成った。其の後に細部を微調整して仕事に復帰した。今でも負荷の掛からない身体の使い方を探り続けている。人生の危機が身体の使い方を学ばせてくれた訳だ。
2021/01/17 子供の頃に某健康器具の宣伝により貧弱な坊やの筋トレブームが起きた。貧弱の権化の様な私も筋トレに励んだが貧弱なままだった。そこで身体の使い方を工夫せざるを得なくなり身体感覚が磨かれた。もしも余計な筋肉を付けていたなら今の様に動けていなかった筈だ。年齢を重ねる程に痛感させられている。
2021/01/16 鍛冶仕事を短距離走の様に行なう人が居る。息を止め我武者羅に槌を振る。身体は強張り細部に気を配る余裕がない。一方で静かな息遣いで穏やかにこなす人が居る。肩の力は抜けて細部に気を配る余裕が見える。前者は筋力に依存し後者は感覚を活かしている。加齢による筋力の衰えと共に違いは顕著になる。
2021/01/15 馬鹿にされても腹が立たない。微笑ましく思うくらいだ。貧乏と馬鹿にされて益々貧乏になる訳ではない。馬鹿と言われて益々馬鹿になる訳でもない。以前と何も変わらない。変わるとすれば自分の気持ちだけ。其れも変えなければ馬鹿にした相手が悔しがるだけ。すると益々馬鹿にされても腹が立たなくなる。
2021/01/14 子供の頃は自然の中で遊び惚けていた。お陰で五感が鍛えられ自らの資質に気付くことが出来た。得手不得手が明確に成り向かうべき方角が見えた。だから周りに流されずにやりたい事ができた。そもそも資質はご先祖から与えられた代え難い祝福である。ならば資質を存分に活かして自らを全うしたいものだ。
2021/01/13 鍛冶仕事を始めた頃は重労働だと感じた。今では軽やかに仕事が出来る。特に筋トレ等はしていない。身体の活かし方を工夫できたからだ。多くの人は身体を活かそうとせずに筋肉を鍛えて対処しようとする。だから身体感覚は鈍くなり資質を活かし切れないのだ。元気な田舎の老人は筋トレ等とは無縁の筈だ。
2021/01/12 豪雪地に暮らす弟子の老母は弟子と同程度に雪かきをこなす。体力の衰えを身体を活かして補う事が出来ているのだ。もしも我々が体力に勝る若い頃にそれが出来たなら凄いだろう。だが若い頃は体力に任せ身体を活かす事を疎かにしてしまう。果ては筋トレで更に体力を付け身体を活かす機会を逃してしまう。
2021/01/11 若い頃は鍛える程に上達できる。所が年齢を重ねる程に同じ事をしても上達できなくなる。だが安心してほしい。衰えという新たな身体感覚を獲得しているのだ。その感覚を基に新たな鍛え方を編み出せばいい。若い頃には想像できなかった新鮮な感覚を楽しめる筈だ。そしてそれは成熟に向かう門出でもある。
2021/01/10 職人は身体の微調整で精度を上げる。僅かな身体の不調が精度を乱す。不調の最たる原因は加齢による衰えだ。職人ならば身体の衰えが精神の衰えよりも遥かに早い事を知っている。所が近年では身体を使い慣れていない故に衰えに鈍感な人が増えた様だ。多くの老人が運転を止められずに重大な事故を起こす。
2021/01/09 半日雪かきをした。スコップやスノーダンプの使い方を工夫すると楽しく作業が出来る。まだ充分に体力も持ちそうだ。なんて思っていたら気持ち悪くなってきた。体中も痛くなり始めた。きっと年寄りが山菜取りや登山で遭難するのはこんな感じなのだろう。故に後進の育成は早過ぎるくらいで丁度いいのだ。
2021/01/08 近年は少しの降雪で大渋滞する。観察しているとキープレフトを守る人が少ないことが分かる。多くの人が道路の中央寄りを走る為に道路外側が圧雪されない。だから徐々に通行可能な道幅が狭くなるのだ。そしてすれ違いも困難に成ってしまう。なんていう事を分析しながら運転していると通勤も楽しくなる。
2021/01/07 あれくらい俺にも出来るという人は間抜けだ。真似出来るなら真似してみろと粋がる人も間抜けだ。出来たモノややり方を見てしまえばある程度は出来てしまうものなのだ。私は師匠の仕事を直に見たことが無い。仕事は四苦八苦しながら自ら編み出した。だが弟子達にやって見せれば直ぐに出来てしまうのだ。
2021/01/06 子供の頃から今のままの私だ。性格も志向も何も変わらない。何故か?知らない事は調べたり他人に聞いたりする。情報収集も人並みに行っているつもりだ。だが決める時には他人に一切相談しない。自らの本質に介入されるのを嫌うからだ。左様に決断を他人任せにしない事が自分らしさを守る秘訣だと思う。
2021/01/05 師匠は一寸だけヒントをくれた。それを基にやり方は自分で編み出せと言う。そして出来不出来も自分で判断しろと言うのだ。だが其れで充分に深く学ぶことが出来た。所で師匠亡き後に奥さんが私に言った。一寸のヒントでやってしまう私を師匠は面白がっていたと。相性が良いとはそういう事なのだと思う。
2021/01/04 良質な師弟関係は相性によって決まる。相性が良いとは感覚の属性が一致すること。例えば同じものを見ても人によって違って見える。しかし感覚の属性が近いなら師匠の見ているものを弟子は感じ取れる。即ち労せずして両者のベクトルは同調できるのだ。これはあらゆる人間関係に当て嵌まるのではないか。
2021/01/03 感性を磨く事が大切と言うとポカンとする人がいる。それこそが感性が鈍い証なのだ。そんな鈍い指導者に師事した追随者は災難だ。狭い枠に嵌め込まれ更には急がされて感性を麻痺させてしまう。感性の鋭い指導者ならば追随者の資質を先ずは見極めようとする。そして褒めず叱らず出来るまで見守り続ける。
2021/01/02 鍛冶屋を続けるのは暗闇を手探りで進む様なもの。誰も経験のない時代でありお手本が存在しない。未知の正解を導く為に決断し続ける必要がある。そして決断する際に大切なのが感性の鋭さ。鋭い感性は暗闇を照らす光に成る。だから後進に正解を教えてはいけない。自ら正解を導く習慣が感性を鋭くさせる。
2021/01/01 25年前に中国を視察した。躍動する姿に感銘を受けた。成熟に向かう日本が中高年なら中国は少年だ。同じ土俵で勝負したら確実に負ける。そして現在確実に負けている。更にコロナへの対応の違いで経済格差は開くばかり。だからこそ新たな道を探る良い機会にもなる。私は穏やかに成熟する道を探りたい。
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玄能日記 私のどうでもいい日記です。
お暇な方だけどうぞ。(笑)