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相豊ハンマー
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玄能日記
日々感じる事を思いのままに書き連ねてみます。
2022/12/31 目立てば八割成功と聞いた事がある。所が多くの人は的外れな事を目立たせる。そして多くの人が的外れな事を称賛する。すると本質は忘れられ伝統は失われていく。ならば何を目立たせたら本質が伝わるのか?先ずは過剰な外皮を剥ぎ取る事から始めないといけない。伝統工芸品の存続は其処に掛かっている。
2022/12/30 良ければ長く売れ続けて顧客獲得費用は最小限で済む。目立たず淡々と続けられるからだ。悪ければ売れ難く顧客獲得費用は掛かり続ける。常に目立たせる宣伝が必要に成るからだ。故に良いモノよりも悪いモノの方が有名に成る事も多い。だが良いモノを創る人は益々淡々と続けられる様に成り穏やかに成る。
2022/12/29 出来たモノが全てを語る。作業の様子を見せたところで其れは覆らない。所である鍛冶屋がテレビで紹介されていたと弟子に聞いた。大きく火造り大量に削って形を整えていたという。上手くない鍛冶屋のお手本を見せられている様だと彼は言った。上手く成る人は目立たず淡々と仕事を続けているというのに。
2022/12/28 苦労話を語る人は多い。儘ならぬ状況に辛抱した経験を語るのだ。だが酔っているのは当人だけ。どうせなら楽しさ面白さを語ってほしい。やってみたいと考える人が居なくなってしまうではないか。所で師匠は何時でも面白い話を楽しく聞かせてくれた。故に私は不安の中にも希望を見出すことが出来たのだ。
2022/12/27 ある鍛冶屋がテレビで紹介されていたと弟子に聞いた。其の工場はとても汚れていたという。そんな所で仕事はしたくないと弟子は言った。所で工場見学をさせれば工場を奇麗にせざるを得なくなると言う人が居る。だが見せる為に奇麗にする発想がそもそも狂っている。働く人の為に奇麗にするのが筋だろう。
2022/12/26 鍛冶に纏わる出鱈目な情報が溢れている。出鱈目ではないが正しくもない情報も極めて多い。自らに都合の良い様に語る人が多いからだ。お陰で真面目に仕事をする人は割を食う。とは言え出鱈目を非難すれば恨まれてしまう。故に放って置くしかない訳だ。出来る事といえば良いモノを創り提示するしかない。
2022/12/25 気付けばモノ創りが好きだった。だがモノ創りが出来ても褒められない。世間は勉強やスポーツが出来る子を褒めそやすのだ。故に多くの子供は好きな事を止めてでも褒められる事を始めてしまう。だが褒められる事に興味が無い私は好きな事を続けられた。称賛を求めると行動は大きく制限されてしまうのだ。
2022/12/24 面白そうならば始めたらいい。無我夢中にやれば何となく出来る様に成る。すると更に面白く成り更に夢中に成る。その循環で無意識に上達してしまうのだ。即ち面白そうで始めれば勝手に上達してしまう訳だ。其れなのにこの法則を活用しない人が余りにも多い。苦手の克服の方が褒められるからに違いない。
2022/12/23 科学的に作れば良いモノが出来ると言われた。だがそもそも勘が鋭ければ科学に頼る必要はない。勘の鈍さを科学で補った所で本当に良いモノが出来るとも思えない。本当に良いモノなら科学など口にする必要は無い。敢えて言うのは自信の無さを露呈しているに過ぎない。科学的などと言う人は胡散臭すぎる。
2022/12/22 工業製品は性能を記号や数値で表して優位を訴え購入を促す。翻って工芸品は感性に訴えて購入を促す。故に工芸品は性能の差別化が難しい。すると工芸品も記号や数値で性能を訴える人が現れた。即ち工業製品の土俵に自ら進んで身を投じた訳だ。工業製品を作る人達にとっては飛んで火にいる夏の虫だろう。
2022/12/21 工業製品的なモノ作りは一般受けするモノ作りと言える。故に沢山売れるが今後は益々競争が激しく成る。工芸品的なモノ作りは一部の玄人受けするモノ創りと言える。故に競争に成り難いが商品の特性を伝え難く売るのは難しい。だが上手く伝えられたなら競争とは無縁に成れる筈だ。故に私は其れを目指す。
2022/12/20 金属組織と硬度が適正で縞模様が付いていれば素人には喜ばれる。だが其れでは絶対に目利きに認められない。理に適った形状で高精度に創らなくてはいけないのだ。即ち素人と目利きでは目の付け所が全く違う。認められないと嘆く人の多くは其処に気付いていないのだ。と、師匠に厳しく諭された事がある。
2022/12/19 「俺ならもっと上手く出来る」と言った人が居る。見栄を張っているだけに見えたがそうではないらしい。似て非なるモノを作り自慢を始めてしまうのだ。即ち彼は根拠のない自信を持っている訳だ。未熟な故に見る目がないだけなのに自信満々で居る。根拠のない自信など儚いものだと彼は教えてくれるのだ。
2022/12/18 興味が湧けば人は始める。其処に自信は要らないだろう。だが興味が無ければ始めない。しかし何かの弾みで興味が湧けば始めてしまう。やはり其処にも自信は介在しない。左様に人は自信の有無に関わらず興味ある事を始めて夢中になる。すると成果が現れ認められる様になるのだ。自信は後付けに過ぎない。
2022/12/17 本当に上手い人は知られ難い。目利き以外に理解されないからだ。却って素人受けする平凡な人が有名だったりする。平凡だからこそ宣伝に力を入れるからだ。そして世間は其れで均衡が取れる。見る目の無い人が圧倒的多数だから。師匠にはきつく諭された。良いモノを創ると貧乏に成るから覚悟しておけと。
2022/12/16 弟子達には教えないし叱らないし褒めもしない。やって見せるだけで説明も最小限に止めておく。後は勝手にやらせて放って置くだけ。其れで充分に上達してくれる。故に其れが一番効率的な育成方法と確信している。手間を取られない私は自らの仕事に集中できる。弟子達はちらちら横目で私を観察している。
2022/12/15 工業製品を作る鍛冶屋と工芸品を創る鍛冶屋が居る。前者は主に鍛造金型を使いブランク材という屑を出す作り方をする。後者は金型を使わず簡単な治工具のみを使い屑を出さない創り方をする。屑の出方で概ね区別できる訳だ。所でかつては屑を出さない鍛冶屋ほど腕が良いとされた。その基準は正鵠を射る。
2022/12/14 私の玄能と他所の玄能は効きが違う。同じ重さなら私の玄能が遥かに効く。その違いは優先順位だ。例えば多くの製作者は作り易さを優先して効率的に製作する。私ならば効きを最優先に考え非効率さえ受け入れて製作する。其の違いが如実に現れているのだ。非効率に見える細部にこそ神は宿ると信じている。
2022/12/13 魚を与えず釣り方を教えろという。すると本当に釣り方を教える人が居る。だが変化の激しい現代に於いて釣り方を教えるのは魚を与えるに等しい。故に釣り方を編み出せる様にさせなくてはいけないのだ。そしてその方法も自ら編み出す必要がある。そもそも釣り方とは何かを考え続けている人には分る筈だ。
2022/12/12 合格点を設定し其の品質で作り続けるのが工業製品。合格点がなく上を目指し続けるのが工芸品。私は其の様に定義している。即ち工芸品は完成する事がなく現在は通過点に過ぎない。更に後進が受け継ぎ進化させ続けるのだ。そんな風に日本の伝統は築かれてきた。日本の伝統工芸品は世界を席巻できる筈だ。
2022/12/11 感性を高め身体感覚を活かして工芸品は創られる。優れた工芸品を創るには時間と手間が掛かるのだ。左様に人を鍛え精神性を高める事で文化は育まれた。近年では時間を掛けずに科学的に大量生産してしまう。直ぐに利益の上がらないものを無駄と考えるからだ。だがそんなモノは直ぐに忘れ去られてしまう。
2022/12/10 売れているモノを作れとセミナー講師は指導した。だがそんなレッドオーシャンに飛び込むのはまっぴら御免なのだ。私は需要が有るのに創り手の居ないモノを創りたい。需要が有る事に周りが気付いていないモノを創りたい。存在すら知らなかったのに見てしまったなら無性に欲しくなるモノを創りたいのだ。
2022/12/09 玄能鍛冶で食える訳がないと言われた。人を雇える訳がないと言われた。弟子を育てられる訳がないと言われた。しかし私だって自信が有るから始める訳ではない。始めなければ文化が滅んでしまうではないか。心配だけなら誰にでも出来る。誰かがやらなければいけないと思ったなら自分が始めればいいのだ。
2022/12/08 歪んだ不細工な刃物を見せられた事がある。何でも名工の作った銘品なのだと言う。品質ではなくマーケティングやブランディングで有名に成った人なのだろう。だが目利きは決して騙されない。しかし勉強不足の使用者がまんまと騙されているのだ。なんでもそうだが勉強しないとハズレを掴まされてしまう。
2022/12/07 自動機で大量生産される餅菓子を手作りと謳い販売した業者が炎上した事が有る。だが大量生産される工業製品を手作りと謳い販売する事は当たり前に行われている。正直さよりもマーケティングやブランディングが優先されているのだ。良いモノを創るのではなく良さそうに見せる事に血眼に成ってしまった。
2022/12/06 楽しい事を其のまま楽しんでいても大して楽しくならない。より楽しくなる方法を考え続けていると本当に楽しく出来る様になるのだ。例えば美味しいご飯は食べているだけで充分に楽しい。だが勉強して自ら創れる様に成れば更に楽しい。出来たご飯を他人に提供して喜ばれたなら更に更に楽しいではないか。
2022/12/05 お金や権力を持った人が大衆の尻を叩く。自信満々に振る舞い自らの主張が正しいと主張する。大衆はその気にさせられ群れる様に付き従う。其れが何度でも繰り返されるのだ。彼等は反射的に強く依存し合い自由を放棄している。いっそお金も権力も群れる必要もない人こそが自由を謳歌している様に見える。
2022/12/04 予防接種後に目眩と吐き気が1年間続き今でも倦怠感が続いている。持病持ちの弟子は掛かり付け医の勧めで接種し激しく体調を崩している。彼は半年以上もまともに仕事が出来ていないのだ。迂闊にも接種した私は自己責任と諦めている。だが弟子の場合は絶対に彼の責任ではない。只々彼が不憫でならない。
2022/12/03 自信満々な人は一つのやり方に秀でた人。そして其のやり方を全てと信じている。故に自信満々に振る舞う。翻って自信のある人は多くのやり方に秀でた人。他のやり方を何時でも探し求めている。故に自らの不完全さを知り謙虚に振る舞う。だから自信のある筈の人ほど自信なさそうに見えてしまう事がある。
2022/12/02 師匠は断定を避けてあらゆる可能性を排除しなかった。答えを教えないのも其のせいだろう。お陰で多くの失敗を重ねたが鍛冶の体系を掴める様になった。即ち方向性だけ示し判断は私に任せてくれた訳だ。自信満々な人なら辛抱できずに教えてしまうだろう。自信のある人なら師匠の様に待ってくれるだろう。
/2022/12/01 地元の鍛冶後継者育成事業に生徒として参加していた。視察旅行で代官山のお洒落な雑貨屋に連れていかれた。その時に講師が自信満々に言うのだ。「ここで売れるような商品開発をしろ」と。そして真に受けた鍛冶屋は廃業した。最近の世相を見ているとデジャブを感じる。自信満々な人の言葉は危険なのだ。
2022/11/30/ 出来ない人に自信を持てと言う人が居る。言われた人は狼狽えるばかりだろう。そもそも自信って何?出来る様になる魔法の呪文?私は自信を自覚したことも持った記憶もない。出来ない時には出来る方法を知恵を絞り考え続けるだけだ。自信を持てと言う人は上手く指導できない言い訳にしているに違いない。
2022/11/29 優れた人を追いかけ追いついたところで亜流に成るだけ。即ち先人のやり方に依存しているに過ぎない。即ち其れが競争だ。私ならば目標を見つけたなら正当なやり方を導き出し臨み続ける。其処にライバルの介在する余地はない。其れでも結果として順位は付いてしまう。だが其れに対する執着や依存はない。
2022/11/28 競争を続ける限り安息はない。勝つ事は敵を増やし続ける事に他ならない。勝つほどに自らを世界と切り離し続ける事に成るのだ。人は一人では生きられない。ならば味方は多い方が良いだろう。敗者の気持ちに思いを馳せよう。自らを最善に活かそう。競争を止めれば世界と繋がり始める事を実感できる筈だ。
2022/11/27 幼児を放って置けば競争を始める。競争好きの若者も多い。彼等の小さな世界では競争に勝つ確率が高いからだ。だが時が経てば大きな世界での競争が始まる。勝てる確率は低く成り勝ち続けた人も負け始める。そして敗者の気持ちが解り始め競争の愚かさを知るのだ。すると漸く心穏やかに暮らせる様になる。
2022/11/26 出来ない事や解らない事に気付けること自体が好奇心旺盛な証だ。好奇心の足りない人はそんなことに気付かないし興味を持たない。左様に自信満々な人は却って好奇心の足りない人が多いのだ。出来ないとか解らないは進化の扉を開く好機だ。落ち込む必要は全くないうえに其れ自体がとても素敵な事なのだ。
2022/11/25 自信は要らない。そもそも人は解らないから知りたくなる。出来ないから出来る様に成りたいと励む。左様に自信が無いから好奇心が湧いてくるのではないのか?私は解らない事や出来ない事を存分に楽しんでいる。すると益々解らない事や出来ない事に気付いて益々楽しくなる。其れだけで充分ではないのか?
2022/11/24 世の中は解らない事だらけで楽しい。意味の無い様な事でさえ解ると楽しい。得にならない事であっても解れば楽しい。解っていないという事に気付くのも楽しい。解ることはとにかく楽しいのだ。だが解ってしまうと今迄の自分では居られなくなってしまう。解ろうとしない臆病な人は其れを恐れているのだ。
2022/11/23 多くの事に挑戦してきた。即ち多くの事を止めてきた訳だ。世間では三日坊主に悩む人も多い。だが私は一日坊主に成る事が多い。向いていないと思えばたちまち止めてしまうからだ。しかし向いていると思えばしつこく追及する。そうやって今の仕事に辿り着いた。今でもどんどんと止めて調整し続けている。
2022/11/22 深呼吸する様に暮らしたい。身に付けた古い知識や技能は軽やかに吐き出したい。すると新たな知識や技能が自然と吸い込まれてくる。手にしたものに囚われていては新しいものは手に入らないのだ。余裕がない時ほど呼吸は浅くなるから深呼吸を意識したい。思い切り吐き出してから吸い込む事が秘訣なのだ。
2022/11/21 私はメモを取らない。その都度完結させたいからだ。過去の経験もどんどん捨てる様にしている。今の経験を深く味わいたいからだ。だが周りからは無責任に見えるらしい。しかし軽やかに生きられるからこれで良い。所詮は過去に身に着けた事など自転車の補助輪の様なモノ。出来るだけ早く取り去れば良い。
2022/11/20 何かに怯えて無駄な努力を重ねていた。窮屈な鎧をまとい心身の自由は失われた。そして病に倒れ鎧を脱がざるを得なくなった。すると心身共に軽やかに動けるではないか。気付けば私に残るのは元々の私だけ。無駄を無駄と気付き鎧を脱ぎ捨てる事で自らを浄化できたのだ。ならば無駄も案外と無駄ではない。
2022/11/19 火色で温度を読めないから温度計を使う。砥石で硬度を測れないから硬度計を使う。出来るまで待てずに機械器具に頼る訳だ。すると勘は鈍り外部への依存は高まる。左様に気を抜けば人は鈍く成り続けるのだ。私は無いものを補うよりも内に有るものを活かしたい。達人ほど何も持たないと師匠も言っていた。
2022/11/18 師匠の仕事を見た事がない。具体的なやり方も教わっていない。出来た玄能を見てもらい雑談しただけだ。だが不可能と思える仕事を成し得た人間が実際に居る事に何よりも安心できた。人間に出来る事ならば自分にもできるのではないかと思いを巡らせた。そして勘を頼りに多くの失敗を経て今に至っている。
2022/11/17 出来ないどころかやり方さえ分からない時がある。そこで勘を頼りに失敗を繰り返すと何かが少しずつ繋がり始める。何もない所に神経が通い始めて見えなかった世界が見え始める。勘に頼ればそんな感覚を味わう事ができる。そして其の感覚は広く応用を利かせられる。勘に頼らない人は人生を大損している。
2022/11/16 出来ない解らない経験が人間を強くする。宙ぶらりんで不安な状態に耐えてこそ突破力は身に付くのだ。所が直ぐに答えを求めて便利な機械器具に頼る人は多い。だが其れでは絶対に身に付かないものがある。其れが勘であり突破力の源になるのだ。勘を磨く為に歯を食いしばる人はそうでない人を凌駕できる。
2022/11/15 玄能の焼き入れ後の検査は作業の流れで確認できる。焼き肌を見れば最高加熱温度と加熱時間及び急冷温度の適否を判断できる。打面を砥石で仕上げれば焼き入れ硬度と硬度分布は確認できる。即ち顕微鏡や硬度計などの検査機器は必要ないのだ。そもそも過去の名工は検査機器がなくても名工だった訳だから。
2022/11/14 流れる様に動きたい。其れが身体に優しく正確に作業をする秘訣だと思っている。故に加熱温度は目で計る。焼き入れ温度は磁石の付き方で判断する。焼き入れ硬度は砥石で研げば直ぐに分かる。勘に頼れば流れを止める事なく作業できる訳だ。因みに師匠は扉のガラスに刃を立てて刃先の硬度を検査していた。
2022/11/13 最初は心から欲する人の為に創り始める。手間暇を掛け細部まで丁寧に創り込まれる筈だ。沢山売れ始めれば量産体制が整えられる。だが多くの場合に初心は忘れられてしまう。細部へのこだわりは疎かにされ始めるのだ。ブームに成れば劣化が始まり、去れば屍が累々とする。売れ続ける塩梅に気を付けたい。
2022/11/12 勘を磨く手間を惜しみ便利な機械器具に頼る人は多い。お陰で設備をすれば誰でも出来そうな似たもので溢れ返った。差別化の為に装飾や宣伝を繰り返せば経費はかさんでしまう。似た様なものだから価格競争に成って安い地域に仕事を奪われる。勘を磨き誰にも出来ないものを創る方が穏やかに暮らせそうだ。
2022/11/11 弟子達と比べれば体格や体力は遥かに劣る。私は小さな老人にすぎない。だが玄能創りの速度や精度は弟子達を遥かに凌ぐ。ひとえに勘の冴え方の違いが如実に現れているといえる。もしも私が勘に頼らず便利な機械器具に頼ってきたならどうだろう。弟子達に直ぐに追いつかれて凌駕されてしまうに違いない。
2022/11/10 勘の鈍さを補う為に便利な機械器具に頼る人は多い。だが機械器具が正確でも扱う人が鈍ければ記号や数値を正確に解釈できない。翻って勘の鋭い人が機械器具を使用するなら記号や数値を正確に解釈できる。だが鋭い人は便利な機械器具を必要としないのだ。ならば腹を据えて勘を鍛えるしかないではないか。
2022/11/09 素人の勘は全く頼りに成らないが達人の勘ほど頼りに成るものは無い。即ち勘の伸び代は無限大なのだ。其れなのに勘に頼らず安易に便利な機械器具に頼る人は多い。何故なら勘の鈍い人は鋭い人の見ている豊饒な世界を想像できないからだ。自らを信じて勘を鍛えない限り目前の事でさえ正確に見えてこない。
2022/11/08 職人は技を盗むことで習得してきた。所が早く習得させる為に教える人が居る。褒めて伸ばそうと考える人まで居る。だが其れでは目の付け所を学ぶ機会は奪われ自己学習力は身に付かない。技の到達点は確実に低くなるだろう。職人の育成は出来るまで辛抱して待つ事が最も効率的なのだ。急いだら失敗する。
2022/11/07 安価ならば乱暴に扱われ高価ならば丁寧に扱われる。たとえ品質が同等であっても其れは避けられない。故に安価なモノは評価が低くなりがちなのだ。左様にブランド力が低ければ価格も評価も不利になる。ならば高価なモノより品質を高めればいい。紛れもない高品質はブランド力を最も高めてくれるだろう。
2022/11/06 興奮させて消費を煽るから短期間で需要が減り始める。ならば供給者も需要者も成熟しないで終わってしまう。そんな継続と循環が失われた社会は未熟なまま停滞する。下積みは要らないという主張や教えて褒める教育も即席に事を進める手段だろう。だが進化は急いではいけない。永い熟成期間が必要なのだ。
2022/11/05 答えに辿り着く為に人は遠回りをする。其の経験が人を豊かにしてくれる。だが直ぐに答えを知ろうとする人が居る。便利な機械器具に頼る人が居る。そして分かったつもりに成ってしまう。だが本人達は気付いているのだ。本当には分かっていない事を。故に科学やエビデンスや権威を持ち出し武装するのだ。
2022/11/04 答えに辿り着くまでの思考回路は百人百様。だから手取り足取り教えてはいけない。教えるとは自分の思考回路を押し付ける事。相手の思考回路を蔑ろにしているのだ。其れは左利きの子を右利きにするようなもの。故に放って置いて様子を見てやれば良い。其の上で頃合いを見計らい適宜援助してやれば良い。
2022/11/03 教えてもらえば出来ると考える人は教えられても出来ない。出来る為には言葉や動作で表せない暗黙知を知る必要があるからだ。其れが解る人ならば先ずは観察して行動して分析を繰り返す。其れでも分からない事を質問するから教えてもらえば出来る様になる。駄目な質問と良い質問の境目は其処に有るのだ。
2022/11/02 鉄の加熱具合は身体感覚で判断する。鉄の色と明るさと肌荒れを目で感じ取る。叩いた感触を身体で感じ取る。鉄の伸び具合を目と身体で感じ取る。其れらを総合的に判断して適正に加熱する。これは身体を全面的に信頼しているから出来るのだ。温度計を使い始めた瞬間から身体への信頼は損なわれはじめる。
2022/11/01 出来の良い工芸品は其れ自体に集客力がある。かつ上達し続ける事でブランド力は更に向上し値上げも可能になる。其処に顧客獲得コストは発生しない。翻って出来の悪い工芸品は其れ自体に負の宣伝効果がある。故に値上げなど出来る筈もなく顧客獲得コストは跳ね上がるばかりだ。ならば腕を磨くしかない。
2022/10/31 出来の良い玄能は丁寧に扱われて良いままの姿を残す。故に良いままの姿が良い玄能である事を永らく宣伝してくれる。だが悪い玄能は乱暴に扱われて醜い姿を晒してしまう。故に出来の悪さを増幅しつつ晒され続ける訳だ。其れは作り手が目立とうが有名に成ろうが変わる事がない。ならば腕を磨くしかない。
2022/10/30 消費者として楽しむだけでも充分に楽しい。其れを深く学んで提供者に成ればもっと楽しくなる。先ずは無報酬ででも提供者に成ってみればいい。すると世界が全く違って見えて来る筈だ。其の上で更に学べば商売としての可能性も見えて来る。やりたい事が分からない人は其の様に行動してみても良いと思う。
2022/10/29 自らの頭で編み出した人達が職人文化を築き上げてきた。親方の枠を超えて進化できた人達が創り上げた重層的文化だ。彼等は高性能を目指して鎬を削った。性能こそが厳しく吟味される世界だったのだ。所が今では初見での興奮を目論む表面的モノ作りに変容してきた。教えられて育った職人の限界が見える。
2022/10/28 長谷川幸三郎師匠は300年に一人の名工とさえ言われる。だが地元で知る人は極めて少ない。不特定多数に対して売り込みや宣伝をしなかったからだ。だが業界で師匠を知らない人は少ない。お客の絞り込みと情報の伝達が上手く出来ていたからだ。左様に目立つ必要や無関係な人に知られる必要は全くない。
2022/10/27 不特定多数の人に対しては宣伝しない。むしろ無関係な人に知ってもらいたくない。冷静に正しく判断できる人に評価してもらいたいからだ。故に限られた人にのみ販売させてもらっている。お陰で雑音が入らず適切な評価を基にして品質向上に努めることが出来る。これは永く続ける為に最も大切な事なのだ。
2022/10/26 興奮を与えれば更なる興奮を求められてしまう。興奮させ続けない限り満足してもらえない訳だ。そんな関係なら早晩破綻するに違いない。故に永く付き合うには互いに興奮してはいけないのだ。其れなのに互いに興奮を求め合い行き詰まってしまう。振り返った時に何でもない様な事が幸せだったと思うのだ。
2022/10/25 興奮して始めるから早晩醒めてしまう。故に努力や根性や我慢が必要に成る。だが冷静に始めれば何も要らない。静かな好奇心が淡々とできる様にしてくれるからだ。所で現代人は行動を促す為に興奮を乱用しすぎている。醒めて飽きて長続きしない方法を進んで取り入れている訳だ。現代人は興奮中毒なのだ。
2022/10/24 2回目の接種で1年間体調を崩した。漸く体に力が入る様に成ったが未だ変な感じがする。3回目の接種で持病を悪化させ死にかけた弟子が仕事に復帰してくれた。だが調子を取り戻すまでに時間は掛かるだろう。所が一度も接種を受けていないもう一人の弟子は至って元気だ。彼はマスクもしていないという。
2022/10/23 雨が降ったら雨具を着れば良い。釣りをしていれば当たり前に出来ていた。だが私は其れを抽象化できていなかった。他人の誤りを注意して改めさせようとしていたのだ。殆どの場合に自分が変われば相手を無理に変える必要はない。自分以外を変えようとする事から不幸が始まる事に気付いていなかったのだ。
2022/10/22 魚釣りは儘ならない。天気が良すぎれば釣れないし悪ければ釣り難い。水量や濁り具合にも左右されてしまう。挙句に何故か魚の機嫌が悪い時もある。だがその状況で如何に釣るかが楽しい訳だ。即ち環境は絶対に変えられないと承知している。その上で自らの行動を積極的に変えていく事で釣果を求める訳だ。
2022/10/21 午後8時過ぎに近所の川に釣りに行ってきた。既に先客があり彼は落ちアユ釣りをしていた。私は其の下流でアユを捕食する鯰を狙った。直ぐに大鯰が掛かり強い引きを楽しんだ。だが残念ながら針が外れて逃げていった。秋の河原は肌寒いが魚達は元気一杯だ。手軽に楽しめる老後の楽しみがまた一つ増えた。
2022/10/20 昨夜9時過ぎに河原を散歩してみた。夜行性の野生動物を観察する為だ。熊に怯えつつ散策したが何も現れなかった。だが川を覗くと大きな鯰が餌を求めてのたうっていた。ならば釣らない訳にはいかないだろう。そこでどうやって釣るか思案している。釣り方は教わらずに自ら編み出す方が遥かに楽しいのだ。
2022/10/19 玄能の最大の欠点は木柄を仕込む穴が有る事。空洞が伝わるべき力を逃してしまうのだ。故に出来るだけ力を逃さない穴を開ける工夫をしている。其れは最善に折り合いをつける事に他ならないのだ。左様に世の中は折り合いで成り立つ事で溢れている。工夫次第でより快適にできる事で溢れているという事だ。
2022/10/18 やはりあれは熊の糞だ。街の中心部を流れる川を河原沿いに熊が移動しているのだ。家から徒歩5分の距離だからワクワクする。所でそんな話を弟子にしたところ早速その糞を見に行ってくると言う。こうでなくてはいけない。好奇心旺盛な人間は行動が早いのだ。真っ暗な河原で熊に出会わないと良いのだが。
2022/10/17 10万人都市の中心を流れる近所の川は野生動物の楽園だ。ハトやキジ、カワセミ、カワウ、サギ、カルガモ、セキレイ、カラスにトンビ。急降下で魚を狙う格好いい猛禽類も居る。イタチやタヌキを目にする事もある。そして驚く程に大きな糞を発見できる。人の糞の10倍程はあるだろう。若しかしてクマ?
2022/10/16 弟子達には具体的に教えない。説明には例え話を多用している。例えるには常日頃から私が具体と抽象の往復を意識する必要がある。例えられた弟子達も具体と抽象の往復を促されることになる。すると彼等はどんな事象からでも学べる様になるのだ。私の師匠も具体的に教えず何時もヒントだけ与えてくれた。
2022/10/15 千代鶴是秀の小刀のバリエーションを変奏曲(バリエーション)に例えて弟子に話した。その上でグレングールド演奏のゴルトベルク変奏曲のCDと解説書を手渡した。弟子はバッハやグールドの卓越を知ることで千代鶴是秀の卓越を学び直すことが出来た。左様に他分野を持ち出して例えると理解は容易に成る。
2022/10/14 目眩と吐き気は頭を垂直に保ち余計な挙動を押さえる事で防ぐことが出来た。倦怠感は深呼吸して身体の力みを取る事で凌ぐことが出来た。疲れを癒す為に就寝前に柔軟体操を取り入れてみた。すると腰痛が和らぎ腰痛ベルトも不要になったのだ。酷い目にあったが転んでもただでは起きないのが浩樹流なのだ。
2022/10/13 高熱が引いた後に目眩と吐き気と倦怠感が1年間続いた。仕事を続ける為に身体の操り方を改善してやり過ごした。お陰で今迄よりも肩の力が抜けて精度高く作業が出来る様になった。身体の柔軟性が高まり30年間装着していた腰痛ベルトも不要になった。災い転じて福となしたが2度と予防接種は受けない。
2022/10/12 遅まきながら井上雄彦氏のバガボンドを読了した。何故競争してはいけないのか。何故勝敗に拘ってはいけないのか。何故勝者など存在しないのか。何故筋肉は裏切るのか。何故群れてはいけないのか。何故宣伝してはいけないのか。宮本武蔵の成長に紐づけ上手く解説してくれている。はやく読めばよかった。
2022/10/11 良い商品でも宣伝しなければ売れないと言う。だが既存の商品ならば目利きが居るだろう。ならば目利きに認められれば宣伝する必要はない筈だ。其れが出来ないならば未だ良い商品になってはいない。品質に磨きを掛けて認められる様になれば良いのだ。其れをせずに宣伝したところで売れ続ける保証はない。
2022/10/10 何故広く宣伝しないのか?何故有名に成ろうとしないのか?と問われる事が有る。答えは知られたい人には知られているからだ。そもそも余計な人に知ってもらう必要はない。余計な人に知られるほどに余計な労力と経費が掛かるではないか。知られたい人に的確に知らせる事の方が遥かに大切なのではないか。
2022/10/09 迂闊に悪口を言ってしまう事がある。言った刹那に気持ち良くなるが其の何倍も後味は悪くなる。同様に自慢話をしてしまう事もある。そして同様に後味を悪くしてしまう。未だに自分を他人と比較してしまうのだ。だがそんな自分を最近は許せるようになってきた。他人を許せるようになる兆しかもしれない。
2022/10/08 自分が上手いのか下手なのか分からない。何故なら師匠の作業を見た事がない。創り方も教わっていない。更には他人の仕事も見た事が無いから比較できないのだ。だが師匠は自分を他人と比べる無意味さを諭してくれた。そもそも上を見ても下を見てもきりがないのだ。上手いのか下手なのか分かる筈がない。
2022/10/07 夢の為に生きてきた筈なのに続けられなくなる人が居る。一方は能力の足りない人。これは致し方ない。もう一方は能力が高すぎて結果を出し過ぎた人。事態を大きくし過ぎて事態に支配されてしまうのだ。尾崎豊も歌っていた。「金か夢かわからない暮らし」と。丁度良い塩梅を見失うと自由を失い辛くなる。
2022/10/06 飽きられない為には進化し続ける事が大切だ。だが大きく変えてはいけない。気付かれない程度に少しずつ改善するのが秘訣なのだ。そして其れは工芸品の得意な所。手作りならではの長所と言える訳だ。その長所を活かすには永く続ける必要が有る。長い目で見てくれる冷静なお客を集客する事が大切なのだ。
2022/10/05 新商品に飛び付きお祭りで騒ぎ贔屓に声援を送る。興奮を志向する人はとても多い。だが直ぐに興奮は冷め更なる興奮を探し求める。彼等は次々と消費してくれる上得意だ。左様に多くの消費者が市場の情報操作により飽き易く調教されている。永く売り続けるには興奮させずに飽きさせない工夫が大切なのだ。
2022/10/04 続けられない人は何時でも興奮して始めてしまう。興奮は続かないから三日坊主になってしまう。其れでも続けようとすれば更なる興奮を求める事に成る。其れが元気や気合や根性を必要とする理由なのだ。お陰で何度でも三日坊主を繰り返す事に成る。永く続けるには自然体で始められる事を始めるしかない。
2022/10/03 元気が無くても何でもできる。自信も気合も根性も要らない。始める為に必要なモノは既に己に備わっている。軽やかに一歩踏み出し実験のつもりで試してみれば良いのだ。そもそも「何かが足りない」と「始められない」を関連付ける事に意味はない。「やりたい」に「始める」を関連付けるだけで良いのだ。
2022/10/02 合格点をもらえる金属組織や硬度を質問された。其れだけに拘らず広く勉強する様に私は諭した。所で組織や硬度は優秀さを証明する宣伝に使われる。だが其れだけで優劣が決まる訳がない。星の王子様の狐が言う様に相手に関心を持つ事から物語は始まる。使用者に関心を持てば良いモノの定義は見えて来る。
2022/10/01 良い玄能の定義が分からなかった。分かる人も周りに居なかった。皆が良く分からないままに商売していたのだ。其の後に師匠に出会い玄能の基本を学んだ。今では自分なりに良い玄能を定義付けして理想を追求している。実はこれが私の揺るぎない安心感に繋がっている。使命が明確に成ると安心できるのだ。
2022/09/30 手作りの味であるとか日本刀の技術を応用しているとか科学に基づいているとか新開発の素材であるとか最新の技術であるとかと執拗に宣伝されてみてもまるで心は動かない。それらが商品の優秀さと関係ないことを知っているからだ。とは言え子供の頃から幾度となく騙されてきた。嘘を見抜く目を養いたい。
2022/09/29 派手な装飾や宣伝や物語や特典で興奮させて販売する。これらも正当な商売として罷り通りはする。だが品質とは別の刺激的なだけの要素を多量に含む。故にその様な商品が時代の試練に耐えられるとは思えない。即ち文化財的な価値を創造しているとは思えないのだ。後世に伝えたいなら品質本位で臨みたい。
2022/09/28 興奮させて売ってはいけない。冷静な判断で購入してもらうのだ。興奮は何時か必ず冷めてしまう。後悔されては買い続けてもらえないだろう。ならば興奮させる為の余計な装飾や宣伝は要らない。手間と経費は品質に反映させたら良いのだ。高品質は興奮ではなく静かな驚きとしてお客様に受止められる筈だ。
2022/09/27 工芸品の品質は創り手の上達に従い向上していく。使用者は其の期待も込めて購入してくれる。だが期待が大き過ぎれば上達が追い付かない。故に常に一寸だけ期待を上回る様な状態を維持する必要があるのだ。玄能の場合は宣伝せずに口コミと紹介を待つくらいで丁度良い。宣伝は期待を大きくし過ぎるのだ。
2022/09/26 人は解らないと素通りしてしまう。だが稀に狼狽えてしまう事が有る。其れは好機であり未知の領域への入口に違いない。立ち止まって覗き込んでみればいいのだ。最初は手掛かりがなく宙ぶらりんに成るだろう。だが手掛かりが出来始めた時のドキドキ感は癖に成る筈だ。狼狽は未知の領域からの誘いなのだ。
2022/09/25 自分の至らなさに毎日落胆している。だが自信が有る様に見えるというのだ。玄能創りは確かな手応えを感じさせる。やったことが明確に結果として現れるからだ。そして其れを次の作業に活かす事が出来ている。其の安定感を他人は自信とみるのかもしれない。だが私の技量は師匠の足元に遠く及んでいない。
2022/09/24 赤ちゃんはジタバタしているうちにハイハイが出来る様になる。何となく出来てしまう事をやっていれば無理なく上達してしまう訳だ。同様に私も何となく出来る事を精一杯やって生きてきた。お陰で出来る事に関してはとても感性が鋭くなった。すると出来ない事を他人が引き受けてくれるようになったのだ。
2022/09/23 私は積極的に諦める。何故なら少しやれば其処での到達点は想像できる。敵わないなら直ぐに諦め他を探し始める。様々な事に挑戦し自らの得手不得手を明確にする。すると成功できそうな事も絞られてくるのだ。左様に早く見切りを付けたお陰で今の仕事に辿り着いた。ここで始めて諦めなければ良いと思う。
2022/09/22 「不世出の名工と言われる千代鶴是秀を目標とした長谷川幸三郎は三百年に一人の名工と言われるが、その弟子の貴方にはせめて百年に一人の名工に成ってもらわなくては困る」と重圧を掛けられたことが有る。だが諦めているから狼狽えることはない。だからこそ伸び伸びと全力で取り組むことが出来るのだ。
2022/09/21 名工を目指して何に成ると馬鹿にされたことが有る。当時は高性能な玄能を創る鍛冶屋が不足していた。ならば良い玄能を創れば口コミと紹介で商売が成り立つと考えた。宣伝せずとも充分に目立つとも考えた。故に採用やその後の育成も楽になると考えたのだ。名工を目指せばこんなことに成ると考えていた。
2022/09/20 玄能の本質を師匠から徹底的に学んだ。玄能創りは本質を外さなければ何でも出来る。所が何でも出来る筈なのに出来る事は多くない。本質を少しでも外せば最早玄能とは言えないからだ。その制約の中で理想の玄能を如何に創るかが試される。ただ出来る事は多くないのにやれることが無限にあるのは面白い。
2022/09/19 ぶれるのは悪くない。軸足が無いのが悪いのだ。軸足が有ればどんなにぶれても後戻りできる。其の安心感は挑戦を促してくれる。だが軸足が無ければ後戻りできない。其の恐怖感が挑戦を妨げてしまうのだ。しかし軸足を作るにも挑戦し続ける必要が有る。だから無我夢中で続けられる事を始めろと言うのだ。
2022/09/18 怒る人は恐れている。意に沿わない事の存在に怯えている。問題と向き合う重圧に耐えられずにいる。だが自ら解決すると決めれば創意は湧いてくる。すると意外と容易に解決できることが分かる。殆どの問題は放置して構わないことも分かる。そして徐々に怒らなくなる。怒りは其の人の成熟度を如実に表す。
2022/09/17 玄能を学ぶ為に方々を巡り歩いた。鍛冶に関する勉強会にも参加した。だが玄能を学ぶ事は叶わなかった。そんな私に長谷川幸三郎さんを紹介してくれた人が居た。お陰で玄能を一から学び直すことが出来たのだ。左様に未熟者は大切なモノを見つけられない。腕を磨き彼方から声を掛けてもらうしかないのだ。
2022/09/16 玄能を学ぶ為に目利きを探し回ったことが有る。先ずは地元の問屋を回ってみた。本や雑誌に紹介された大工道具店も訪ねて回った。だが目利きには会えなかったのだ。しかし今では多くの目利きにお世話に成っている。向こうから声を掛けてもらえたからだ。目利きと出会うには腕を磨いて待つしかないのだ。
2022/09/15 たった1人に認められれば食える様になると師匠は言った。影響力の有る1人はそうでない1億人に勝るというのだ。影響力が有るとは金や権力が有る事とは違う。玄能を誰よりも正しく評価できる目利きの事を言うのだ。そんな人の下には数多の勉強熱心な目利きが通い続ける。感化される人は後を絶たない。
2022/09/14 どんなに考え抜いて手間を掛けようと玄能は玄能に過ぎない。その価値を正しく評価できる目利きは極めて稀なのだ。100万人に1人居るかさえも怪しいだろう。其れでも国内ならば100人程度。世界中なら8000人程度は居る計算になる。其れだけの人に認められたなら玄能鍛冶は充分に成り立つのだ。
2022/09/13 上手く成れば自信が付くと思ったら大間違い。上達する程に未熟さを思い知らされ自信を失っていく。上手く成れば尊敬されると思うのも大間違い。目利き以外は気付かないし万が一有名に成れば嫉妬されてしまう。左様に自信や尊敬は儚い夢にすぎないのだ。だが挑戦してみる価値は充分に有ると思っている。
2022/09/12 教えられ褒められ叱られて育てばラジコングライダーに似てしまう。自力では飛べない上に操縦されないと迷子になり墜落してしまう。そんな人間を是迄の教育は大量生産してきたのだ。従順で均された人材が大量に必要とされた時代はとうに過ぎた。時代に合わない教育を受けた人達が途方に暮れているのだ。
2022/09/11 教えないと出来ない様では鍛冶屋は勤まらない。鍛冶仕事は身体で感じ取るしかないのだ。求人の際に其れは明確に伝えていた。其れを承知で弟子達は働いている。故に私は仕事に専念できる訳だ。所で教えて褒めて叱らないと育たないと考える人は多い。その前提を疑わない限り何時までも手は掛かり続ける。
2022/09/10 社会人に対しても学校の児童と同様に教えて褒めて叱る指導者がいる。自発的に行動できない児童に対してならやむを得ないだろう。だが昔の日本人は児童にさえ教えず褒めず叱らず自発的に始めるまで待ったものなのだ。自ら始めて苦労を苦労と思わずやり遂げてしまう人材はそうやって輩出されてきたのだ。
2022/09/09 弟子達の創る玄能は私の玄能に似てしまう。傍で私の身体感覚を肌に感じているからだ。創られる玄能の姿かたちは結果に過ぎない。大切なのはそう有るべき理論なのだ。其の理論から必要な動作が構成され私の玄能は創り出される。一緒に過ごす事で彼等は理論を正しく理解でき自然に玄能が似てしまうのだ。
2022/09/08 進化を求めて勘を頼りに創られる鍛冶製品は緊張感を纏う。其れは伝統を正当に継承する覚悟の現れなのだ。彼は身体感覚を研ぎ澄ませ先人の蓄積を深く理解しようと努めている。そうでなければ巨人の肩に乗れないと知っているからだ。身体感覚を活かせなければ故きを温め新しきを知る事は絶対に出来ない。
2022/09/07 私の定義では勘を頼りに創られる鍛冶製品は工芸品。先人の身体感覚の蓄積を基に都度進化の可能性を伴っている。一方で科学データを基に作られるのが工業製品。先人の感覚は引き継がれず伝統の多くは断絶している。故に工芸品からは一回性からくる緊張感が感じ取れる。だが工業製品には其れが足りない。
2022/09/06 貧乏だが困る事はない。出費が少なく済んでいるからだ。だが貧乏くさい生活はしていない。例えば通勤靴はリーガルシューズ。シャインマスカットを昨日食べた。ところがそれらは貰い物なのだ。おまけにストレスによる散財もない。師匠は嘗て諭してくれた。人の役に立てていれば多少の貧乏も困らないと。
2022/09/05 子供の頃の近所は鍛冶屋で溢れていた。機械ハンマーや回転工具が喧しかった。道草を食いながら鍛冶場を覗き込んだ。本物の仕事を肌に感じて成長した訳だ。お陰で門前の小僧は習わぬ経を読むことになる。知らぬ間に作業の流れや段取りを身に付けてしまった様だ。今の私はあの頃から出来始めているのだ。
2022/09/04 就職した職場は改善点に溢れていた。少しの改善で成果を何倍にもできた。だが上司は其れに不満だった。自ら築き上げてきた事を否定されたと思ったのだ。左様に世の中は兎角面倒臭い。故に私は其処から学習し弟子達の進言を素直に聞く様にしている。弟子達が私を超えてくれることを名誉だと思っている。
2022/09/03 自分らしく成果を出せる方法で始めると叱られた。成果よりも過程を重視する人は多いのだ。学校が正にそうだった。指示通りにしないと先生はヘソを曲げる。故に子供達は褒められたくて頑張り始めるのだ。だが自分らしくないやり方では成果は出ない。なのに頑張りが足りないと誤解し益々頑張ってしまう。
2022/09/02 頑張ってるアピールをする人は多い。結果ではなく過程を褒めてもらいたいのだろう。だが頑張り続けるから結果を出せない事に気付いていない。頑張らずに出来るやり方に今すぐ切り替えなくてはいけないのだ。同じ事を繰り返しても違う結果は得られない。頑張る自分を恥ずかしがるくらいで丁度いいのだ。
2022/09/01 百人に一人の能力を三つ持てれば百万人に一人の秀でた能力に成る。だが其れを一人で可能にするのは極めて難しい。だが圧倒的な能力を持つ人と連携できれば可能性は高くなる。しかし相手に連携してもらうには自らが圧倒的に成る必要が有る。故に能力を一つに絞り最大限かつ最善に磨き上げる必要が有る。
2022/08/31 悪目立ちする人を野生動物に例えてみた。例えば捕食者が目立てば被食者に警戒され飢えてしまう。その隙に目立たず粛々とこなす捕食者は獲物にありつく筈だ。片や被食者が目立てば直ぐに狩られてしまう。お陰で目立たず粛々と生きる被食者は狩られずに済む訳だ。左様に悪目立ちする人の周りは得なのだ。
2022/08/30 やむを得ない時以外は他人に教えを請わない。感性が鈍るからだ。例えば過去の工人に現代人顔負けの仕事が出来たのは感性が鋭かったからだろう。情報が少ない環境でやり方を自ら編み出し続けた成果に違いない。故に感性を磨くなら情報を遮断する必要が有る。だから出来るだけ教えてもらいたくないのだ。
2022/08/29 私の言う事を解ってくれる人は少ない。一般常識とかけ離れているからだ。だが暫く私と一緒に過ごせば解ってくれると思う。一緒に過ごす事は「伝える」為に最も大切な要素なのだ。例えば私は弟子達に詳しく教えないし、褒めないし叱らない。故に弟子達は私の振る舞いから伝えたい事を感じ取ってくれる。
2022/08/28 子供の頃に「臭いニオイは元から絶たなきゃダメ」というCMが流れていた。問題の元に手を付けない対症療法ではきりがないと子供心にもよく解った。だが世の中には対症療法が溢れていた。例えば幸せに暮らす為に我慢して嫌いな仕事で稼ぐ人は多い。だが好きな仕事で健全に暮らした方が遥かに幸せだろう。
2022/08/27 アンガーマネジメントは早々に諦めた。代わりにそもそも腹が立たない方法を考え続けたのだ。人は問題を解決できないと思うから不安に成り腹が立つ。ならば自ら解決すると腹を括れば腹を立てる事も無くなると思い至ったのだ。お陰で今では腹を立てる事は殆どない。鵜呑みにせずに前提を疑った方が良い。
2022/08/26 前提が間違えているから袋小路に入る。ならば引き返して前提を疑えばいい。だが多くの人は勇気が無くて引き返せないのだ。所で鍛冶仕事は間違いを認めない限り上達できない。所が間違いを認められる人は少ないようだ。故に私は弟子達の間違いを叱らない。お陰で彼等は間違いを認める勇気を持っている。
2022/08/25 世界に一つだけの花に成りたいのなら花屋の店先に並んではいけない。其処から逃げ出し独自の能力を開花できる土俵に移る必要が有る。若しくは独自の土俵を創る必要があるのだ。所が多くの人は何も疑わずに花屋の店先に並ばされてしまう。前提を疑わずに一生懸命に成った所で誰かの思う壺になるだけだ。
2022/08/24 その花を咲かせる事だけに一生懸命になった所で店先に並べられた瞬間に競争は始まる。オンリーワンには程遠い状況が待ち受けている訳だ。大切なのは自分だけの土俵を創り誰とも比べられない自分に成る事。ドングリが背比べするような店先に並べられない方法を考える事だけに一生懸命になればいいのだ。
2022/08/23 小売店に行けば「私を見て」と自己主張が強いだけの商品が迫ってくる。それでも目利きならば本性を暴くことが出来る。だが目が利かなければ心を奪われてしまう。そんな姿を見て「半値で遥かに良いモノが買えるよ」なんて口が裂けても言える訳がない。もしも騙されたくなければ目を肥やすしかないのだ。
2022/08/22 鍛冶屋は上達する程に哲学的に成ると聞いた事が有る。確かに師匠も哲学的だった。例えば未熟なうちは解明された科学的なデータを基に作業ができる。だが上達して未開の領域に立ち入るには自ら分析して編み出す力が必要になる。即ち自分以外を当てに出来なくなった時に哲学的思考が欠かせなくなる訳だ。
2022/08/21 子供は知らない事を知ろうとする。出来ない事を出来る様に成ろうとする。好奇心に従順だからだ。所が次第に知らない事や出来ない事を恥ずかしがる子供が現れる。そして無関心な大人に成長していくのだ。所で私は好奇心を失っていない。身勝手な評価で褒めたり叱ったりする不埒な人に従順でないからだ。
2022/08/20 理解できない事を言われると怒り出す人が居る。そして頭ごなしに否定し始める。師匠はそんな人達とは言葉が通じないと言ったのだ。だが彼等の様な人間は自分の事も理解できていない。理解できている事など僅かである事を理解できていないのだ。理解できていないと気付くことがとても大切だというのに。
2022/08/19 読書の際には解らなくても読み進める様にしている。解らない宙ぶらりんの状態のまま保留しておくのだ。すると時が立ち突然に解る時が来る。其れを気長に待つ訳だ。所で師匠は地元の鍛冶屋とは言葉が通じないと言っていた。所が私には通じると言って笑っていた。解らない事を私が拒絶しないからだろう。
2022/08/18 玄能の焼き入れの冷却水の温度は人肌が一番と師匠は言った。人肌温度の水を掛けた時が一番良い塩梅に焼きが入るのだ。そして冷めていく様子を目視し易いのもこの温度になる。即ち冷却具合の調整もし易いという訳だ。丁度今頃の水道水が人肌温度に成る。但し鍛冶仕事で言う人肌温度は人の体温とは違う。
2022/08/17 鍛冶の技術や製品の巧拙は火造りで決まると言って過言ではない。其れ以外で取り繕うとも単なる厚化粧に成ってしまう。目利きが見れば一目瞭然だが厚化粧に騙される人は多い。そして一番騙されているのは製作者本人だろう。以前の私がそうだった。師匠に出会い学び直したお陰で目覚める事が出来たのだ。
2022/08/16 鍛冶屋に成りたての頃に高性能なモノを見たくて探し回ったが叶わなかった。後に師匠の下を訪れて高性能なモノは一般の目に触れ難いと教えられた。即ち普段から目にするモノは大したモノではない。遥かに高性能なモノが何処かに存在するという事だ。そして其れを目に出来るのは選ばれた人だけだという。
2022/08/15 本質を疎かにしたトンデモ商品が溢れてしまった。良いモノよりも良さそうに見えるモノに人気が集まるのだ。だが早晩、限界はくる。良さそうに見えれば直ぐに真似されてしまうからだ。そして競争は激しく成り誰も儲からなくなってしまう。だが悲観する事はない。そもそも競争に参加しなければ良いのだ。
2022/08/14 鍛冶仕事に纏わる間違った常識は多い。エビデンスの取られた常識でさえ間違えている事は多いのだ。正確には間違えている訳ではない。もっと良いやり方を幾らでも編み出せるという事だ。そんな事は好奇心を持って鍛冶仕事をしていれば当たり前に分かる。だが好奇心が足りないなら永遠に分からないのだ。
2022/08/13 鍛冶に関する教科書は限られた条件でしか成り立たない。工夫しないと活用できないのだ。そもそも個別の教科書はなく自ら編み出すしかない。例えば玄能の焼き入れでは教科書のやり方を私は全く守らない。科学的に鍛冶仕事をする人からは否定された事さえ有る。だが其の方が遥かに良い玄能が出来るのだ。
2022/08/12 独立したての頃に鍛冶屋の後継者達と話をした時の事だ。彼らは口を揃えて言うのだ。「鍛冶技術は科学で解明されており既に探り処はない」と。だが相豊ハンマーでは今も新たな発見が続いている。弟子達とウハウハしながら毎日仕事が出来ているのだ。科学で解明できている事など氷山の一角にも満たない。
2022/08/11 ゴロゴロしているうちに腹這いになり手足をバタつかせているうちにハイハイが出来る様になる。その後も立ち上がり歩き始め走る様にも成る。移動だけを考えればハイハイで満足する赤ちゃんが居ても不思議でない。だがそんな赤ちゃんは稀だ。所が少しできたからといって其れで満足する大人はとても多い。
2022/08/10 スーツを着るのが苦手だ。特にネクタイが恥ずかしい。一体あれは何なのだ?所で私のお客に某鑑定団なるTV番組の鑑定士をしている人が居る。他の鑑定士がスーツなのに氏は何時でも普段着なのだ。其の意図を聞いた所「だって持ってないもん」と答えてくれた。なんと頼もしく素敵なのだ。是非見習いたい。
2022/08/09 学生服が大嫌いだった。動き難いうえに体温調節が難しいのだ。人其々に体形も体質も美的センスも違う。其れを無視する学生服は洗脳の入り口に違いない。考えさせずに飼い慣らす準備をしているのだ。学生服は連帯感を高める為にも利用されるのだろう。だが足枷の如くに自由を奪う象徴の様に感じられた。
2022/08/08 背骨の病気を患ってから30年間つけていたコルセットを外してみた。身体の使い方を改善して柔軟性を取り戻したから要らなくなったのだ。所がこの開放感が堪らない。コルセットは身体だけでなく心までも拘束していたのだ。所で私は制服が大嫌いだ。心まで支配され逃げ出せなくなってしまいそうだから。
2022/08/07 魚釣りは自由で素敵だ。何よりも一人で出来るのが自由だ。誰とも競う必要がなくて自由だ。狙う魚も大きさも自由だ。釣り方を自分で編み出せるから自由だ。使う道具の選択も自由だ。服装だって自由だ。四季を通じて好きな時に楽しめて自由だ。だが指示されないと出来ない人には極めて不自由に違いない。
2022/08/06 前職を辞した時に職場の悪口は言わないと誓った。なによりも世間体を気にしての事だ。例えば理不尽な経験を成長の糧とする美談は人受けがいい。だが理不尽を訴えれば非難される事が多い。其れは理不尽に耐える自分を正当化する人が多いからだろう。理不尽を慰めの美談にすり替え自分を騙しているのだ。
2022/08/05 前の職場での辛い経験は虐めによるものだ。仕事は充分に楽しかったが虐めの辛さは我慢ならなかった。翻って玄能鍛冶としての辛い修行は自ら望んだことだ。此処には辛さを乗り越える充分すぎる楽しさがある。そして多くの支援者が応援してくれるのだ。何処に所属し誰と付き合うかは自ら決められるのだ。
2022/08/04 前の職場では上司や先輩から酷い仕打ちを受けていた。辛い経験も自らを鍛える為だと言い聞かせたが耐えかね独立した。其の後に師匠と出会い恵まれた環境で仕事を始めた。すると其方の方が遥かに私を鍛えてくれたのだ。辛い経験を美化する事は自らを騙すだけではない。周りにもその嘘を拡散しかねない。
2022/08/03 丁寧な仕事をして自らの内に軸を作りたい。全ての作業工程や要する動作に明確な基準を創り上げるのだ。何度やっても同じに出来なくてはいけない。すると些細なずれを感じ取れるように成り様々な実験が可能になる。所が雑な仕事では其のずれを永遠に感じ取る事は出来ないのだ。上達に丁寧は必須なのだ。
2022/08/02 弟子を入れて既存の仕事は任せよう。親方はより付加価値の高い仕事に取り掛かるのだ。すると弟子は比較的易しい仕事で修業を積む事が出来る。親方は腕を磨いて更に信用を高められる。其の循環で他の追随を許さない魅力を手に入れるのだ。一代では成し得なくても弟子を育成すれば可能にできる事は多い。
2022/08/01 玄能の焼き入れは甚だ厄介だ。師匠が完成させていたから出来る事は分かっていた。だがやり方は教えられず見た事も無い。故に自ら編み出すしかなかったのだ。今でも理想を求め試行錯誤を繰り返している。左様に目に見えない性能は簡単に真似できないのだ。故に私の玄能の性能は弟子にしか真似できない。
2022/07/31 工芸品は個人の力量に左右される。そこで平均的な品質で大量生産できる仕組みができた。即ちそれが工業製品だ。所が似た様な品質で違いが分かり難い。差別化の為に外連味を帯びた空虚な製品まで溢れ出した。ならば工芸品に好機が訪れたと言える。品質を追求した結果現れる姿を工業製品は真似できない。
2022/07/30 図抜けたモノを創れば競争せずに済むと思った。故に画期的な折り畳みスコップを創ったのだ。所が模倣品を発売されてしまった。所謂工業製品では真似されてしまうのだ。そこで工芸品である玄能に目を付けた。玄能ならば寸分違わぬ形状のモノを創っても性能は真似できない。見えない中身が肝心だからだ。
2022/07/29 折り畳みスコップを発売してすぐに業界最大手から模倣品が発売された。故に次は絶対に真似されないものを創ろうと誓った。紆余曲折有り辿り着いたのが玄能創りだ。玄能は単純そうに見えて実は奥が深い。殆どの人は其処に気付いていなかった。故に修行を積めば絶対に真似されないものが出来ると思った。
2022/07/28 折り畳みスコップの開発は楽しかった。自ら使いたいスコップを自ら創ったのだ。いっそ所有するだけで嬉しくなる様なモノを創りたかった。設計と試作は終業後に行い連日深夜に至った。お金が無いから金型の製作も自ら行った。故に完成した時の感慨を今も忘れない。そして今でも販売できることが嬉しい。
2022/07/27 玄能で食えるまで食い繋いだ仕事も楽しかった。玄能で稼ぐよりも実入りが良い様にも感じた。だが師匠の生き様に惚れていた。師匠の様に格好いい玄能を創りたかった。だからぶれる事なく仕事を続けられたのだ。稼げるならどんな仕事でも良いと考える人も居る。だが私はもうちょっと楽しみたかったのだ。
2022/07/26 独立して玄能で食える迄に8年掛けた。5年間は様々な事に挑戦し本当にやりたい事を探した。6年目からは鍛冶仕事に的を絞り創るモノを模索した。7年目からは玄能に的を絞り師匠に弟子入りして精進した。そして8年後に漸く玄能を売り始めたのだ。即ちそれまでは様々な事で食い繋ぐ必要があった訳だ。
2022/07/25 玄能鍛冶で食えるまではアウトドア用品の製造で食い繋いだ。玄能で食える様になるとアウトドア用品の製造が弟子の育成に役立つと閃いた。弟子を受け入れ其れで訓練させ彼等も玄能を創れる様になった。そこでアウトドア用品の製造を止めることにしたのだ。売り上げは半減するが当初の目的を完遂したい。
2022/07/24 玄能鍛冶を目指した頃は釘打ち機が普及していた。釘打ちに使う金槌を作る金槌鍛冶の多くは廃業していた。鑿を叩く玄能を作る玄能鍛冶も残り少なかった。だが鑿を叩く為に木槌を使う人はまだ多く残っていた。即ち製作者は減り未開拓な使用者が残っていた訳だ。其れを好機と捉えるか否かは人其々だろう。
2022/07/23 玄能が日本発祥の手道具である事を知る人は少ない。そもそも玄能が鑿を叩く為に洗練されてきた事を知る人は少ない。今でも鑿を叩く為に玄能を使わずに木槌を使う人は多い。ましてや海外に於いて玄能を使う人は極稀なのだ。啓蒙の為に玄能に関するコラムを書いたことが有る。参考にして頂けたら幸いだ。
http://aitoyo.net/blogwaza20151017.html
2022/07/22 精度の低い玄能は効き難く疲れるばかり。同じ目方であっても精度が高ければとてもよく効くのに。左様に精度の高さは玄能にとっての肝心要。其れは手道具全般に言える理屈である。所が目立つ為の装飾や宣伝に手間取られる人が多い。精度に目を付ける鍛冶屋は稀なのだ。故に今は願ってもない好機だろう。
2022/07/21 滅多に褒めない師匠にヒツ穴の精度を褒められたことが有る。ヒツ穴の精度が玄能の勘所である事に気付いた瞬間だ。ならばヒツ穴の精度を更に高めるしかない。徹底的に精度を高めて他の追随を許してはいけないのだ。お陰で其れを武器に玄能を幅広く展開できる。強いモノをより強くすることが肝心なのだ。
2022/07/20 勝ち続ける人は自らルールを創り出せる人。即ち自らの人生をプロデュースできる人だ。そんな人は自らの資質を最大限かつ最善に活かそうとする。周りとの調和をはかり周りを活かす事も忘れない。我慢せずにそして周りにも過分な負担を強いない生き方を模索できる人。そんな人なら負ける訳がないだろう。
2022/07/19 勝ち続ける人は競争していない。独自に創り出したルールで自らに挑戦し続けているのだ。翻って競争している人は他人のルールで戦わされている。たとえ勝っても他人の支配する仕組みに組み込まれ逃れられない。そして何時か必ず負ける時が来るのだ。自らルールを創り出せる人だけが勝ち続けられるのだ。
2022/07/18 自分しかやらないであろう仕事を探していた。他人がやっていたりやろうとしていたりする仕事は除外していた。何故なら競争が大嫌いだから。すると腕の立つ玄能鍛冶が引退したと知らされた。訪問して話を伺うと将来性の有る若手玄能鍛冶は居ない事を知った。ならば玄能創りを始めない理由はないだろう。
2022/07/17 目の前の事に真剣に向き合いきれていない。未だ何物にも成れていない上に其の道で生きていく覚悟も出来ていない。そんな若者が世間に晒されたなら間違いなく道を踏み外してしまう。所で伝統工芸の世界に若者は珍しい。応援したくなる気持ちはよく分かる。ならばなおのこと世間に晒してはならないのだ。
2022/07/16 玄能鍛冶で食えるまでは取り敢えず食える仕事で食つないだ。所が取り敢えず食える仕事がモノ創りの感性を磨いてくれたのだ。そして其れが後進の育成に役立つと閃いた。故に其の仕事を他人に委ねつつ止めずに続けてきた。お陰で弟子達は其の仕事で鍛えられたのだ。後進の育成を早期に計画して良かった。
2022/07/15 1.やりたい事を始める。2.当面は嫌でも食える事で食つなぐ。3.やりたい事で食え始めたら嫌な事は外注する。4.やりたい事に集中する為に付随する事も外注する。5.余裕を創り設備投資や採用の準備を始める。6.優秀な人を採用する。7.採用した人を自立させる。私は今7番目に挑戦中なのだ。
2022/07/14 伝統工芸の衰退は需要の減少だけが原因ではない。経営感覚の欠落が大きいのだ。経営を学べば全体が見える。すると部分最適よりも全体最適を目指せる様になる。先を見越しての設備投資や人材育成が可能になる。需要を創り出すことだって不可能ではない。其れが出来なかったから行き詰ってしまったのだ。
2022/07/13 鍛冶屋が後進を育成する場合に多くの鍛冶屋は鍛冶屋ではなく職人を育成する。鍛冶屋の育成は自立を目的とし職人の育成は従属を期待している。この違いは極めて大きいが指導者も追随者も認識不足が甚だしい。所で私は弟子達を鍛冶屋にする為に育成している。故に経営まで視野に入れて指導している訳だ。
2022/07/12 親切そうに近付いてきて協力を求める。協力すれば此方を束縛し始め其れを断れば激高し責め立てる。協力しなければ仲間外れにして意地悪をする。子供じみているが日常でよく経験する事だ。だが悪いのはそいつだけではない。従う奴が付け上がらせているのだ。従う奴が頓馬な支配者を作り上げているのだ。
2022/07/11 私は有名ではない。有名に成る必要も無い。口コミと紹介で仕事が回るからだ。そもそも有名に成り注文が殺到しても創るのが間に合わない。使う必要に迫られている人の手にも届き難く成るだろう。だから有名に成らないのだ。とは言え知ってもらいたい人には充分に知られている。この塩梅で丁度良いのだ。
2022/07/10 本当に良いモノを見極められる人は少ない。多くの人は宣伝に惑わされ判断を誤ってしまう。有名ならば優秀だと勘違いしているのだ。事情を知る目利きも具体的な名前を出し解説する事は出来ない。消費者に判断を委ねるしかないのだ。故に私は判断の勘所を発信し続けている。歯痒いが其れが精一杯なのだ。
2022/07/09 良さそうに見えるモノが溢れている。本当に良い事よりも良さそうに見える事が尊ばれるのだ。宣伝により職人の技量でさえ良さそうに見せる事が可能になった。だが本当の目利きは騙されない。しかしその目利きすら僅かになってしまったのだ。本当に良いモノを創り続けるには目利きを育てるしかないのだ。
2022/07/08 出鱈目な宣伝文句で販売される商品が目に付く。意図してか否かに関わらず消費者を混乱させている。だが多くの場合は法に触れる程ではない。だから批判しても始まらない。自ら出来る事を淡々と続けるしかないのだ。故に私は自らの思想信条を商品に込めて創り出している。出来た姿で訴えるしかないのだ。
2022/07/07 赤ちゃんは飼い慣らされていない。野生のまま生きるから臆せず挑戦できる。だが次第に飼い慣らされて勘を鈍らせてしまう。だが社会性を身に付けた後は逸脱も意識したい。秩序から離れて一人で過ごす時間を創るのだ。すると野生の勘が戻り始める。感性が研ぎ澄まされ挑戦せずにいられなくなってしまう。
2022/07/06 製品精度を上げるには自らの精度を上げる必要がある。感性と思考そして身体感覚の精度を上げなくてはいけないのだ。その為には教えられず褒められず叱られない宙ぶらりんの状態を楽しめば良い。自ら探り出し決断し実行する事に喜びを見出せば良いのだ。野生の勘を取り戻し楽しむ事で精度は上げられる。
2022/07/05 精度を上げるとは法則に則り正確に創り上げるという事。即ち法則性を学ぶことから始めなくてはいけない。だが他人から学べる事は僅かにすぎない。故に自ら探り出す必要が有るのだ。所が多くの人は教えてもらえば分かると勘違いしている。其れこそが感性が鈍過ぎて精度を上げられない一番の理由なのに。
2022/07/04 弟子入りの際には製作精度の追求を約束させられた。所が精度について人から言及されるのは初めてだった。精度を追求する鍛冶屋は稀であり玄能鍛冶に於いては皆無に等しかったからだ。お陰で最後発の私の一点突破には精度の追求しかないと気付いた訳だ。一番大切なのに疎かにされがちなのが精度なのだ。
2022/07/03 マーケティングやブランディングに頼り過ぎるから品質は後回しにされる。合理化や省力化を進め過ぎるから品質に差が無くなる。アレコレ余計な経費を掛け過ぎるから売り難く成る。売れない理由を品質以外に求め過ぎるから混乱するのだ。淡々と品質に磨きを掛けていた方が容易に売れるかもしれないのに。
2022/07/02 玄能創りと自転車の操縦は似ていると弟子に話したことが有る。彼は不審に思った筈だ。そこでマウンテンバイクの講習会に二人で参加してみた。彼は直ぐにコツを掴んで乗りこなした。私は数十年ぶりだが直ぐに勘を取り戻せた。そして二人とも筋肉痛には成らなかった。其れほどまでに両者は似ているのだ。
2022/07/01 師匠の話は理路整然として分かり易かった。だが地元の鍛冶屋で聞く耳を持つ人は稀だった。同様に私の話も僅かな人にしか響かない。言葉が通じないかの様に伝わらないのだ。だが幸いにも弟子達に言葉は通じる。彼らの感性が育まれ私の感性と同調できてきた証だろう。こうなれば後は言葉も要らなくなる。
2022/06/30 人は教えた事に固執して周りを見なくなる。ここテストに出ますなんて先生に言われたなら視野は益々狭くなる。全体を俯瞰して要点を探り出す事が洞察力を育むというのに。ならば非効率であっても分析する機会を放棄させてはいけない。試験に出る所を教える先生は成績だけ優秀な頓馬を育成しているのだ。
2022/06/29 釣り方の編み出し方は言葉で教えられない。場と時間そして期間を共有する必要があるのだ。例えばカバン持ちを想像してほしい。主人と一緒に居る事で結果だけでなく過程を目の当たりに出来る。秀でた目の付け所や勘所を感じ取ることが出来る筈だ。教えられないからこそ隈なく俯瞰できると言えるだろう。
2022/06/28 川の環境は激変し昔の面影はない。昔教えられた釣り方では魚は釣れないのだ。だが釣り方を編み出せれば釣ることが出来る。荒んだ環境下でも充分に楽しめる訳だ。同様に商売の環境も時代と共に激変する。だがやり方を編み出せれば怖い事は無い。故に後進に伝えるべきは釣り方ではなく編み出し方なのだ。
2022/06/27 中学校は最悪な環境だった。荒んだ子供が多く毎日の様に暴行を受けていた。先生も全く頼りにならなかった。故に環境を変える事は絶対に出来ないと気付いていた。だから自ら出来る事に集中し必死に居心地を改善した。当時の経験は社会に出てから役に立っている。あの極限状態が感性を高めてくれたのだ。
2022/06/26 環境が酷すぎるなら逃げ出せばいい。だが改善出来そうなら試してみる価値は有る。其れは貴方の感性を磨く好機なのだ。そもそも酷い環境は関わる人全ての共同作業で出来ている。故に改善は自ら行うしかなく、やり方は自ら編み出すしかない。ゼロから編み出す経験が貴方の感性を確実に磨き上げてくれる。
2022/06/25 教えられるのも褒められるのも叱られるのも苦手だ。操られている気がするからだ。学校が嫌いだったのはそのせいだろう。だが反抗しても何も変える事は出来ない。その環境で出来る事を精一杯やるしかないのだ。所が工夫次第で結構快適に過ごすことが出来た。結局は活かすか殺すかで決まってしまうのだ。
2022/06/24 困った人と思われつつも周りが付き合ってくれたなら幸運だ。独自の資質を認められた証であり自由を手に入れる好機が訪れたという事だ。その上で目の前の人参を要らないと言えたなら更に自由に成れる。貴方を縛るものは最早無くなりつつあるのだ。そもそも其れが分かる人なら端から心は自由だったろう。
2022/06/23 世間の常識を説かれても気にならない。何故なら私は変わっているからだ。変わっている私に常識を説く方がどうかしているのだ。そもそも常識を説く人は尊大なのに自信が足りない。厚かましいくせに自分の考えとして伝える勇気がないのだ。そもそも私が非常識だからこそ玄能鍛冶で食えているというのに。
2022/06/22 独自の玄能を創れと師匠は言った。その上で見本など見る必要はないと言うのだ。だがゼロから創り出すのは容易ではない。故に抑えるべき要点だけは教授された。それ以外は教えられも褒められも叱られもしなかった。お陰でとても自由に創ることが出来た。自由に成る為に端から自由に慣らされていた訳だ。
2022/06/21 師匠は俺の創った玄能を見るなと言った。見れば必ず影響を受けて真似に成ると言うのだ。其の言葉には狼狽えたが大きな気付きもあった。真似るべきは玄能ではなく師匠の目の付け所と考え方なのだ。左様に守破離に於いては先ず何を守るかを深く考えたい。目の付け所を試される最初の試練と言えるからだ。
2022/06/20 上手い人はゆったり構えて動きは小さくまとまっている。無理がなく簡単そうに見えてしまうほどだ。翻って下手な人は身体が強張り動きは大げさに成ってしまう。だが躍動感に溢れて見えて素人受けするのは此方の方だ。所で本物の時代が来ると言われて久しい。だが本物を見分けられる人は極めて稀なのだ。
2022/06/19 ザリガニ釣りも竹馬も魚釣りも模型作りも剣道も縄跳びも逆立ちも自転車もバイクもスキーも鍛冶屋も私には全部が同じに感じられる。思考と身体感覚が絶妙に絡み合う素敵な遊びなのだ。だから一つでも得意に成れれば全てに応用できてしまう。個別具体的に考えている様では抽象化が全然足りていないのだ。
2022/06/18 大物を釣っても釣った気がしない。釣れちゃった感が強いからだ。同様に玄能創りも未だ出来ちゃった感が強い。身体操作も品質も精度を出し切れていないからだ。もっとできる筈なのに辿り着けない。歯痒くて苦しいけれど幸いと思っている。出来ていない事に気付けるのは伸び代が残されている証だからだ。
2022/06/17 全てのものは進化の途上にあり未完成だ。例えば千代鶴是秀さんの創った山彦銘の玄能が有る。無双の玄能であり私も目標にしている。だがヒツ穴の精度は其れほど高くない。穴抜きに向いた高温に耐える鋼材が未だ無かった為だ。だが今なら其れが有る。ならばヒツ穴の精度だけでも対抗できそうではないか。
2022/06/16 玄能はまだ完成されていない。もっと進化できるのだ。始めて土田一郎氏に会った時にそう諭された。その瞬間に進化の核心がはっきりと見えたのだ。聞きなれていた言葉が特別な意味を持ち始めた。其れが精度だ。精度を上げる程に進化の可能性が見えて来る。精度を上げない人には絶対に見えてこないのだ。
2022/06/15 今迄よりも上手く行きそうなら直ぐに試してみる。だが上手く行っても多くの場合は袋小路に迷い込む。ならば元居た場所に戻り違うやり方を試してみる。其れを毎日繰り返すのだ。左様に進化する見込みのないやり方は躊躇なく捨て去っている。伝統工芸品は進化し続ける事で更に伝統を守り続けられるのだ。
2022/06/14 偶発的にならパラダイムシフトを迎える事は出来る。強制的ではあっても世界の見え方が変わり自らの進化を実感できる筈だ。所が感性の鋭い人なら意図的にパラダイムシフトを起こすことが出来る。自ら意図して其れ迄の常識を捨て去ることが出来るのだ。所謂達人と呼ばれる人達の多くはそんな人達なのだ。
2022/06/13 憧れの人の様に成りたくて立ち居振る舞いを真似る人が居る。目の付け所が間抜け過ぎるが笑ってはいられない。結果として現れる姿を目的にしてしまう人は多いのだ。故に偽物が世の中には溢れている。似て非なるものも溢れ過ぎている。紛い物が溢れるのは本質を見抜けない感性の鈍い人が多い証明なのだ。
2022/06/12 ライバルは要らないと師匠に教えられた。他人を気にする必要はないし見習う必要も無い。何故なら未熟者の瞠目など取るに足らないからだ。そもそも本当に凄い人を未熟者は理解できない。師匠に憧れた所で目の付け所を間違えている事が殆どだ。故に師匠が目指した先を目指せる感性を養う事が大切なのだ。
2022/06/11 師匠は具体的なやり方を教えなかった。だが雑談していると何となく見えて来るのだ。故に試してはまた雑談した。其処でも具体的な事は何も教えてくれない。自ら考えやり直し検証するだけなのだ。お陰で感性が磨かれて自ら編み出せる様になった。師匠亡き後も狼狽えずに仕事が出来る様になっていたのだ。
2022/06/10 言葉にすれば輪郭は明確に成る。だが周りと切り離され全体は見え難くなる。即ち明確な言葉で伝える程に全体はぼやけるのだ。故に出来るだけ曖昧な言葉で伝えたい。だから一緒に佇む事を心掛けている。そして雑談の様に何となく伝えるのだ。すると相手は行間を埋める様にして全体を見ざるを得なくなる。
2022/06/09 社会性を身に着けさせる為に大人達は子供に好奇心の抑制を迫る。故に多くの子供は旺盛な好奇心を削がれ感性を鈍らされてしまった。だが私は抑圧されるほどに欲求を高めてしまうから好奇心は衰えず感性は磨かれ続けた。お陰で独自のものを編み出し続けられるが大きな組織では絶対に活躍できそうにない。
2022/06/08 頭が良く手先が器用なら見本通りに作ることは出来る。だが其れだけでは独自のものを創り出せない。例えば他人の創ったものを見て「俺ならもっと上手く出来る」という人が居たとしよう。彼は頭が良く手先が器用であっても重ね重ねに感性が鈍すぎる。そもそも他人と自分を比べている時点で独自ではない。
2022/06/07 難しい事は難しいまま伝えなくてはいけない。分かり易く伝えても分かったつもりにさせるだけ。其れは誤解を生んでいるにすぎない。故に先ずは感性を育まなくてはいけない。その上で難しいまま分かるまで待つ必要があるのだ。難しいまま分かる様に成れば伝える必要はなくなる。勝手に成長し始めるのだ。
2022/06/06 子供の頃は遊び惚けていた。だが遊び惚けるのも大変なのだ。ルールを自ら創る必要がある。力を借りる時は交渉しなくてはいけない。起きた事の責任は自ら取らなくてはいけない。左様に学校で許されない様な事を身に付ける必要が有るのだ。但し遊び感覚でこれが出来たなら仕事も遊びの様に出来てしまう。
2022/06/05 学校教育は均質で従順な労働者を大量生産する事に成功した。大組織でつつがなく勤め上げられる優秀な人材を輩出できた訳だ。だが学校に馴染めない人も其れ以外の数多ある稼ぎ方で容易に生きる事は出来る。自ら起業しても良い。小さな組織で挑戦しても良い。即ち学校で落ちこぼれても何も問題ない訳だ。
2022/06/04 狭い教室に押し込められ無理やり教えられた。興味のない事で褒められたり叱られたりした。些細な事に優劣を付けられ表彰されたりした。全ての事が私には苦痛で成らなかった。今でもそれが必要だったのか疑問に思っている。所で弟子は給食の時間だけ学校に通っていた強者だ。彼は感性が豊かで頭も良い。
2022/06/03 師匠にやって見せられた事はない。言って聞かされた事も無い。ましてや褒められた事も叱られた事も殆どない。出来た玄能を見てもらうだけなのだ。すると「どうすればもっと良くなると思う」と問われる。其れに答えれば「ではそうしてきなさい」と言われるだけ。そんな環境で感性が磨かれない訳がない。
2022/06/02 やって見せるだけで良い。言って聞かせる必要はない。ましてや褒めたり叱ったりしたら何も考えなくなる。誘導されることに依存してしまうからだ。そんな人達は自ら決断していると錯覚している。故に自由を与えられると戸惑ってしまうのだ。やりたい事が分からない人達は感性を鈍らされてしまったのだ。
2022/06/01 師匠は具体的な事は教えずに褒めも叱りもしなかった。故に師匠の考えを読み取る感性を求められた。その上で自ら決断して行動し責任も自ら取る必要に迫られた。多くの人は其の状況に耐えられないだろう。だが私にとっては其れこそが自由なのだ。教えて褒めて叱って育てる事は私の自由を奪うことになる。
2022/05/31 目前の事象に良し悪しはない。活かすか活かせないかの違いしかないのだ。事象を悲観する人は事象を活かせていないだけ。捉え方を変えれば活かし方も見えて来る。もしも見えないならば感性を磨くしかない。だが感性の鈍い人は鈍い故に磨き方が分からない。ならば感性の鋭い人と暫く過ごしてみれば良い。
2022/05/30 生来の性質に良し悪しはない。活かすか活かさないかの違いしかないのだ。貴方を否定する人は貴方を活かせていないだけ。貴方が否定する人は貴方が活かせていないだけ。ただ其れだけでしかない。もしも貴方が自らの性質を呪っているなら其れも同じ。貴方が貴方自身を活かせていないただ其れだけなのだ。
2022/05/29 やって見せても言って聞かせても伝わらない。未熟な人間は感性が未熟な故に未熟なのだ。ならば感性が活きた状態を見せる為に共に過ごせば良い。親方の感性を感じ取らせる事から始めれば良いのだ。現代人の多くが感性を疎かにし感覚を制御できなくなった。故に繊細さを活かせず不安に成ってしまうのだ。
2022/05/28 ウハウハしながら仕事をしている。アイデアが泉の様に湧き上がってくる。毎日脱皮を繰り返している気分になる。鍛冶仕事には探り処が途方もなく残されているからだ。この感触を多くの人に知ってもらいたい。だが同業者に伝える事もとても難しい。しかし弟子達には充分に伝わっているから安心している。
2022/05/27 神経質で短気だから親に疎まれた。彼らはその性質がどれだけ尊いものなのか分かっていないのだ。私は不快な状態が気に成り改善に取り掛からずにいられない。おまけに微調整を高速に繰り返すことが出来る。其れは他人の何倍も長生きしている事と同じだろう。短所と思われる性質でさえ活かせば宝に成る。
2022/05/26 繊細過ぎる故に他人に見えないモノが見えてしまう。他人が素通りする事に立ち止まってしまうのだ。これが実に有難い。繊細さを活かすだけで差別化できてしまうのだ。感じたままに表現すれば他人と違う結果が現れる。こんな得難い性質を活かさずして何になるのだ。繊細さを否定するのは余りに勿体ない。
2022/05/25

繊細すぎると批判されたが改善できなかった。そこで繊細さを活かそうと考えを改めたのだ。感性に身を委ねあらゆる事を極めようとした。所がそれでは身が持たない。故に極める事を限定し他には手を出さないと決めたのだ。すると繊細さは磨かれ技能に昇華してくれた。お陰で図太く振る舞える様に成った。

2022/05/24 成長し続ける人は作業の最中にも更に良いやり方を編み出してしまう。故に出来たモノに未練はなく意欲は次に向かい始める。未熟を自覚し満足する事はないのだ。翻って自慢する人は自らの行為に満足している。即ち能力を出し切ったと無意識に感じているのだ。自慢は自らの限界を公言している様なものだ。
2022/05/23 苦労話を自慢げに話す人は多い。だがそんな人に限って大した事はやっていない。故に実力は暴かれている。所で師匠が大変な苦労をしたことを私は知っている。だが師匠の口から苦労話など聞いた事がない。何時も朗らかで楽しそうに接してくれていた。そんな師匠と共に過ごせたなら勇気が出ない訳がない。
2022/05/22 感性の鈍い人と過ごせば感性は鈍る。鈍いものを見るだけで目は腐り感性は崩れてしまう。故に師匠は厳しく私を諭してくれた。「暫くは他人の話を聞くな。他人の作るものも見てはいけない。俺のだって見る必要はない。見るなら千代鶴是秀さんのだけにしろ。」と。感性を磨くには細心の注意が必要なのだ。
2022/05/21 感性を磨くと客観視できる様に成る。事象を要素分解し自在に組み直せる様に成る。失敗を未然に防ぎ最善を目指せる様に成る。更に微調整を繰り返せば感性は益々研ぎ澄まされていく。左様にかつてないモノを産み出せる人は皆感性が鋭いのだ。感性を理解する為にも感性の鋭い人と過ごす時間を増やしたい。
2022/05/20 見えなかったものが見え始めた瞬間を深く味わえ。出来なかった事が出来た時の感触を身体に刻み込むのだ。すると変化のきざしを感じ取る感性が磨かれる。きざしを活かして再現性を高めることが出来る様に成る。故にこれが出来たなら上達は加速するのだ。なんて話を毎日の様に弟子達に聞かせている訳だ。
2022/05/19 縞模様を入れる鍛冶屋とそうでない鍛冶屋がいる。おまんに紹介した客は縞模様を入れる鍛冶屋の商品を買わない。そう師匠に諭された。即ち誰に学び誰とやるかで商売のやり方は全く異なってくる。所で起業するに当たり何をやるかを真剣に考える人は多い。だが誰に学び誰とやるかの方が遥かに重要なのだ。
2022/05/18 何をやるか。如何にやるか。誰とやるか。何処でやるか。誰に教わるか。如何に教わるか。如何に上手く成るか。如何に編み出すのか。そんな事を毎日考えながら試行錯誤を続けている。そして弟子達は私の様子を全身で受け止めつつ作業を進めている。この環境に身を置いていたなら上手く成らない訳がない。
2022/05/17 未熟者の欲する知識など取るに足らない。其れが師匠の下を訪れて最初に学んだ事だ。そこで真に自分の欲する事を師匠との雑談の中に探し求めた。すると成りたい自分が明確に見え始めたのだ。当初は玄能鍛冶で生きるつもりは無かった。だが師匠と共に過ごすうちに玄能鍛冶の感性が目覚めてしまったのだ。
2022/05/16 具体的な教えを授かる事に執着してはいけない。師匠と同じ空間に佇む事を大切にしたい。そして全身で感じなくてはいけない。すると漸く自分に足りなかったものが見え始める。其れは教えられて気付いたのではない。眠っていた感性が目覚め始めた証なのだ。感性が目覚めれば全てが学びに通ずる様に成る。
2022/05/15 師匠の引退後に弟子入りした。故に師匠の作業を見た事がない。具体的な作り方も教わっていない。ものの見方や考え方そして心構えを学ばせてもらった。お陰で鍛冶屋で食える様に成ったと思う。所で後継者育成では技能の習得に重きが置かれる場合が多い。だが哲学や理念を学ばないと迷子になってしまう。
2022/05/14 師匠は縁もゆかりもない私の面倒を見てくれた。問屋は長い目で支えてくれた。使用者も多少の不備に目をつむってくれた。家族も半ば呆れつつも我慢してくれた。左様に多くの人の恩を受けて今の私が有る。故にその恩を次世代に送りたいと思う。伝統は其の様にして受け継がれ積み重ねられてきた筈だから。
2022/05/13 鍛冶業界は後継者不足に悩まされている。鍛冶屋も業界関係者も口を開けば後継者の不在を嘆く。所が後継者の育成を始める人は少ない。私の弟子は其れを不思議に思い理由を尋ねてきた。だが私にも分からない。何故なら私ならば必要と思えば黙って始める。必要なければ何もしないで黙っているだけだから。
2022/05/12 どんな状況に置かれてもやる人はやる。彼らは黙ってやるから目立たない。しかし社会に弛みなく貢献している。一方でやれない理由を述べ立てる人も居る。彼らは社会が悪いと騒ぎ立てて目立とうとする。そして目立つ彼らが英雄視される時代もあった。だが彼らは駄々をこねる幼稚な子供と何ら変わらない。
2022/05/11 大人は教える事で考えなくさせる。褒める事で正誤を刷り込み叱る事で恐怖を植え付ける。挙句に競争させる事で視野を狭めようとする。子供にとっては甚だ迷惑な話なのだ。だが大人に悪気はないので許してやろう。その上で言う事を鵜呑みにせずに深く考えよう。すると周りを気にせず生きられる様に成る。
2022/05/10 私は誰とも競争しない。自分に負けない様にしているだけ。所で世の中を弱肉強食の競争社会と信じる人が居る。一方で分かち合いの共生社会と信じる人も居る。だが別々の社会が存在する訳ではない。両者共に自ら創り上げる世界観に過ぎないのだ。左様に世界は自ら創り上げている。故に世界は変えられる。
2022/05/09 多くの子供が教科書に書かれた事を覚えるだけ。疑う事も検証する事も無い。その習慣が無気力で従順な人間を創り上げる。故に社会に出ても疑う事を知らない。自ら検証する事も創り出す事もしない。日本はそんな扱い易い人間で溢れ返った。だが其れは社会の責任とは言えない。本人に自覚が足りないのだ。
2022/05/08 赤ちゃんは何をやっても喜ばれる。だが次第に喜ばれることは少なくなる。すると子供は周りの顔色をうかがい始める。その時に自分らしさは失われ始める。其れは社会性を獲得する為に仕方の無い事。それでも自分らしく生きる事は出来ると思っている。人生とは自分にとっての丁度良い塩梅を探す旅なのだ。
2022/05/07 熱狂は直ぐに冷める。持続させるには多大な労力を必要とする。淡泊な好意でも冷める事は有る。だが好きでいてもらうのに大切なのは労力ではなく塩梅なのだ。故に商品も私自信も露出を控えて謎めかしてある。永くぼんやりと好きでいてもらいたいからだ。無いと少し寂しくなる程度が丁度良い塩梅だろう。
2022/05/06 宿題をしてこない生徒を叱り続けて授業を潰す教師がいた。生徒の時間を宿題で奪った上に授業まで潰すのだから堪らない。災いの種を自ら蒔いておきながら結果に腹を立てている訳だ。反面教師にも程が有るだろう。左様に自らの無能を省みず他人を責める人は多い。まるで天に向かって唾を吐いている様だ。
2022/05/05 「何度注意すれば分かるのだ」と先生は言った。「何度同じ事を注意すれば気が済むのだ」と私は思っていた。同じ事を繰り返して違う結果を求めるほど愚かな事は無い。先生は其れに気付いていなかった。そもそも注意とは自ら解決できない事を相手に要望する事だろう。ならば謙虚でなくてはいけないのだ。
2022/05/04 失敗が許される環境ならば思い切り挑戦できる。納得するまで出来るから良否判定の基準は高まる。やり方を編み出せる様に成り失敗しなくなる。一方で失敗が許されないならば挑戦しなくなる。失敗を隠して取り繕う様に成り良否判定の基準は下がる。誤魔化す技能だけが向上し失敗を失敗と見なさなくなる。
2022/05/03 私は何かが切れている。他人が躊躇する事を事も無げに始めてしまう。一方で他人に普通に出来てしまう事が出来なかったりする。感情面も同様だ。他人が腹を立てる様な事でも全く意に返さなかったりするのだ。例えば弟子達は毎日失敗し続けるが私は全く叱らない。お陰で彼等は毎日豪快に捨て続けている。
2022/05/02 良いお客と巡り合い知る人ぞ知る存在に成りたい。すると腕を磨く為の良い仕事に巡り合えるだろう。その上で途切れない程度に仕事を淡々と続けたい。左様に私の夢は小さいのだ。だがこの塩梅を見極めるのは至難の技。だから微調整を続けている。来る日も来る日も少しずつ変えながら塩梅を見続けている。
2022/05/01 鍛冶屋と鍛冶職人の違いが分からないと継続も後進の育成も難しくなる。鍛冶屋には全体最適が求められ鍛冶職人には部分最適が求められるのだ。即ち鍛冶屋は事業全体を俯瞰した上で細部を検討する必要がある。鍛冶職人は技能を磨き優れたモノを創ればいい。左様に役割が全く違うから学ぶべき事も異なる。
2022/04/30 技能を身に付けても継続できるとは限らない。良いモノが出来ても独立出来るとは限らない。必要とされなければ続ける意味がないのだ。何であれば売れるのか?何処で誰にどの様にして売れば良いのか?即ち継続や独立には経営センスが求められる訳だ。後継者を育てる指導者は其れを心得ておく必要がある。
2022/04/29 弟子が一通りの仕事を覚えるには最低でも5年は掛かる。其れ迄は親方の稼ぎで食わせるしかない。故に先ずは親方が稼げる体質を身に付けなくてはいけない。その上で手間を掛けずに育てられる環境を整える必要があるのだ。所で伝統の途絶を憂うる人は多い。だが自分事として捉える人は極めて稀なようだ。
2022/04/28 価格を高く設定して其れで売れるように腕を磨く。開発に時間を割き納期は其れを見越して設定する。目利きに認められて口コミと紹介のみで販売する。給料と休日を少なく求人して本気な漢だけを採用する。教えず褒めず叱らずに育て自立を促す。2手先3手先を考えれば世間の常識などに構っていられない。
2022/04/27 私の創る玄能の価格は相場よりも遥かに高い。納期も未定で数年かかる。営業も宣伝もしていない。だが普通に売れている。求人票には給料も休日も少なく書いた。教えない、褒めない、叱らないとも公言していた。だが採用できている。非常識と叱られるが2手先3手先を考えるとこうやらざるを得ないのだ。
2022/04/26 喫緊の課題は直ぐに解決したくなる。だがちょっと待て。2手先3手先を考えれば対応は変わって来る筈なのだ。例えば顧客の減少を防ぐ為に営業を強化する。売り易くする為に価格を据え置く。求人の際に高給や休日数の多さを訴える。教える、褒める、叱る。これらが2手先3手先を苦しくしてしまうのだ。
2022/04/25 注意されたら聞くふりはするが従う事は稀だ。こちらの事をよく分かった上での忠告なら素直に従う。だが無暗矢鱈に注意する人の我儘な要望には聞く耳を持たない。自ら変わる事なく相手を変えられると思っている彼らは間抜けすぎるのだ。新聞に投書する様な人達に多いが単に我儘で不寛容なだけに見える。
2022/04/24 正しい事は人それぞれに違う。正しいやり方も人の数だけ幾通りもある。其れなのに固定された正解が有るが如く教えようとする。また、最初から上手く出来ることは少ない。出来る迄の速さも人それぞれに全く違う。其れなのに褒めたり叱ったりして急かすのだ。不寛容な社会はこの様にして出来上がるのだ。
2022/04/23 教えれば考えなくなる。其れ以外のやり方を編み出そうとしなくなるのだ。褒めれば視野は狭くなる。其れだけを正しいと信じ他を認めなくなるのだ。叱れば挑戦しなくなる。委縮し無難な選択をする様になるのだ。だがとても大きなメリットもある。従順で失敗の少ない他人に厳しい優等生を大量生産できる。
2022/04/22 自ら決めて行動する為に教える人褒める人叱る人には近付かない。お陰で多種多様な失敗を経験できる。故に教えられ褒められ叱られ育った人が得られない稀有な失敗の蓄積がある。だから多少の事では怯まない。何とかなると分かっているからだ。おまけに失敗が苦にならないから何時でも穏やかで居られる。
2022/04/21 多くの人は確認してなぞるだけ。分析しようとはしない。その必要性にすら気付いていない。故に進歩がなくつまらないのだ。分析してより良いモノを編み出す楽しさに気付いたならば世界は違って見えて来る。だが学校では分析も編み出す事も許されない。故に多くの人は編み出す楽しさを忘れてしまうのだ。
2022/04/20 中学生に成ると勉強が好きに成った。だが定期テストにペースを崩された。受験に於いては更にペースを大きく崩された。あんなものが無ければ溌溂と勉強できた筈なのに。高校では考えさせずに覚えさせるだけの勉強に辟易とした。だが社会に出たら自由に溌溂と勉強が出来とても充実している。学校って何?
2022/04/19 次々と難しい仕事の依頼がくる。一生を捧げても絶対に終えられないだろう。そもそも技能が追い付かない。訓練を重ねなくてはできない仕事なのだ。おまけに体力も落ちてきた。故に身体の使い方にも工夫が必要になる。だがなんて幸せな事だろう。出来ない事が出来る様に成る喜びを生涯得られるのだから。
2022/04/18 分かったと思った瞬間に好奇心は冷めてしまう。分からないと思い続けられる力が好奇心なのだ。指導者に「分かった?」と聞かれ「分かった」と答える様では全く足りない。「本当には分からない」や「もっと深く知りたい」と答える様でないといけないのだ。自らの好奇心は自らの心掛けで育てたいものだ。
2022/04/17 分からない事は恥ずかしくない。分からないと思える事は尊いのだ。人はニュースで分かったつもりになる。或いは検索で分かったつもりになってしまう。だが何か足りない気がしてならない。分かった刹那に更に分からないと分かるのが正常だと思うからだ。分からないが足りていない人が多すぎる気がする。
2022/04/16 未だ上達できている実感が有る。其れこそが未到達な証拠だろう。どれだけやれば辿り着けるのか?一体どこに辿り着けばいいのか?始めた頃に立てた目標はとうに達成している。だが其の目標が稚拙極まりないと分かったに過ぎない。左様に分かると分からないは表裏一体。「分かったつもり」は有り得ない。
2022/04/15 分かったつもりに成っていないか?ペテン師は複雑な事を単純に仕立て矢継ぎ早に見せてくる。慌て者は其れが全てと信じ分かったつもりに成ってしまう。だが少し離れて俯瞰してみれば良い。其の周りは相反する可能性と未知に溢れている事に気付く筈だ。分かったつもりに成るのは何も分かっていない証拠。
2022/04/14 見て学ぶ時に見てはいけない。見ようとすれば凝視してしまう。無意識に情報を取捨選択してしまうのだ。故に全体を俯瞰しなくてはいけない。目だけに頼らず全身で受け止めるつもりで臨みたい。すると要点が浮かび上がってみえて来る。そこで初めて凝視すればいいのだ。勘の鈍い人はこれが出来ていない。
2022/04/13 話を聞く時にメモを取るなと師匠に叱られた。所でメモは話の要点を取捨選択する行為だろう。だが未熟な頭で其れができる訳がない。また互いの集中力を中断する事に成り相手に対して失礼にあたる。故に聞く事に集中しなくてはいけないのだ。全身全霊をもって細部に至るまで受け止める覚悟が必要なのだ。
2022/04/12 高機能なモノは格好いい。目利きなら直ぐに其れと分かる。だが不細工なモノも巷に溢れている。目が利かない人が多い証拠だ。所で貴方は自らの直感を大切に生きてきただろうか?他人に判断を委ねて其れを鵜呑みにして生きてきただろうか?その違いが万事に於いて目利きかどうかを分けている様に思える。
2022/04/11 教える事も褒める事も叱る事も相手の勘を鈍らせる。自ら見極める機会を放棄させる行為に違いない。「ここテストに出ます」などと教える先生に至っては最悪だ。人気取りのつもりだろうが勘を養う機会を奪っているに過ぎない。左様に世の中は勘を鈍らせる誘惑に満ちている。自らの勘は自ら守るしかない。
2022/04/10 学ぶとは覚える事ではなく身体を通す事だと思う。覚える事は何かを排除する行為に思えてならない。本当に大切な事を見逃しているような気がするのだ。例えば身体を通すだけなら感触の全てが身体の隅々に行き渡る。滞る事なく細胞が整っていく感覚を覚えられるだろう。学ぶとは勘を鍛える事に似ている。
2022/04/09 勘が鈍いから苦手を苦手なまま克服しようとする。勘が鋭ければ他の方法を探る事が出来る筈なのだ。例えば他人にお願いして自らはやらずに済ませるとか。どうせやるなら楽しく出来るやり方でやる事も出来る。されば最早苦手とは言えなくなるだろう。勘を鍛えれば視野は広がり選択肢は増え自由度が増す。
2022/04/08 勘は鍛える程に冴えてくる。すると世の中の見え方や価値観が大きく変わる時が来るのだ。其れが何度でも訪れるから堪らない。どんな変化が訪れるのか想像できないところが面白いのだ。そんな気持ちで日々の仕事が出来たなら楽しくない訳がない。勘を鍛えると人生を豊かにする秘訣が見えて来る気がする。
2022/04/07 素人の勘ほど頼りにならないものはない。だからこそ勘は鍛える必要があるのだ。他の技能と同様に鍛え上げれば勘は冴え渡る。されば便利な機械や器具に頼るより遥かに速く正確に作業が出来る様に成る。故に勘が頼りにならないと言う人は其の領域に未だ至っていない。逆上がりの出来ない人と変わらない。
2022/04/06 勘に頼ればブレが生じる。だが其処が良いのだ。便利な機械や器具に頼れば失敗は少ない。だからこそ同じ事を繰り返すだけになり進歩は遠のいていく。翻って勘によるブレは多くの発見と学びを与えてくれる。故に素人の勘ほど頼りにならないものは無いが、達人の勘ほど正鵠を射るものはないと言えるのだ。
2022/04/05 直ぐに褒められる事に大した価値は無い。価値の無い事を褒める人には企みが有るのだ。分かっていれば褒められなくても淡々と自分らしく生きていける。分からなければ誰かの思う壺。自分の人生ではない誰かの為の人生を送る事に成る。直ぐに褒められたいという迂闊な欲求が人生を台無しにしているのだ。
2022/04/04 世の中は直ぐに褒められたい人で溢れてしまった。やりたい事ではなく褒められる事を始めてしまうのだ。だから褒められても満たされない。やりたかった事を忘れ自らを見失ってしまうのだ。だが私は欲張りだ。だからやりたい事をやって褒められたい。直ぐに褒められなくても最後に一杯褒めてもらいたい。
2022/04/03 やりたい時に直ぐに出来る事をやる様にしている。上達が早いからだ。故に歩いて行ける近所の川で釣りをする。市街地を流れる故に景色は悪いが隙間時間に行けるのは代えがたい。そこで早速ふらりと出かけてきた。2時間ほどで35cmのニジマスと39cmのイワナが釣れた。左様に直ぐやると良い事が有る。
2022/04/02 簡単に出来てしまえば褒められない。難しい事に挑戦すれば褒められたりする。そうやって子供達は洗脳されていくのだ。そして得意な事を止め苦手な事を始める様に成る。だから自信を持てず人生に喜びを見出せないのだ。何故か他人よりも簡単に出来てしまう事を掘り下げるだけで人生は豊かに出来るのに。
2022/04/01 何故か出来てしまう事に喜びを感じられる人は幸いだ。苦も無く其れを続ける事が出来るからだ。所で世の中には続けられない人が多過ぎる。出来ない事を出来る様にする事に喜びを求めているからだ。即ち苦手の克服こそ幸せに繋がると勘違いしているのだ。得意を続ける事で容易に優位に立てるというのに。
2022/03/31 頭が良くて手先の器用な人は幾らでも居る。だが淡々と続けられる人は少ない。多くの人がやる気に頼っているからだ。やる気とはある種の興奮状態だ。興奮しないと出来ない事を続けられる訳がないのだ。そもそもやる気とは自分に嘘をつく行為に違いない。本当にやりたいならばやる気は要らない筈だから。
2022/03/30 足りない頭なら知恵を盗みゃいいなんて歌詞が有った。だが盗めるような知恵に価値はない。盗めない知恵にこそ価値が有るのだ。そして盗めない知恵は誰にでも創れる。時間を掛けて掘り下げる事で盗み難く出来るのだ。例えば玄能は誰にでも作れる。だが訓練を重ねれば誰も真似できない玄能が出来上がる。
2022/03/29 求人する際にも目立たない様にしていた。苦労してでも見つけてもらいたかったからだ。見つけさえすれば参考に成る大量の情報を準備していた。其れを見た上で来る人なら優秀に違いないと思っていた。云わば意図的にハードルを上げていた訳だ。お陰で優秀な人を採用できた。左様に私は頭がおかしいのだ。
2022/03/28 売り上げの半分を占めていた仕事を止めた。その分野がブームに成り忙しすぎたからだ。止めると決めて1年かけて新体制を整えた。お陰で弟子達は鍛冶仕事に集中でき順調に育っている。私は更に難しい仕事に挑戦できそうだ。左様に何時も私は唐突に準備を始める。故に周りの人は私の頭がおかしいと思う。
2022/03/27 師匠は玄能鍛冶で成功できる可能性の低さを諭してくれた。時代遅れの職業である事も充分に教えてくれた。だが玄能鍛冶を目指す私を止めなかった。そして面倒を見ると言ってくれた。師匠は一文の得にもならない事を引き受けてくれたのだ。所で私は頭がおかしいと言われる。だが其れを幸いと思っている。
2022/03/26 師匠はただ寄り添ってくれた。決めるのは私自身だった。リーダーシップとは相手が自然に動き出す仕組み創りだと思う。ならば師匠は優秀なリーダーだった訳だ。そして私も自らに対しリーダーシップをとった。自ら自然に動き出してしまう仕組み創りをした。如何にして頑張らずに出来るか考え続けていた。
2022/03/25 指示しないと部下が動いてくれないと不平を言う上司がいた。上司が指示を出さないから動けないと不満を言う部下がいた。だが指示しなくても部下が動き始める仕組みを上司は作れば良い。指示がなくても動けるだけのスキルを部下は磨けば良い。先ずは相手に依存している事を自らが認めなくてはいけない。
2022/03/24 上質なお客に巡り合えない限り上質な仕事をする機会は訪れない。また普通の仕事を続ける限り上質なお客に巡り合う事はない。故に最善を尽くし普通を超えないといけないのだ。すると上質なお客の目に留まり上質な仕事をする機会に恵まれる。されば其れまでの自分が如何に稚拙だったのか思い知らされる。
2022/03/23 かつては教えて褒めて叱って洗脳する事が教育だと思われていた。だが既に行き詰っている。管理しないと動けない人間を大量生産したに過ぎなかったからだ。人間を自立させるには教えず褒めず叱らず放って置けばいい。すると自ら始めない限りは何も変わらないと気付く筈だ。時間は掛かるが其れしかない。
2022/03/22 他人を導こうとする人は多い。だが自らを導く事の方が遥かに難しく大切なのだ。動機を明確にして目的に向け自らを正確に導いてみれば分かる。他人を変えずとも自ら解決できる事が無数に有る事に気付く筈なのだ。即ちリーダーシップとは他人に発揮するものではない。自らに発揮してこそ価値が有るのだ。
2022/03/21 教えず褒めず叱らない方針で弟子達を育成している。すると教育関係者からクレームを付けられる。教えて褒めて叱って良い方向に導く事が大切と言うのだ。だが進むべき方向は弟子達に自ら決めてほしい。自ら決めて行動し其の責任を自ら取れる力が自由をもたらすからだ。されば師弟共に自由に成れる筈だ。
2022/03/20 分かり易い話を聞いて分かった気に成るのも心地よい。だが難解な話を聞いて自らの無知を知る事も充分に心地よい。また出来なかった事が出来る様に成るのも嬉しいだろう。だがもっと出来る事が有ると気付いた時には更に高揚する。左様に見えなかった事が見える様に成るのは生まれ変わるくらいに楽しい。
2022/03/19 悪い事をする人を見たら注意する様にと学校の先生は指導した。だがその考えは多くの場合に間違えている。注意されて改善する人は稀なのだ。相手には相手なりの持論が有る。先ずは其れを聞いてやる事が大切なのだ。相手を知れば自分の非に気付き改善する事も出来る。多くの場合は其れで解決してしまう。
2022/03/18 師匠は私の好きにさせてくれた。故に責任は自ら取らなくてはいけなかった。だがこれが自由で心地いいのだ。自ら決めて実行し自ら責任を取る。この当たり前な事を実行できる機会は少ないからだ。所で人を管理する事を当然と思っている人は多い。管理するから永遠に管理し続けなくてはいけなくなるのに。
2022/03/17 自分のやりたい事と相手の求める事の擦り合わせが大切なのだ。だから自分を押し付けてはいけない。相手にへつらってもいけない。言わば互いの我儘を活かし合う事で化学反応を起こすのだ。これは妥協とはまるで違う未知の解決策に成るだろう。何よりも誰も殺さず互いに有りの侭で居られるのが素晴しい。
2022/03/16 授業時間は気ままに過ごしていた。授業の進み具合を無視して自由に勉強を進めていた。だが体育の授業はそうはいかなかった。号令に従い行動する事が吐く程に嫌だった。他の生徒の従順な振舞いは異様に見えた。其れは今も変わらない。間違いなく私は異常なのだ。お陰でとても自由に生きることが出来る。
2022/03/15 鉄を加熱すると赤みを帯びてくる。更なる加熱で明るさを増していく。だがある温度を境に明るくなる速度は鈍る。暫く待てば再び速度を増し始める。動機が明確ならば其の現象に仮説を立てられる筈だ。動機が無ければ変化に気付きもしないだろう。動機が明確でないのは目をつむって生きている様なものだ。
2022/03/14 目的をもって始めれば多くのモノが見えて来る。目的もなく始めれば見えるモノも見えてこない。そもそも飽きるのは目的がなく将来像が描けないから。目的が明確なら一心に続けられる筈なのだ。そして続ける事で目的はより明確かつ具体的に成る。故に目的をもって始めるか否かで到達点は自ずから決まる。
2022/03/13 失敗したら直せばいいと考える人は過去に捕らわれる。失敗は改めればいいと考える人は未来を見据えている。前者はその場凌ぎで問題を先送りしている。後者は問題を未然に防ぎ進化し続けている。両者の到達点の違いは明らかだろう。故に暴力は暴力で解決できない。暴力以外の解決策を編み出すしかない。
2022/03/12 世界情勢に対するマスコミや世間の反応に動揺している。私の感性と大きくずれているからだ。この疎外感は子供の頃から再々抱いてきた。だが其の繊細さを私は嫌いではない。他人と違う感性で生きることが出来るからだ。即ち他人に見えないモノが私に見える。生き辛さの理由が分かれば活かせる様に成る。
2022/03/11 鍛冶屋に成る覚悟を決める迄にとても多くの実験を試みた。仮説を立て検証する事を繰り返したのだ。その上で鍛冶屋ならば生きていけると結論付けた。故に他人に否定されても動揺しなかった訳だ。世の中には動機不明なままに流されて生きる人も居る。そんな人ほど軽率に他人を信用したり否定したりする。
2022/03/10 鍛冶屋に成れば家族を不幸にすると先輩に怒られた。名工を目指す事に意味はないと新聞記者に笑われた。人を雇う事は絶対に無理と他の鍛冶屋に罵倒された。左様に否定ばかりされてきたが反論しなかった。私の見ている世界は彼等に見えないからだ。同じ世界に生まれながらも各々が違う世界を生きている。
2022/03/09 間違いを指摘しても聞く耳を持つ人は少ない。だから放って置けばいい。その上で自らの信じる道を淡々と進むのだ。結果を出せば少しは認めてもらえるだろう。だが更に淡々と進み続けるのだ。すると他人の間違いなど取るに足らないと分かる時が来る。即ち問題が他人ではなく自分に有ると分かる様に成る。
2022/03/08 鍛冶に纏わる間違えた情報が溢れていた。マスコミは検証する事なく其れを垂れ流し続けた。師匠からは放って置けと諭されていた。情報の受け取り手が賢く成れば良いだけだ。だが其れは鍛冶に限った話ではない。多くの人が検証する事なく善意で間違いを垂れ流す。ならば賢くなる好機が来たと思えば良い。
2022/03/07 子供の頃から多数決を棄権する事が多い。双方の意見に賛成できない事が多いのだ。そもそも世間の対立軸が私の感性と合わない。世間が提示する選択肢に私の選びたいものが無いのだ。例えば争いに成ればどちらかの味方に付く事を迫られる。だが古来より我が国には喧嘩両成敗という良い思想があった筈だ。
2022/03/06 自らの動機を説明出来るだろうか?出来ないならば惰性でやっているのだ。正しいとか必要という事は理由に成らない。何故正しいと思うのか?何故必要と思うのか?其れが大切なのだ。とかく世間は両極端で喧しい。だが各人の動機が明確なら両極端は有り得ない。両極端に成るのは思索を放棄している証だ。
2022/03/05 玄能創りが上達を実感させる。出来たモノが如実に成果を表すからだ。また身体感覚を伴い自在性の獲得も明瞭に感じられる。左様に玄能創りは成果を実感させ且つ多種多様な感覚を覚醒させるのだ。其れは観念と実践の相互作用が生み出している。即ち具体と抽象の往復が感性を磨き思考の枠を広げてくれる。
2022/03/04 若干の狂いは仕方がないと諦めていた工程が有る。現状でも許容範囲内に精度は出せていたからだ。だが解決策を編み出すことが出来た。少しの労力で大幅に精度を上げることが出来るのだ。やる度に少しずつ変化させながら作業するから発見できる。偶然を意図的に創り出すことで進化を加速させられるのだ。
2022/03/03 玄能鍛冶を始めると言ったら笑われた。当時は打ち刃物ブームが到来していたからだ。だが多くの鍛冶屋が刃物を造るからこそ私は刃物を造らない。他人のやらない所に自由が有る事を知っているからだ。お陰で充分に時間を掛けて準備を整えることが出来た。大して儲からないが自由に出来る事はこの上ない。
2022/03/02

自由で羨ましいと言われる。恐らく嫌味だろう。だが自らも自由だと思っている。何故なら群れる必要が無く囚われる事も少ない。丁度良い距離感と塩梅を何時でも保つ事ができる。だから何時でも止められるし何時でも始められる。この軽やかさは何ものにも代え難い。なのに元手が全く掛からないから良い。

2022/03/01 「させられている」も「してやっている」も不自由な人の言う言葉。動機を他人任せにしているからだ。翻って同じ事でも自主的にやる人は自由に成れる。と言うより既に自由なのだ。自らの動機で人生の舵取りが既に出来ているからだ。本当の自由はお金や名誉からではなく心掛けと納得感から得られるのだ。
2022/02/28 前職では頼まれもしない仕事まで引き受け忙しくしていた。主体的に動く事で仕事の選り好みも出来た。仕事の報酬は仕事と考えていたから其れが出来た。計らずも独立した時には多様な技能が身に付いていた。今では其れも活かして頼まれもしないが品質を改善し続けている。だから楽しい仕事が巡ってくる。
2022/02/27 鋼は融通が利かない。少しの勘の狂いが大きな失敗に繋がってしまう。私のお客も融通が利かない。品質の優劣だけで判断し下手な小細工は通用しないのだ。だが其の単純さが心地いい。纏わりつく嘘やごまかしを剥ぎ取ってくれるからだ。制約の中にこそ自由は有った。自由を掘り下げたら単純さに向かった。
2022/02/26 玄能の焼き入れでは大きさや形状により加熱速度や冷やし方を微調整する。些細な違いに絶妙に対処しない限りまともな玄能は出来ないのだ。其れは子供達も同じだろう。多様な子供達に一律の教育でまともに育つ訳がない。褒めて叱って支配するから子供達は自発性を失くして人生の迷子に成ってしまうのだ。
2022/02/25 玄能の焼き入れは難しい。精度高く完璧にこなすのは人類未踏の領域と言っていい。毎日試行錯誤の連続だが其処から多くを学ぶことが出来る。例えば人は見ていないという事。視覚だけでは盲目と変わらないのだ。例えば失敗を反省してはいけないという事。水に流して先に進まないと心を病んでしまうのだ。
2022/02/24 師匠の指示した生産数の半分も出来なかった。故に売り上げは半分にも至らず生活は苦しかった。だが生産数は増やさずに品質を上げ続けた。あれから今年で20年。少しずつ値上げしながら価格を2倍にすることが出来た。漸く師匠の指示した販売額に到達できた訳だ。損を覚悟でやり続けた故に後悔はない。
2022/02/23 良い機会が訪れたなら損を覚悟で期待を上回る働きをすればいい。されば信用されて良い仕事に巡り合える筈だ。其の後も更に期待を上回る働きをし続ければいい。さすれば最早誰も追いかけて来なくなるだろう。何故なら多くの人は損を覚悟で働けないからだ。ブルーオーシャンは自ら創り出すことが出来る。
2022/02/22 上手い人でも今後の上達が見込めなければ人は離れていく。未熟でも今後の上達が期待出来れば人は集まりだす。其処が肝心なのだ。期待されれば良い仕事に巡り合える。良い仕事は自らを鍛え上げてくれるのだ。左様に期待されれば良い循環が出来上がる。後は自分の未来に期待しつつ淡々と励むだけで良い。
2022/02/21 初めて売り始める時の品質は其れほど高くない。だからこそ目利きの期待感を高められる品質に成るまで販売してはいけないのだ。所で2番弟子が来月で丸3年と成る。彼は今迄に創った玄能を自らの判断で全て棄ててきた。そろそろ期待してもらえる品質に成ってきたと思う。先ずは舟手から販売を始めたい。
2022/02/20 やって見せ、言って聞かせずさせてみて、褒めも叱りもせずに弟子を育てている。失敗しても此方から声を掛ける事は少ない。弟子達も私に聞こうとしない。互いに無言で毎日仕事を続けているのだ。そして弟子達は充分に上達している。山本五十六氏のやり方では人が権威主義に陥り自ら考え様としなくなる。
2022/02/19 我流は良くないと教えられた。皆が我流で始めると統率が取れなくなるからだ。工業社会に於いては従順で平均的な労働力が求められた。故に教育による洗脳が進んだのだ。現代は未来を切り開く突破力のある人材が求められる。我流で編み出す力が求められているのだ。そして我流は我流で編み出すしかない。
2022/02/18 私の玄能創りは我流だ。師匠からは具体的な創り方を教わっていない。趣味でやっていたスキーも我流だった。だがスクールに通わずとも1級を持っている。左様に答えを教わる事が嫌いな私は殆どが我流なのだ。我流でやり方を編み出す事はパズルを解く様でとても面白い。我流は編み出す力を鍛えてくれる。
2022/02/17 動作を要素分解し各要素の意味を問い直す。動機を検討し直し段取りの再構築を図る。言葉にすれば難解だが子供でも出来てしまう。そもそも私は子供の頃の遊びで自然に身に付けたのだ。竹馬、縄跳び、魚釣りなど上達を目指せば勝手に身に付いてしまう。秘訣は答えを聞かずに一人で黙々と失敗し続ける事。
2022/02/16 鍛冶仕事を要素分解し各要素の意味を問い直す。動機を検討し直し段取りの再構築を図る。其れだけで格段に良いモノが出来上がる。其れが分かる人は普通に出来る。分からずじまいの人も居る。其の違いは自主性を重んじられて育てられたのか、褒められ叱られ教えられ誘導されて育てられたかの違いだろう。
2022/02/15 何故すぐに始めないのか?何故無用な事を続けるのか?何故他人の顔色ばかり見るのか?私は空気を読まずに始めてしまう。そして嫌な事はやらないと決めている。だから嫌われてしまう。自分だけが特別だと思うなと忠告されることが有る。人は皆が特別であり貴方も特別な筈なのだと答えるようにしている。
2022/02/14 話し合いでは空気を読み合い何も変えられない。多数決では何も考えていない多数の意見が通ってしまう。ならば一人で始めればいい。自ら編み出し実行すれば自分だけの土俵が出来る。競争もなく誰にも邪魔されずに自由に出来る筈なのだ。上手く行き始めれば周りに人は集まりだす。皆で始める必要はない。
2022/02/13 替えの利かない上手い鍛冶屋が廃業し続けている。高齢化と後継者の不在が理由だという。手抜きの出来ない人ほど儲からないとも言われている。私も良いモノを創ると儲からないと忠告されてきた。後継者は絶対に育たないとも忠告された。ならば私が良いモノを創りつつ後継者を育てる実験をしてみようか。
2022/02/12 地元では伝統工芸に科学を取り入れ品質を改善してきた。お陰で均質で安価な商品を大量生産出来る様に成った。鍛冶屋も合理化を進め工場へと様変わりした。だが掛け替えのない職人技は失われ続けた。故に科学が鍛冶を滅ぼすと師匠は言った。便利なモノで底上げは出来る。依存すれば天井は下がり続ける。
2022/02/11 初めて師匠に玄能を見てもらった時には褒められた。素人にしては上手く出来ていたから褒めてくれたのだ。しかし師匠の下に通い始めてからは褒められていない。玄人としては褒めるに値しないからだ。左様に師匠は褒める際にも明確な基準を持っていた。誰彼構わず褒める人を見ると無責任に感じてしまう。
2022/02/10 私に見栄えがするならマスコミに露出し宣伝するだろう。頭が良ければ巧みな話術で売ることが出来るだろう。だが幸いにも見栄えのしない頭の悪い私に其の選択肢は無い。創る製品の品質を上げる事で認めてもらうしかないのだ。だが其の選択は慧眼だったと思う。品質が良いだけで充分に売れてしまうのだ。
2022/02/09 以前にも採用を試みた事が有る。だが優秀な人は応募してこなかった。そもそも魅力が無いから当たり前だ。先ずはお金が無いから給料を多く出せない。休日も増やせない。そこで自らが魅力的に成ろうと腹を括った訳だ。職人の一番の魅力は良い仕事をする事だろう。だから鍛冶場に引き籠り腕を磨き続けた。
2022/02/08 目的をもって始めるから達成できる。例えばこのコラムは弟子を募る目的で書き始めた。動機が明確だから書くべきことは分かっていた。反応が見えるから軌道修正も容易にできた。お陰で二人採用できた。そして今では私を深く知ってもらう為に書いている。惰性で繰り返しても何かが達成されることはない。
2022/02/07 関わる事の全てについて即答しろと師匠は言った。その為には知識を深めるだけでは全く足りない。自らの動機を明確にする必要があるのだ。何気なくする事でも深い意味が必ず有る。其れを探る事で自らの性向は明らかに成る。すると動機を明確に意識して行動できる様に成る。世間に流される事が無くなる。
2022/02/06 自転車は漕ぎ出しに力はいるが動きだせば楽に成る。鍛冶仕事も最初は上手く出来ずに辛酸をなめる。だが出来始めれば徐々に楽しめる様に成っていく。所がスポーツ選手は上手く成るほど辛酸をなめる様に成る。そして早々に引退する人が目に付く。ビジネスモデルが自然の摂理に反しているのではないのか。
2022/02/05 マスコミに露出を増やして宣伝し少し手を抜き沢山作って流通の中抜きをする。すると売り上げは何倍にもなる。だが品質は劣化し支援者は離れていく。支援者は私の上達を前提に応援してくれるからだ。弟子達の育成も支援者の力添え無しには成し得ない。上達し続ける限り支援は続き仕事を循環させられる。
2022/02/04 基本的な玄能を創り浩樹と銘を打ち問屋に卸している。これは贅肉の無い状態と言える。だが鍛冶屋を始めた頃は流行りの販売方法を学び試していた。しかし必要なくなり全て捨ててしまった訳だ。所で人が成長するには筋肉を付ける必要がある。だが筋肉だと思って付けるモノの殆どは単なる贅肉に過ぎない。
2022/02/03 鍛冶仕事で身に付いた筋肉は細部に至るまで役割を担っている。緻密に連携しつつ思い通りに活躍してくれるのだ。私生活に於いても柔軟に働いてくれる。私の筋肉は私の人生と共に創り上げられてきた訳だ。これが過不足のない理想的な状態だろう。日常の中で創り上げられる肉体は無理がなく格好いいのだ。
2022/02/02 私は独特な体形をしている。まさしくこれが鍛冶屋の体形なのだ。よく言えばマッチョ。体毛が濃すぎるお陰でネアンデルタール人の様にも見える。だが実際は見た目ほどに力は出ない。しかし調和がとれて柔軟で粘り強く繊細に動くことが出来る。左様に必然的に付いた筋肉は少し変だが理に適っているのだ。
2022/02/01 もの創りは出来上りが目に見えるから上達を自覚し易い。更には身体感覚を通して思考と肉体の一体感を味わえる。即ち自らの変化と進化を明瞭に自覚できる。筋トレも似た動機からブームに成ったのだろう。だが筋肉は加齢と共に確実に人を裏切り始める。しかしもの創りで得られる勘は簡単には裏切らない。
2022/01/31 子供の頃からモノ創りをしている時が一番の幸せだった。モノ創りで周りに喜んでもらえたなら至福に違いない。そう考えてモノ創りの道を選んだ。お陰で今も子供の頃と同じ様に幸せを感じることが出来る。単純だから単純に生きられるのだ。わらしべ長者の様に生きたいと真面目に考えるほどに単純なのだ。
2022/01/30 喜びが幸運をもたらしてくれる。鍛冶仕事には喜びが不可欠なのだ。喜びが有れば穏やかに居られる。穏やかに居れば失敗や事故にも冷静に対処できる。日々淡々と続けられる様に成り上達も促される。その姿は周囲の信頼を得るに至り自ら宣伝する必要もなくなる。喜びが有ればやる気や自信は要らなくなる。
2022/01/29 少し出来る様に成ると有頂天に成る人が居る。だがその程度が限界であり伸び代は残り少ない。楽しむだけなら良いが仕事ならば続かない。早急に諦めて止めたほうが良いだろう。かつては宣伝で目立てば下手でも売ることが出来た。だがそれは最早終わりつつある。進化し続ける人が生き残る時代が来ている。
2022/01/28 半端なうちに安く売り始めれば其れが貴方のブランドに成る。だが目先の売り上げにつられて殆どの人は辛抱できない。安物を作り続けても上達はままならない。ブランド戦略としては最悪のシナリオなのだ。下積みを馬鹿にする人は多いが其処は辛抱の為所だ。最後に笑えると信じて歯を食いしばる人が残る。
2022/01/27 価格設定について師匠に聞いた時の事だ。師匠は自らの創る玄能と同価格を提示した。その価格に見合う玄能が出来るまで売ってはならないと言う。故に数年間に渡り出来た玄能を全て捨て続ける事に成った。だがその価格設定のお陰で今の私がある。半端なうちに安く売り始めて失敗する人はとても多いのだ。
2022/01/26 私を馬鹿にする人が居ると知人が教えてくれた。全く気にしていないと私は答えた。すると男ならやられたらやり返せと言うのだ。だが彼は何時もやり返して更にやり返されている。全く懲りない面白い人なのだ。そもそも馬鹿にされても気にしなければ何も起きない。そう伝えても彼は聞く耳を持たないのだ。
2022/01/25 玄能創りに関する全てに即答出来る様にしろと師匠は言った。作業の全ての流れに正当な動機を見出せというのだ。確かに惰性や条件反射でやってしまう事は多い。それらの必然性も徹底して洗い直す必要がある訳だ。だが多くの人が其れに気付くことはない。名人と凡人を分ける境目が其処に有るというのに。
2022/01/24 多くの人が社会の集団催眠に掛かっている。自らの行動を客観的に観てみれば分かる。殆どの行為に明確な動機は見当たらない筈だ。其れは人生の舵取りを自ら放棄している証拠。故に言い知れぬ不安を抱えてしまうのだ。ならば動機を逐一確認しつつ生きてみればいい。心は落ち着き幸福感を得られるだろう。
2022/01/23

上手い人は細分化して調整できる。一瞬の出来事を細切れにして統制できるのだ。故に必要が有れば変更入れ替えが自由に出来る。其れも瞬時に出来てしまうのだ。打撃の神様と言われた川上哲治氏は球が止まって見えたと言った。多くの人なら其れを他人事と捉えるだろう。だが私は絶対に見てみたいと思う。

2022/01/22 玄能の焼き入れ一つ取り上げてみても奥深い。以下に焼き入れの良否を決める要素を挙げてみる。・加熱勾配・最高加熱温度・加熱保持時間・急冷温度・冷却水の温度・冷却水の掛け方・冷却時間・徐冷開始の時宜・徐冷終了の時宜。書き切れないがこんな所だ。これらを組み合わせて丁度良い塩梅を探る訳だ。
2022/01/21 百人に一人の能力を三つ掛け合わせれば百万人に一人に成れる。稼ぐだけなら其れで良い。だが文化の伝承を目指すならば其れでは全く足りないのだ。品質だけで百万人に一人を目指すくらいの覚悟が必要だろう。品質が悪ければ生き残ろうが廃れてしまう。故に私と弟子は鍛冶場に引きこもり腕を磨き続ける。
2022/01/20 弟子を人前に晒す事はない。本名すら公表しない。未だ何物にも成れていないからだ。鍛冶で生き抜く覚悟も出来ていないだろう。そんな状態で人前に晒すのは危険すぎる。世間のいい加減な言動に決意が揺らぐ可能性が高いからだ。私も其の様にして師匠に育てられた。誘惑や誹謗中傷は想像以上に多いのだ。
2022/01/19 昨年から鍛冶以外の仕事を減らしてきた。残り時間の少ない私が鍛冶に集中する為だ。弟子達を鍛冶に集中させる必要もあった。お陰で私は自らを掘り下げる時間が増えた。弟子達は玄能創りに集中出来て嬉しそうだ。これからの私は衰えるばかりだ。今後は育ち盛りの弟子達の創る玄能に期待してもらいたい。
2022/01/18 注目が集まると劣化していく。ブームに成ると断然詰まらなくなる。キャンプを始めた頃は静寂を満喫できた。今では深夜まで騒々しいという。ブームに乗った浅薄な人間が増えたからだ。本当に好きならそんな所に近付かない。止めてしまう人も居るだろう。注目が集まると本当に好きな人は離れていくのだ。
2022/01/17 過飾な縞模様の刃物を好きと言ったらどうだろう。間違いなく取引先の一部は私から離れていく筈だ。左様に好きや嫌いといった言葉はとても重い。SNSの過激な投稿に「いいね」する場合も同様だ。その行為が自らの評価を決めてしまう事もあるからだ。検索されれば過去の言動さえ全て曝け出されてしまう。
2022/01/16 目指す姿を自ら定義しない努力は報われない。結果が望む姿でない可能性が高いからだ。たとえ自ら定義しても借り物の手段では報われない。手段も自ら編み出し進路を微調整し続ける必要があるからだ。自らの価値観で決めないと他人の価値観で努力させられる事に成る。故に努力が報われる事が少ないのだ。
2022/01/15 乗り物酔いが激しくて遠くへ行けない。故に地元の自然や文化に慣れ親しむ機会が多い。其のお陰で身近にあるものが尊く感じられ愛おしい。鍛冶仕事も其の一つだが素晴らしさに気付く地元の人は少ない。携わる者でさえ深く掘り下げようとする人は稀なのだ。足元を見ずに遠くばかり見ているからだろうか。
2022/01/14 乗り物酔いが激しく自ら運転していても具合が悪く成る。故に私の行動範囲は極めて狭い。だが困る事は殆どない。地元で充分に事が足りるからだ。だからお金や時間や心にも余裕ができる。乗り物酔いのお陰で健康的でエコな生活が送れている訳だ。苦手を受け入れれば打ち手は幾らでも見つかり始めるのだ。
2022/01/13 私の一番の苦手は乗物に乗る事。発車する前に具合が悪くなってしまう。故に修学旅行は一度も行っていない。平衡感覚が鋭すぎて微妙な狂いに目眩がしてしまうのだ。だが鍛冶仕事には都合が良い。微妙な作業姿勢の狂いや製品の捻じれや傾きを認知できる。苦手も活かし所を弁えれば最強の武器に成るのだ。
2022/01/12 鉄を高温に熱して叩くと叩かない時よりも温度は下がり難くなる。鉄の組織が動く事で摩擦熱が発生するからだ。だが叩く時合と速度が適切でないと直ぐに温度は下がってしまう。故に鉄は熱いうちに叩かなくてはいけないのだ。だから私は弟子達を一気呵成に鍛冶場で鍛え上げる。熱が冷めてしまわない様に。
2020/01/11 進化する程に単純に成ると師匠は言った。確かに上手い鍛冶屋の作るモノは単純で格好いい。例えば師匠の玄能は掛けるべき手間の過不足がなく潔く見える。火造り形状が残る故に製作工程が目に浮かぶ様だ。言わば進化とは丁度良い塩梅を掘り下げ洗練させていく事。すると余計な行為は削ぎ落とされていく。
2022/01/10 宣伝に労力を費やす人は多い。だが師匠は自ら宣伝する事の非効率を説いてくれた。「腕を磨くと共に品格を磨けば売ってくれる人が必ず現れて宣伝は要らなくなる」と。故に宣伝を省き腕を磨く事に専念した。お陰で速やかに上達でき売ってくれる人が現れ宣伝もしてくれる。上手く成るのが一番効率が良い。
2022/01/09 鍛冶屋の家に生まれたので鍛冶道具は揃っていた。だが既存の道具は使わず全て創り直した。快適に楽しく作業したかったからだ。お陰で随分と楽に楽しく上達も速やかに成った。左様に鍛冶仕事は工夫次第で幾らでも楽しく出来る。万事に於いて使用道具の精度を上げるだけで驚く程に楽しく出来る様になる。
2020/01/08 自ら宣伝しないと売れない様では心許ない。喜んで紹介したくなるモノを創らなくてはならない。その為には加工精度を上げ続けるしかない。口コミで売れる様に成れば利益率は上がり価格を抑える事が出来る。創る事に専念でき益々加工精度を上げる事もできる筈だ。品質の向上こそが皆の幸福に繋がるのだ。
2022/01/07 予期せぬ事が起これば狼狽えてしまうだろう。だが一瞬にして平静さを取り戻す呪文がこれだ。「なんだか面白そう」飽きた時や行き詰った時にも良い呪文がある。「もっと面白いやり方無いかな」そんな風に唱えればカラーバス効果で面白そうな事が自動的に目に入る。頑張らずに生きる秘訣は幾らでも有る。
2022/01/06 素人でも手先が器用で頭の良い人が丁寧に作ると良いモノが出来上がる。だが目利きが見れば全く物足りなく見えてしまう。充分な時間と期間を経ないと見えてこない事が沢山あるからだ。35歳で鍛冶仕事を始めた私にとって残り時間は少なかった。だからこそ覚悟が決まり習得に集中できた事は幸いだった。
2022/01/05 玄能鍛冶で飯が食える様に成ったのは奇跡と言われるが其れには秘訣が有る。先ずは報道関係への露出を控える事。自ら売り込まない事。留守にしない事。電話に出ない事。他にも有るがこんな処だ。左様に昔ながらの当たり前の事をしているだけなのだ。お陰で順調に上達でき無敵の協力者を得る事が出来た。
2022/01/04 鍛冶屋を始める時も弟子を募る時も絶対に失敗すると言われた。失敗するかもしれないが絶対ではないと私は思っていた。だから始めた訳だ。所で多くの人が勧める事を私はやらない。多くの人がしている事も始めない。何故なら其処に自由が無い事を知っているからだ。自由は他人が避けた所に転がっている。
2022/01/03 人は群れて不安から逃れる。だから同じ思想を持つ群れが出来上がる。だが其の思想は正しくも間違ってもいない。単なる群れに過ぎず気にする必要は無い。所で私は他人と感性がずれていて群れることが出来ない。故に群れと群れの間に広がる空間を自由に往来できる。多数派の不安は私を自由にしてくれる。
2022/01/02 自宅から徒歩5分で川に至る。春に成れば虹鱒や鯉や鯰が釣れる。今年は雷魚も狙いたい。左様に私にとり地元は極楽の様な環境が整っている。だが他人は全く興味を持っていない。所で人の興味は対極から対極に大きく振れ続ける。其の中間は何時も空いている訳だ。故に空いた所は何時も穏やかで心地良い。
2022/01/01 生涯の仕事を求め玄能鍛冶に辿り着いた。長谷川幸三郎さんに出会い決心を固めた訳だ。師匠は私の逸る気持ちを察し忠告してくれた。「玄能鍛冶で食えるとは限らない。今迄の仕事も止めず続ける様に。」と。故に其れ迄の仕事で当座を凌ぎ玄能創りに励んだ。お陰で焦る事なく玄能鍛冶で食える様に成った。
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玄能日記 私のどうでもいい日記です。
お暇な方だけどうぞ。(笑)