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相豊ハンマー
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玄能日記
日々感じる事を思いのままに書き連ねてみます。
2015/12/31 今年一年も、ほぼ頑張ることなく過ごすことが出来ました。頑張ることが大嫌いな私にとって、とても素敵な年だったと思います。世の中は自分の都合で他人を頑張らせようとする人で溢れていますが、来年も頑張らずに出来る楽しい事や夢のある事に目を向け、生きる喜びを実感しながら過ごせたら幸いです。
2015/12/30 人間性を高めるには陰徳を積む必要が有ると言うので、正直に生きようと若い頃から決めていました。拾いものは交番に届け、誰も見ていなくても赤信号は守るのです。ですが何か物足りないので思案していたのですが、他人が気付かない所も手を抜かずに仕事をするだけでも、充分立派な事だと気付きました。
2015/12/29 威張る人が何故威張りたがるのか解らないのです。お金や権力をちらつかせ、他人を思い通りに動かしているつもりでも、心までは支配できません。いや、そうでもないのかな?いつか自分も威張りたいと思っている人の心なら、支配できるのかもしれませんね。需給バランスは取れているのかもしれないな〜。
2015/12/28 「そこまで手を掛けたら手間賃が合わなくなる」と思ったところが、職人の限界です。お客様も気付かない様な高付加価値を提示し続けるなら、職人の評価も上がり、手間賃の限界はどんどん高くなります。当初は合わないと思っても、どれだけの価値を提示できるのかに挑戦してみるのも、良いと思うのです。
2015/12/27 反面教師には何時も感謝させられます。私の師匠は具体的な答えを教えてくれなかったので、自分で答えを探るしかありませんでしたが、そんな時に反面教師が現れると、解りやすく失敗してヒントをくれるのです。ですがその反面、多くの迷惑も掛けられるので、感謝はすれども、複雑な気持ちになるのです。
2015/12/26 仕事をしていると、とても穏やかな気持ちになります。手を動かし目の前の事に集中していると、嫌な事も忘れられます。揺れる炎を見ていると、邪気が祓われる様でとても心地よいのです。何故なのだろうと何時も思っていたら、相田さんは仕事が瞑想なのですねと、ある人に言われてなるほどと思いました。
2015/12/25 人を支配する為に、敢えてその人の成長を阻害する人がいます。相手の何も出来ない状態を維持し、自分に依存させて言うことを聞かせるのです。ですが、他人の成長を促し早く一人前に育てた方が感謝され、言うことも聞いてくれるはずです。半人前に言うことを聞いてもらっても、イライラするばかりです。
2015/12/24 「自分の仕事に関する質問にはすべて即答できるように」と師匠に言われたのです。そこで、「どうしても答えが分からない時には、師匠はどのようにされていますか」と聞きました。すると、「あんたにはまだ早い」と言ってその場をしのぎ、次に会う時までによく調べて、その答えを準備していたそうです。
2015/12/23 槌打ちやヤスリ掛けにおいて、槌やヤスリは進行方向が変わるたびに、速度がゼロになります。これは非常に効率が悪いようですが、作業者本人は動きが止まった様に感じていません。槌やヤスリを内燃エンジンのピストンに例えるなら、人の関節や筋肉がコンロッドやクランクの様に働いているからでしょう。
2015/12/22 私は不器用なので、人が無意識に出来る様な事でも、よく考えないと出来ないのです。子供の頃は上手く歩くことが出来ず、考え過ぎてズッコケそうになったりしました。ですが、そんな変な事を考える習慣が付いたおかげで、玄能造りのために必要な動作を、速やかに身に付けることが出来たのだと思います。
2015/12/21 普段は気にも留めていなかったのに、存在に気付いてしまうと気になって仕方がない。手に入れた際には思ったほどの感動は無いが、使い続けると愛着が増していき、無くてはならない相棒となる。そして不注意で失くしたり壊したりしたら、哀しくて泣きたくなってしまう。そんな玄能を私は作りたいのです。
2015/12/20 時間は掛かろうとも、最後まできちっと仕上げる人は見込みが有ります。たとえそれが稚拙であっても、いずれ良い結果が得られるはずです。反対にどんなに早くても詰めの甘い人は、何時まで経っても上達出来ません。巧遅は拙速に如かずと闇雲に急だけの人は、物事の上面をなぞり続けているだけなのです。
2015/12/19 人は生まれてすぐに学び始め、教えられなくとも多くの事が出来るようになります。それにもかかわらず、何もやってみなかったり、少しやってみただけで出来ないと言う人のなんと多い事でしょう。出来るということが沢山の失敗の上に成り立っていることを、赤ちゃんから教えてもらう必要が有りそうです。
2015/12/18 趣味のサークルは楽しいのに、職場は楽しくないと言う人がいます。それは同じ志の人がいないからです。趣味のサークルは同じ楽しみを求める人が集まりますが、職場は人それぞれに求めるものが違います。ですから楽しく仕事をしたいなら、自分と同じことに喜びを感じる人の居る職場を探すべきなのです。
2015/12/17 私の師匠は「仕事にやる気など必要ない」と言いました。なるほどと思い、やる気を出して仕事をすることを止めたのです。すると自然体で仕事が出来るようになりました。きっと意識し過ぎるから、いま一歩踏み出せなくなるのでしょう。ですから特に難しい仕事ほど、気楽に始めた方が良い気がするのです。
2015/12/16 サザエさん症候群というのが有るそうです。日曜日の夕方になると、早く仕事がしたくてそわそわしたり、仕事の段取りが頭に浮かんできて幸せな気分になったりするそうです。え、違うんですか?てっきり私はそうなので、勘違いしていました。やはり大好きな事を仕事にしていると、他人とは違うのですね。
2015/12/15 玄能を作っていると、幸せな気持ちになるのです。とても優しい気持ちにもなります。そして良いものを作りたいと、素直に思えるのです。きっとそれは喜んでくれる人の顔を思い浮かべることが出来るからでしょう。私は自分勝手な人間だと思っていますが、意外と他人の事も考えているのかもしれませんね。
2015/12/14 物作りが大好きで得意な人は、作品を見ると作者が何を考えているのか分かるのです。それは何処に手間や時間を掛けているかで分かるのです。その作業を好きでやっているのか、稼ぐために嫌々やっているのか。お客さんを大切にしているのか、そうでないのか。全て作品に現れるので、物作りは怖いのです。
2015/12/13 手を掛けない事と手を抜く事を混同している人がいます。手を掛けないのは最小限の作業で期待する結果を得ることで、手を抜くのは掛けるべき手間を掛けない事です。フィギュアスケートなら、リカバリーの必要のない演技と、飛ぶべきジャンプを跳ばない違いでしょうか。私の定義ならそんなイメージです。
2015/12/12 手間に見合うだけの代金を取れるのがプロでしょうが、それにも2つあります。1つは、代金が先に決めてあり、それに手間を合わせる場合。もう一つは、手間を掛けただけ代金を請求できる場合。この2つはともに難しく、これらを2つとも上手く使いこなせると、仕事は飛躍的に楽しくなる気がするのです。
2015/12/11 出来ると思って始めても、上手く行かないことは有ります。努力しても成果の上がらない事もあります。ですが、出来ないと思って始めたなら出来る筈がなく、努力なくして成果は上がりません。ですから、何なら出来そうか?何なら努力できるのか?これを考え続けることが、結果を出す秘訣だと思うのです。
2015/12/10 始めるのに遅すぎる事は無いと言いますが、始めた人はもっと早くすれば良かったと、自分の無知を悔やむはずです。始めない人は自分の無知にすら気付かず、益々何も始めようとしません。毎日少しでもいいので新しい事を始めてみれば、その度に自分の無知に気付き、努力せずにはいられなくなるはずです。
2015/12/09 自由の定義は人それぞれでしょうが、私にとっては大好きな人とやりたいことだけをやって生きていくことが、最大の自由なのです。また、その自由を得る為に不自由を負うことも否定するので、何ともわがままな生き方ですが、大好きな人と一緒なら、それを実現させるための努力も不自由と感じないのです。
2015/12/08 上達を目指していると、それまでは良く思えていたものに不満が出てきます。ただし、ダメなものをダメと決めつけて排除するだけでは、自分の器を狭めてしまう気がするのです。ダメをダメと認識したうえで、そこにも何かしらの価値を見出す努力をしていかないと、小さな人間で終わる気がしてきたのです。
2015/12/07 他人を苦しませて悦に入っている人がいます。反省もなく、自分は悪い奴を懲らしめているだけだと言うのです。そしてこれが国家規模で起きていることを、マスコミは伝えています。人種や宗教に優劣をつけ、人を差別し迫害するような行為が無くならない限り、子供たちのいじめが無くなる訳がないのです。
2015/12/06 子供の頃は壊れた時計やラジオも修理できました。今のものは複雑すぎて、買い替えるしかありません。新しいものが出来るのは良いけれど、それが複雑になりすぎると、人の手からどんどん離れて行くようで、寂しい気がします。もっと簡単な方が、たとえ少し物足りなくても、愛され続ける気がするのです。
2015/12/05 女性管理職が増えない理由は、ごく少数存在するバリバリキャリア志向の成功した女性をロールモデルにするからで、それでは殆どの女性の共感を得られないでしょう。同様にどの分野でも、ごく少数だからかえって目立つという様な成功者をロールモデルにすると、共感を得られず上手く行かないと思います。
2015/12/04 近頃では目立たない事は存在しないに等しいとまで言われて、マスコミに取り上げられたり、ネットで上位に検索されることに血眼です。私はそういった事が苦手ですから、皆がそちらに時間と労力を取られている間に、こっそりと上達して目立とうと考えているのです。ずる賢いなんて言わないでくださいね。
2015/12/03 やる人はポジティブで、やらない人はネガティブと言われます。ですが、何かをやればそれ以外は出来ないし、やらなければそれ以外のことが出来ます。周りの勧めであれこれと始めてしまうと、結局何も成さずに人生を終えてしまいそうですから、やらないとポジティブに決めることも、大切だと思うのです。
2015/12/02 苦手な人ごみは避けていても、うっかりパーティー等に参加することが有ります。すると始まる前から具合が悪くなり、途中でこっそり抜け出すことに成るのです。こんな失敗を繰り返すこと30有余年。何時になったら慣れるのか。はたまた勇気を出して断ることが出来るようになるのか。全くトホホですね。
2015/12/01 嫌いや苦手を克服する努力をすると、ある程度は慣れることが出来ます。ですが、そのストレスはボディーブローのように効いているのです。そしてそれが何かの切掛けで、アナフィラキシーショックの如くに、激しい拒絶反応として現れることが有ります。本当の嫌いや苦手は克服出来ないのかもしれません。
2015/11/30 スポーツ好きにスポーツ観戦はたまらないでしょう。おねえちゃん好きにキャバクラは天国でしょう。私もスポーツ観戦やキャバクラに誘われる事も有りますが、どちらも大の苦手で、お金をもらっても行きたくありません。好きな人にとっては天国なのに、嫌いな人にとっては地獄といった事は沢山有ります。
2015/11/29 苦手を克服するために、どれだけの時間を無駄にしたでしょうか。中には多少は慣れて、それ程苦にならなくなったものもあります。ですが、殆どの事はいくら頑張っても得意になるどころか、慣れさえしないのです。早く見切りを付けていたら、これほど苦しまなくても良かったと考えると、とても残念です。
2015/11/28 どんなに先を急いでいても、赤信号で止まってばかりでは何時までも辿り着けません。どんなにゆっくりでも、青信号ばかりなら意外と早く辿り着くものです。もの作りも同じで、巧遅は拙速に如かずとばかりに先を急いでも、失敗ばかりで先に進めません。先ずは基本に忠実に、正確な作業を目指すべきです。
2015/11/27 面白おかしく暮らすために、報酬が多いなら何でもするという人がいます。もしもそれが好きで得意ならよいのですが、そうでないなら肉体的・精神的に辛くなり、ストレスを溜めて散財してしまいそうです。世界を見渡せば、お金は無くても面白おかしく暮らしている人は沢山いるのに、なんとも不思議です。
2015/11/26 「きもい」と「かわいい」を組み合わせて「きもかわいい」。言われてみれば、あるあると思いますが、誰よりも早く考え付くのは難しいのです。これはビジネスモデルにも当てはまり、意外なものの組み合わせで収益を生み出せそうです。収益の出ないもの同士の組み合わせでも、収益を生み出せるかもです。
2015/11/25 ドアが開く気配を感じ振り向くと、幼い子供が笑顔で立っているのです。そんな姿を見ただけで、20年前にはとても優しい気持ちになりました。ところが、年を経るに従い憎たらしくなっていくのです。ですが、怒鳴り付けたくなった時に、可愛かったあの頃のことを思い出すと、心が穏やかになるのです。
2015/11/24 若い頃には、何故年寄りは若者の話を聞かないのだろうと思っていました。年を取ってきたら、何故若者は年寄りの話を聞かないのだろうと思うようになりました。ですがようやく気付いたのです。話を聞かないのは自分の方だったと。そして、人は話を聞いてくれる人の話には耳を傾けてくれるということに。
2015/11/23 仕事でもプライベートでも、自分の行いが世の中にとって、どんな意味や価値が有るのかを考えながら行動することはとても大切です。ですが自分に出来ていることを他人と比べることには全く意味が無いのです。自分の出来る精一杯と比べて、どの程度のことが出来ているのかが、とても大切だと思うのです。
2015/11/22 負けたくないという気持ちは勝者の思う壺なのです。勝ちたいと思えば思う程、勝者のやり方を肯定することに成るからです。それでも良ければ、既存の勝者と同じ土俵で競え合えばいいと思いますが、自分らしく生きようと思ったら、彼等とは違う土俵で努力した方が、気持ち良く生きていけると思うのです。
2015/11/21 何を持って成功と言うのか?何を持って幸せと言うのか?何を持って平和と言うのか?ネットで様々なコメントを見ていると、混乱して洗脳されてしまいそうです。ですが、自分の中ではしっかりとした答えを持ち、堂々と生きていきたいので、それぞれの定義を決めて、流されないようにしたいと思うのです。
2015/11/20 鍛冶屋にも種類が有ります。合理化・機械化を進め工場に進化させた鍛冶屋。時代の変化に対応しきれずに停滞している鍛冶屋。そしてもう一つは鍛冶仕事が好きで、それ自体を掘り下げて進化させている鍛冶屋。私はそれを自認しておりますが、こんな変わった鍛冶屋も、日本には少なくなってしまいました。
2015/11/19 問屋さんや小売屋さんが中抜きされると言って泣きつくのです。私の場合は彼らに育ててもらった恩が有り、何よりマーケティングやセールス、クレーム処理等の煩わしい作業をお願いしたいために中抜きしないのであって、そう考えない人であれば、中抜きもいいと思うのです。但し、全て自己責任なのです。
2015/11/18 三条名匠会の会長をしておりますが、設立当初は入会を拒否していたのです。まだ鍛冶屋になる決心すらついていなかったからです。ですが初代会長に、会員になり自覚を持つことこそが大切なのだと諭されて、渋々入会したのです。気が付けばそれから十数余年。知らず知らずに高みを目指していたようです。
2015/11/17 簡単な事を指示されても、引き受けたくない場合が有ります。どんなに嫌な事でも、この人の為ならと一肌脱ぎたくなる場合が有ります。左様に、人は簡単だからとか、好きだからとかだけで動くのではなく、相手によって動くのです。それが分からないリーダーは孤立するので、好かれる努力が大切なのです。
2015/11/16 自分には簡単な事でも、他人には難しいことが山ほど有ります。それは立場が逆でもそうでしょう。ならば、自分の得意な事を持ち寄りチームを組めば、大抵のことは簡単に出来てしまう気がします。ですが、どうやってそのメンバーを集めるのかが問題なのです。それが求人や求職の難しい所なのでしょうね。
2015/11/15 飛躍的に上達する人は変態なのです。やるほどに見えていなかったことが見え始め、やらなくてはいけないことが次々と現れるのです。理想は高くなるばかりで、いくら追いかけても追いつけず、四六時中その事で頭が一杯になります。そんなに辛そうなことを楽しそうに続けられるのは、やはり変態なのです。
2015/11/14 自分に出来そうにない事をやってくれと言われますが、やってみると出来たりするので驚くのです。自分がどの程度なら出来るのかを自分で判断するのは難しいので、信頼できる人に相談すると、出来そうにない事を出来ると言われるので困るのです。もしかしたら、人間の可能性は無限なのかもしれませんね。
2015/11/13 たとえ虐めにあっていたとしても、人生は永いのです。多くの人と出会えば、世の中は悪い人ばかりじゃないことにも気づきます。素敵な人達から多くを学び、幅広い知識・知恵・人脈を手にすれば、今後何が起ころうと怖気づく必要など無くなるはずです。さあ、元気を出して胸を張って生きていきましょう。
2015/11/12 鍛冶屋の仕事が出来る状態とは、もの作りが上手いだけではダメなのです。仕事のための様々な知識や技能を身に付け、素敵な人間関係を構築し、商売として続けられなくてはいけないのです。だから1人前になるのに10年掛かるというのであり、それを2年程度で出来るようにするなど、無理な話なのです。
2015/11/11 大きすぎる目標を掲げる人にも様々あるのです。1つは本当に高い志を持ち、努力を怠らない人。もう1つは周りの圧力で仕方なしに掲げる人。そしてもう一つは、失敗した時の言い訳を担保するための人。そしてその見分け方は、上手く行かなかった時にやり方を変えて、すぐにやり直せるかどうかなのです。
2015/11/10 その人が信用出来るかどうか、調べる良い方法を思い付いたのです。酒席ですっぽんぽんになって踊るのです。同席者がそれを他言すれば、その人は信用できません。他言しなければ、その人は信用できます。ですがこの方法には些細な欠点が有るのです。その時点で自分自身の信用を無くしてしまうからです。
2015/11/09 大人は汚いと言っていた子供も、次第に何の疑問も持たずにそのヒエラルキーに属していくのは何故なのか?洗脳されてしまうからなのか?諦めてしまうからなのか?欲深くなるからなのか?世間を騒がせている子供のいじめは、ずる賢い大人社会を見た子供たちが、ただ真似をしているだけの気がするのです。
2015/11/08 上手く出来ていたのに、急に出来なくなったと感じることが有ります。1つは初心を忘れた場合。この場合には、胸に手を当てて深く反省する必要が有ります。もう1つは目が肥えた場合。この場合に困るのが、上手くなっているのに下手に感じてしまうことです。そして、これらの判断はとても難しいのです。
2015/11/07 避けられない嫌な事はとっとと片づけて、楽しい事は後回しにするのです。すると不思議な事に、嫌な事も習慣化されて苦にならなくなります。ですが嫌な事を後回しにすると、何時まで経っても嫌なままなのです。ですから、楽しい事を気兼ねなく存分に楽しむためにも、嫌な事は先にやった方が良いのです。
2015/11/06 何事にも良い面と悪い面があるもので、否定する人はその悪い面を見ており、肯定する人はその良い面を見ているものです。それを無視して善悪や正義不義で決めつけて事を進めようとするから、混乱と対立が起こるのです。いっその事好き嫌いで決めて、その理由を説明してもらえた方が、有りがたいのです。
2015/11/05 需要が有るのに他人はやりたがらない事にこそ、チャンスが有ると言われています。ですが、他人だけでなく自分もやりたくなければ、やっても続きません。重要なのは、人が嫌がるけれど、自分にとっては嫌でない事をすることです。ましてやそれが大好きで得意な事ならば、成功は決まったようなものです。
2015/11/04 周りを見回すと、壊す人と作る人がいることに気付きます。壊す人は何でもかんでも壊しまくり、作る人はこつこつと作り続ける。世の中にはどちらの役割も大切ですが、その両方を一人で出来る人はとても限られているでしょう。ですから自分の特性を見極め、チームを組んで物事を進める必要が有るのです。
2015/11/03 商売に競争はつきものですが、どの土俵で戦うかは自分で決めることが出来ます。安さか?品質の良さか?PRの仕方か?等、様々な要素が有りますが、自分の得意を生かせる土俵を選ばないと長所が生かせません。そして最も大切なことは、どの土俵が自分にとって居心地がいいのかを考えることなのです。
2015/11/02 数年ぶりにする仕事は簡単すぎて驚くのです。当時は全力を出してやっていたことが、簡単に出来てしまうのです。ですが、もっと良いものを作ろうとすると壁にぶち当たり、再び全力で取り組まなくてはいけなくなるのです。左様に、もの作りは何時まで経っても完成にたどり着けないところが楽しいのです。
2015/11/01 同じことを繰り返して違う結果を求めることを精神異常と言うそうです。それは言い過ぎとしても、失敗しても同じことを繰り返す人は自分の中に基準が無く、挑戦するのが怖いのでしょう。基準が有れば、挑戦してダメなら元に戻ればいいだけなので、先ずは確固たる基準を一つでも作ることが肝心なのです。
2015/10/31 もうちょっと上だとか下だとかではダメなのです。丁度良いポイントが有るのです。下手なうちは振れ幅が大きく、ぶれてしまいますが、上手くなろうとしたら、ピンポイントを目指さなくてはいけないのです。自分の中に何時でも「ここ」という基準を持つことで、初めて飛躍できる可能性が生まれるのです。
2015/10/30 大好きで得意な事をしていて、これは絶対に出来ないなと思った時が好機なのです。その時点で貴方はかなりできている筈ですから、やると決めて準備を始めたらいいのです。すると多くの課題が出てくる筈ですが、そもそも大好きで得意な事ですから、他人より苦労もせずに、多くの事を解決出来るでしょう。
2015/10/29 俺だってあれくらいならできると思った時は要注意なのです。一旦立ち止まり、冷静に観察しなくてはいけません。今の実力では見逃してしまうような大切なポイントが、往々にしてあるもので、大口をたたくとえらい目に合うのです。ですが、大口をたたいて背水の陣を敷くのも、有りかもしれませんけれど。
2015/10/28 上手い人は何を作っても上手くまとめてしまうのです。下手な人は何を作っても下手なのです。であれば、様々なものを上手く作りたいと思うなら、一つでいいから、誰にも負けないものを作れるようになれば良いのです。ですが下手な人ほど、彼是と手を出してしまい、何時までたっても下手なままなのです。
2015/10/27 どんなに理不尽な親であろうと、自分を育ててくれたことには感謝しなくてはいけないのでしょう。どんなに暴力を受けて心が折れそうになっても、親は尊敬しなくてはいけないのでしょう。どんなに裏切られて絶望しても、親孝行はしなくてはいけないのでしょう。ですが、そんなことが出来るのでしょうか?
2015/10/26 やりたいことの見つからない人は、今までやってきた事の中で、なんとなくでも楽しかったことや苦にならなかったことを、もう一度やってみるのです。その中で少しでも楽しいと思った事を掘り下げていくと、それ自体が本当にやりたいことに成ったり、そのすぐ隣にやりたいことが見つかったりするのです。
2015/10/25 自分の見ている色と他人の見ている色が、同じように見えているのか疑問なのです。物体の輪郭や文字などは、皆が同じように認識できるでしょうが、色については確認のしようが無いのです。魚釣りでも、私には透明な釣り糸がよく見えないのですが、良く見えるという人も多いので、とても不思議なのです。
2015/10/24 嫌いや苦手を好きや得意にしようと思うから思考停止するのです。学校の先生に苦手科目の克服を強いられて、委縮した人も多いでしょう。ですが世の中は嫌いや苦手以外のことで溢れ返っているのですから、些細な事に囚われずに、好きや得意をより大好きや大得意に進化させる方が、賢明な気がするのです。
2015/10/23 本人が自由と思っていても、周りがその行動を許せない場合は多々あります。ならばその状態は自由と言えないのです。本人が自由であると認識し、周りもそれを認めている状態が本当の自由だと思うので、自由になりたいなら、周りに喜んでもらい、わがままを許してもらえる存在になる必要が有りそうです。
2015/10/22 苦労して出来るようになったことは尊ばれ、なんとなく出来るようになったことは軽くみられてしまいますが、なんとなく出来てしまうということは、自分に向いているということなので、じっくりと掘り下げてみたらいいと思うのです。他人がどんなに頑張っても出来ない事でも、きっと楽に出来る筈です。
2015/10/21 目の前で起きていることについて、その理由が分かっているか分かっていないかで、受け取り方は大きく異なるのです。そして分かっているにも、分かっていないにも色々あるので、当然意見は百人百様のはずなのに、ろくに説明もされず決められていくことに、多くの人が納得してしまうのには驚くのです。
2015/10/20 どんなに正しい事でも、決められたルールに従わずに行われたならば、反発を受けるものです。どんなに喜ばれようとしてやったことでも、手順を踏まずに行われたならば、嫌われてしまうものです。これは自惚れた優等生がよくやらかしてしまうことですが、大人の世界では学生時代より根が深くなるのです。
2015/10/19 美味しそうに見える料理でも、食べてみたら激マズなんてことはよくあります。ですが、刃物の顕微鏡写真を見せられて、これはとても良い組織だなんて説明されると、納得する人が多いのには驚くのです。刃物だって研いで使ってみない事には、その良し悪しは分からないはずなのに、本当に可笑しな話です。
2015/10/18 大玄能の丈は4寸3分が基本ですが、これは人が使いこなせる最大の長さで、使いこなせたなら、最大に効かせることが出来る寸法です。ただしそれを使いこなすには、柄の形状や仕込み方、そして体の使い方を一から勉強し直さなくてはなりません。ですがそれは、それを作る鍛冶屋にも言えることなのです。
2015/10/17 年を取ると1年が短く感じられると言いますが、本当でしょうか?年を取ろうが1日を精一杯生きていれば、1年を振り返った時に、とても沢山のことが出来ていることに驚くでしょう。そうであれば年齢などに関係なく、益々1年を永くすることが出来、ぼーっとしていたら、あっという間にあの世行きです。
2015/10/16 無意識に出来る範囲が広いほど、多くの難しい事や新しい事に挑戦できるのです。この無意識の範囲は訓練で広げることが出来るので、色々と経験したうえで、情熱を傾けられる事に的を絞り、それを体に叩き込む必要が有るのです。ですがここで的を絞れないから、何時までも先に進むことが出来ないのです。
2015/10/15 現状に甘んじることなく新しいことに挑戦し、上手く行ったことは再現性を高めるべく、徹底的に体に叩き込む訓練を積む。そしてそれを繰り返すことでしか上達はありえないと思うのです。ですがほとんどの人は、少しやってみて上手く行かないと止めてしまうか、上手く行っただけで満足してしまうのです。
2015/10/14 叩き玄能の丈は何故4寸3分なのか?ヒツ穴の形状が何故縦長の長方形なのか?ヒツ穴の脇が張っているのは何故なのか?胴のくびれにはどんな意味が有るのか?何故に火造りが重要と言われるのか?何故掛焼なのか?これらの問いに答えることが出来て初めて、良い玄能をつくる準備が出来たと言えるのです。
2015/10/13 完成させた時点で良さそうに見せる事は大切ですが、如何に手際よく作業するのかは、もっと大切なのです。道具の良し悪しは目に見える所だけではなく、使い込むほどに明らかになっていく、見えない部分にこそ本質が有るのです。そこを作り込むためには、滞りなく流れるような作業が求められるのです。
2015/10/12 過去の工人の作ったものに感心することが、よく有ります。大した設備や道具が無いのに、よくぞここまでと敬服するのです。翻って現在出来るものは、設備や道具に頼りすぎて、底の浅いものが目立ちます。今の設備や道具を活かしつつ、過去の工人と同じ程度の志をもてれば、彼らに勝てる気がするのです。
2015/10/11 大好きなことが分からないという人がいます。ですが気が付くと何時も考えていることが有りませんか?もしもあるなら、それが大好きな事です。楽しい事を考えている人は勿論、苦しくて嫌な事を考えている人も、その中に大好きな事が隠されているのです。人は大好きで興味あることを考えてしまうのです。
2015/10/10 上達するにはライバルが必要だと言われますが、他人に勝ちたいという気持ちは、邪念を引き寄せる気がするのです。出来た人間ならいざ知らず、私の様な未熟者では、相手に悪い感情を持ってしまいがちなので、他人をライバルとするのではなくて、今の自分を越える気持ちを持ち続ける様にしているのです。
2015/10/09 精一杯に仕事をして良い作業が出来たと思っていても、出来た品物を翌朝見てみると、とても情けなく思うことが有るのです。なぜなら、作業中は理想に近い物を作っているつもりでいても、一晩眠ると脳みそが更新されて理想も高くなっているからで、これがいわゆる目が肥えた証だと、最近気付いたのです。
2015/10/08 目が肥えてくると混乱するのです。それまではよく思えたものが、ある日突然に魅力を感じなくなることがあります。自分の作っているものでも同じで、ある日突然にへたくそに感じてしまうことがあるのです。そして、それは目が肥えたせいなのか、油断したせいなのかを判断するのが、とても難しいのです。
2015/10/06 変人にも2種類あると思うのです。一方は、まともな発想が出来ずに、他人と違うことをしてしまう変人。もう一方は、まともな発想を深く掘り下げることで、普通とは違う結論に行きつき、結果的に他人と違うことをしてしまう変人。そう考えると、後者はもはや変人では無く、いうなれば先人なのです。
2015/10/05 どんなにちっぽけな分野でも、それを突き詰めて1番になることは素晴らしいのです。ですがそこで大切なのは、どうやって1番になるかなのです。1番手が辞めたり死んだりしてなるのか。1番手を凌駕してなるのか。前者が続くと、その分野は間違いなくすたれてしまうので、優秀な継承者が必要なのです。
2015/10/04 世の中はすぐに結果を求めることばかりで、薄っぺらくなりましたが、他人に求められていないけれど、どうしても掘り下げずにはいられないことに、人生の1%位をつぎ込むことを国民全員がしたなら、日本は途轍もなくすごい国になる気がするのです。1日15分程度ですが、続けるのは難しいでしょうか?
2015/10/03 軽い気持ちで似た業種の仕事場に入ってはいけないのです。仕事場は主の哲学そのものであり、そこに勝手気ままに立ち入ることは、主の精神に土足で踏み込むことと同じなのです。入りたければ、許可を取るのは当然の事、そこの主を師匠とするくらいの覚悟が必要なので、普通は入ろうと思えないはずです。
2015/10/02 難しいことに取り組み、それをやり遂げることは素敵です。ですが、それに取り組まずに結果を出せたら、もっと素敵です。私はずっと自分を鍛え上げ、他人が難しがっている事でも、最後までやり遂げることを目標にしてきました。ですがこれからは、自分が取り組まずに結果を出せる方法を考えるのです。
2015/10/01

天才はある部分が欠落していると言われますが、欠落した部分を持つ凡才の方が多いでしょう。ですから、欠落しているから天才なのではなく、欠落を許される存在が天才なのです。ならば、子供の頃から欠落を許して、何か突出したものを磨き上げることが出来たら、誰でも天才になれるのかもしれませんね。

2015/09/30 30代前半に、自分の得意と苦手、好きと嫌いの確認のため、他人に進められたことは何でもやってみたのです。そして積極的に、苦手や嫌いとは距離を置き、得意で好きに接近したのです。成功しそうにないことに早く見切りを付けるためにも、出来るだけ若いうちに、何でもやってみると良いと思うのです。
2015/09/29

何でも出来ると思っているのは、何も出来ていないのです。一事を全うするのでさえ、人生は短すぎるのに、そんな風に思っている様では、底が浅すぎるのです。出来ないことが出来るようになって初めて、スタートラインに着けたのだと思えば、もっと掘り下げるべきことを見つけることが出来る筈なのです。

2015/09/28 魚釣りの上手い人は、普段から情報を集めて分析し、現場では次々と違う手を使いながら釣り続けます。下手な人は目の前だけを見て、たとえ釣れなくても、同じことを繰り返すのです。なんでもそうですが、状況の変化に気を配らずに、同じことを繰り返して違う結果を望むことほど、愚かな事は無いのです。
2015/09/27 間違った努力は人生の無駄使いなのです。 以前勤めていた会社では、上司や先輩から根暗だと言われ続け、それを直すために真面目に訓練したのです。ですが、陽気になるどころか、益々暗くなったのです。ところが、そこを辞めたとたんに、明るくなったのです。ですから、何処で誰とやるかが大切なのです。
2015/09/26 絶対に上手く行かないと思っていたことでも、意外と簡単に出来てしまうことが有ります。この年になってもそうなので、若い頃にはもっと有ったのでしょう。そう考えると少し残念ですが、気づいただけでも、とても幸運だと思うのです。だって、上手く行かないと思っていることは、まだ沢山有りますから。
2015/09/25 すかしっぺは臭いが嘘だと気付いたのです。音がすれば、臭かろうがそうでなかろうが、他人に気付かれるのです。ですが音がしないと、匂ってきて初めて、すかしたことに気付くのです。そこで、すかしっぺは臭いと言う都市伝説が生まれたのでしょうが、臭くないすかしっぺは、気づかれないだけなのです。
2015/09/24 好きな事を始めるには、嫌いな事を止めればいいだけです。好きな事を始めたら、大好きな事が見えてくるので、好きなことを止めて、大好きな事を始めればいいのです。次に超大好きな事が見えてきたら、大好きな事を止めて、それを始めればいいのですが、普通はそこで満足し、始めようとはしないのです。
2015/09/23 知らない人ほどよく喋るのです。知らない人はそれを隠すために知ったかぶりして、本当に知っている気になるのです。そしてそれを繰り返すことで、自分でも真偽の区別がつかないことを、しゃべり続けるのです。自分が何も知らないことに、先ずは気付くべきなのでしょうが、そうなったら手遅れなのです。
2015/09/22 初心者のうちは、好き嫌いで判断してはいけないのです。美味しいものを色々と食べてみた人の好き嫌いと、不味いものしか食べたことの無い人の好き嫌いは、自ずと違ったものになり、後者の話は参考にならないのです。ですから、充分な知識を持ったうえではじめて、好き嫌いでの判断が許されるのです。
2015/09/21 玄能の出来不出来によって、作業効率は格段に違ってきます。良いものは同じ重さでも効きが全く違うのです。その結果疲れにくく、おまけに正確な作業が出来るとくれば、打ち損じによるトラブルも少ないでしょう。こんなに良いこと尽くめなのに、お姉ちゃんに金を使い、玄能には使わないとは何事なのか。
2015/09/20 誰も何もしてくれないから、売るためには自分でマーケティングしなければならない、買ってもらうためには自分でセールスしなくてはならない、情報を集めるためには自分でリサーチしなければならないと考えると、当然、一人で全部をこなせるわけが無く、どれも中途半端になり、負の連鎖が始まるのです。
2015/09/19 学力も体力も根性も忍耐力もなく、人見知りが激しく、人ごみが苦手。学校が大嫌いで、友達も少なく、何時も一人ぼっちでしたが、一人でいるのが大好きでした。今では昔と違い、親しい人が沢山いますが、一人の時間も大好きです。人の性格なんて、結局死ぬまで、なにも変わらないのでしょうね。私だけ?
2015/09/18 出来ない事を他人に教えてもらう時は、最後までやり遂げる覚悟をもって臨むこと。こう師匠に教えられた後は、無暗に聞けなくなったのです。下手に聞いてしまったら、やらなければならないからです。ですが、最後までやるつもりで師匠に聞いても、次々と私に質問するだけで、教えてくれなかったのです。
2015/09/17 教え合うことは良いことなのでしょうか?随分と昔のこと、バイクの限定解除で試験に落ち続けている人が、お互いに教え合っていたのです。私は優秀な教官に教えてもらい、すぐに合格しましたが、教え合っていた人達は、その後も落ち続けたのです。自分と同程度の他人に聞いている場合ではないのです。
2015/09/16 何時までも考えてばかりで行動しない人は、結局は何も考えていないのです。動いてみない事には、分からないことがほとんどなのに、動き始めないで何を考えているのでしょうか?やらない理由でしょうか?何も考えずに始めるようではいけませんが、動き始めなければ、考えることも出来ないはずなのです。
2015/09/15 似た業種の他人に、軽々しく仕事を教えてもらいたがる人がいますが、私は怖くて出来ないのです。他人に仕事を教えてもらうことは、その人との関係だけでなく、関わる多くの人達との関係にも影響を及ぼすので、私は慎重になるのです。ですから、誰彼かまわず聞いて回るような人は、信用できないのです。
2015/09/14 やらない理由にも2種類あるのです。1つは、出来ずに、若しくは挑戦せずに諦めてやらない場合。もう一つは、他の何かを達成するために、それをやらないと決めている場合。とかく見る目の無い人は、両方ともネガティブととらえがちですが、後者のネガティブさは、もはやポジティブといえるのです。
2015/09/13 鍛冶職人の作った商品や腕前の良し悪しを尋ねられた時には、以下のように答えるのです。「同じ時に作られた同じ種類の商品を、最低でも3個、出来れば10個程度を並べて眺めてください。各々が区別できないほどに揃っていれば、その商品は良く出来ており、その職人は腕が良いと言えるでしょう」と。
2015/09/12 巧遅は拙速に如かずという言葉が嫌いでしたが、速いが巧くなる秘訣であることに気付いたのです。速さには、取り掛かるまでの速さ、習熟までの速さ、終わらせるまでの速さの3種類あり、これが速ければ、上手くならない訳が無く、それを加速する一番の方法が、好きで得意なことに取り組むことなのです。
2015/09/11 恋愛は性格が合わなければ、別れることが出来ます。結婚すると、合わせる努力が必要になります。同じように、就職も自分を他人に合わせなくてはいけません。恋愛と同じように、就職の前に自由に別れられる期間が有り、お互いに気持ち良く別れられたら、その後も良い関係を保てそうな気がするのです。
2015/09/10 初心者でも正しい方法ですれば、時間はかかるにしろ、確実に上達するのです。ベテランで有ろうと、間違った方法では行き詰るのです。ですが、これが理解できずに、間違った方法を繰り返す人は多いのです。同じ方法を繰り返して、違う結果を望むことほど、愚かな事は無いのですが、気づかないものです。
2015/09/09 苦手や嫌いな事でも、好きで得意な方法で工夫すれば、楽しく出来るのです。ですが、上司がやり方にこだわる人だと、思い通りにさせてもらえないのです。もしも、上司を思い通りに動かすことが出来れば、天下を取れると思うのですが、人付き合いは仕事以上に難しく、挫折する人が後を絶たないのです。
2015/09/08 間違いを改められない人は間違いに気付いてない?間違いを受け入れられない?正しい方法が分からない?正しい方法で出来ない?正しい方法でやっても出来そうにないので、尻込みしている?私は気付かないことが多いのですが、気付きさえすれば改める努力をするので、指摘してくれる師匠が必要なのです。
2015/09/07 玄能を作っていると、穏やかな気持ちになるのです。興味あることに次々と挑戦しますが、やっていて気持ちよくない事は、すぐに止めるのです。気持ち良くても、飽きてしまうのも、すぐに止めるのです。ですが、玄能造りは気持ちよくて飽きないのです。それは、支援して下さる方が素敵だからなのです。
2015/09/06 私は変な人を好きになるのです。他人の意見に左右されずに、自分の考えをしっかりと持ち、他人の知らないことを沢山知っている人。そんな人を世間では変人と言っておりますが、わたしは大好きです。流されて群れているような人は、どうしても好きになれないのです。ですから私も変人になりたいのです。
2015/09/05 宴会の席で、皆にお酌をしてまわるのが苦手なのです。ですから、両隣の人だけで許してもらいたいのです。短い時間に多くの人にお酌してまわっても、挨拶程度で深い話が出来ないのです。それならば、両隣の人とのご縁を大切に、じっくりと話をした方が、楽しく有意義に過ごすことが出来ると思うのです。
2015/09/03 他人にお願いできる人が成長するのです。自分に出来ない事も出来る事も、お願いするのです。そして空いた時間に、好きで得意で興味のある新しいことに挑戦するのです。これで成長しないはずがないのです。成長しない人は、嫌いで苦手で興味もないのに、一寸だけ出来てしまう些細な事に執着するのです。
2015/09/02 上手く行かなかったら、上手く行くところまで戻ればいいのです。小学5年生の算数でつまずいたら、4年生に戻ればいいのです。ですが、50歳になって4年生に戻るのは、ちょっと難儀なのです。ですから、自分が駄目なのに気づくのは、早い方が良いってことですが、気づくだけでも大きな進歩なのです。
2015/09/01 始めるには勇気がいりますが、止めるのはもっと勇気がいるのです。一人では出来なくても、仲間とやれば上手く行くことが有ります。ですが、依存し合っているグループでは、上手く行くはずもなく、それに気づいても、抜けるに抜けられないのです。お金が絡んでくると、抜けるのはほぼ不可能なのです。
2015/08/31 好きになりそうもない事でも、我慢して続けていれば、慣れるのです。そして、そんな事が何度か重なると、自分が本当は何が好きなのかが分からなくなってしまい、たとえ好きで得意な事が目の前にあったとしても、一生涯見逃してしまうのです。ですから、せめて好きになりそうなことをやるべきなのです。
2015/08/30 イライラして八つ当たりしている人を見ると、羨ましいのです。子供の頃から、八つ当たりをする相手がいなかったので、イライラすることを諦めたのです。ですから若い頃は、自分と意見が合わないからと、徒党を組んで大声を出し行進する人達を見て、あこがれたのです。ですから、とても羨ましいのです。
2015/08/29 もの作りは、無言のまま哲学を語れるのです。ですが、見る目の出来ていない若者には、そのままでは伝わらないので、分かりやすい言葉で伝える工夫がいるのです。それは誰もが使う言葉では伝わらないのです。自分だけの言葉で伝えなくてはいけないのです。それは、もの作りと同じくらいに難しいのです。
2015/08/28 私には足りないのです。子供の頃からずっと、足りない何かを探し続けていたのです。また、何をやっても満足感が無く、だから自信も持てなかったのです。それでいて、何かに不満が有る訳ではないのが、とても不思議だったのです。ですがようやく、その心に空いた穴が何なのか、分かった気がするのです。
2015/08/27 信念は行動して見せるだけでは伝わらないので、言葉にする必要が有るのです。信念を言葉にするには、知識が必要であり、知識は読書や他人との出会いから得ることが出来るのです。ですが、それだけでは正確さに欠けるのです。思っているまま正確に信念を伝えるには、書くことによる洗練が必要なのです。
2015/08/26 やり方をすぐに聞く人は、最後までやらないのです。そのうえ、同じような人が集まり、教え合ったりするのです。ですが、最後までやらない人どうしでは、最後までやる方法を学べず、やはり最後までやらないのです。最後まで出来る人は、とことん自分で考えてから、自分よりもはるか上の人に聞くのです。
2015/08/25 好きで得意ならすぐにやるべきで、嫌いで苦手ならやめた方が良いでしょう。では、好きで苦手、または得意で嫌いならどうでしょう。得意は周りが期待するだけに、嫌いだと辛くなるのです。苦手でも好きなら続けられるので、大きな力になるでしょう。ですから、苦手でも好きを選んだ方が、よさそうです。
2015/08/24 私は子供の頃から、「考え過ぎ」とか「慎重過ぎ」とか「繊細過ぎ」とか「毛深すぎ」とか言われ、いじめられてきたのです。ですが、考えずに、軽率で、大雑把で毛が少ししかない人ではなかったので、良かったと思うのです。きっと、他人の事をとやかく言う人は、相手がどうであれ、文句を付けるのです。
2015/08/23 本を読むだけでは賢くならないと思うのです。読んだものを他人に話したり、実践したりしない限り、自分に定着しないのです。自分で文章を書いてみるのも良いのです。すると、考えがまとまり、自分の中に軸が出来始めるのです。ですが、殆どの人は本を読まないので、読むだけでも一歩先を行けそうです。
2015/08/22 上手く行かない時に、他人を責める人と自分を責める人がいます。前者は絶対に成長できないでしょう。後者は鬱になってしまうかもしれません。どちらもいいことは有りませんから、そんな時には、ただ上手く行く方法を考えればいいのです。上手く行かないことと、責めることをつなげてはいけないのです。
2015/08/21 他人の話を聞くときには、メモしてはいけないと師匠に叱られたのです。メモすると集中力が途切れるし、相手に失礼だからです。どうしてもしたい時には、相手にことわりを入れるようにとも言われたのです。おかげで、大事な事をその場で覚える苦労は増えましたが、集中して聴けるようになったのです。
2015/08/20 職人仕事は、自分の身を削り取って、切り売りするようなものだと思うのです。少しずつ新しいものを身に付け、少したまったらそれを売る。その繰り返しなのです。ですから、新しいことが出来るようになったからと言って、すぐに売りはじめたのでは、身を細らせることになり、長続き出来ないのです。
2015/08/19 過去に兼業から専業の玄能鍛冶が生まれたのです。今は鍛冶の需要が減り、鍛冶屋が激減したので、専業化した鍛冶屋は昔の様に兼業に戻るのでしょうか?私は無理だと思うのです。兼業できる程度の品質では、今後立ちいかなくなると思うからです。だから、他人の出来ない事をやるか、止めるか、なのです。
2015/08/18 本当にやりたいことをするには、やりたくないことはしないことです。その為には絶対にやらないことを決め、それを周りに分かってもらう必要が有ります。やりたくないのに、情に流されて時々やってしまうのが一番いけないのです。徹底的にやらなければ、誰もそれについては貴方に期待しなくなるのです。
2015/08/17 私の関心事は、多くの他人とは違うようなのです。多くの他人が始めたり勧めたりすることには興味が無く、他人が馬鹿にしたり怒り出したりすることに興味を持ってしまうのです。その理由は良く分からないのですが、子供の頃から何となく、そちらにこそ真実が隠されているような気がしてならないのです。
2015/08/16 「盗用」が騒がれていますが、そうでないものが有るのでしょうか。世に原理原則が有り、全てがそれに則り存在するならば、モノマネでないものなどないのです。鍛冶屋は先人の業績に手を加えることで成り立っており、もしもオリジナルの玄能しか造ってはいけないと言われたら、廃業するしかないのです。
2015/08/15 引き継いだ事に自分なりの工夫を加えるだけでは足りないのです。これだと自分だけの進歩で完結するので、他人に伝える必要があるのです。すると進歩の連鎖が始まり、他人も自分も進歩出来るのです。ですから、本当の進歩は次に渡すことから始まると心得て、早いうちから、その為の訓練が必要なのです。
2015/08/14 一家に一台のロボットが人の代わりに働く時代になったら、それを買ったり維持したりするのに、どれほどお金がかかるのか、子供の頃にアニメを見て心配したのです。そして現代は私の心配通り、豊かになりたくて働いているのではなくて、豊かになったが故に、無理して働かざるを得なくなっているのです。
2015/08/13 誰でも他人には嫌われたくないと思いますが、誰からも好かれる事は出来ないのです。何かを支持すれば、何かを支持しないことになるのと同じで、誰かに好かれれば、誰かに嫌われる。これを受け入れ、選択を狭める決断が出来た時に初めて、その選んだ人に好きになってもらえる可能性が出てくるのです。
2015/08/12 先の無いことに気付き、いかにそれを早く止めるかが、成功の秘訣なのですが、止めるのは負けるような気がして、つい続けてしまうのです。ですが同じ止めるにしても、あきらめることはマイナス思考だけれど、見切りを付けることはプラス思考だと考えを切り替えると、すぐに止められる気がするのです。
2015/08/11 仕事が出来るとは、お客様の期待を上回る成果を出し続けることだと思うのです。ですが一度に大きく上回ると、後が続かなくなるので、少しずつ上回ることが大切なのです。ところが、出来なかったことが出来たりすると、つい有頂天になり披露したくなるので、このコントロールはとても難しくなるのです。
2015/08/10 プロフェッショナルは、アマチュアがどんなに時間やお金を掛けても出来ない事が出来ることは勿論ですが、プロであり続けるには、作り出したものを思い通りに進化させる力が必要なのです。どんなに他人の出来ない事が出来たとしても、オリジナルを生み出す力が無くては、プロではい続けられないのです。
2015/08/09 私は子供の頃から自分のやりたいことが明確過ぎて、他人に合わせることが苦手だったのです。一時は頑張って、人付き合いの練習もしたのですが、もう諦めたのです。すると不思議な事に、同じような人たちが集まり出し、今では自分の好きな事をしているだけで、他人と仲良く出来るようになったのです。
2015/08/08 師匠は呼吸するように作業していたのです。私はそれを目指しているのですが、経験が浅い故に難しいのです。ですから普段から仮説を立てて検証し、それを確認することで、正しいやり方を見つけ、それを考えずにできるまで体に叩き込み、難しい仕事であっても肩の力を抜いてできるようにしているのです。
2015/08/07 140文字コラムを書き始めて半年過ぎました。何時ネタ切れするのか心配だったのですが、書けば書くほどに、思いがあふれ出て、まだまだ続けることが出来そうです。そして意外な効果として、対面で聞かれたことに対して、即答できるようになったのです。きっと、頭の中が整理されてきたのでしょうね。
2015/08/06 何時も頑張れと説教されている怠け者の私は、自分の意志の弱いことを知っているので、頑張らずにできる方法を考えるのです。すると、色々とやらなくてはいけないことが出てきて、大変なのです。ですから更にそれを頑張らずに出来る方法を考えるのです。すると本当に頑張らずに出来るようになるのです。
2015/08/05 自分のお客様が誰であるべきかを定義するのは大変ですが、そのお客様に可愛がられるために、何をしたらよいのかを考えることは、もっと大変です。そこで私は、理想のお客様に直接聞いたのです。これから私は、どの様に仕事を進めて行ったらいいのですか?と。すると、親切に指導していただけたのです。
2015/08/04 年を取って丸くなるにも2種類あります。1つはこだわりを捨て自然体になる場合。もう1つは諦めて大人しくなる場合。それとは逆に、益々とげとげしくなる場合もありますが、こだわりを捨てられずにいるのでしょう。こだわりは時と場合により、とても大切ですが、コントロールがとても難しいようです。
2015/08/03 等身大を目指すと、尊大になったり、謙虚になり過ぎたり、自分が振り子のように揺れてしまうのです。その原因は、目指すべき等身大がどんな状態なのか、分かっていないからだと思っていたのですが、たった今思い直したのです。等身大は目指すものでは無くて、そもそも、なりたい自分そのものなのだと。
2015/08/02 私はどうしたら仮面ライダーになれるのか、ずっと考えて来たのです。変身する前の状態ではどうしても弱っち過ぎるのです。ですから、色々と身に付けることで武装してきたのですが、どうやらそれでは変身出来そうにないのです。そこでこれからは、今まで付けてきた鎧を脱ぎ捨てることに決めたのです。
2015/08/01 私は子供の頃から褒められるような事をしてこなかったので、褒められたりすると恐縮し、いたたまれなくなってしまうのです。ですから他人を褒めるのならば、その相手が子供の頃から褒めてやり、充分に免疫を付けてやらなくてはいけないのです。年を取ってから急に褒められるのは、とても辛いからです。
2015/07/31 私は何かを諦めたという記憶が無いのです。きっと、執着心の強い人は、中断することに罪悪感を持ってしまい、諦めるという負の観念に到達するのでしょう。ですが私は執着心が少なく、何かを中断するのに、新たな希望すら持つことが出来るので、諦めでは無くて、自ら見切りをつけたという感覚なのです。
2015/07/30 知人が言うのです。等身大の自分で死んでいくのが目標だと。私はこれにグッと来たのですが、実際に彼は世間に媚びず、自分のスタイルを貫いているのです。そしてそれが出来る一番の理由は、彼が皆に好かれたいと思っているのではなくて、誰に好かれたいのかをはっきりと決めているからだと思うのです。
2015/07/29 私の幸せの基準が他人と違うことに漸く気付いたのです。私は「心の平安」を一番に今まで生きてきたのですが、どうやら他人は違う様なのです。世の中の多くの人はどんなにストレスを抱えようと、お金や権力を得ることに邁進している様なのです。ですが私にはそれが誰かの企みに思えてならないのです。
2015/07/28 「真面目な人間が馬鹿を見る社会は間違っている」と声を荒げる人がいるのです。私ももっともだと思うのですが、本当に真面目な人は直面する問題を自分の事として捉えるものです。ですから、それを社会や他人のせいにして声を荒げたりする様では、その人に関しては馬鹿を見ても仕方がないと思うのです。
2015/07/27 ありのままに生きようとすると飾ってしまうのです。きっとありのままに生きている人は無意識に生きていると思うのです。ですが、意識し続けなければ絶対にありのままの自分には成れないとも思うのです。ですから一時的に見苦しく見えても、ありのままに生きるとは何かを考え続ける必要が有るのです。
2015/07/26 言われているうちが花などと申しますが、年を取ってくるとそれが身に染みるのです。たとえ言ってもらえたとしてもそこには遠慮があり、素直に受け取ってはいけないことが多くあるのです。ですから若い頃から客観的に自分を見る習慣をつけていないと、勘違いしたり不安になったりすることが多いのです。
2015/07/25 子供の頃から夢と現実の区別がつかないのです。例えば玄能鍛冶を目指す私に「夢みたいなことを言うな」と殆どの人は否定したのですが、きっと夢とは叶わないものと皆は思っているのでしょう。それともあの夢とこの夢は違うのでしょうか?私はどちらの夢でも信じることで実現すると思っているのですが。
2015/07/24 カッコ付けている奴は格好悪いですが、格好良いとは何かを考えずに格好良くは成れないと思うのです。ですから格好良く生きたかったら、格好良い憧れの師匠の元に押し掛けるか、それが無理なら素敵な本を読むべきです。何故なら憧れの師匠も素敵なストーリーも格好良く生きるための道標になるのです。
2015/07/23 最近は涙もろいのです。人の優しさに触れ、心打たれることが多くあるのです。今迄だって多くの人達に支えられて、とても恵まれて来たと言うのに、それにまるで気付かず、世間の悪い所ばかりに目が向いてしまったのです。ところが50歳を過ぎて、漸く周囲を冷静に見られるようになって来たのでしょう。
2015/07/22 知人と友人の数が反比例するのです。私は仕事を一生懸命して社会に認められれば、多くの友人に恵まれると思っていたのです。確かに仕事を通じて多くの人と知り合い、付き合いの幅も広がったのですが、心は空虚になっていくのです。きっと一人一人との付き合いが浅くなってしまったからなのでしょうね。
2015/07/21 人前に出て褒められたりすると自分は舞い上がってしまうのではないかと恐れていたのです。ですが勇気を出して人前に出てみたのですが、やはり中には褒める人もいる訳です。ところが私は舞い上がるどころか、恐縮して罪悪感さえ持ってしまうのです。ですから当分の間はまた引きこもることにしたのです。
2015/07/20 まだ見ぬ私の技術継承者に伝えたいのです。私の身に付けたことや成し遂げたことなど高が知れたものですが、世の中はこのちっぽけな事の積み重ねによって素晴らしい文化が育まれてきたのです。ですから私は自分のしてきた事を無駄だとは思っておらず、これを次世代に伝えたいと心から思っているのです。
2015/07/19 自分の仕事に対しての正確な評価が気になることが有るのです。ですが何を持って「正確」と言えるのでしょう?ご使用者様それぞれに技量や知識も大きく異なり、私や私の商品に対する先入観も有る事でしょう。ですから大切な事は「自分にとってたった1人の大切な人」に認めてもらうことなのでしょうね。
2015/07/18 商売の世界では商品やサービスの質だけが勝敗を決める訳ではないのです。様々な戦略や戦術を駆使してライバルを蹴散らしていくのです。ですが何時の間にか戦略や戦術がメインとなり、商品やサービスが置き去りになっている気がするのです。何故なら最近の物は昔の物より早く駄目になるからなのです。
2015/07/16 場当たり的な対応をしていると何時しかそれが主たる作業となり、そもそもの目的が何だったのか解らなくなってしまうのです。鍛冶仕事で気付くのは、そもそも技能が無い故に止む無くやっている作業が、何時しか無くては成らない仕事になっていたりするのです。そして誰もそれに気付かないものなのです。
2015/07/15 自分と世間の感覚がずれてきている気がするのです。地場の鍛冶の将来を考えて何か手を打たなくてはと私が行動を起こすと、予想外の展開になるのです。一番の予想外は鍛冶屋の後継者が鍛冶技術の勉強や継承に消極的な事と、商品やブランドは古いままなのに、それを売る事ばかり考えていることなのです。
2015/07/14 周りの人が歪んで見えることが有るものです。ですがもしかしたら自分の見る目が歪んでいるのかもしれません。毎日同じことを繰り返していると、どんなに間違ったことでさえそれが日常になり、自分が正しいと錯覚してしまうものです。ですからそれを厳しく指摘してくれる人の存在はとても貴重なのです。
2015/07/13 主体的に生きるとは外界からの影響を受けずに生きることだと思っていたのです。ですが、気が付くと周りのあらゆるものに影響を受けているのです。ですから周りに影響されずに生きることはもう止めたのです。その代わりに、影響を受けてしまうことを前提に自らの行動をコントロールしようと思うのです。
2015/07/12 目標を達成することは自分の生き様を絞り込んでいく作業だと思うのです。覚悟を決めて先に進み、現在地を確認して軌道修正し、最終的にはピンポイントに目標にたどり着く。そして一番大切な事はこれを自分の意志で行っているという自覚なのです。させられている感が有ると、必ず逃げてしまうものです。
2015/07/11 「GANTZ」からは学べるのです。主人公が他人に期待されることで自己成長を遂げていくのです。たとえその期待が幻想から来るものであっても、無意識に期待に応えようとするのです。振り返ってみると、私も他人が私に抱いた幻想に追いつくために、無意識にもがいていたのかもしれないと、ふと思ったのです。
2015/07/10 書籍やマスコミの情報だけを信じている人がいるのです。ですが、そんな情報は世の中の出来事全体から見たらほんの些細な事であり、間違えていることすら多々あるのです。ですから、自分の知っている事や触れている情報が大海の一滴であると自覚できれば、物の見方や考え方も変わってくると思うのです。
2015/07/09 小学校に入学して初めて給食を食べた時は感動したのです。世の中にこんなに美味しいものが有るなんて、信じられなかったのです。でも今同じものを食べたら、きっとあまり美味しく感じないでしょう。これは舌が肥えたためであり、ある意味進歩したということなのですが、ちょっと寂しい気もするのです。
2015/07/08 好き嫌いで決めておけばいい話を善悪に置き換えてしまう人がいるのです。こちらにしたら好きな事を悪いと決めつけられたりして、変な罪悪感さえ持ってしまうのです。飛躍して言えば「原発再稼働」にしても「憲法改正」にしても同じだと思うのです。善悪ではなく、皆がどうしたいのかが大事なのです。
2015/07/07 テストで良い点数を取る秘訣は得意科目で100点を目指しつつ、苦手科目を克服してその点数も上げていくことなのでしょう。ですから私は社会人になって暫くは同じ様に考えていたのです。ですが仕事で100点を取っても所詮は凡百でしかないことに気付いてからは、苦手な事は捨てることにしたのです。
2015/07/06 一旦身に付いてしまった習慣は中々変えられないのです。ましてや年を取ってからは殆ど無理と言ってもいいのです。ですが健康診断に行くと運動しろとか果物を食べろとか言われるのです。ですが仕事で疲れているので運動はしたくないし、果物を食べると血糖値が上がり過ぎて、健診に引っかかるのです。
2015/07/05 年を取るほどに一人では何も出来ない事を実感するのです。若い頃は仲間も少なく、悩み事を相談できる相手も居なかったのですが、今では助けてくれる人にも恵まれ、穏やかな気持ちで過ごすことが出来ています。ですから師匠の言っていた「腕と共に品格を磨き続けなさい」の意味が漸く解ってきたのです。
2015/07/04 健康診断に行く度に思うのです。もしも世の中から健康診断が無くなってしまったらどうなるのだろうかと。1つはっきりしていることは健康診断に関わる仕事をしている人の仕事がなくなることです。あとは何が変わるのでしょうか?健康を害する人が増えてしまう?それとも何も変わらないのでしょうか?
2015/07/03 上達の妨げとなる最大の障害の一つに「間違いではないけれど、正しくない知識」が有ります。初期段階でこれを身に付けてしまうと、そこから抜け出すことは容易ではありません。ですが、それをいったん手放して「正しい知識」を身に付けなくては一歩も前進できないのです。だから最初が肝心なのです。
2015/07/02 何かを選択することは他の何かを選択しないという事ですから、その時点では確実に選択肢は減るわけです。ですがその選択が正しければ、より魅力的な選択肢が増えることになるのです。左様に人は有意義に生きていくために勇気を持って一時的に選択肢を減らす行為が求められ、これが「決断」なのです。
2015/07/01 娘が言うのです。「高学歴を身に付けて人生の選択肢を増やすって言うけど、そう考えた時点で選択肢は減っているよね」って。「娘よ、お前凄い事に気が付いているな」と思ったのですが、自分が勉強嫌いなことの言い訳だとすぐに気が付いたのです。娘は私の知らない間にとてもずる賢くなっていたのです。
2015/06/30 名人鍛冶から聞いたことが有るのです。「気力・体力共に充実して仕事に臨めることなど、1年に1度有ったら良い方だよ」って。世の中には少し気分や体調が優れないだけで文句を言う人もおりますが、何も言わずに淡々としている人もいるのです。この違いが長い時を経て、凡人と名人の違いを生むのです。
2015/06/29 基本の先には更なる基本が有る事に気付かなければいけないのです。そうでないと身に付いてしまった今の基本にしがみ付いてしまうのです。ですが厄介な事にこの更なる基本に気付くには研ぎ澄まされた天才性が必要であり、普通の人には難しいのです。ですからそこに到達している師匠が必要となるのです。
2015/06/28 業界人同士で話す際に出てくる「良い商品」と言う言葉ほどいい加減なものはないのです。例えば10人が自分の考える「良い商品」を定義付けしたなら、10通りの定義になることでしょう。ですが現状はその認識が無く、お互いに解ったつもりで話を進めていることが、私にはとても理解できないのです。
2015/06/27 世の中は出鱈目な情報で満ち溢れている訳ですが、それを承知で適当に騙されているのも楽しいのです。特に私が大好きなのが宇宙人系とUMA系なのです。いないと分かっているのに、いたらいいなと思ってしまうのです。全てにおいてこの程度に考えていれば、騙されても大して腹も立てずに済むのです。
2015/06/26 「魚を与えるのではなく、釣り方を教えなくてはいけない」なんて言いますが、大間違いだと思うのです。そんなことをしたら何時までも自立出来ないのです。ですから魚の釣り方を自ら考えられる様にすることが重要であり、そのためには教えてはいけないのです。それが人を育てる秘訣なのだと思うのです。
2015/06/25 子供の頃の事です。転んで膝小僧をすりむいて「どうして自分だけがこんな酷い目に合うのだろう」なんて思ったりしたものです。ところが大人になっても同じ様な事を言っている人がいるのです。「こんなに頑張っているのに、どうして自分だけ報われないのだろう」なんてね。とてもおっちょこちょいです。
2015/06/24 「やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、褒めてやらねば人は動かじ」等と言いますが、やってみせられた事も、言って聞かされた事も、させられた事も、褒められた事も殆どない私にはピンと来ないのです。この言葉は子供たちの自己成長を待つ余裕の無い学校教育の悪しき産物で有ると、私は思うのです。
2015/06/23 人見知りが治らないのです。訓練のために無理を承知で交流会等に出てしまうのですが、予想通りに神経をズタズタにされてへとへとになってしまうのです。私は生来のチャレンジャーの為に色々試してみるのですが、人見知りはちっとも改善されないのです。人見知りとそうでない人の境目が知りたいのです。
2015/06/22 地元の鍛冶屋の若手が育たないので、彼らに助言してくれと頼まれることが多いのです。ですが私はそれに応じないのです。なぜなら彼らは与えられることに慣れてしまい、自分で考えることを止めてしまっているからなのです。彼らが育つには自立しなければ自滅してしまうことに自ら気付くしかないのです。
2015/06/21 問題に直面してすぐに逃げ出してしまうのは論外ですが、どうにもならないことを考え続けてしまうのも問題なのです。すぐに問題解決出来そうなことには速やかに取り組み、そうでない場合には少し距離を置いて様子を見ていることも必要なのです。今は駄目でも時が経てば解決出来る問題も沢山有るのです。
2015/06/20 以前は自分の目標とする到達点に達し、誇らしい気持ちになることが自信を持てた状態だと思っていたのです。ですが最近は自信など無くても、自分の目指す方向さえ間違っていなければ、それで良い様な気がしてきたのです。その上で格好付けずに、有りのままに生きていければそれで十分な気がするのです。
2015/06/19 スキルが全然足りてないことに気付いていないのも困りますが、充分にスキルが有るのに始めようとしないのも困るのです。大切なのは身に付けたスキルを活用しながら行動することで、初めて本当に必要なスキルが解るということなのです。その上でそのスキルを身に付けさえすれば、鬼に金棒になるのです。
2015/06/18 地元で私の事を知る人はとても少ないのです。そして御近所でも私が何をする人なのか知らない人が殆どなのです。隣の住人と顔を合わせることも無く、反対隣りの一人暮らしのオッサンはいつの間にか亡くなっていたのです。ところがこれで別に困る事が無いというより、かえってとても暮らしやすいのです。
2015/06/17 他人が弱音を吐けば助けたくなるのに、自分は強がって他人を遠ざけてしまう。よく有ることですよね。皆がありのままに自分の弱さをさらけ出してしまうと、鬱陶しくなってしまうのでしょうが、時々ならそれが潤滑油になる気がするのです。私は此処に人間関係や商売のコツが隠されていると思うのです。
2015/06/16 寡黙に仕事を続けるAさんと、自己宣伝に余念のないBさんがいます。もしも、この2人が同じ程度の技量を持つ職人でしたら、貴方ならどちらを応援したくなるでしょうか?私ならAさんを応援したくなりますが、多くの人はBさんの様に振る舞ってしまうものです。立場が変わると思考は逆転するのです。
2015/06/15 銀婚式のお祝いに倅と娘が夢の国と豪華ランチのサプライズプレゼントをくれたのです。そこで家族4人で行ってきたのですが、こんな経験は生まれて初めてなのでとても感動し、危うく涙を流してしまいそうになったのですが、そこはアクビをしてごまかした次第です。ああ、やはり長生きはするものですね。
2015/06/14 ヤンキーも優等生も根は同じだと思うのです。周りを気にしながらそれに反応している姿は、見た目の服装や態度の違いとは対照的に、私には同じに見えてしまうのです。ヤンキーを非難する優等生も優等生に劣等感を抱くヤンキーも同根なのです。世の中違うように見えて、実は同じことがとても多いのです。
2015/06/13 私なりに手道具の有るべき姿を突き詰めていくと、極めてシンプルな形状で使いやすいものが導き出されるのです。それは所見での驚きは有りませんが、コストパフォーマンスが高く、且つ使う程にその良さが分かるのです。であればリピート率は上がる訳で、収益率の高いビジネスモデルたり得るわけです。
2015/06/12 かつての私は身の程をわきまえず、完璧主義者と陰口を叩かれていたのです。ですが玄能製作を始めて、あまりにも自分が未熟である事を思い知らされてからは「今の自分に出来る精一杯を常に目指す」と考えを改めたのです。ですから、今は駄目でも少しずつ良くなると思いますので、ご辛抱願いたいのです。
2015/06/11 地元で私は「ぶれている」と言われることがよく有ります。ですが、信念に基づいて行動しているつもりなので、自分ではそんな風には思っていないのですが、どうなのでしょうか?まあ別に気にもしていないのですが、私にそんなことを言う人はきっと今でも「天動説」を信じているような人なのでしょうね。
2015/06/10 同じことを繰り返してさえいれば今日と同じ明日が来ると思っている人がいます。ですが、明日には1日だけ年寄りになっただけで前日と同じことしかできない自分がいるのです。そして年を取った分だけ確実にタイムリミットにより出来なくなることが増えていくのです。まさに「後悔先に立たず」なのです。
2015/06/09 一人で出来る事なんて些細な事ですが、これをネズミ算的に拡大したネットワークで出来るなら、途轍もないことが出来そうです。実はこのネットワークは既に出来ており、見える人には見えているのです。ですから、自分をそのネットワークに如何に結びつけるのかが、とても大きなカギを握っているのです。
2015/06/08 神様は望むものは何でも与えてくれるといいますが、手に入れることによる不幸もあると思うのです。人は何かに執着して欲張るほどに本当に大切な物を見失い、そして余計な物ばかりを溜めてしまうものです。そしていらない物まで手放せなくなり、本当に大切な物は何時までも手に入れられないままのです。
2015/06/07 27年間使い続けたウォシュレットのパッキンが壊れて、たらたらと水が滴り落ちているのです。夜中に辺りが静まり返ると、ピチョン・・・ピチョン・・・と微かに響き渡り、まるで水琴窟の様なのです。これが疲れた心と身体に響き渡る心地よい音色なのです。これも一寸した神様の贈り物なのでしょうね。
2015/06/06 私は他人と一緒にいると緊張するのです。子供の頃から家族に対しても緊張するのです。ですから結婚は出来ないと諦めていたのですが、何とか出来たのです。ですが女房と一緒に居ても、子供と一緒に居ても緊張するのです。これは何時か慣れるのでしょうか?ですが困ったことに一人でいると寂しいのです。
2015/06/05 リーダーシップを発揮するには自分が主役にならなければいけないと思っていたのです。ですが自分が主役のリーダーは何処でもあまり上手くいっていない様なので、他人を主役にするリーダーの方が良いのかなと思ったのです。ですから人前に出るのが苦手な私はそちらの方が向いている気がしてきたのです。
2015/06/04 私が他人を評価(好き嫌い)する時の基準がずっと解らなかったのですが、ついに解ったのです。その基準は「ギバー(与える人)」「テイカー(受け取る人)」「マッチャー(バランスを取る人)」なのです。因みに、師匠は私を指導するという一文の得にもならないことをした愛すべきギバーだったのです。
2015/06/03 社会に巣立つ日に目を輝かせ夢を語っていた若者も、半年もすれば「食べる為に我慢して働いているのです」なんて言うのです。人生で本当に楽しいのはこれからだというのに、なんてもったいない事でしょう。そんな人に私如きがアドバイスは出来そうにありませんが、話を聞くくらいなら出来そうなのです。
2015/06/02 売れそうにないものを売るためのパワーを売れそうなものを新しく生み出すパワーに変換すれば、殆どの問題はコロコロと転がり始めると思うのです。但しこの場合は売り方も含めて「商品」であることを忘れてはいけません。私はこの両者のパワーはたとえ同じ大きさであっても、向きは真逆だと思うのです。
2015/06/01 人は自分の価値観でしかモノを見ることが出来ません。善い行いをする人は他人も良い行いをすると信じ、悪い行いをする人は他人も同じように悪いことをすると思っているのです。俗にいう下衆の勘繰りと言うやつですが、自分が他人を疑ったりするときは胸に手を当てて深く考えてみる必要がありそうです。
2015/05/31 ルアー(疑似餌)を遠投する際に、上手い人は竿先を平行移動させるのです。そして最後は竿先がぶれない様に力を抜くのです。よって力は無駄なくルアーに伝わり直線に近い軌跡で飛んでいくのです。下手な人は竿先が円弧を描くように移動し、ルアーの飛んでいく向きは定まらず、飛距離も伸びないのです。
2015/05/30 ピアニストで作曲家のグレングールドが言うのです。「芸術の目的は瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある」って。私の仕事は芸術ではありませんが、この言葉にはグッと来たのです。結局仕事は淡々と日々想いを積み重ねていくしかないのですよね。
2015/05/29 手道具にスタンダードは無いとも言われますが、使いやすい道具には確固とした理論が有ると思うのです。私はその理論を探求することが楽しいのですが、意外とその理論を受け入れてもらえないのです。何故ならば、時には道具に自分を合わせる必要があることに、多くの人が気付いていないからなのです。
2015/05/28 心からお詫びしたいのです。6月13日(土)に開催を予定しておりました工場の開放ですが、諸般の事情によりましてこの度は中止とさせていただきます。ご期待を裏切り誠に恐縮いたしますが、日を改めて開催させていただきますのでよろしくお願いいたします。この度は本当に申し訳ありませんでした。
2015/05/27 私は暇を潰すことが無いのです。そもそもやりたい事が多すぎて暇が無いのです。例えば普段は読みたい本を持ち歩いているので、隙間時間は絶好のチャンスなのです。そうでない時でもすぐに興味の有る事を身の周りに見つけるので、やはり暇にならないのです。きっと好奇心旺盛な人には暇はないのですね。
2015/05/26 世の中で起きていることの殆どは良い事と悪い事のセットなのです。辛い経験は人を強くし、哀しい経験は人を優しくします。転んで膝小僧をすりむけば、大きな怪我をしない様に注意もするでしょう。人には辛いときにそんな利点を考える余裕はないでしょうが、実は世の中はとても良く出来ているのです。
2015/05/25 管理釣り場(釣り堀)に行った際には魚が釣れなくても楽しいのです。沢山釣れる時というのは何となく釣れてしまうのであまり練習にならないのですが、釣れない時というのは状況を分析して手を変え品を変え釣りをするので、とても良い練習になるのです。私はその分析すること自体がとても楽しいのです。
2015/05/24 6月13日に工場を解放しようと思うのです。午前8時から午後4時まで、御連絡頂かなくても自由に遊びに来てもらいたいのです。お客様のいない時には仕事をしておりますので、タイミングが合えば仕事を見てもらうことも出来るのです。ですが誰も来なかったらどうしようかと今から心配しているのです。
2015/05/23 他人を変えられると思っている人は何時までも不満を持つことでしょう。自分を変えられると思っている人はとても意志の強い人か変える努力を未だしたことの無い人でしょう。私なら自分など変えようとせずに、自分の適性に合ったことで活躍しようと考えるでしょうし、他人にもそれを勧めると思うのです。
2015/05/22 プロフェッショナルはアマチュアの延長線上にはないのです。プロを目指すならば最初からプロのやり方で始めなくてはいけないのです。アマチュアのやり方ではどんなに頑張ってもプロにはなれないので、よく考えてからスタートしなくてはいけないのですが、殆どの人がスタートで間違えてしまうのです。
2015/05/21 「やらされている」も「してやっている」も周りに反応しているだけなのです。大切なのは周りからの刺激を客観視し、その上で本当に自分がやりたいことに取り組むことなのです。平常心を心掛けつつ「やらずにはいられないことをやる」に徹する。そうすれば無限のパワーが溢れ出てくると思うのです。
2015/05/20 流行を追いかけて仕事をしている人はお腹が一杯の人にご飯を勧めている様なものです。お腹の空いている人にご飯を勧めれば、多少不味かろうが喜んで食べてくれるので、美味しい御飯の準備をして、流行の振り子が戻ってくるのをじっと待てばいいのです。実はその時が一番お腹を空かしているのですから。
2015/05/19 私は自分の事を泥水の様な人間だと思っているのですが、本当に喉の渇いている人は泥水でも飲んでくれるのです。例えばいくらきれいな水でも喉の渇いていない人には飲んでもらえません。ですから飲んでもらうには喉が渇くまで待っていればいいわけで、そのタイミングを見定めるセンスが大切なのです。
2015/05/18 子供達はスポーツや勉強が出来ると褒められ、出来ないと叱られることで競争を身に付けるのです。競争は人間の進歩発展に欠かせないと言われますが、同時に他人にコントロールされ易い人間を作ってしまうのです。ですから自立するためには向上心を持ちつつも他人と競争しない方法を目指すべきなのです。
2015/05/17 私はお金持ちや権力者を羨ましいと思ったことが無いのです。これは子供の頃からの事で、大きな家に住んだり高価な玩具を持っていたりする子を見ても羨ましく思わなかったのです。これは自分にとっては当たり前の事だったのですが、今頃になって私がものすごく変態だったことにやっと気が付いたのです。
2015/05/16 偉い人は尊敬されますが、偉そうな人は嫌われてしまいます。ですが最初から嫌われていた訳ではなく、上辺と中身の大きな違いが分かった時点で嫌われる訳です。ですから良さそうに見せているだけで内容が伴っていない商品やサービスも、それが明確になった時点で大きく嫌われてしまう訳です。怖いです。
2015/05/15 選挙の度に思うのです。立候補者は応援してくれた人にどんな恩返しをするのだろうかと。当落で恩返しに差が有ってはいけないと思うのですが、どうなのでしょうか?全力で応援演説をしている人を見るにつけ、私なら恩返し出来そうにないなと怖気付くと共に、立候補者は勇気が有るなと何時も思うのです。
2015/05/14 鑿は国弘、鉋は義廣を手本に千代鶴是秀は不世出の名工と言われるまでになりました。この国弘と義廣は兄弟で三条市から八丁堀に移り住み名声を得た鍛冶屋です。その他にも鋸の深沢伊之助、大場正一郎、山口助左衛門、玄能では長谷川幸三郎と名工に事欠かない三条市ですが、地元で知る人は少ないのです。
2015/05/13

あることに夢中になる時は自分の喜びからスタートするのです。ですが続けているうちにその楽しさを誰かと分かち合いたくなり、そして何時かその分かち合う人の喜びが自分の喜びになったりするのです。最初は自分の楽しみから始まり、最後は他人の喜びのためにやってしまう。それが人なのでしょうね。

2015/05/12 直線、直角、対称を甘く見ていたようです。昨年のこと老眼鏡を掛けて仕事を始めてから、それまで気にならなかった事がとても気になりだしたのです。それが直線、直角、対称なのです。そのために仕事が遅くなってしまいとても困るのです。いっそ老眼鏡なんか作らなければよかったと後悔しているのです。
2015/05/11 先日の事、女房とUSJに行ってきたのです。私は人ごみや大きな音が苦手な上に、アトラクションの乗り物に酔うのです。ですが女房となら少しは頑張ってみようかなと思ったのですが、予想通りに大変具合が悪くなったのです。一体何故そんなに頑張ってしまうのか?女房を恐れているからなのでしょうか?
2015/05/10 安易で合理的な考え方が三条の鍛冶文化を滅ぼすのです。なぜならば一見無駄なように見えることでも、長く続けられてきた事には何らかの意味が有り、そういった事の中にこそ大切な本質があるものです。ですから、何が無駄で何がそうでないのかを判断するのは容易でないことに早く気付くべきなのです。
2015/05/09 商品やサービス自体に問題が有るというのに、それ以外をいじり回しても良い結果は得られないのです。問題の本質から目をそらして問題の周りをぐるぐると回っていると、頑張れば頑張るほどに遠心力で本質から遠く離れていくのです。ですから一旦立ち止まって、問題の本質に切り込む勇気が必要なのです。
2015/05/05 初めてやる仕事は何故か上手くいくのです。きっと先入観なく素直な気持ちで且つ集中して出来るからだと思うのです。ですが慣れるに従い集中力を無くして余計な事を考えるようになり、その結果失敗してしまうのです。ですから何時でも初めてやるような気持ちで臨めば、きっと上手くいく気がするのです。
2015/05/04 時々無性に休日に仕事がしたくなることが有るのです。どんなに楽しい仕事でも、平日の仕事は他人に喜んでもらう為や食べる為にする意識が有るのです。ですが休日にはあくまでも自分の為に自分がやりたい様に仕事が出来るのです。電話も訪問者も無く、のびのびと集中して思う存分楽しんで出来るのです。
2015/05/03 自分に足りない物が有るからと、あれこれと身に付けるのは注意が必要なのです。何故ならば人は身に付けたものに執着してしまい、それが視野を狭め人生の選択肢を減らすことにもなるのです。ですから良い学校を出れば人生の選択肢が増えると思ったら大間違いで、その学歴が自分を縛ることもあるのです。
2015/05/02 利益を上げるためには顧客獲得コストの削減はとても効果が高いので、私は自分の商品のPRやセールスをしないのです。なぜなら商品が人見知りで口下手な私の代わりに一生懸命に宣伝してくれるからなのです。この様に商品に饒舌に語ってもらうことはとても効率が良いので、皆さんにもお勧めするのです。
2015/05/01 難しい仕事に挑戦した後にはそれまで難しかった事がいとも容易く出来るようになるものです。ですがそれに油断することなく、それまで以上に慎重に取り組むべきなのです。そうすれば容易く出来ると思った事でも、もっと掘り下げるべき事が有ると気付き、それに挑戦することで益々上達するものなのです。
2015/04/30 年を取るとあっという間に一日が過ぎると聞いていたので、私も年を取ると充実感を得ることなく一日が過ぎてしまうのではないかと恐れていたのです。ですがそんな事も無く、毎日自分の大好きな事を思う存分して、とても充実した気分で一日を終えることが出来ています。これも人それぞれなのでしょうね。
2015/04/29 年を取ると好奇心が衰えて新しいことに挑戦しなくなるということを聞いていたので、私も50歳を過ぎる頃には未経験な事に取り組むことが億劫になるのではないかと恐れていたのです。ですが今のところそういった兆候もなく、何時でも新鮮な事を求めてワクワクしているので、人それぞれなのでしょうね。
2015/04/28 「一番」は幾つも有るのです。「一番安い」「一番粗末」「一番みじめ」など沢山あります。ですが「一番を目指す」と言う号令で組織が動く際に、その定義をしっかりと確認し合うことは殆どありません。各人が違った「一番」のイメージを抱きつつ活動する組織は一体何処に向かおうとしているのでしょう?
2015/04/27 以前の私は周りに反応してイライラすることがよく有りました。ですがスティーブン・R・コヴィーの「刺激と反応の間にはスペースが有る」と言う言葉を知ってからはイライラせずに主体的に生きていると思います。ですからこの「スペース」を如何に活かすかで、人生は大きく変わってくると思うのです。
2015/04/26 人格は持って生まれた多くの性格の要素と生活環境によって形成される多くの性格の要素の組み合わせで出来上がっていくのだと思うのです。ですから人格は自分自身の心掛け次第で幾らでも磨くことが出来るのです。そのためには今自分がどんな性格の要素を持っているのかを深く考える必要が有るのです。
2015/04/25 「良い製品をPRしてブランドを確立する」なんて言いますが、良い製品の定義もPRのやり方もブランドの捉え方も確立する対象も人それぞれ違うのに、皆が分かったつもりでいることに疑問を感じているのです。価値観が多様化した現代において、それぞれの言葉の定義を改めて議論する場が必要なのです。
2015/04/24 「仕事が出来る」とは様々な事が出来ることでは無く、一つの事をとことん掘り下げて出来る事だと思うのです。様々な事はそれに秀でた人を集めれば出来ますが、掘り下げる作業は訓練を積み鍛えないと出来ないのです。そして、それさえ出来てしまえば人を集められると思うので、私はそれを目指すのです。
2015/04/23 工場の脇を舗装してプレハブ小屋を建てているのです。主目的は作業場兼物置なのですが、面積の半分は会議にも使えるような自由空間にしておくのです。そこの本棚には私の蔵書を置き、訪問者には自由に見てもらえるようにしておくのです。他にどんな事に活用できるのかワクワクしながら考え中なのです。
2015/04/22 私は子供の頃から他人と競うことに興味が無く、スポーツ等の勝負事をすることが少なかったのです。また、ライバルの必要性も感じたことが無かったのですが、女房と子供には「どんだけ負けず嫌いなんだ」と何時も言われるのです。一体私は何に対して負けたくないというのでしょうか?少し考えてみます。
2015/04/21 もの作りは仕事の度に新しい発見が有り、毎日がとても新鮮なのです。ですから次々とやりたいことが沢山出てくるので、人間の一生が短過ぎる気がするのです。ですが私の周りではやり切った感満載の人が多く「もう掘り下げる事は何も無い」なんて言う人が殆どなのです。なんて勿体ない事なのでしょうか。
2015/04/20 「進撃の巨人」を読んでいるのです。これは我々の住む現実世界を実に上手く皮肉っていて素晴らしいのです。劇中では徐々に世界の謎が解明されていくのですが、現実世界では何時までも何も変わりません。ですから、せめて漫画のラストでは「結局は何も変わりませんでした」で終わってほしくないのです。
2015/04/19 一旦複雑にしたものを単純に戻すのはとても大変なのです。自分に足りないものが有るからと多くを身に付けてしまうと、本当に大切なものを人は見失ってしまうのです。ですから本当に大切なもの以外は出来るだけ早く手放した方が良いのですが、一度手に入れたものを手放すのはとても勇気が必要なのです。
2015/04/18 玄能の柄の仕込みと和釘を木材に打ち込む理論は同じだと思うのです。抜けない様に良く効かせ、振動や衝撃が加わった際にはそれを上手く逃し、それが治まれば元の様にしっかりと効いている。そんな風に出来たらとても素晴らしいのですが、私はこんな話をしながら酒を飲める友人が今とても欲しいのです。
2015/04/17 私は簡単な仕事であっても集中して全力で取り組む習慣が付いているので、他人が尻込みするような難しい仕事でも、比較的緊張せずに取り組むことが出来るのです。そしてそういった時に神様は降りてくるのですが、失敗して当たり前という気持ちで取り組むから、きっとリラックス出来ているのでしょうね。
2015/04/16 悪い状況を打開するために人を裏切るような解決策を取り、状況が更に悪くなると、より自分の首を絞めるようなことをする。ここまでポジティブにネガティブなことをする人を私は知っておりますが、こういった人は悪気が無いので同じ過ちを繰り返す上に、とかく周りを巻き込もうとするので困るのです。
2015/04/15 「やらされている」も「してやっている」も自分の事として捉えていないことでは違いが無いのです。大切なのは自分の事として受け止めた上で、責任を持って取り組むことなのです。「自分がしたいからやる」「自分はさせてもらっている」こんな風に考えないと、途中で投げ出したくなってしまうものです。
2015/04/14 5月から東京で一人暮らしをするために、本日は新居を決定しに現地に行って参りました。初めての経験でとてもいい勉強になりましたが、電車に酔ってしまい大変な思いをいたしました。ですが、新しい人生のスタートと言うことでとてもワクワクしております。と言っても、私がじゃなくて娘がですけどね。
2015/04/13 ダイエットも自己啓発も似たような物なのです。「痩せたい」とか「変わりたい」等と単に思っているだけだと上手くいき難いのです。何のために痩せるのか?何のために変わるのか?が重要なのです。ですがそれを達成するのに、本当は痩せる必要も変わる必要もないのかもしれないので注意が必要なのです。
2015/04/12 私の仕事のスタイルを「自己満足」だと揶揄する人もおりますが、「大好きで得意な事をして」いるだけなら自己満足かもしれませんが、「他人に感謝されている」のですから、自己満足ではないでしょう。実はここが大きな境目で「鍛冶職人」と「鍛冶屋」、若しくは「作業者」と「経営者」の違いなのです。
2015/04/11 付き合う人は熟慮しないといけないのです。私は子供の頃から自分をとても駄目な人間だと思ってきたのですが、私を否定する人とは少し距離を置き、肯定してくれる人と積極的に関わる様になってからは少しだけ自信を持てる様になってきたのです。左様に付き合う人を変えるだけで大きな変化が有るのです。
2015/04/10 自分の駄目な所を改善しようと努力すると、悪い所ばかりが目につき始めて、自分の事が嫌いになってしまいます。自分の良い所を伸ばすように努力していると、意外と沢山の良い所が有る事に気付いたりして、自分の事を見直しちゃったりします。どうせ努力をするなら、私は後者を選びたいと思うのです。
2015/04/09 人に褒められたいとか、楽にお金を儲けたい等の目先の欲だけで動いていると、周りに流されてしまい行き詰ってしまうものです。ですが人を育てるために褒めたり、手当を沢山支給したりすることは当たり前に行われています。きっと、本当は誰もがどうして良いのか分からずに、周りに流されているのです。
2015/04/08 不安を払しょくするために努力するのか。期待を胸に努力するのか。同じ努力に違いありませんが、不安は強いエネルギーを引き出すので大きく成功出来そうです。ですが、私は期待を胸に何時でもワクワクしながら努力していきたいので、きっと大きな成功は出来ないのでしょうが、それで充分満足なのです。
2015/04/07 努力しても報われなかった人が、居場所を変えただけで成功することが有ります。それは付き合う人や周囲との関係性が変化し、自分が上手く生かされたからです。左様に自分自身は何も変わらずに、結果を変えることは出来るのです。ですから自分が何処でなら報われるのかを真剣に考える必要があるのです。
2015/04/06 「人は変わることが出来る」これは真実です。「人は見た目で判断できない」これも真実です。ですが、可笑しいと思いませんか?当たり前のことであれば改めて言う必要は無いと思うのですが、実は真実が当たり前だとは限らないのです。「滅多にない真実」これに人は騙されやすいので注意が必要なのです。
2015/04/05 誰からも好かれようとするのは無駄な努力なのです。人それぞれに思考が違うのですから、ある人に好かれたいと思えば他の誰かに嫌われてしまうのは当然なのです。ですから、自分が本当に好かれたい人が誰なのかを明確にした上で、その人のために全身全霊を捧げるのです。仕事だって同じだと思うのです。
2015/04/04 人生を充実させる為には「誰と付き合うか」がとても大切なのです。有る事で秀でるつもりなら、それに相応しい人とお付き合いをしなくてはいけないのです。ですが殆どの人がそれまでの付き合いを絶つことが出来ずに現状維持してしまうのです。ここで勇気を持たない限りは決して次の扉は開かないのです。
2015/04/03 私は依頼事をする際に、それを好きでしている人にお願いするのです。たとえお願いする時点で稚拙であってもお願いするのです。何故なら、そうすることでその人は上達できるし、御飯も食べられるからなのです。皆がこんな風に考えたら、好きな事を仕事にして生活できる人が増えて楽しいと思うのです。
2015/04/02 少しの変化では少しの進歩しか望めません。ですが少し変化を加えただけで、大幅に進歩してしまうことも有ります。毎日少しずつ進歩していくことはとても大切ですが、時には少しの努力で大きく進歩してみたいもの。きっと、そういった事を意識して暮らしていると、人生はより楽しくなると思うのです。
2015/04/01 悪気の無い人は厄介なのです。明らかな間違いを注意しても、悪気が無いので反省もないし、よって改善もされません。そこで何故悪気が無いのかを考えてみたのです。その答えは「過去に同じ事をして褒められるか得したことが有り、その時と今では状況が変わっているのにそれを続けている」という事です。
2015/03/31 「人生の充実には人との出会いが欠かせない」と私は何時でも言っておりますが、最も大切なのはそのタイミングなのです。どんなに魅力的な人でも出会う時期によって、持てる能力や精神的な成熟度は全く違いますし、立場や考え方もまるで違うでしょう。ですから、何時出会うかがとても重要になるのです。
2015/03/30 「この人の為なら」と思える人に出会えたら幸運です。それまでの人生では考えもしなかったことに取り組むチャンスになるからです。人は大好きな人が出来ると意識の焦点がその人の望んでいることに向かい、自分中心の考えから脱皮することが出来ます。そして自分のやりたい事の枠が大きく広がるのです。
2015/03/29 私はとてもネガティブな性格ですが、全く気にしないのです。時には「根暗」とか「面白くない奴」等と非難されますが、そんな時でもそれを受け入れて自分を笑ってやっているのです。何故なら折角生まれ持った性格ですから、大事に活かす方が賢明だと考えているからなのです。なんだかポジティブですね。
2015/03/28

「社会人の常識」的なベストセラーを読むと心が痛むのです。その内容は支配者側の都合で書かれており、実践するほどに扱い易い人間に成長して行くのです。早くその絡繰りに気付き自立出来ればいいのですが、義務教育により従う事に慣らされている為に、殆どの人が気付かずに一生を終えてしまうのです。

2015/03/27 地元の鍛冶屋が言うのです。問屋に道具の知識が無くて、自分の商品を売ってくれないし、情報もくれないのだと。そして、自分の出来ないことばかりを要求されるから付き合っていられないと嘆くのです。ですが、私にはそれだけでも充分な情報だと思うのですが、彼は問屋に何を求めているのでしょうか?
2015/03/26 結果がシンプルなだけではダメなのです。そこに至るプロセスも出来るだけシンプルにする必要があるのです。そうすればその結果自体もよりシンプルになり、洗練されていくのです。そしてそこに一寸だけ足したり、そこから一寸だけ引いたりすることによって、誰も真似できない「味」が付加されるのです。
2015/03/25 無暗に知識や技能を身に付けてしまうと、それまでに身に付いていたものの精度を落としてしまう場合が有ります。ですから出来るだけ必要最小限のものだけを身に付ける必要があるのですが、何が本当に必要なのか判断するために、先ずは今身に付いているものだけで実践してみる勇気がとても大切なのです。
2015/03/24 技芸を習得しそれを極めようと思ったら、超一流の人から習う必要があるのです。取り敢えず身近にいる一寸だけ上手い人から教えを受けている様では全くだめなのです。意外ですが、世の中の1番手と2番手の差は途轍もなく大きいものです。ですから教えを受けるなら1番の人でなければいけないのです。
2015/03/23

「上手い」「美味い」「楽しい」「素敵だ」等々、こんな風に言える人生は素晴らしいと思うのです。若い頃の私は心に余裕が無くて、この様な自分の前向きな感情ですら、素直に受け入れることが出来ませんでした。ですが最近は素直になれている気がするのです。それはよく笑うようになったからなのです。

2015/03/22 価値観の大きく異なる人との会話は自分の知らない世界を垣間見る様でワクワクするのです。また価値観の同じ人との会話も楽しいもので、お互いに共感し合い心が弾むのです。ですが少しだけ価値観が違う人との会話は落ち着かないのです。これは当選番号が1番違うと大きく落胆するのと同じなのでしょう。
2015/03/21 「何をやるかでは無くて誰とやるかが大事」とは境目研究科の安田佳生さんの言ですが、どんなに難しくて辛いことでも、大好きな人とやるならば苦も無く出来てしまうことが有ります。私は物造りが得意で大好きではありますが、師匠以外の人に教えを乞うていたら、玄能造りを投げ出していたことでしょう。
2015/03/20 大人になるとは自分の頭で考えて自立することだと思うのです。ですが他人が「大人になれ」と言う時というのは、考えることを止めて俺の言うことを聞けと言うことなので、その場合に正しい日本語は「奴隷になれ」なのでしょう。左様に日本語は難しいので、充分に注意して使わなくてはいけないのです。
2015/03/19

自分では成長しているつもりでも、実は本当に大切な物を無くしているだけなのだと思うことがあるのです。子供の頃は先生や親に褒めてもらうために自分に嘘をつき、社会人に成れば先輩や上司に褒めてもらいたくて調子を合わせる。人間はそうやって本当の自分を見失い、本来の天才性を失っていくのです。

2015/03/18 同じものを目の前にしても、その良い所を見つけられる人と、それとは逆にその悪い所しか見つけられない人がいます。私が思うに、良い所を見つけられる人はそうでない人よりも随分と幸せになれる気がするので、人は良いものを良いと認められる分野で活躍する方が間違いなく幸せになれると思うのです。
2015/03/17 良いものを作るには良いものを沢山見なければいけません。ですが良いものをいくら見ても、その良さが分からない人がいます。同じように、私は良い玄能のことは解りますが、野球やサッカーを見てもその良さが分からないのです。きっと分からないのはそれが自分に向いていないというサインなのでしょう。
2015/03/16 我々より上の世代が若い頃にはまだ日本の経済も成熟しきっておらず、自分自身と経済が同調するように成長することが出来ました。ですが現代の若者はいきなり成熟した社会に放り出されることになるのです。この点を深く考察し、それに充分に配慮出来れば、鍛冶屋も後継者の育成が出来る気がするのです。
2015/03/15 目的が崇高すぎると、始める前からプレッシャーが掛かり辛くなってしまうものです。ですが、憧れはどんなに大きくてもワクワクするだけで辛くはならないのです。ですから何かを始める前には崇高な目的ではなくて、大きな憧れを持つべきなのだと思うのです。そうすれば気持ちよくスタートできるのです。
2015/03/14 技芸を短期間で修得する方法や誰もが簡単に金持ちになれる方法を提案する人がいます。そして書店はそんな本で溢れかえっています。ですが、そんなに簡単に誰でも出来るのなら本も売れなくなるでしょうから、それが売れ続けていると言うことはそれは嘘で、騙され続けている人がいるということなのです。
2015/03/13 良いモノを造るだけでは売れませんが、良いモノを造ることが出来なければ買い叩かれてしまいます。ですからこの場合にはまず良いモノを造り、その後に上手に売らなくてはいけないのです。この順番がとても大切なのです。これを「卵と鶏」の関係などと言って思考停止してしまうと痛い目に合うのです。
2015/03/12 周りの人が期待していない努力を続けても報われ難いものです。ですが、周りの人が期待している努力をしてもたかが知れているのです。大切な努力とは周りは期待していないのに取り組み始めたら期待が高まっていくような努力なのです。周りがまだ気付いていないことに取り組む努力は報われやすいのです。
2015/03/11 お願いもしていないのにあれこれとご指導くださる方がいらっしゃいます。適当に聞いたふりをしておいた方が良さそうですが、時間の無駄になることが多いでしょう。本当に大切な事は自分で気付き、此方から取りに行かないと手に入らないのですが、おせっかいを焼く人にはそれが分かっていないのです。
2015/03/10 他人に「素直になるように」などと言う時の本音は「黙って俺の言うことを聞け」ということなのです。ですから人生経験を積んだ大人にそんな言葉は通用しないのでしょうが、若い人の中には罪悪感を持ってしまう人も多いものです。以前は私も子供達に頻繁に言っていたので今はとても反省しているのです。
2015/03/09 明らかに間違った事をしている人に此方から助言をするのは止めようと思うのです。もしかしたらそちらが正しいのかもしれませんから。またたとえ本当にそれが間違いであったとしても、致命傷でない限り口出しするのは余計な御世話なのだと気付いたのです。だってそれも当人にとって貴重な経験ですもの。
2015/03/08 嫌いな事を好きになろうとすると意識し過ぎて益々嫌いになるのです。ですからそれを好きになるには自分の大好きなことに関連付ければいいのです。大嫌いな英語を覚えようと思ったら、アメリカ人のガールフレンドを作ればいいのです。ですが私は女房がおっかないので英語が話せるようにならないのです。
2015/03/07 料理の際には食材の持ち味を上手く引き出すことがとても大切です。それなのに他人に対しては持ち味を引き出すのではなくて、つい相手を変えようとしてしまいます。ですがそれはとても可笑しな事だと思いますから、もし自分が相手を変えようとしているのであれば、自分の無能を恥じるべきなのでしょう。
2015/03/06 自分が尊敬されないのは学歴が低いからだといって、大学院に通っていた知人がいました。「ほう、なるほど」と思いましたが、自分を変えなくてはいけないとか、ダイエットして痩せなければならない等と言っている人と同じなのですよね。結局は自分の抱えている問題から目を背けたいだけなのでしょう。
2015/03/05 小さな子供と言うのは次から次へと変な事をやらかすものです。ですがそれは本当に変な事なのでしょうか?もしもその変な事を否定せずにさせてやったら、どんな人間に育つことでしょう。既に私の子供は大きくなってしまったので試せませんが、誰かにぜひ挑戦してもらいたいのです。責任は持てませんが。
2015/03/04 釣りを始めたばかりの頃は釣った魚は持ち帰りたいと思ったものですが、経験を積み何時でも沢山釣ることが出来るようになると、持ち帰りたいとは思わなくなったのです。同様に、何時でも稼ぎ出す能力を身に付けてしまえば、必要以上に儲ける必要もなくなり、穏やかな気持ちで暮らせる気がするのです。
2015/03/03 娘が小学生の頃の事です。私も参加した学校行事から帰ってきた娘が言うのです。「私がハーフだってみんなが騒いでいたよ」って。なんでも子供たちが私を外国人だと思ったらしいのです。ご存じない方のために言っておきますが私は純粋な日本人です。しかし子供の頃のニックネームは「ガイジン」でした。
2015/03/02 大好きで得意な事をやっておりますと、比較的容易に上達した上に益々それが好きになっていくのです。するとそれまで何となく好きだったものが、なんだかとてもちっぽけに感じてしまい、それ程好きではなくなってしまうのです。左様に何かを好きになることは何かを嫌いになっていく作業でもあるのです。
2015/03/01 「他人は変えることが出来ないが、自分は変わることが出来る」なんてことを言いますが、本当なのでしょうか?だって、それって相手を変えようとして言っているのですから、それが本当なら矛盾していますよね。左様に人を操るための方便がまことしやかに流布されておりますので、注意が必要なのです。
2015/02/28 おっちょこちょいな人を見て馬鹿にして笑っている人がいます。その馬鹿にして笑っている人を見て、笑いながら陰口を言っている人がいます。おっちょこちょいな人は何時でも笑われています。ですが、そのおっちょこちょいな人が一番利口な気がしてきました。だって何時も皆を笑顔にしているのですから。
2015/02/27 鍛冶仕事をしていると頭がスッキリとしてとても爽快なのです。目の前の事に集中しているはずなのに、色々な考えが湧き出してくるのです。ですがその考えに囚われてはいけないのです。もっともっと目の前の事に集中しなければいけないのです。きっとこれは神様が自分を試しているのだと思うのです。
2015/02/26 滅私奉公を勧める人も多いものですが、賛成出来ないのです。なぜなら、一時的に成立しえても、必ず破綻すると思うからです。大切な事は何時でも自分を生かすことだと思うのです。ただ相手のために誠心誠意尽くすだけではなく、同時に自分も幸せになれる方法を考え出すことが何より大事だと思うのです。
2015/02/25 大好きで得意なことを活かして社会に貢献できたら、どれほど楽しく充実した人生を送れることでしょう。なんて思っても、現実はお金の為に嫌な仕事を我慢してやっている人が多いのでしょうね。では何故お金の為に大好きで得意なことをやらないのでしょうか?実は殆どの人が深く考えたことが無いのでは?
2015/02/24 此方が何も聞いていないのに事細かくご指導下さる方がいます。善意からのことであっても、それはとても危険なことなのです。人は答えを教えられてしまうと自ら考えることを止めてしまいます。ですから放っておけば自分で考えて行動出来るようになる可能性のある人の自発性を損なうことになるのです。
2015/02/23 「魚を与えるのではなく釣り方を教えろ」なんて言いますが、私は「釣り方を教えるのではなく釣り方を考えられるように育てろ」を推奨したいのです。しかしある方は「魚が釣れなくなった時を想定し、次に何をするかを考えられるように育てろ」と言っておりました。左様に時代の変化は凄まじいのです。
2015/02/22 時間を掛ければ出来てしまう程度の仕事をしていてはまだ駄目なのです。他人がどんなに時間を掛けても出来ない所までたどり着く必要があるのです。それを実現させるには日々の鍛練を積み重ねること以外に方法はないのですが、これに気付いている人はとても少ないので、気付いた人はとても幸運なのです。
2015/02/21 高い志を持っているにも拘らず、食べる為だからと言って安い仕事を低い志で行ってはいけないのです。たとえ安い仕事といえども、高い志を持ってそれを行えば、それはとても尊い仕事になると思うのです。なぜならその行為は自分を鍛え上げ、次の安くない仕事に必ず結びついていくと思うからなのです。
2015/02/20 子供は皆生れながらに天才だと言われます。ですが成長するにつれて平凡になっていくのが普通です。その原因は自分の天才性に気付かず、それを伸ばすことをしないからなのでしょう。ですが中にはその天才を開花させる人も居ますが、その違いは大好きで得意な事を続けられたかどうかだと私は思うのです。
2015/02/19 素質もあり高い技能を身に付けているのに、何故か良いものを作り出せない人がいます。その原因はあれこれと欲張って手を広げ過ぎ、一つの事に集中出来ていないからだと思うのですが、何故そんなに欲張ってしまうのかが私には分からないのです。きっとそれは私の頭が悪く、不器用だからなのでしょうね。
2015/02/18 20代は欲張るだけ欲張り、30代では本当に必要なものとそうでないものを見極め、40代では捨てるべきものを捨ててきました。そして50代になりましたが、まだ捨てたいものが沢山有るのに、それらを捨てきれずにいます。きっとそういった意識が無くならない限り、心の平安は訪れないのでしょうね。
2015/02/17 地元の有る鍛冶屋に言われたのです。「大工道具は科学により分析済みだから、技能の伝承が途切れてもすぐに再現できるのです」と。私はそれを聞いてとても感動したのです。私ときたら、毎日鍛錬を続けても思うような玄能が出来ずに日々苦悩しているというのに、世の中はそこまで進んでいたのですよね。
2015/02/16 若い頃に詩吟を習っておりましたが、同時にカラオケも好きでよく歌っていたのです。そんなある日の事、自分の詩吟が歌謡曲風になっていると注意されたのです。自分では歌い分けているつもりでいたのですが、この付いたしまった癖は最後まで治らなかったのです。これがとても大きな教訓となったのです。
2015/02/15 「夢を持ちなさい」と言う人は多いものですが、私は若い頃に夢など持ったことが無いのです。ただ望んだことは「心の平安」でした。そしてその望みが叶う切掛けが、長谷川幸三郎さんとの出会いでした。その時に「心の平安」とは自分の大好きなことに気が付き、それが出来ることなのだと分かったのです。
2015/02/14 私は何時も若い人達に「人間の社会的成長は主に人との出会いと読書からもたらされる」とよく言います。すると「どんな人と出会い、どんな本を読めばいいのですか?」などと聞かれるのです。ですが、それを考えることがまず重要であり、行動し始めることで初めてその意味が良く理解できるはずなのです。
2015/02/13 百聞は一見にしかずなどと言いますが、嘘だと思うのです。人間は目の前のものを無意識の内に自分の都合に合わせて見るものです。例えば目の付け所の悪い人はどんなに目を凝らしても他人とは違って見えてしまうのです。そしてそれを直すためには「自分の都合」が何なのかを良く考える必要があるのです。
2015/02/12 長く続いていることには意味が有ると思うのです。それを科学的ではないと言って簡単に切り捨てるのは早とちり過ぎるのです。世の中は科学で説明できないことや説明するまでもないことで溢れ返っています。それらを一括りに科学的ではないと言うのは何か裏が有るのではないかとさえ思えてしまうのです。
2015/02/11 当たり前の事を当たり前に続けることは難しいのです。一寸気を抜くとそれに集中できずに色々と手を出してしまうものです。ですがいつの間にかそれが日常になり、当たり前のことを地道に続けている人が馬鹿に見えてくるのです。ぶれているのは自分だということに気付かずに、他人を否定し始めるのです。
2015/02/10 簡単な方法はやめた方が良いと思うのです。巷には簡単に目的を達成するための方策が溢れ返っています。ですが人間の達成感や自己満足などは所詮相対的なものですから、皆が同じ様に出来てしまえば成立しえません。ですから本当の満足を得たいならば、他人のやらない方法に挑戦する必要があるのです。
2015/02/09 知らないことを知ることや、出来ないことが出来る様になることは素晴らしいのです。ですがその反面、それまで知っていたことや出来たことが陳腐に感じられてしまうのです。ですから進歩するということは嫌いなことが増えていくということになるので、人は無意識の内にこれを避けてしまうものなのです。
2015/02/08

「やる気の起きない時にはどうしたらいいのですか?」と師匠に聞いたことが有ります。すると「仕事にやる気は関係ないのです」と仰るのです。ですから私はやる気が有ろうと無かろうと、ただ淡々と仕事をすることにしたのです。すると不思議なことに、やる気が無くても仕事が出来るようになったのです。

2015/02/07

技・芸の習得の際には「型」から入ることがとても大切なのです。ですが、その「型」がどんな考えの下に生み出されたものなのかを考えずに、表面上だけをなぞってみても身に付かないのです。あくまでも「型」は結果として現れたものなのですから。何時でも一番重要なことは目に見えないものなのです。

2015/02/06

仕事の時に「もうひと皮むけたいな」なんて思うことが有るのです。ですが、むけてどうなりたいのか、どうすればむけるのかが良く分からないのです。考えてみると若い頃からずっとそうです。ですがむけた時ははっきりと分かるのです。それはそれまで見ていた景色が全く違ったものに見えるからなのです。

2015/02/05

玄能はヤスリ掛けによる成形を無理なく行うと、削って小さくなるはずのものが削る前より大きく見えるようになるのです。人も同じように、欲張って身に付けた多くの要らないものを思い切って削り落とすことで、より大きくなれるのだと思うのです。玄能も人も格好付けない方が格好いいのだと思うのです。

2015/02/04

他人の持っているものが欲しくなる気持ちは分かります。ですがそれを達成しても所詮は他人と同じ状態になっただけなのです。他人に出来て自分に出来ないことにコンプレックスを感じるのも同じです。そんな風にいつも他人を気にして、それに反応するだけの人生はとてもつまらないように私は思うのです。

2015/02/03

私は子供の頃から精神を蹂躙されることを嫌い、それを表明してきたため周りとの軋轢を生んでしまうことが度々ありました。ところで最近ではブラック企業が問題にされていますが、それは私と同じように考える人が増えてきている証拠なのでしょう。きっと精神とお金の価値の対決が始まっているのです。

2015/02/02

人質が殺されたりすると複雑な気持ちになってしまいます。自分は正しくて相手は間違っていると善悪で判断した瞬間に、人間は矛盾した存在になってしまうのでしょう。職人の世界では自分の商品の優秀さを宣伝すれば、間接的には他人の商品の欠陥をあらわにしてしまいます。なんでも簡単ではないのです。

2015/02/01

一般的に何かを習得する際には簡単な方法を選択してしまいがちです。ところで、技芸の習得の際には「守破離」が大切だと言われています。ですが大抵の人は最初の「守」ですら守れずに挫折するのです。であれば簡単に出来る方法など無いということですから、最初の選択は間違っていることになるのです。

2015/01/31

我々鍛冶屋の出来ることは一生涯掛けたって高が知れたものなのです。それは先人の築き上げて来たものの上に一寸だけ上乗せして次世代に渡すことくらいです。ですがそれとて今はとても難しい時代になりました。でもその一寸の事に気付き、それに情熱を傾けることの出来る人はとても幸せだと思うのです。

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玄能日記 私のどうでもいい日記です。
お暇な方だけどうぞ。(笑)