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相豊ハンマー
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玄能日記
日々感じる事を思いのままに書き連ねてみます。
2020/12/31 事業規模の拡大は提供する商品を平凡化する。工芸品は工業製品化せざるを得ない。それでは嗜好が多様化した成熟社会では差別化し難い。左様に成熟社会は大きい事を不利にしてしまった。そしてコロナがそれに拍車をかけた。今後は個人若しくは小規模なままで外部と連携し柔軟に対応する事が得策に成る。
2020/12/30 他人の仕事を見てはいけないと師匠は言った。影響を受けて姿勢がぶれるからだ。だから今まで見る事はなかった。だが最近ネットで鍛冶仕事の動画を見てみた。優れた仕事も有るが出鱈目な仕事も多い。外連な仕事が高評価されていたりもする。これでは未熟な人は混乱するだろう。師匠の気遣いがよく解る。
2020/12/29 過不足のない作業を目指している。手を抜かないとか効率よく作るといった話ではない。掛けるべき手間とは何か?掛けてはいけない手間とは何か?其れを考え続けているのだ。何時もやっている作業こそが当人にとっての過不足のない作業。其れは其の人の実力と哲学を物語る。だから真剣に考え続けるのだ。
2020/12/28 最近は腰痛が酷くならない。火造りが上達したせいだろう。火造りが上達すると後の作業が楽になる。成形にかかる時間が短く済むからだ。すると腰の負担も軽減される。回転工具の使用がいちばん腰に負担を掛けているのだ。左様に上達するほどに玄能も体の調子も良くなっていく。だから上達は楽しいよね。
2020/12/27 人生は一度きり。自らに出来る事には限りがある。だから他人の経験にも興味が湧いてしまう。故に私は自らの経験を発信し続ける。中には興味を持ってくれる人も居ると考えてだ。他人の経験を疑似体験できたなら人生を何倍にも楽しめると思わないか?多くの人が経験を発信すれば其れが叶うかもしれない。
2020/12/26 子供の頃は近所の至る所に鍛冶屋があった。登下校時にワクワクしながら鍛冶仕事を覗き見たものだ。其のお陰か鍛冶屋を始めた時には習わずとも何となくできてしまった。門前の小僧習わぬ経を読むとはよく言ったものだ。左様に誰しも何となくできてしまう事がある筈だ。其れを人生に活かさない手はない。
2020/12/25 子供の頃からモノ作りが好きで其の道で生きたいと考えていた。進学もそれを見越して計画を立て玄能鍛冶として生きている。娘も子供の頃の夢を叶える為に計画を立て実行してきた。そして新人声優として精進している。左様に親子共に好きな事だけをやって生きてきた。だから失敗しても言い訳は出来ない。
2020/12/24 上手くいかなければやり方を変える。それでも上手くいかなければ更にやり方を変えてみる。少し上手くいったなら其処を軸足にして周りを微調整して詰めていく。そうやって作業を標準化していく。左様に商品開発は弛みない実験の積み重ねなのだ。上手くいかないから自粛と言っていたら何も生み出せない。
2020/12/23 免許の取得もバイクの購入も乗車も校則で禁止されていた。だが私は免許を取得しバイクを購入した。未舗装路で乗車訓練をして整備もできるようにした。そして県外の競技会に参加してみた。出来ない事を努力で克服した私はならず者なのだろうか?危険だから自粛と迫る専門家を見るたびに当時を思い出す。
2020/12/22 16歳で原付免許を取った。寝袋とブルーシートをバイクに積み一人尾瀬沼に向かった。途中の道路は未舗装な上に雨で川の様だ。夜間に到着しご飯を食べブルーシートにくるまった。だが寒くて一睡もできない。そこで未明に起きて尾瀬沼を一周し帰ってきた。あの頃の馬鹿な性格を活かして今を生きている。
2020/12/21 上手くなれない人はやり方を変えようとしない。同じ事を繰り返して違う結果を得ようとしている。それではどんなに努力しても上手くなれない。だが身の回りには同じ様な事が溢れている。地元では在来魚が繁殖できない荒廃した川に毎年大量の魚を放流する。川も魚も使い捨てにされ全く進展は見込めない。
2020/12/20 生まれた年に地元の川に大規模なダムが建造された。川は荒廃し始めたが未だ自然は残されていた。29年後さらに大規模なダムが建造され川はドブ川にされた。それも治水の為なのでやむを得ないだろう。だが他所から大量に運んできた魚を放流している姿は不思議に見える。まるで賽の河原を見ている様だ。
2020/12/19 鍛冶仕事を続けるのは切り立つ稜線を歩く様だ。一歩間違えば有らぬ所に転げ落ちてしまう。所が落ちても気付く事は稀だ。誰も忠告してくれないからだ。そして目利きからの注文は途絶える。異変に気付いても理由は教えてもらえない。飽くまで自分で考えるしかない。其れでも続けられる人が上手くなれる。
2020/12/18 自分が将来成りたいと思う状態が曖昧なままでは空回りする。どんな自分に成りたいのか?どんな状態に幸せを感じるのか?其れが明確になって初めてやるべき事が見えてくる。それを焦らず弛まず続ける事で独自の成功が見えてくるのだ。師匠は言った。「このままで大丈夫。絶対に急いではいけない。」と。
2020/12/17 仕事にやる気は必要ないと師匠は言った。私は気負い過ぎて怖気づいていたのだ。やる気を意識した時に心は既に乱れていた。肩に力が入り腰は引けてしまった。だから自然に始めて自然に終わらせるように努めた。気が付けばやる気という概念を忘れ去っていた。やる気がなくても普通にできる事が分かった。
2020/12/16 青年団体では例会を企画する度に難癖を付けられた。雨が降ったら?暑くなったら?などと幼稚な質問をしてくる。雨が降れば雨具を着ればいい。暑くなれば水分を取ればいい。ただそれだけで新鮮な経験が出来る筈なのに。この度のコロナ禍でも同様に感じている。あたり前の事が出来ずに前に進めていない。
2020/12/15 16歳で原付免許を取れる筈だった。だが校則で其れが認められなかった。交通事故やならず者になる事を恐れての事だ。私にはそれが大人達の幼稚極まりない判断に思えた。この度のコロナに対する多くの国民の意識も同様に思えてしまう。私は感染対策をしつつ怯えず騒がず平常通りの生活を送るつもりだ。
2020/12/14 ネット上には様々な鍛冶屋の動画がある。中にはとても上手い人が居て参考になる。勘所を押さえた貴重な映像もあり他人に見せて大丈夫なのかと心配になる。その反面とても上手い人にも拙い部分はあり私の方が上手くできる作業もある。そんな上手い人なら見るだけで出来てしまうので私は動画を上げない。
2020/12/13 思った事を素直に口にするので敵を作る事が多い。そんな私に本音でものを言えと忠告した人がいる。彼こそ何時でも他人の顔色を窺い調子を合わせている様に見える。自分がそうだから他人も同じと彼は思い込んでいるのだ。彼には自分の尺度で他人を括ると見誤る事が多いと本音を伝えた。また敵が増えた。
2020/12/12 コロナ禍に於いても普段通りの生活を続ける努力をする人がいる。一方で自粛と言われて閉じ籠りキャンペーンでははしゃぎ過ぎる人がいる。前者は出来る事を精一杯やって生きる覚悟が出来ているのだろう。後者は出来る事さえ放棄して人生を他人任せにしているのだろう。非常時に人間の成熟度は露になる。
2020/12/11 「達人は皆シンプルである」と師匠は言った。確かに私の知る達人たちは皆とても穏やかで普通に見える。自然体過ぎて存在感すら消し去っているかの様な人さえいる。達人だからそうなのか?そうだから達人に成れたのか?恐らく其の両方だろう。とにかく達人は余計なモノから解き放たれている事は分かる。
2020/12/10 師匠は自らの余生が短い事を知っていた。私が学べる時間は限られていた訳だ。だが師匠は絶対に私を急かさなかった。急いては辿り着けない領域に導きたかったのだ。そして具体的な事は何も教えなかった。自ら考えて生きられるように仕向けてくれたのだ。時間が経つほどに師匠の奥深さが身に染みてくる。
2020/12/09 自慢したり威圧したりするのは中身が空っぽだから。はったりをかますほどに自信のなさが透けて見える。モノ作りでも同様に空っぽなモノほど飾られている。虚飾に注目させて核心から目を逸らせている。だが其れはとても気を遣う上に不自由に見える。中身を磨き上げる方が遥かに自由で居られる筈なのに。
2020/12/08 家族には威厳を示さなければいけないらしい。社会では舐められない様にしなくてはいけないらしい。だがなんて不自由な生き方だろう。他人の顔色を窺い逐一それに反応する生き方はまるで囚人の様だ。馬鹿にされても舐められても気にしなければいい。有りの侭に振る舞っていれば自由でいられる筈なのだ。
2020/12/07 倅がお菓子をくれたので拳を挙げて「ヤッター、ワーイワーイ」と言って喜んだら「なんだそれ」と言われた。娘の前で「飛沫を防ぐ為に最近は尻で呼吸をしているのだ」と言って屁をこいたら「へー」と言われた。何時もこんな風にして子供達に馬鹿にされているが、こんな感じが私にはとても心地良いのだ。
2020/12/06 正当に作ると約束すれば教えてやると師匠は言った。意味は分からなかったが同意した。所が師匠は具体的な事は何も教えてくれない。私の作ったものを見て質問するだけなのだ。だが聞かれた事に答えていると少しずつ見えてきた。それを繰り返して上達していったのだ。正に其れが正当な学び方だった訳だ。
2020/12/05 正当に作られたモノは素朴だが進化の可能性を強く感じる。一方で正当な手間を省き外見だけを飾ったモノは進化の余地が感じられない。所が多くの人は其処に気が付かないのだ。そこで正当に作りつつも耳目を引付ける点で一点突破を狙いたい。実は其れこそが極めて精度高く作り上げる事に他ならないのだ。
2020/12/04 腕と共に品格を磨けと師匠は言った。品格は対人関係に不可欠だがそれだけではない。見えない所も手を抜かずに造り込む誠実さが求められるのだ。そもそも見える所だけに手を掛けても目利きを騙せない。品格が欠けていてはその事にさえ気付くことが出来ないだろう。モノ創りの道は自分磨きの旅でもある。
2020/12/03 正当なやり方で訓練すれば理に適うモノが出来上がる。所で正当なやり方とは作り方だけでなく教わり方でもある。出来るだけ聞かずに自ら考えてやり方を編み出すのだ。所が多くの場合に直ぐに答えを知ろうとする。また答えを直ぐに教えたがる人もいる。その関係は不当であり互いの自立を妨げる事になる。
2020/12/02 すっぴん(人柄と容姿)の奇麗な人が薄化粧をすれば更に美しくなる。そんな意識で玄能を作っている。その為に金属組織(人柄)を整えつつ火造り肌(容姿)を精度高く整えるのだ。火造り精度が高ければヤスリ掛けを短時間で終えられる。言わば薄化粧で済む訳だ。火造り精度が低いと厚化粧が必要になる。
2020/12/01 目先に集中しすぎるとあらぬ所に辿り着いてしまう。時々立ち止まり現在地を俯瞰したいものだ。勝ちたい、目立ちたい、認められたい気持ちが強すぎる時は特に注意。深呼吸して成りたい自分を思い返してみると良い。道の誤りに気付いたならば引き返せば良い。嫌われることを恐れずに軌道修正すれば良い。
2020/11/30 師匠は正当なやり方で玄能を作れと言った。正当なやり方を探る職人は稀なのだ。多くは自分のやり方の延長線上に正解が有ると信じている。だが正当なやり方でしか正解に辿り着けないのだ。何も玄能に限った話ではない。全てに於いて間違った努力は報われない。故に正しい努力を探り続けるしかないのだ。
2020/11/29 厳密には火造り肌にも幾つかある。一つ目は道具の機能性のみを求めた火造り肌。これは素朴な美と潔さを感じさせる。二つ目は機能性を求めつつ美しく整えた火造り肌。これは美しさの中に成熟を感じさせてくれる。三つ目は機能性を考えずに見た目だけを飾った火造り肌。もはや性悪の厚化粧と言っていい。
2020/11/28 姿は奇麗だが普段使いに難がある八角玄能を師匠は芸者と呼んでいた。角が対象物に打痕を付け易い上に欠け易いからだ。所で私も仕上げに関して擬人化することがある。例えば火造り肌のままがすっぴんならばヤスリ肌は薄化粧。鏡面磨きは厚化粧といった所だ。表面を剥ぎ取る程に厚化粧になるのは面白い。
2020/11/27 多くの人に支えられてきた。だから他人にも優しくありたい。だが大それた事は私に出来ない。好意に感謝の言葉を返すくらいだ。それでさえ最初は恥ずかしくて言えなかった。今では漸く抵抗なく言える様になった。所でこれから世界は益々殺伐としてくる。今まで通りに有難うと素直に言える自分でいたい。
2020/11/26 誰かの悪口や噂話を聞けば他の人にも話したくなる。暴力で育てられたから暴力で育てたくなる。出来なくて笑われたから出来ない人を笑いたくなる。左様に自分がされて嫌な行為を無意識に他人にやってしまいそうになる。だがそれでは悲しすぎるだろう。いけない行為は全部自分の所で終わりにすれば良い。
2020/11/25 他人の欠点を指摘して鬼の首を取った様な気になる人は間抜けだ。自分に実力があれば他人を責める必要は全くない。自らがやるべき事をやれば良いだけなのだ。それが出来ないから他人の足を引っ張る。その姿はとても間抜けに見えてしまう。だがそんな間抜けな人を見て笑っている私も充分に間抜けなのだ。
2020/11/24 売れる玄能が出来るまでは時間が掛かる。だから取り敢えず飯が食える仕事を続けるか始める。そして玄能作りの訓練を同時に進める。売ることを焦らずに売り始める頃合いを見計らう事が大事。左様に私は師匠から教えられた。そして弟子にもそう教えている。この方法は好きを得意にするのに最適だと思う。
2020/11/23 正当な玄能作りに徹する事を条件に弟子入りした。正当とは掛けるべき手間を過不足なく掛ける事だ。所がそれでは手間が掛かり過ぎて飯が食えない。だから玄能で食える様になるまで他の仕事も同時に続けていた。儲からない玄能作りを儲かる仕事で穴埋めしていた訳だ。実はこれも幸三郎師匠の教えなのだ。
2020/11/22 自分と他人を比べなくなると相手の気持ちが分かる様になる。感情を共有でき互いを尊重し活かし合える様になる。だが学校は活かす事よりも負かすことを優先する。子供達は順位を付けられ競争を煽られている。そもそも現生人類は競争から共生に向かい生き残ってきた。その教訓がまるで活かされていない。
2020/11/21 自由な人は他人を認めて感謝できる。そして自分の事を否定することもない。そもそも自分と他人を比較しないからだ。一方で不自由な人は他人を認められず感謝できない。何時も自分と他人を比較して競争心を抱いているからだ。ところが競争に際限はない。競争すれば永遠に不自由を背負い続ける事になる。
2020/11/20 不自由な人は文句が多い。他人が変わらなければ自由になれないと思っているからだ。一方で自由な人は文句が少ない。自ら変わりさえすれば多くの問題は解決されると知っているからだ。前者と後者の一番の違いは人生の手綱を自ら握る覚悟が出来ているかどうか。不自由な人は他人に手綱を預けているのだ。
2020/11/19 世の中の8割の人は自分で決めて行動できない。他人の決めた事に従う方が安心できるからだ。また従えたい人と従いたい人が群れる集団も多い。彼らは依存し合うことで安心しているのだ。左様に自由は多くの人にとって耐えがたい状態なのだ。自粛や規制を喜んで受け入れる人がいる事からも其れが分かる。
2020/11/18 四六時中思わず考えてしまう事を仕事にすればいい。即ち大好きな事を仕事にするのだ。すると365日アイデアが出続ける事になる。おまけに無理なく続けられてストレスも溜まらない。ならば上手くいかない訳がない。私はその様な理屈で仕事を選択した。お陰で素敵な人達と出会えてなんだかとても幸せ。
2020/11/17 具体的に妄想出来れば願いは叶い易くなる。だから妄想して一歩踏み出す。すると目の前の扉が開く。向こう側を伺い更に妄想を膨らませたらまた一歩踏み出す。それを繰り返すと扉の向こう側を想定できるようになる。すると益々妄想は膨らみ易くなり精度も高くなる。妄想を予習と言い換えても良いだろう。
2020/11/16 人は役割に気付いた時に強くなれる。自らを選ばれし者と勘違いするくらいで丁度いい。すると成りたい姿が明確になり自動的に其処に向かい始め勢いも増す。という様な暗示をかけて自らを奮い立たせてきた。そんな臆病な私だから分かる。少しだけ勇気を出して一歩踏み出せば新たな世界が見え始める事を。
2020/11/15 自粛では極端に抑制してキャンペーンでは大はしゃぎ。人生を人任せにしているから大きく振れてしまうのだ。自粛せずに出来る事やキャンペーンで抑制すべき事は沢山ある。人生の舵を自ら取る覚悟が出来ていれば振れは小さく済む筈なのだ。コロナ禍にはバブルの時と同様な人間の無責任さを感じてしまう。
2020/11/14 独立して5年間は他人に誘われた事は可能な限り断らずに引き受けると決めた。自らを鍛える為だが生き地獄だった。何故か苦手な事ばかり頼まれてしまうのだ。お陰で其れまで避けていた経験ができ社会勉強に成った。人生でこんな期間があっても良いと思う。だが期間を決めて始めないと死ぬかもしれない。
2020/11/13 玄能だけではなくその周辺も学べと師匠は言った。玄能だけを掘り下げても良い玄能は出来ないと言うのだ。例えば質量も長さも同じ丸断面の洋釘と角断面の和釘では和釘の方が遥かに抜け難い。その原理を応用すれば木柄の抜け難い玄能を創ることができる。左様に玄能の周辺には進化の種が溢れている訳だ。
2020/11/12 先ずは相手の好奇心を尊重したい。その上で足りないものを求めさせるのだ。すると楽に楽しく成就できる筈だ。所が多くの場合に好奇心を蔑ろにして足りないものを求めさせる。すると自発性が生まれずに強制と矯正が必要になる。そして何時迄も手が掛かり互いに自立できない。否定から始めてはいけない。
2020/11/11 大人の思い通りに成長できる人が優等生。大人の想像を超えたことをやらかす人が劣等生。本来ならば正誤も優劣もない共に掛け替えのない存在なのだ。だから互いに尊重すればいい。強制も矯正も要らないのだ。自分の持たないものを否定しては勿体ない。自分に無いものこそより尊重して活かす様にしたい。
2020/11/10 先日の講演会での出来事だ。講演会場では3人用のテーブルを1人で使用させる念の入れようだ。講師や司会者及び聴講者は共にマスクを着用し距離を保っていた。所が懇親会場は狭い個室なのだ。参加者はマスク非着用で大声を出して飲食を楽しんだ。左様に丁度良い塩梅で生きる事はかくも難しいと分かる。
2020/11/09 祖父は琵琶を奏で詩を吟じていた。モノ作りが大好きで自らが奏でる琵琶を自ら作ることもあった。私も自ら使う道具を自ら作る事があり折り畳みスコップもその一つだ。祖父と私は似ているのだ。そして父も私も詩を吟じ娘は高校生で歌手デビューして今は声優をしている。資質を活かせば人生に彩が加わる。
2020/11/08 曾祖父は提灯金具を作っていた。提灯が売れなくなり祖父は金槌鍛冶に弟子入りする。その後独立して相豊ハンマー製作所として金槌作りを始めた。相豊の相は相田の相であり豊は名前の豊吉から取った。金槌製作所でなくハンマーとしたのは気取ってみたのだろう。祖父の創業の想いが強く感じられて素敵だ。
2020/11/07 ドラマの台詞はBGMが邪魔して聞き取れない。映画は字幕でないと見る事が出来ない。歌謡曲の歌詞は殆ど聞き取れない。聴覚が鋭敏過ぎて余計な音を拾ってしまうからだろう。聴覚以外も不必要に鋭敏過ぎて具合が悪く成る事が多い。だから静かな場所で落ち着いて暮す様にしている。それで充分に幸せなのだ。
2020/11/06 幼児は教えなくても言葉を覚える。あるがまま写し取る見取り能力が備わっているからだ。だが長ずるにつれてその能力は衰える。先入観に基づいた工夫や改良に能力が割かれてしまうから。故に見取り能力は注意深く温存させておきたい。工作やキャンプ等の五感を育む遊びは見取る感性を鍛えてくれる筈だ。
2020/11/05 早起きが苦手な人は多い。不摂生も改善し難いものだ。だが好きな事の為なら早起きも体調管理もしっかりとできる。好きな事をするのに努力も我慢も根性も自信も必要ない。思考は高速回転して体は勝手に動き出す。そして継続も自然にできるだろう。こんな当たり前な理屈を学校では絶対に教えてくれない。
2020/11/04 継続は力なりと言うが力になる継続は少ない。我慢した継続は身につかない。頑張る継続もしかり。楽に継続できる事を続けてこそ本当の力になる。それは何か?好きで得意な事に決まっている。無理せず継続できる上に思考や感性が働き易く成果も期待できる。嫌いな事を続けると思考や感性は死んでしまう。
2020/11/03 続ける事も大切だが止める事はもっと大切だ。見込みのない事はできるだけ早く止めたほうが良い。新たに挑戦する時間をつくる為だ。始める時に止める準備を始める位が丁度いい。死ぬ時を考えて生きる位で丁度いい。本当にやりたい事を見つける為にはグズグズ続けていられない。とっとと止めて始めたい。
2020/11/02 金持ちが貧乏人に施せば貧富の差は縮まり皆が豊かになれるのに。なんて思ったけれどすぐに間違いだと気づいた。金持ちは貧乏人の安い労働力を利用できたから金持ちになれた訳だ。貧富の差が縮まればそもそも金持ちの言う事を聞く貧乏人がいなくなる。金持ちは貧乏人が居なくなると困った事になる訳だ。
2020/11/01 他人の行動が気になるのは他人に依存して居るからだ。思い通りに成らない他人にイラつく人を見れば其れがよく分かる。他人の行動に関わらず自らの責任で我が道を行く人は自立して見える。両者の違いからはとても多くを学ぶ事が出来る。左様な身体感覚を伴う気付きはリモートでは絶対に得られないのだ。
2020/10/31 どんなに燃料を食おうが高出力なエンジンを創れと本田宗一郎氏は命令した。其処から得られるデータを基に低燃費のエンジンを創れと言うのだ。私はその考えに共感して自らが理想と考える玄能を手間を厭わずに創り上げた。そして其れを基に採算の取れる玄能を作っている。弟子達にも同じ様に伝えてある。
2020/10/30 他人を嫌らしく思う自分こそが嫌らしいと気付いた。他人を非難したくなる自分こそが未熟であり非難されるべきだと気付いた。年を取り漸く他人を許せる様に成ってきたのだ。お陰で心が穏やかに成り始めた。他人の姿が映し鏡だと気付くまでは何も見えていなかった。他人を許す事で自分を開放できそうだ。
2020/10/29 映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」見た。主人公は自らの行動を客観視して細部に至るまで再現出来る様に訓練した。失敗の原因を見つけ出し解決の糸口を探り再挑戦した。教えられもやって見せられもせずに自ら編み出し突破口を開いた。これは問題解決の秘訣が凝縮された上達オタク必見の映画だ。
2020/10/28 言葉での教えややって見せられる事など高が知れている。殆どの事は追随者自らが感じ取るしかない。故に感じ取れる場を指導者が提供する必要が有る。ならば現場の隅々に至るまで意味付けしておけばいい。それは居るだけで感じ取れる仕掛け作りだ。例えば整理整頓しておけばその意味を感じ取れるだろう。
2020/10/27 自分一人で経験出来る事など高が知れている。だが他人の成功や失敗を共有できれば経験値を上げる事が出来る。だから其れが出来る場に身を置けばいい。其処で感覚を研ぎ澄まして感じるのだ。すると溢れる程の情報に気付く筈だ。そして教えたり教えられたりする関係が如何に陳腐であるかにも気付く筈だ。
2020/10/26 希望を与える様でいて自信をくじく言葉が「人は変われる」だ。人格を全否定されている様で私は好きに成れない。私なら「本来の自分を取り戻そう」と言いたい。子供の頃に好きだった事を思い出してみよう。大人に禁止されて出来なかった事は何だろうか?今ならそれが出来る筈だ。すぐにやってみようよ。
2020/10/25 威張ってやらせる人と穏やかにお願いする人が居る。文句を垂れながらやる人と粛々と成す人が居る。この違いは世間を上下関係で見ているかそうでないか。上下関係で見る人は隙あらばマウントを取りに来る。彼等には成果や評価よりも上位に立つ事が大切なのだ。彼等と付き合うととても損した気分に成る。
2020/10/24 感覚を大切にしている。具体的説明は雑音に成るので詳細に指示は出さない。自らの感覚を活かして編み出すようにさせているのだ。すると出来るまで時間がかかるが出来始めると早い。何よりも手が掛からなくなるので助かる。弟子も私も自由に仕事が出来る訳だ。具体的に指示を出せば自由は手に入らない。
2020/10/23 生れつき関節の可動域が狭い。小学校では柔軟体操を強制され泣きながら頑張った。しかし効果は無かった。今では腰椎の真ん中3個が金具で固定されていて動かない。だが身体の使い方さえ工夫すれば全く支障は無いのだ。全体で考えれば部分的不具合は気にならなくなる。苦手の多くは克服せずに済むのだ。
2020/10/22 定期試験や受験は期限が切られている。期限に間に合う様に先生は生徒に知識を詰め込む。そんな生徒が社会に出れば同じ様にして人を育てようとする。それが間違いなのだ。知識の詰め込みは相手の人格を完全に無視している。其れで真面に人が育つ訳がない。学校での習慣は卒業と共に忘れる位が丁度良い。
2020/10/21 人を育てるには相手の事を知らなければならない。相手と自分が全く違う世界を生きているという認識が重要なのだ。だから先ずは相手の話を聴く事が大事。すると教えるべき事と適切な教え方が見えて来る筈だ。所が相手の話も聞かずに教え始める人は多い。其れは教育ではなく雑談しているに過ぎないのだ。
2020/10/20 人を育てるとは相手を立てる事なのだろう。所が多くの場合に自分が目立つ為に人を育ててしまう。私にだってそんなスケベ根性が無い訳ではない。そんな気持ちをグッと堪えて育てる様にしているのだ。弟子は親方の姿を見て育つ。もしも弟子が目立ちたがるならば私の姿を真似ているのだと考え反省したい。
2020/10/19 無駄な時間の使い方を書いてみた。・得意でない事をやる・楽しくない事をやる・邪魔が入る事をやる・させられている事を続ける・何時もしている事を続ける・人が興味を持たない事をやる・進展の見込みのない事を続ける・信頼できない人や無能な人と手を組む・制御できない事をやる・電話に出る 以上。
2020/10/18 品質を安定させる為に心と身体を安定させる。精度を高める為に心と身体の精度を高めていく。故に玄能造りに励んでいると心と身体が整ってくる。所でモノ造りの達人には穏やかな人が多いという。そして哲学的な人も多いと聞く。其れは技能の向上に精神の安定と成熟が不可欠である事を知っているからだ。
2020/10/17 車の運転機会を減らそうと思う。運転免許の返納を見据えての事だ。先ずは遠出していた魚釣りを地元で済ませる様にした。お陰で長距離を歩き回り体の調子も良く成った。短距離なら誰かに乗せてもらうのも良い。其の為に周りの人に優しく接しようと思う。早めの準備で気持ち良く免許を返納したいものだ。
2020/10/16 身体中が痛いので身体の使い方を微調整しながら仕事をしている。すると若い頃より楽に動ける様に成るから面白い。左様に筋トレなどしなくても既に有る筋肉を最大限に活かせば良いだけなのだ。所で多くの人は足りないモノを得る為に多大な労力を費やす。私は既に有るモノを最大限に活かす方法を考える。
2020/10/15 偉人の伝記を持ち出し大人は子供に我慢や頑張りの大切さを説く。だが偉人の多くは好奇心のままに無我夢中でやっただけだと思う。所が子供の好奇心を其のままにしては大人にとって都合が悪い。だから伝記を創作して子供を操るのだ。左様に世の中の常識やはびこる名言の多くも似た様なものと思えば良い。
2020/10/14 子供の頃は大人が子供を所有物の様に扱い人権など無きも同然だった。金持ちは貧乏人を見下し貧乏人が金持ちに媚びる姿を見て吐きそうになった。今でもやり方は変われど同じ様な事が繰り返されている。左様に世の中は今でも残酷だが自らの生き方を自ら選べると学んだ今では世の中は単純で美しく見える。
2020/10/13 誤った常識が多くの人を苦しめる。他人に迷惑を掛けるな、みんな仲良くしろ等がその例だ。そもそも他人に迷惑を掛けずに生きてはいけない。馬の合わない人が居て当然だ。出来る事をやった上で出来ない事は許してもらえば良いのだ。互いの出来る事と出来ない事を認めた上で活かし合える事が自立だから。
2020/10/12 子供を急かしていないだろうか?出来ないからと叱っていないだろうか?そもそも子供は急げないし出来る事も少ない。充分に考える時間を与えて待ってやることが大切なのだ。其れをとやかく干渉するから何も考えようとしなくなる。相手任せで何時までも自立出来ないのだ。此れは子供に限った話ではない。
2020/10/11 褒めて相手を操ろうとする行為を傲慢と思わないか?相手を開放する事で自らも自由を得たいと思わないか?褒められて競争する子供は自らの人生を生きていない。褒める人の機嫌を取る事で一生を終えてしまう。一時的な結果を急ぐ余りに子供の将来を台無しにしてはいけない。褒める教育は止めにしないか。
2020/10/10 自由な雰囲気の小学校から不自由な中学校に入学した。小学校では互いに資質を認め合いのびのびと過ごした。所が中学校は承認欲求を競い合う窮屈な場だった。生徒は勉強や運動で競争して目立とうとした。其処で目立てない生徒は問題を起こして目立とうとした。皆が自由を得る為に真逆の事に励んでいた。
2020/10/09 感じた事を書き続けている。その日の会話を思い出して書くことが多い。会話する事で自らの中にある曖昧さを明確な言葉に出来る。其れを書くことで自らを正確に出来るのだ。其れは人生の復習であり予習にもある。それで自己満足して気持ち良く眠り朝を迎える。目覚めて直ぐにやるべき事に取り掛かれる。
2020/10/08 身に着けた基本を捨てられなければ上達できない。そもそも基本と呼ばれる事の殆どは手段でしかない。未熟者に分かり易く説明する為の便宜的な表現に過ぎないのだ。其れが分かっていないから所謂基本に固執して他を探ろうとしなくなる。未熟者に理解出来る基本などは腰掛程度と考えて差し支えないのだ。
2020/10/07 最初は弟子自らが必要と思う工程を全てやらせる。すると時間は掛かるが大凡のモノは出来上がる。其の後弟子自らが不必要と気付いた工程を省かせる。すると時間は大幅に短縮する。後は工程を微調整するだけ。大切なのは一通りやらせて省かせる事。過ちに気付き自在に止められる様に成る事が上達の秘訣。
2020/10/06 困り事が有り近所の社長に相談した。初対面なのに親切に応対してくれて人を紹介してくれた。其の人を訪ねると又ある人を紹介してくれた。そして其の人を訪ねると問題は軽やかに解決した。世の中は多様な得意を持つ人で溢れている。得意な人を紹介し合えば自らも得意を極め益々人の役に立てる様になる。
2020/10/05 人は簡単に変われるものだ。例えば視力が弱ければ眼鏡を掛ける。背が低ければ高く見える靴を履く。体毛が濃ければ隠さずに見せびらかす。人混みが苦手なら其処に行かない。大きな音が苦手なら耳栓をする。そうやって私は苦も無く変わる事が出来た。自分が変わらずとも状況が改善すれば良いだけなのだ。
2020/10/04 頑張りや自信がなぜ必要になるのか?其れは対象に対する好奇心が足りないからだ。好奇心が強ければ心も体も勝手に動き出す。其の好奇心は感性を磨く事で強く出来る。所が感性と聞いて「?」となる人は多い。自分の感覚を周りに否定されてきたからだ。感性は自分の感覚を素直に信じる事で磨かれ始める。
2020/10/03 未熟者には想像すらできない領域が有る。だから多くの場合は簡単に出来る方法から取り組み始める。所がそれで出来ると多くの人は其処に居着いてしまう。だが上達を続ける人は居着くことが無い。もっと先が有る事を感じ取る感性を磨き続けているからだ。だから躊躇なく捨てて軽やかに先を目指せるのだ。
2020/10/02 先入観がモノを見えなくする。よく見ようとして知識を詰め込むなら先入観は益々強く成る。だから一時的にでも忘れる必要がある。師匠には「今迄に覚えてきた鍛冶の知識は一旦忘れろ」と言われた。忘れ始めれば見えなかったモノが見え始める。一旦忘れていた知識とも後には客観的に付き合える様に成る。
2020/10/01 人は褒められたり叱られたりしている内に他人の価値観でモノを見る様になる。其れは幾重にもなるフィルターの様に世の中を歪んで見せる。だから幸三郎師匠は私のフィルターを取り除くことから始めた。私は期待しながらそれを楽しんでいた。フィルターが取れると本来の自分の感性が研ぎ澄まされ始めた。
2020/09/30 相手に対する敬意が無ければ自分を認めてもらえない。其れは後進に対してこそ言える事だ。相手が後進ならば目上の人以上に丁寧に接する必要が有る。そして安易に褒めたり叱ったりしてはいけない。一時的な興奮や緊張とは無縁の安心感が人の心を開くからだ。大切にされていると分かってもらう事が大事。
2020/09/29 指導者は価値観を押し付けたがる。世の中の殆どは善悪良否など無く好き嫌いで動いているのに。其れを自分の価値観で判断を下して善悪良否を決めに掛かる。そして悪気なく追随者に押し付ける。其れは人権侵害であり差別意識の為せる業だ。指導者が追随者より偉い訳ではない。単なる役割分担に過ぎない。
2020/09/28 叱られれば少しは考える。失敗から学ぶ事は多いからだ。だが褒められた時の学びは少ない。全て受け入れられたと勘違いするからだ。其の上もっと褒めてもらおうとして相手に依存してしまう。つまり進んで洗脳されようとする訳だ。そして自分を見失い袋小路に入る。誉め言葉が最悪の呪いに成る事は多い。
2020/09/27 地元の川にブラックバスが住み着いて10年以上経つ。この川は上流にダムが出来て荒廃が進んでいた。其処にバスが適応して住み着いた訳だ。現在この川の岩魚や鮎等の釣魚の殆どが他所から持ち込まれ放流されている。バスが脅かす在来種は既に存在していない訳だ。自然保護を叫ぶ人達は何を守りたいのか?
2020/09/26 戦後、日本人はアメリカに飼い慣らされた。アメリカは益々自由を尊び日本は互いに干渉し合う不自由の国に成った。日本人は強く干渉し合う事を喜んで受け入れているのだ。教育現場では積極的に褒めたり叱ったりして管理を強め互いに束縛し合う。其れは創造性を尊ぶ職人の世界で一番の禁忌とされている。
2020/09/25 他人と同じ事をやる事が少ない。他人のやる事が詰まらない訳ではない。気が付くと他人と違っているのだ。すると勝手に善悪を決められて非難されることが有る。人は其々違うのに大勢と違うと悪にされがちだ。そして多くの人はこの強烈な監視社会を受け入れている。まるで集団催眠に掛けられている様に。
2020/09/24 生徒其々に学びの形態は違うのに一律に授業を進めるのはおかしい。生徒の進捗に合う授業の仕組みを創るべきだ。高校1年生の時に左様な意見を発表したが反応は鈍かった。所でコロナの影響で授業に付いて行けないと心配する子供は多い。其れを子供の責任にせずに仕組みの改革で解決してもらいたいのだ。
2020/09/23 頑張る姿を見て応援する人は多い。頑張る姿から勇気を貰う人も多い。だが私は楽しむ人を応援したい。そしてその姿から勇気を貰いたい。何故なら頑張る事には限界が有るが楽しむ事には限界が無い。そして頑張る事よりも楽しむ事の方が遥かに難しい。盲目的に頑張るよりも知恵を絞って楽しみたいものだ。
2020/09/22 人生は自分らしさに出会う旅。やりたいと思う事に忠実に成る事が旅の第一歩。我慢や苦手の克服を優先してはいけない。思った時に直ぐ行動する習慣が旅を楽しく豊かにする。やりたいことが分からない人や出来ない人は飼い慣らされて其れが出来ない。些細な事から始めて洗脳を解かなくてはいけないのだ。
2020/09/21 群れて目立てば声を掛けてもらい易い。だが群れに声を掛ける人の多くは所属する個人に興味は無い。手っ取り早く大勢を集めたいだけだ。所で孤独な人に声を掛ける人はどんな人か?群に引き込もうとする人か個人的に付き合いたいと思う人だろう。私の場合には良質で長く続く関係は孤独から始まっている。
2020/09/20 今夏にスモールマウスバス釣りを始めたが参考資料が少ない。其処でネットを使い分析してみた。すると爆釣ポイントと爆釣している人及び其の人の行動を読み取ることが出来た。早速会いに行き道具の選定と仕掛けの作り方及び釣り方を教わってきた。ネットを使えば釣り場の様子も自宅で即時に確認出来る。
2020/09/19 精度を上げて造り続けていると突然目覚めさせられる時が来る。ある閾値を超えると其れ迄と全く違うモノが出来上がる事に。即ち周りの常識とは全く違う世界が有る事に気付かされる訳だ。あらゆる世界に其れはある筈だ。だがモノ造りは具体的にモノの進化を目の当たりに出来るから其れを実感し易いのだ。
2020/09/18 怒りはコントロールしきれない。心は其処から離れられずにいる。だから臭い物に蓋をする事無くそもそも怒らない事を目指さなくてはいけないのだ。全ては自分の責任で解決できると思えば良い。ゴミが落ちていたら拾えば良い。うんこを踏んだら踏んだ自分が悪いと思えば良い。すると心がふっと軽くなる。
2020/09/17 偶然のブレから発見できる事は多い。だから偶然を意図的に作る為に毎日少しずつやり方を変えてみる。すると偶然を待つよりも遥かに多くの発見が出来るのだ。決められた事を決められたやり方でやっている限りは其れが期待できない。即ちブレを活かす事で進化を促す訳だ。排除するより活かす事を考えろ。
2020/09/16 人は受け入れる準備が整ったなら理解し吸収出来る様になる。その前に教えられても混乱するだけなのだ。其れなのに褒めたり叱ったりして尻を叩くから更に混乱する。そして自分らしさを失いやりたい事すら見失ってしまう。師匠は焦り気味な私に何時も言ってくれていた。焦る必要も急ぐ必要も全く無いと。
2020/09/15 授業に付いて行けない子供の責任を子供自身に押し付けるのは理不尽だ。そもそも指導法が間違っていると何故認めようとしないのか?と高校生の時に先生に言ってみた。すると其処まで手が回らないと言われた。即ち指導法が間違っていると認めた訳だ。あれから40年以上経つが何も変わらない事が悲しい。
2020/09/14 授業に付いて行けないと悩む小学生がいた。授業に付いて行った事が無い私は大丈夫と言ってやりたい。私だけでなく多くの仲間が勉強など眼中に無かった。だが私以外は皆とても立派に成っている。所で成長速度は人其々に大きく異なる。マイペースで生きる事が資質を最大限且つ最善に活かす秘訣だと思う。
2020/09/13 やりたい事が分からない人や教わらないと出来ない人は急がされてきたのだ。例えば受験は期限が決められている。間に合わせる為に褒めたり叱ったり教えたりして子供の自由意思を蔑ろにする。待ってやれば自由意思で其の子供らしく成長していく筈なのに。急がされて自分ではない者にされてしまったのだ。
2020/09/12 人は教えないと出来る様に成らないのか?人は興味有る事なら勝手に身に着けていく。その過程で教えられなくても出来る勘所を磨いていく。所が幼い頃から当人の興味の無い事をさせる為に教え始める。すると何時迄も勘所は身に着かない。左様に教える事で教えないと出来ない人にしているのではないのか?
2020/09/11 人の将来性を見る時に教えなくても出来るかどうかに着目している。教えなくても自ら編み出せる人なら有望だ。仲間にすれば活躍してくれるに違いない。其れが敵ならば手強い相手に成る。だが教えないと出来ない人ならどうだろう?仲間にすれば忍耐強さが求められる。敵ならば全く意に介する必要は無い。
2020/09/10 任せたならば褒めも叱りも教えもせずに出来るだけ待っている。周りはこまめに面倒を見てやれと急かすが放って置く。其れで出来ないならば所詮は見込みがないのだ。だが多くの場合には自ら考えて行動し始める。現代の指導者は其れまで待つ事が出来ない。だから永遠に面倒を見続けなくてはいけなくなる。
2020/09/09 師匠は褒める事に慎重だった。私を他人に紹介する際にも褒めない様にと相手に念を押した。私が有頂天に成り天狗になる事を恐れていた。調子に乗り道を踏み外す事を恐れてもいた。お陰で殆どのお客は私を褒めてくれない。叱ってくれる人すら少ない。だからこそ自ら深く考え毎日淡々と仕事が出来ている。
2020/09/08 「今日でおまん(貴方)は卒業だ。おまんの10年後が楽しみらの。」と師匠は言った。だが師匠は不治の病に侵されて10年後の私を見ることが出来ない。其れを知ったのはその後だ。今でもその時の事を思い出すと胸が熱くなる。弟子の自立を促すと共に順調な上達を期待する超最高の誉め言葉だと思った。
2020/09/07 褒めるのは成果を急ぐ為だ。成長速度は其々違う筈なのに一律にしたいのだ。成長が遅ければ待ってやれば良い。ただそれだけの事を多くの指導者は我慢できない。だから褒めて誘導し始める。近年、自己肯定感が低い人や承認欲求の強い人が増えている。その原因は褒められていないと不安に成るからだろう。
2020/09/06 恫喝や暴力に人は抵抗するが褒められれば喜んで受け入れる。だが其の目的は共に人格の矯正である。戦後に従順で均質な労働力が大量に必要に成った。其処で取り入れたのが褒める教育だ。人権意識の高まりと共に恫喝や暴力に変わり受け入れられた。褒める教育は扱い易い人間を作る最強の洗脳装置なのだ。
2020/09/05 自分らしい独自の世界を意図的に創り上げてきた。非難や嘲笑は多く受けたが褒める人は稀だ。其れは多くの人が私の感覚を理解できないからだ。左様に大多数は理解できない事を否定しようとする。だから大多数が褒める事は有り触れた事に過ぎない。即ち褒められてばかりいる人は有り触れた人に過ぎない。
2020/09/04 教育界では褒める事を推奨するが職人界では褒める事を良しとしない。褒める事は資質を伸ばすどころか殺す恐れが大きいからだ。残念ながら人は無意識に褒められ様とする。たとえそれが其の人らしくない事や方法であってもだ。即ち其の人らしく考え行動して独自の世界を創り上げる機会を奪っているのだ。
2020/09/03 私だって褒められて嬉しい時は有る。相手と感覚を共有できていると感じる時だ。だから師匠に褒められた時には感激した。だが感覚の共有が無いままに頻繁に褒める人が居る。感性の鈍い人は其れで舞い上がるが鋭い人は気付いてしまう。其れが自らの印象を良くして相手を操ろうとする卑しい行為なのだと。
2020/09/02 達人に出会い自らの無知を思い知らされたなら胸が躍る。達人の見る世界を垣間見たく成り居ても立っても居られなくなる。所が達人に出会えても素通りする人は多い。幸三郎師匠でさえ多くの鍛冶屋は素通りした。多くの人は自らが理解できる一寸上手い人を尊ぶのだ。達人に気付くには感性を磨くしかない。
2020/09/01 体毛が薄ければもっとモテるのに。なんて言われた事も有るが私は体毛とモテるを結び付けた事が無い。却って体毛をネタに笑ってもらえる事にメリットを感じているくらいだ。左様に物事は結び付け方次第で如何様にでも展開できる。例えば私は力が弱いので貧弱な身体を活かす繊細さを身に着けられたのだ。
2020/08/31 筋力が足りないからと筋トレすればその場しのぎには成る。だが筋肉に頼れば筋力に成果は縛られてしまう。鍛えるべきは筋肉ではなく感性なのだ。感性が鋭ければ現状の力を存分に活かす事が出来る。自らの力以外に活用出来る力にも気付く筈だ。重力は大きな助けになるが存分に活用できている人は少ない。
2020/08/30 弟子は疲れ易い上に体を鍛える事の出来ない体質だ。だから疲れない体の使い方を何時も模索している。元気が無くても、頑張らなくても、集中力が無くても出来る方法を考える。すると結構何でも出来てしまうのだ。その証拠は彼の作る藤六印の玄能が物語っている。鍛えるべきは筋力ではなく感性だと分る。
2020/08/29 思い立ったら直ぐに行動する様にしている。と言うよりも体が勝手に動いてしまう。まるで赤ちゃんの様で面目ないのだ。こんなだから大きな成功は収められないだろう。だがこれ程までに納得できる生き方も少ない気がする。何故ならば資質を誰にも侵されずに純粋な自分のままで生きることが出来るからだ。
2020/08/28 娘は芸能活動を学べる高校を志望した。担任に情報を求めたが前例がないと拒否された。そこで娘は自らネットで探し出した。そして入学の準備を始めてしまった。左様に担任は娘とネットに完敗したのだ。所で私は子供を褒めも叱りもしない。頼りにされた時に支援するだけだ。弟子達にも同じ様にしている。
2020/08/27 倅が高校3年の担任に志望校を告げた所「其の学校は馬鹿しか行かない」と言われた。だが其の志望校の卒業生は優秀な子供も多く溌溂と社会人生活を送っている。馬鹿しか行かないのに何故なのか?高校で殺されていた資質を其の学校で生かせたからだろう。私は同窓会長としてそんな子供達を沢山見てきた。
2020/08/26 死ぬ迄に成せれば良いと思う様にした。すると長期的な目で世界を見ることが出来て些細な事は気にならなく成った。今しか出来ないからと焦る事も殆ど無い。所で人は無限の可能性の中の一つの生き方を選択して生きる。其れは命懸けの綱渡りをしている様なものだ。興奮せずに穏やかに渡り切りたいと思う。
2020/08/25 娘は小学校に入るとアナウンサーに成りたいと言い出した。生徒会でマネジメントを学び大勢の前で話す練習をした。芸能活動を学べる高校に進学し週末には都内のタレント養成所で訓練した。そしてオーディションで600人の中から選ばれて声優デビューを果たした。私は支援するだけで口出ししていない。
2020/08/24 赤ちゃんは夢中に成って動き回る。大人は目を細めて見ているが何時しか矯正し始める。すると子供は嫌々従い始める。この瞬間から子供は主体性を失い始めてやりたい事すら見失うのだ。むしろやりたい事を正しくやらせれば子供は勝手に成長していく。大人は子供に手が掛からずに一石二鳥に成る筈なのだ。
2020/08/23 赤ちゃんはゴロゴロして偶然にうつ伏せに成る。ジタバタしてハイハイを始め、腕力が増して上体を起こし、何かを掴もうとして立ち上がる。立ち上がる事が目的ではなく目の前の事に集中して結果として立ち上がる訳だ。そしてこの偶然は皆に訪れる。興味有る事に夢中で取り組む事は驚きの進化をもたらす。
2020/08/22 「マスゲン釣りチャンネル」が面白い。マスゲン氏の釣りガール育成動画である。氏の教え方が実に上手い。要点を伝えて後はやらせて失敗させるのだ。其れは職人の人育ても同じ。何よりも釣りガール達の資質を見抜き個性を活かして活躍させている。彼女達を目立たせる事で自らも目立つ事に成功している。
2020/08/21 私は何時でも自由に生きていたい。だからその為に心掛けている事が有る。一つ目は群れないこと。自分で決めて行動したいから。二つ目は理由もなく貰わないこと。ただほど高いモノはないから。三つ目は表彰されないこと。権威に取り込まれたくないから。守るのはとても難しい。だから公言するしかない。
2020/08/20 恫喝と褒めた場合の改心の度合に違いは無いという。但し恫喝は共に気分が悪く成り褒めれば共に気分が良く成る。山本五十六は其処に目を付けたのだろう。褒めてやらねば人は動かじと言った。但し恫喝も称賛も相手を依存状態にする事に於いて違いはない。主体性が邪魔になる兵隊の増産に向いているのだ。
2020/08/19 独立した頃は鍛冶屋の後継者の多くが現場に入ろうとしなくなった。先代や古い職人に作らせて自らは売る事に徹し始めた。だが人は老いる。先代の引退で古い職人は言う事を聞かなくなるだろう。自らが育てた職人でないと意思の疎通は難しいからだ。だから先ずは人を育てる準備を始めないといけないのだ。
2020/08/18 学校では私の知らないシナリオを先生と生徒が演じている様に見えた。社会人に成って業界団体に入れば其処でも同じ様に感じたものだ。ある日「貴方は自由で羨ましい」と言われてはっとした。彼等には自らが演じさせられている自覚が有った訳だ。学校は社会の予定調和に馴染む為の訓練をさせているのか?
2020/08/17 使用者の多くが考える「らしさ」には幻想が多い。その幻想に寄り添って作ればあるべき姿から逸れてしまう。だから要望に素直に応えられない事は多いのだ。先日も法則から逸れた玄能の注文を断った。効きの悪い形状を指定されたからだ。そして其の形状は多くの使用者が考える「らしさ」そのものだった。
2020/08/16 私の玄能は変な感じがすると言われていた。誰のモノとも似ていないので見慣れないのだ。私は変な感じを修正せずに精度を高める事に努めた。お陰で多くの人に認められた時には既に差別化出来ていた。もしも周りの意見を素直に聞いて作っていたらどうだろう。巷に溢れる有り触れた玄能に成っていた筈だ。
2020/08/15 坊主頭で墓参りに行ったら寺の住職に間違えられた。人は紛らわしい条件が重なると勘違いし易いのだ。故に其れを商品開発に活かす人は多い。良さそうに見える其れらしい条件を積み上げて作り上げるのだ。だから売り場は其れらしい商品で溢れてしまった。らしさばかりが目立ち中身が伝わってこないのだ。
2020/08/14 かつてない事をやろうとすれば周りは出来ない理由を並べたてる。指摘される問題点を具に潰して始めてみれば指摘の多くが杞憂だったと分かる筈だ。左様に出来ない理由の多くは未経験による無知と不安から導かれているのだ。やると決めて始めることで無知は既知に変わり出来ない理由は次第に消えていく。
2020/08/13 自分を大切に生きる人は自分の中に自分しか居ない。だから迷わずにやりたいことが出来てしまう。一方で自分を後回しにして生きる人は自分の中に多くの他人を住まわせてしまう。だから自分の中の他人の顔色を常に窺いながら生きてしまう。左様に出来ない理由の多くは自分を縛る事から生まれているのだ。
2020/08/12 裸足の国で無理に靴を売る必要はない。靴の文化が定着した国の方が遥かに売り易いからだ。だが同じ様な靴を売ろうとしたら競争に成る。だから違う結果が得られる靴を売るのだ。例えば履くだけで背が高くなる秘密の靴なんて超魅力的だ。左様に既に用途が満たされているモノでさえ可能性は無限大なのだ。
2020/08/11 時代の流れは大きく変わる。新しく人気が出そうなモノは想像し難いので残りそうなモノを考えてみた。例えば文化として根付いており掘り下げる余地が残されているモノ。知識を得る程に楽しみが増してより深く知りたくなるモノ。少人数で静かに楽しめるモノ。上げてみれば今迄と全然変わらない気がする。
2020/08/10 学生時代に子供用の可愛い金槌を開発した事が有る。予想以上に売れて驚いたが調子に乗って作り過ぎて不良在庫に成った。これが経済の基本を知る良い経験に成った。もしもビジネスモデルの作成を夏休みの課題にしたなら、学校のお仕着せの勉強などしている場合ではないと子供達は気付いてしまうだろう。
2020/08/09 注意されて改めるなら誰も問題を起こさない。過ちを繰り返す人は過ちを認知できないのだ。だから注意は大して役に立たない。同様に頑張れとかやれば出来るとかと励ますのも大して役に立たない。そもそもどうすれば出来るのか分からないからだ。故に人を変えようとせずに仕組みを変える必要が有るのだ。
2020/08/08 同じ過ちを繰り返す人に同じ注意を繰り返すこと自体が過ちなのだ。同じ事を繰り返しても違う結果は得られないからだ。指導者が優秀ならば相手の負担を減らす事を先ずは考える。其の上で環境を整えて相手が自ら進んで行動を改めてしまう方法を編み出すだろう。優秀な指導者には十分に分かっている筈だ。
2020/08/07 学ぶ事や身に着ける事が将来の可能性を広げると考えるのは早計だ。何かを掘り下げる事は其れ以外の可能性を捨てる事に繋がるから。だからやる程に可能性は狭まっていく。所がある閾値を超えると可能性は広がり始める。一芸は道に通ずると言うやつだ。其れを信じてやり続けられる事を素質が有ると言う。
2020/08/06 100mを9秒台で走る人も100mの街並みを愉快に眺めつつ歩ける人も共に素敵だ。必死に勉強して優秀な成績を収める人も裏山の昆虫を夢中で採集する人も共に素晴らしい。其処に優劣は無く有るのは価値観の違いだけ。そもそも上を目指すとは他人と比べる事ではなく自らの資質を掘り下げる事なのだ。
2020/08/05 孟母三遷と言う様に身の置き場が重要なのだ。熱意が有ろうと相応しくない環境では努力が報われない。それどころか努力する機会さえ与えられない場合も多い。故に伸び悩む人が居るなら先ずは環境を見直した方が良い。そして自らが成長できているなら、努力を誇るよりも恵まれた環境に感謝した方が良い。
2020/08/04 自粛しながら改善は出来ない。改善はやりながら行うものだ。先ずは出来ない理由ばかり並べたてずに出来る方法を編み出すこと。編み出したなら直ぐに実行し検証した後に改善する。少しでも上手く出来た事はどんどん公表すれば良い。その蓄積が大きな力を持つ筈だ。故に自粛などさせている場合ではない。
2020/08/03 子供の頃から多数決では少数派に属する事が多い。皆が多様な筈なのに多くが空気を読んで同調するからだ。そして徐々に考える事を放棄して流されるだけの人間に成る。決断を他人に委ねるばかりか自らを縛る事を平気で言い始める始末だ。「自分は真面目に自粛しているから自粛しない人が許せない」だと?
2020/08/02 バスが釣れる事でも有名なダムに行ってきた。湖面を覗けば大きな鯉やヘラブナで溢れているがバスは僅かだ。そもそも鯉もヘラブナもバスも其処には居なかった。同様に放流された魚なのにバスだけが駆除されている有様だ。特定のモノだけを悪者に仕立て上げて攻撃するコロナ騒ぎでの状況によく似ている。
2020/08/01 何かを始める時に他人に意見を求める事が有る。最後に少しだけ背中を押してもらいたいと思っての事だ。すると多くの人は絶対に上手く行かないから止めておけと忠告してくれる。其れを聞いて私は始める決心を固めることが出来る訳だ。多くの人が絶対に上手く行かないと思うのなら誰もやらない筈だから。
2020/07/31 不特定多数の意見を聞くと混乱してしまう良い例がある。岩崎航介氏の著書「刃物の見方」でのエピソードだ。出来た剃刀を多くの理容師に渡して良否の判定を仰いだ。所が意見はバラバラで全く参考に成らなかった。使用者の好みや技量の巧拙で意見が分かれてしまうのだ。先人の失敗談から学べる事は多い。
/2020/07/30 人の話を聞かないと叱られる事が多い。だがしっかりと聞いた上で自分の意思を尊重しているのだ。其れは相手の存在を肯定した上で自分をより大切に扱う行為であり反抗とは大きく違う。反抗とは相手と自分をも蔑む行為なのだ。お陰で周りからは大目に見て貰えていると思う。と言うか大目にみてください。
2020/07/29 大人は子供を規則に縛り付けて思い通りに操ろうとする。すると多くの子供は規則の中で思考停止して不平不満を垂れ流し始める。だが言うではないか。出来ない理由を考えるのではなくて出来る方法を編み出す事が大切だと。コロナ禍でも果敢に挑戦し続けられる人は子供の頃からそうやって生きて来た筈だ。
2020/07/28 バイクの免許を取る事も乗る事も買う事も校則で禁止された。私は免許を取りツーリングや競技会に参加していた。怪我をしない様に心身を鍛え安全運転を心掛けた。お陰で事故を起こす事もなく学校を卒業できた。生徒は校則を守る限り学校に守られる。だが自分の事を自分で守らない限り自由には成れない。
2020/07/27 子供の頃から直感を信じて生きてきたから責任は自分で取るしかなかった。お陰で何でもできる自由を手に入れられたと思う。もしも他人の意見ばかり聞いて生きてきたらどうだったか?責任を他人任せにして自立出来ずに不自由なままだった気がする。責任を取る覚悟さえ出来れば沢山の自由が手に入るのだ。
2020/07/26 「人は変われる」と言われてワクワクしたり、「そのままで良い」と言われて救われた気に成ったり、「その花を咲かせることだけに一生懸命に成れば良い」と言われて勇気を出したりする。だがそのままの環境では実現不可能だ。その環境が貴方を混乱させているのだ。環境を変えるだけで解決する事は多い。
2020/07/25 今の自分が本来の自分なのかと心配に成る事が有る。大人に都合よく操られて別人の様に変わっていく子供達を沢山見てきたからだ。唯一無二の資質を持った子供達が均されていく。そんな子供達でも自らの意志で行動していると信じている。だから私も操られているに過ぎないのではないかと心配に成るのだ。
2020/07/24 自らの有りたい姿と周りが求める姿が大きく違っていた。そんな時に多くの人なら周りに合わせて自分を変えるだろう。だが私は有りたい姿の私を求めてくれる人を探し続けた。そして巡り会い、有りたい姿に大きく近付く事が出来たのだ。自分を変える事は資質を放棄しかねない愚かな行為だと確信している。
2020/07/23 管理するのもされるのも嫌いな私は褒めたり叱ったりしない。小手先の技術で他人を操りたくないのだ。だが「他人は変えられない」と言う人でも褒めて他人を変えようとしている。すると褒められた人は褒めた相手に依存させられ自発性を失っていく。自ら決められない人が多いのはこれが原因ではないのか?
/2020/07/22 経済成長は早晩止まると思った。だから小さな隙間に特化して抜きん出る事を目指した。事業の核に成るモノ以外は協力者に委託しようと考えた。抜きん出た人達とチームを組んで仕事が出来たら最高だと思った。そして予想よりも早く経済成長は止まった。だが私の周りには抜きん出た人達が集まってくれた。
2020/07/21 得手と不得手の判断の為に様々な事に挑戦した。自分が得意でも他人も得意と分かれば止めた。他人が苦手で自分が得意と分かれば掘り下げた。それ以外は他所に任せる様にした。周りが一貫生産を目指している時に優秀な協力工場を探し回った。へそ曲がりと非難されたが世の中の流れがその様に見えていた。
2020/07/20 大人の言う事を聞かない子供だった。褒められても叱られても意に介さず自分の意志を尊重していた。お陰で資質が保たれ其れを充分に活かす事が出来てきたと思う。所で多くの人がやりたい事が分からないと言う。其れは資質を潰されたからだ。作為的に褒めたり叱ったりされて混乱させられてしまったのだ。
2020/07/19 放って置いても赤ちゃんは立ち上がろうとする。人は本能的に自立しようとするのだ。所が暫くすると大人達はやりたい事よりもさせたい事を始めさせる。すると褒めたり教えたりが必要に成る。やりたい事をさせておけば勝手に自立できる人でさえ、褒めたり教えたりして自立できなくさせている様に見える。
2020/07/18 見せてやれば出来る人と教えなければ出来ない人が居る。私の弟子達は見せてやれば出来る様に成る。そもそも教えないと言って募集したからそれを承知で来ている。もしも教えると言って募集したならそうはいかない。指導に手間取り私は仕事が出来なくなったろう。募集の敷居は下げるより上げた方が良い。
2020/07/17 若い頃に地元スキークラブの教育部に所属していた。そこの指導者は見て覚えろというだけで教えなかった。私は見たままを身体に写し取ることが出来るので充分だった。だが教えられないと出来ない人は不満を言いつつ止めていった。そして見取り力のあるメンバーだけが残り勝手にグングン上達していった。
2020/07/16 足りない所ばかりを指摘して依存させようとする指導者は多い。指摘を真に受ければ自立出来ずに囚われてしまう。一方で相手の特質を伸ばし可能性を広げて自立を促してくれる指導者が居る。すると自立出来た人はその指導者を敬い多くの人に紹介するだろう。幸三郎師匠は正に自立を促す指導者だったのだ。
2020/07/15 唯一無二の人が居る。最早比べる対象が居ないのだ。其の人の生き様全てに価値があると言っていい。だから何をやっても其れが価値に繋がる。そんな人を見れば自分と誰かを比べる意味を失い、ライバルと競うのが馬鹿らしくなる。そもそも複数のライバルがいる事自体が大勢の中の一人に過ぎない証なのだ。
2020/07/14 そもそも弟子は科学的な数値や記号などを全く知らず、御使用者の要望を聞いた事も無く、宣伝や売り込みを全くせず、玄能に格好を付ける気も無く、他人と比べる事も無い。其れにもかかわらず順調に上達して玄能は売れている。生きていく為に本当に必要な事は世間で言われる事とは全く違うということだ。
2020/07/13 師匠に止めさせられた事は多い。先ずは科学的な数値や記号に頼る事。不特定多数の御使用者の要望に耳を傾ける事。進んで宣伝や売り込みをする事。玄能に装飾を施す事。他人と比べる事。止め始めると理想的な玄能の姿が鮮明に浮かび上がり始めた。必要だと信じていた事が却って本質を曇らせていた訳だ。
2020/07/12 長谷川幸三郎師匠に出会わなければ真面に生きていなかったと思う。先走る情熱を昇華できずに生殺しの状態が続いていたからだ。師匠はそんな私の歪んだ内面を直そうとせずに良い所だけを活かして伸ばしてくれた。師匠こそは人育ての天才だと思っている。何故多くの教育者が同じ様に出来ないのだろうか?
2020/07/11 地元の川にブラックバスが居る。この川で生まれ育ち定着したものだ。だがアユやイワナを捕食する為に嫌われて駆除の対象に成っている。所がアユやイワナはこの川の環境に適応できない為に毎年放流されているのだ。子供達がバスの駆除やアユを放流する姿を地元紙で見る度に人間のエゴを感じてならない。
2020/07/10 宣伝も売り込みも必要ないと師匠は言った。工場に籠り良い品物を作る事だけに集中すれば良いと言った。当初は半信半疑だったが本当だった。所で商品は良いだけでは売れないと言う。だが良い道具が手に入り難い現代では良い事が強力な差別化に繋がる。商品力を最大化できれば宣伝やSEOは要らなくなる。
2020/07/09 少しでも進化させる為に毎日少しずつ変化を加えつつ精度高く作っている。新商品の開発の為にゼロから試作と道具作りを繰り返して完成を目指している。工場に引き籠り朝から晩まで毎日これを繰り返している。そしてこの風景を弟子達は毎日見続けている。何も語らずともやるべき事は見えている筈なのだ。
2020/07/08 弟子が仕事を覚えて独立する事を恐れ作業の詳細を見せない親方が居る。すると弟子は仕事を覚えらない不満から職場を止めてしまう。弟子に早く一人前に成ってもらう為に手取り足取り教える親方が居る。すると弟子は依存性を強め自立できなくなる。大切なのは弟子を自立させて良い関係を続ける事なのに。
2020/07/07 指導の仕方は体罰から怒るに変わり叱るに成って褒めるに至った。体罰も怒るも叱るも苦痛を伴う故に自立を促すが、褒める指導は双方共に気持ち良くなり自立を難しくしていると思う。オマケに出来る人まで依存させそうで怖い。弟子の自立を願う私は褒めも叱りもせずに放って置いて見守るだけにしている。
2020/07/06 褒められたり叱られたりする事が極めて少ない。工場に引き籠って他人に会わないからだ。評価は売れ具合で判断するしかないが進むべき道は充分に見えている。だがこの状況は褒められたり叱られたりして管理されてきた人には非常に辛いだろう。学校の管理システムに馴染めなかった私には理想的なのだが。
2020/07/05 繰り返しの中に起こる偶然のブレによる些細な変化から学ぶ事は多い。上達の早い人はこのブレを意図的に作り出しているのだ。上手く出来ている方法から敢えて少しずらして試してみる。すると思いもしない大きな変化が現れる時がある。時には絶対に失敗すると思えるくらいに大きくずらしてみるのも良い。
2020/07/04 楽しさは創り出すものだ。切っ掛けは与えられても本当の楽しさは創り出すしかない。他人から与えられる程度の楽しさでは全然足りない事を楽しむ達人は知っている。即ち達人は行動により楽しさを自ら制御できる事を知っているのだ。与えられて喜んでいる程度では主体的に何もしていないのと同じなのだ。
2020/07/03

思い通りに成らないコロナの殲滅を考えた時点で既にコロナに依存して居る。形勢は不利に成り自由は失われていく。不都合なモノを強制的に排除し始めれば更なる不都合が襲い掛かる事は明白なのだ。不都合の有無に関わらず穏やかに暮せてこそ自由と言えるだろう。殲滅よりも上手く付き合う道を探りたい。

2020/07/02 思い通りに成らない相手を変えようと思った時点で既に相手に依存して居る。形勢は不利に成り自らは負けつつあるのだ。相手がどうであれ現状を改善出来てこそ自らは優位且つ自由で居られる。即ち相手に対する不平不満は自らの能力を過小評価して主体性を放棄している証なのだ。と、胸に手を当て唱える。
2020/07/01 小学生の頃は貧乏で自転車が買えなかった。緑色の塗料が汚く塗られたボロボロの自転車を貰いインチキな工具で修理しつつ乗っていた。お陰で修理自体が楽しく成り大人以上に工具使いが上手く成った。私の原点はこの辺りに有ると思う。目的を叶える為の過程自体に喜びを見出す事が出来る様に成っていた。
2020/06/30 足りないと思うから始められないし始めても続けられない。欠乏感は人間の潜在力を殺す悪魔の囁きなのだ。足りてはいないが既に有るモノを信じて始めると出来てしまう事は多い。信じる事で有るモノを活かし切る覚悟が決まるからだ。有るモノを信じて活かし始めると意外と足りていた事に驚いたりもする。
2020/06/29 有りたい状態を深く考えずに始めても長く続かない。具体的な未来が見えて来ないからだ。望む未来が明確に成るからやるべき事が見えて来て続けられるのだ。所で先週から始めた自然河川でのバス釣りに魅了されてしまった。これ程までに干渉されず没頭できる環境は珍しいだろう。正に私の有りたい状態だ。
2020/06/28 出来ないのは知識や能力が足りないからではない。足りていても出来る様に成らない人は多い。其れは始めない人だ。出来る様に成る人は今ある知識や能力で始めてしまう人。始めるから本当に足りないモノが分かり選択と集中で身に着けられる。始めないで付けた知識や能力は厄介なぜい肉に終わる事が多い。
2020/06/27 身体が弱いから鍛えるという発想には早晩限界が来る。弱くても出来る身体の使い方を先ずは探りたい。すると弱いままで充分に動ける様に成る。同様に知識が足りないから勉強するという発想も頂けない。足りなくても出来る方法を先ずは探りたい。足りないモノを足す発想は問題の先送りに繋がる事が多い。
2020/06/26 教科書の順番通りに勉強しなかった。全体を俯瞰して面白そうな所や分かり易い所から始めていた。すると苦も無く始められ好奇心はやがて教科書全体に行き渡り始めた。だが学校では其れが許されなかった。そもそも面白くやれないから苦手に成り克服の為に更に嫌いに成る。学校は苦手を大量生産していた。
2020/06/25 中学校では勉強が分からずに難儀した。授業に付いて行けずにテストは白紙同然だった。所が夏季講習に行って驚いた。学校と違い勉強が分るのだ。其処で自分流の勉強法を確立して授業の進行を無視して勉強をやり始めた。すると成績は一番に成ってしまった。やり方を変えるだけで上手く行く事は多いのだ。
2020/06/24 精度高く作られた道具は見る者に安心感を与え大切に扱われて真価を発揮する。精度低く作られた道具は見る者に不安感を与え乱暴に扱われて悪い評価を受ける。左様に品質は使う前から人の心と行動に大きく影響を及ぼすのだ。道具が真価を発揮するには明らかに精度高く作られる必要が有ると分かるだろう。
2020/06/23 モノ作りも魚釣りと同様に上手い人は無数の要素を自在に組み替えて最適解を導き出す。所が上手く成らない人は多くの要素を固定化して組み替えの機会を逃している。即ち同じやり方を繰り返すだけで他の可能性を求めようとしていない。伸び悩んでいる人はやり方や環境を思い切り変えてみると良いだろう。
2020/06/22 魚釣りでは環境と技術の無数の組み合わせを最適化して釣果を導く。何一つ欠ける事無く全ての要素が複雑に絡み合って最善の答えが導き出される訳だ。そこで上手い人は無数の要素を自在に組み替えて答えを導き出そうとする。所が下手な人は多くの要素を固定化して組み替えの選択肢を減らしてしまうのだ。
2020/06/21 元気を出せと注意される事がある。もっと興奮した方が良いと言うのだ。だが興奮して良い事など有るのだろうか。例えばスポーツも商売も相手を興奮させ平常心を失わせた方が優位に立てる。だから秀でた人ほど平常心を大切にしている筈なのだ。興奮して失敗する事は有っても成功する事は稀ではないのか。
2020/06/20 どんなに些細な分野でも其処で秀でた人物は並ではないと聞いた事が有る。確かに誰もやらない事を始めるのは勇気が必要だろう。孤独に耐え続けられるのは稀な才能といえる。ましてや秀でた結果を残すまで精進するのは容易ではない。並ならぬ平常心を求められ続けるから並でなく成るのは当然なのだろう。
2020/06/19 ネットでは素の自分を出す様にしている。だが其れだけで私を知ってもらうのは難しい。そこで私には玄能が有る。ネットの書き込みと玄能を見てもらえば随分と正確に私を知ってもらえる筈だ。これで苦手なコミュニケーションも一寸だけ楽に成る。コミュ障の私だが玄能を介せば円滑に意思疎通できるのだ。
2020/06/18 人と会うのも話すのも超超超苦手だ。一寸した訪問客にも疲れ果ててしまう。だが会いたい人には直ぐに会いに行く。そんな時には苦手が気に成らないのだ。だからやらずに居られない事を最優先してきた。すると苦手を気にせずに結構何でも出来てしまう。普通の人に出来る事が出来ない私の苦肉の策なのだ。
2020/06/17 地元の清流五十嵐川は上流にダムが出来て死んだ。川底は腐り在来魚は死に絶えた。所が今ではブラックバスの格好の釣り場である。駆除を求める人も居るが川面一杯に群れる稚魚を見れば手遅れと分かる。却ってこんな酷いドブ川に住んでくれるバスに私は感謝したい。この際バス釣りで町興しをすればいい。
2020/06/16 視点を変えると姿勢が変わる。すると身体全体の働き方が一度に変わる。同様に付き合う人を変えると多くの事が一度に変わる。私は師匠の下を訪れて全てが変わった。要らないモノばかり身に着けてきたと気付いた。直感を信じる事の大切さを肝に銘じた。付き合う人が変わり世界の見え方が一度に変わった。
2020/06/15 槌を打ち下ろす瞬間の視点を一寸だけ変えてみた。すると今迄よりも遥かに力強く正確に打ち下ろす事が出来た。やる度に少しずつやり方を変えている成果が表れた訳だ。知識や筋肉を足した訳ではなく既に持っているモノを活かしただけ。持っているモノを活かす事で足りないモノを補える事が分かるだろう。
2020/06/14 お祭り騒ぎで集客すればお祭り好きが集まるだけ。商品に沿わない集客をすれば真の顧客は離れていく。当たり前なのに何度も繰り返される。望む顧客の属性を明確にして彼等の心に刺さる集客が必要なのに。既存顧客を大切にするなら敢えて集客しないのも良策だろう。お祭り騒ぎが出来ない今こそ考えたい。
2020/06/13 学校の先生は頭の中をいじり回そうとした。詰まらない事を褒め些細な事に激高した。褒める事も怒る事も子供を操る手段に過ぎない。子供達も気付いていたが次第に取り込まれていった。だが社会に出ると状況は激変する。褒めも叱りもされなく成るのだ。本当なら其れを見越した教育が為されるべきなのに。
2020/06/12 多くの人が超急ぎ過ぎている。成果を急ぐあまり過剰に褒めて軌道修正を企てる。相手の自主性を蔑ろにしてまで自分の信じる方向に誘導する。加害者はそれを善意でやるから質が悪いのだ。そして被害者は自らを見失い承認欲求の権化と化す。今の自分が本来の自分だと言い切れる人がどれだけ居るだろうか?
2020/06/11 軽々しく褒める人を警戒していると知人が言った。表彰されるのも権威に取り込まれる様で気持ちが悪いそうだ。確かに褒められると関係性に囚われて行為自体は二の次に成り易い。本当に自分の意志でやっているのかさえ分からなく成る事も多い。褒められて育った人は既に手玉に取られている可能性が高い。
2020/06/10 多くの人が急ぎ過ぎている。学生は特にそうだ。卒業までに出来る事など人生の内で僅かなものだ。完結を急がずに軌道修正しながら色々と取り組んでみれば良い。すると感性が磨かれて向き不向きや好き嫌いが明確に成る。華やかな成果を急ぐより、有意義で幸せな人生を送る為の助走期間と考えた方が良い。
2020/06/09 勝とうとすれば相手に囚われて影響を受ける。そして自分らしさを失い混乱してしまう。そもそも自分がライバル視する人など大したことはない。本当に目指すべき目標は未だ貴方に見えていないのだ。だから周りを気にせずに興味深くやり続ければいい。すると感性が磨かれ目指すべき本物が見え始めるのだ。
2020/06/08 釣れなくても釣る為の試行錯誤を興味深く続ける事が出来る。鍛冶仕事も儲けが少なくても興味深く続ける事が出来る。共に結果だけでなく過程も楽しみつつ長く続ける事が出来ている。長く続けられるから直ぐに結果を出す必要も無い。のんびり続けている間に同業者は耐えきれずに次々と撤退していくのだ。
2020/06/07 子供の頃にウグイ釣りの為に通い続けた川はブラックバスの絶好の釣り場に変わった。今では多くの釣人が訪れて釣り堀の様だ。だが生態系が崩れると言って外来生物を忌避し駆除する人も多い。そのくせ人間は国境を越えて自由に往来を楽しむ。この度のコロナ禍では人間の身勝手さを改めて痛感させられた。
2020/06/06 褒めるとはチヤホヤする事ではない。行動する事により変化する未来を感じさせる事だ。その未来が魅力的なら褒める必要すら無くなる。即ち相手を操り依存させる行為ではなく共に自由を得る行為なのだ。だから現状を有りの侭に伝えた上で未来の可能性を語ればいい。すると共に自由に成長出来る様に成る。
2020/06/05 倅が小学生の時の事だ。手伝いを頼んだら褒めてくれと言う。やる前に褒めるのは可笑しいと言うと先生はやる前に褒めてくれると言う。其れを聞いて背筋が凍った。先生は子供達の自主性を蔑ろにして操る事を優先している様に感じた。褒められる事に依存した子供達は行動の意義を見失っている様に見えた。
2020/06/04 自転車に補助輪を付ける人は居なくなった。そもそも必要なかったのだ。だが世の中には補助輪の様なモノが溢れている。例えば褒める教育だ。有りの侭を伝える努力を惜しみ取り敢えず褒める事が横行している。お陰で共依存関係が出来上がり子供の能力を活かすよりも操る事が目的に成っている様に見える。
2020/06/03 鍛冶仕事に硬度計や顕微鏡を使う事は一般的だった。加熱や鍛錬による金属組織の変化は目に見えないからだ。だが便利な器具は勘を鈍らせると考え使用しなかった。故に組織の状態を見えているが如くに感じ取る感覚を磨く必要が有った。その経験は鍛冶以外に於いても見えないモノを見る目を鍛えてくれた。
2020/06/02 やる度に少しずつ変えながらやることが大事。同じ事を繰り返しても進化出来ないからだ。だが同じ事を繰り返せない人は少しずつ変える事が出来ない。再現性の低い人は自らを正確に調整できないからだ。だから先ずは出来たモノが揃う様にしたい。すると其処を軸足にして少しずつ変えられる様に成るのだ。
2020/06/01 裏切られたと嘆く人は多い。だが約束している訳ではなく一方的に過度な見返りを期待している場合が多い。充分な見返りが欲しければ最初から明確に伝えれば良い。其れが出来なければ与える事を止めるか与えた事を忘れるしかない。与え続けられる人はその行為自体を楽しめるから裏切られる事がないのだ。
2020/05/31 させられている意識は我慢を強いる。してやっている意識も我慢を強いる。共に見返りを期待してしまうからだ。其処で我慢嫌いな私は考えた。させられるなら楽しく出来る方法でやり、してやっている意識を忘れる程に夢中に成れば良いと。見返りの過度な期待から多くの不幸が生まれると知っているからだ。
2020/05/30 人を導く際に価値観を押し付ける事が普通に行われてきた。昭和の熱血ドラマの師弟関係はその典型だろう。だが多くの場合に其処に強い依存関係が生まれている様だ。コロナ禍で自治体に強い規制を求めたり過度に自己規制したりする人が多いのは価値観を押し付けられる事に依存して居るからではないのか?
2020/05/29 飢えたら食えそうな物を少しだけ食ってみれば良い。食えるならそのまま食えば良いし具合が悪く成れば止めれば良い。鍛冶仕事も同様に良さそうな技術なら試してみれば良い。上手く行くなら掘り下げれば良いし駄目なら止めれば良い。其処に科学的根拠は要らない。速やかに多くの事を試す事が大事なのだ。
2020/05/28 鍛冶仕事は謎だらけな故に混乱して気が変に成りそうな事が有る。更には上達する程に自分よりも詳しい人は減り相談できなく成る。上達とは孤独との戦いなのだ。そんな時に我慢や辛抱はクソの役にも立たない。壁を打ち破る為の力の源は楽しむ事なのだ。孤独との戦いでは楽しめる能力が最大の武器に成る。
2020/05/27 目覚めにストレッチすれば心身共に機嫌よく起床できる。歯ブラシも使い方次第で口腔環境は激変する。通勤時の車の運転もメリハリを付ければ小旅行に変わるのだ。そして気が付けば上達している。やるなら楽しむをモットーにする私は退屈する事が無い。毎日の習慣を無意識のままにやるのは勿体ないのだ。
2020/05/26 虚弱体質なので50代半ばを過ぎて肉体労働が出来ると思わなかった。楽に効率よく鍛冶仕事が出来る様に体の使い方を工夫しているお陰だろう。運動や筋トレする事も無くただ仕事をしているだけで体調管理が出来ているのだ。今は筋トレブームだが鍛えるよりも使いこなした方が筋肉は裏切らない気がする。
2020/05/25 勉強は好きなのに学校が大嫌いな私は教室にいるだけで息苦しかった。学校の意義は勉強だけでなく人との通じ合いを育む事とも考え通い続けた。だが益々嫌いに成り勉強まで嫌いに成る始末だ。コロナ禍においてリモート学習が進んだ事は幸いだ。学習の形の多様化は多様な人材の能力開発に有効に働く筈だ。
2020/05/24 クラブの先輩は何時も輝いていた。面白そうな事に誰よりも早く取組みブームに成る頃には指導的立場に立っていた。同時に更なる新しい事に取り組み始め秘かに特訓していたのだ。彼は知っていた。ブームが来てから飛びついたのでは遅すぎると。ブームが後から追いついてくる様に何時も計算していた訳だ。
2020/05/23 苦手の克服などやる意味が無いと言うと叱られる。だが私の言う苦手と他人の言う苦手は違うみたいだ。努力すれば出来る様に成るものを私は苦手と言わない。努力しても出来ないものを苦手と言うのだ。例えば私はお祭りなどの人混みと大きな音が苦手だ。特に大声を出す人は絶対に無理。チビリそうになる。
2020/05/22 政治家を目指す男が将来の遊説を見越して乗馬の稽古に明け暮れた。お陰で政治家に成る為の勉強が疎かになり夢叶わずに一生を終えた。子供の頃にこんな古事を読んで間抜けな男を笑ったものだ。だが同じ様な事は世間に溢れ返っている。英語の勉強を6年以上も続けたのに話す機会が全く訪れないのだ。(笑)
2020/05/21 益々モノやサービスは売れなくなる。新卒採用は激減し頭脳労働の多くがAIに取って代わられる。企業は人を育てる気概を既に失っている。最早勉強が出来るだけでは何の役にも立てないのだ。苦手の克服などという呑気な事をしている場合ではない。早急に得意な事に磨きを掛けないと手遅れに成ってしまう。
2020/05/20 図面を渡され試作品を作れば直ぐに注文に繋がる。他に出来る人が居ないからだ。出来ない人は技能不足というより作り方を自ら編み出せない。即ち教えられないと出来ないのだ。だが教えてくれる人はいなくなった。ネットで調べても出てくる訳がない。今後は自ら編み出せる人が絶対的に有利な時代に成る。
2020/05/19 使う言葉が鍛冶に向いていないと師匠に指摘された。身に着けた科学知識が鍛冶に必要な感性を殺していると言うのだ。其れ迄は科学という公式に当てはめさえすれば答えを出せると信じていた。改めて感性という公式に当てはめて答えを出し始めた。科学は点の集合であり感性は面で事象を捉える感覚がある。
2020/05/18 多くの人が誰かに植え付けられた公式に当てはめて答えを出す。当人は考えているつもりでも既に操られている。釣り方を教える教育で洗脳されているのだ。人を自由にする事が教育の目的ならば「釣り方」即ち公式を押し付けてはいけない。公式を自ら導き出すことで独自の答えを出し自らを開放できるのだ。
2020/05/17 玄能造りは気持ち良い。ゆらめく炎は艶めかしく赤んだ鋼は実に美味そうに見える。ヤスリを使った成形作業はリズミカルで心が踊る。赤んだ鋼を急冷する焼入れの緊張感は堪えられない。だが気持ちよすぎて眠くなってしまうから困ってしまう。機械化合理化されたモノ作りでは絶対に味わえない感触だろう。
2020/05/16 子供の頃から物欲が少ない。心底欲しく成らないと購入しない。だから他人にもそんなモノを提供したいと考えた。私が心底欲しくなるモノ。其れは本質に磨きを掛けたものだ。では玄能の本質とは何か?其れは限られた力を最大限に活かす事だろう。理論を確立して精度高く造ることで其れが実現できる筈だ。
2020/05/15 出来なかった事が出来る様に成るのは素敵だ。それは間違いなく小さな奇跡なのだ。それとて目標を立て計画し実行しなくては成し得なかった筈だ。上手く成る人は其れを意識的に熟して大きな奇跡に育てることが出来る。多くの人は予期せぬ出来事を奇跡と言うが、起こした本人には予定通りの出来事なのだ。
2020/05/14 タイミングが少しずれただけでも同じ事は絶対に起こらない。現実は全てが奇跡で出来ているのだ。其れが分からないから他人の偉業を奇跡と言って特別視する。だが目標を立て計画して実行して微調整を繰り返す事で誰でも狙い通りの奇跡を起こす可能性が大きくなる。奇跡はコントロール出来るという訳だ。
2020/05/13 普段の仕事を洗練させたいなら新しい事に取り掛かれば良い。未知の作業が経験値を飛躍させモノの見方を変えてくれる。すると其れ迄の仕事は容易に成り品質は上がる。即ち新製品の開発は既存の仕事を洗練させるのに最適なのだ。新製品も出来て既存商品の品質も上がると成ればやらない理由は無いだろう。
2020/05/12 仕事中は電話に出ない。注文や問い合わせはFAXやメールでお願いしている。難聴で会話が聞き取り難い上に鍛冶作業は中断できないからだ。だが本音は電話が怖いだけ。実はこれも「合わせの要らない釣理論」の応用なのだが、根性や頑張りや集中力を必要としない状態を作る為の怠け者に最適な理論なのだ。
2020/05/11 集中力は長く続かない。だから集中しなくても出来るやり方を考える訳だ。其の為に少しずつやり方を変えながら微調整を繰り返す。すると無理せず短時間で出来るやり方が見えて来る。即ち洗練された極単純なやり方こそが集中力の要らないやり方なのだ。これも「合わせの要らない釣理論」の考え方になる。
2020/05/10 ルアー釣りでは魚のあたりに合わせて竿を煽って針を掛ける。其れで充分に釣れるから多くの人はそれで満足する。だが釣り方を更に詰めていけば魚が自ら針に掛かる様にできる。モノ作りも同様だ。ある程度できて満足する人が多いが、もっと楽に簡単に出来る方法を詰めて考えられる人のみが達人に成れる。
2020/05/09 竿や疑似餌を取り換えながら釣れる条件を探って微調整を続ける。答えに近付くにつれて少しずつ釣れ始める。全ての条件が合致すれば合わせの必要も無く魚は勝手に釣れてくれる。私はこれがビジネスにも活用できると信じて様々な場面に応用してきた。私はそれを「合わせの要らない釣理論」と呼んでいる。
2020/05/08 水中には多種多様な魚がいる。上手い釣人は狙った獲物を釣り上げるが、下手な釣人は外道や雑魚を釣って喜んでしまう。集客や求人も同様だ。上手い人は狙い通りの人を手にするが、下手な人は無暗に沢山集めて喜んでしまう。前者は真の目的を忘れる事が無いが、後者は明確な目的を持たずに始めるからだ。
2020/05/07

子供の頃の漫画の話だ。こまわり君は良い事と悪い事の区別が付かないと言った。そこで西城君はその区別を具体的な例を挙げて説明した。当時はこれを読んで大いに笑ったものだ。所がコロナ禍の現在、個別具体的に指示しないと行動できない人の多さが露に成った。現在の日本はギャグ漫画並の体たらくだ。

2020/05/06 上達する程に稚拙さに戸惑い内向的に成ってしまう。だから上手い人でも正しく評価され難い事が有る。所が出来たつもりで宣伝する人は有名に成る。これが上手い人と有名な人が違う所以だ。だが上手い人が正しく評価されるのは消費者の為にも成る。職人としてではなく経営者として考える必要が有る筈だ。
2020/05/05 東日本大震災後に「絆」ブームが起きた。生産者と消費者の触れ合いが持て囃され、ネット環境の充実も重なり直販化が進んだ。お陰で既存の流通網は崩壊して業界の隅々迄お金が回らなくなった。即ち産地としての機能が損なわれ始めた訳だ。「絆」の意味を履き違えたせいで産地全体が沈みかけているのだ。
2020/05/04 大工道具が売れなくなった頃に問屋が売る為の勉強会を開いた。其の甲斐も無く売れる様に成らずに鍛冶屋は見切りを付けられた。人がモノを欲しがらない現代では需要が無い所にも需要を創り出さないと商売に成らない。鍛冶屋と問屋小売屋が其々の専門性に磨きを掛けて協力しないと誰も生き残れない筈だ。
2020/05/03 競争が有るなら即納は武器に成る。但し生産体制に余裕が無ければ繁雑な作業に追われてしまう。だが競争が無ければ待ってもらう事を武器に出来る。待ってもらう間に商品開発や人材育成が出来るからだ。何よりも注残が1年分有れば、今直ぐに注文が途絶えても1年間は次なる手を打つ余裕が生まれる訳だ。
2020/05/02 直販の場合は山頂に注文が入り激流を下る様に使用者に商品が届く。流通を通す場合は川下から注文が入り幾つもの貯水池を経て使用者に商品が届く。そして貯水池には在庫が置かれる事に成る。故に直販は注文が切れたら仕事が止まるが、流通を通せば貯水池に在庫が溜まる迄は仕事を続ける事が出来る訳だ。
2020/05/01 鍛冶職人と鍛冶屋は違う。鍛冶職人は労働者で有り与えられた役割を全うすれば良い。鍛冶屋は経営者で有り仕事全体を取りまとめる必要が有る。要するに鍛冶職人には部分最適が求められ鍛冶屋には全体最適が求められる訳だ。リーダーがこの違いを明確に理解していないと混乱と破滅をもたらすことに成る。
2020/04/30 人は互いのネットワークに支えられて生きている。緻密な蜘蛛の巣の上に乗っている様なものだ。糸が少し切れても耐えられるが沢山切れれば落下する。今迄の不況では何処かで糸が繋がってくれていた。所が今度は全部切れかけている。「できない理由を探すよりできる方法を考えろ」という良い教えが有る。
2020/04/29 他人と違う事をやろうとすれば周りは一斉に反発する。陳腐な規則を持ち出して出来ない理由を並べ立てる。だが誰かが新しい事を成功させたから今が有る。そして今こそその誰かに自らが成る時だ。自粛するばかりでなく安全安心に出来る方法を自ら考え実践すれば良い。成功事例はネットで公開すれば良い。
2020/04/28 免許を取らせない買わせない運転させないという三ない運動が高校時代に行われた。生徒の自主性は全く信用できないという訳だ。コロナ禍での自粛要請も似ている。工夫次第で営業できる所は多い筈なのに信用されずに休まされてしまう。知恵や工夫の余地は無いという訳だ。変革の好機なのに誠に勿体ない。
2020/04/27 お馬鹿タレントが馬鹿な事をやらかしても演出だと思う筈だ。だがコメンテーターや識者と言われる人の言う事は真に受けてしまう。彼らとて周りに気を使いつつ視聴者が喜ぶ事を言っているに過ぎない。言わば演じさせられている訳だ。彼らを見ていると主体的に行動する事の難しさを思い知らされてしまう。
2020/04/26 不幸にも今後益々世の中は不安定に成る。多くの人の心は荒み気力は萎えるだろう。だが弱った自分にもできる事から始めたらいい。頑張らずに長く続けられる事なら何でも構わない。きっと其処に貴方らしさを見つけられる筈だ。不安定な中に独自の安定を見つけた時、其れが貴方のブルーオーシャンに成る。
2020/04/25 嫌な勉強を我慢してやり褒められて溜飲を下げる。嫌な仕事を我慢してやり金持ちに成り自分を納得させる。だがそれで幸せになれない事に皆が気付いてしまった。対症療法に限界が来たのだ。幸せを得る為に嫌な事を我慢してやるのではなく、直接幸せを感じられる事を始める以外に真に癒されることは無い。
2020/04/24 今は戦時中と同じだという。だがコロナ禍が収束してもかつての復興の様にはいかない。全て破壊されずに残っている上に人は欲しがらなくなっているからだ。ではどの様に復興は為されるのか?先ずは壊れた人の心を癒す事から始まるだろう。あらゆる仕事の根幹に生きがいの創造が求められる様に成る筈だ。
2020/04/23 会社を大きくすれば尊敬されるとか金持ちに成れば幸せに成れるとかは幻想だ。例え幻想に気付いても其れ迄の苦労を正当化する為に突き進むしかなかった。現実を直視する目は曇り幻想の世界で泡沫の如く生きる道を選んできた。其れが現在の閉塞感の主たる原因だろう。コロナ禍で我に返ってしまったのだ。
2020/04/22 凄まじい火花が飛び散り激しい息遣いが聞こえてくる鍛冶職人の映像を見れば興奮するだろう。だが本当に上手い職人は為すべき事を最小限の労力で粛々と行う為に派手さが無い。左様に世間に溢れる演出による幻想を信じた人達の勘違いで世の中は行き詰ってしまった。今は本質を見抜く目を養う好機なのだ。
2020/04/21 仕事は頑張らない。出来るだけ楽に楽しく出来る工夫をしている。大切なのは能力を最大限且つ最善に活かせる丁度良い塩梅を見つける事。穏やかな気持ちで集中力を持続できる塩梅が其れで、頑張っていたら絶対に辿り着けないのだ。熱血漢に泣きながら指導される子供達をテレビで見る度にやれやれと思う。
2020/04/20 勉強も運動も好きだが学校は嫌いだった。競わされて自分を見失うのが嫌だったから。其れは今も変わらない。競えば高揚感に支配され平常心と集中力を失う。そもそも長い人生での一時的な勝利に興味を持てない。丁度良い塩梅の調子で生涯に渡り穏やかに成長していく。其れが私の目標であり勝利だと思う。
2020/04/19 中学生に成っても勉強のやり方が分からなかった。また授業は訳が分からず時間の無駄に感じた。其処で自分に合った勉強法を編み出した。お陰で勉強を好きに成ることが出来た。多くの子供が先生のお仕着せの勉強法を受入れて勉強嫌いに成る。嫌いに成るのは努力不足よりもやり方が間違っている事が多い。
2020/04/18 顧客の種類と階層及び其処での需要を予測すれば適切な事業規模の見当は付く。こぢんまりとした規模で稼ぎたい私に玄能鍛冶は適していると思った。仕事を気持ちよく継続できる丁度良い塩梅を探りつつ微調整を繰り返してきた。コロナ禍で予定は大きく崩れたが戦う為の準備は間一髪で間に合った気がする。
2020/04/17 二年目に成る二番弟子が玄能の火造りを始めた。当分の間は作った玄能の全てを廃棄することに成る。一番弟子も呆れる程に大量の玄能を自ら廃棄した。お陰で彼の造る藤六印の玄能は人気が高い。上手く成る迄売らずに辛抱した甲斐が有るのだ。コロナ禍で急ぐ仕事も減り二番弟子には丁度良いタイミングだ。
2020/04/16 インバウンドは幻想に終わった。東京オリンピックの開催も危うい。今迄は集中肥大化することで効率化を図っていた。今後は分散した多様性に対応できる軽やかさが求められるだろう。平成は巨大恐竜の如く奇形的肥大化して進化の袋小路に入った。令和を鳥の如く軽やかに進化できる時代の到来と捉えたい。
2020/04/15 力を付けた鍛冶屋の中には流通業を介さずに販売できる所も有る。知名度が高まれば直接注文を取れるからだ。だが自らの知名度を高めた上で知名度の高い流通業と連携すれば更に強く成れる。互いの能力を最大限且つ最善に活かし合えるからだ。相互依存関係の構築で分かち合いと繁栄を両立させられる筈だ。
2020/04/14 他人の言動にいちいちケチを付ける人は自分だけが正しいと思っているのか?正解は人の数だけ有る事に気付いていないのか?私は自ら決断して実行することで独自の正解を導き出せると信じている。他人に与えられた正解などは肌に合わずに気持ち悪くて仕方がない。独自の正解こそが真の正解だと思うのだ。
2020/04/13 浩樹印玄能を自らは全く宣伝しなかった。だが生産が間に合わない位に注文は来た。問屋や小売屋が一生懸命に宣伝してくれたお陰なのだ。所が当時は多くの鍛冶屋と問屋が手道具の販売不振の責任を押し付け合っていた。出来ない事は互いに許し合い、出来る事で互いを活かし合えば百人力に成るというのに。
2020/04/12 鍛冶業界に入った時には鍛冶屋の多くが問屋に支配され搾取されていた。力を付けた鍛冶屋の中には問屋などの流通業を介さずに販売する所もあった。私は既に出来ている流通業の販売網を効率的に使いたかった。だから力を付けた上で流通業と仲良く付き合う道を探った。相互依存できる道を探っていた訳だ。
2020/04/11 他人の意見に違和感を覚えた時には立ち止る様にしている。否定したい時にも直ぐに否定せずに自らの至らない可能性を探ってみる。すると其処に新しい発見が有りモノの見方が大きく変わる事が有る。違和感はパラダイムシフトの可能性を秘めているのだ。何でもかんでも否定する人は其の好機を逃している。
2020/04/10 ご使用者から注文が来た場合には最寄りの販売店でお買い上げ頂く様に促す。もしも其の販売店が私の玄能を知らなければ調べざるを得なく成る筈だ。はい、これで宣伝は一丁上がり。売れると分かれば其の販売店は私の玄能を人に勧める様に成るだろう。左様に儲けを分かち合う事で効率よく宣伝できるのだ。
2020/04/09 リーマンショックの際には「貴方なら何時も通りに仕事を続けるだけで大丈夫」と励ましてくれた人が居た。結果として分かち合いの信頼関係で結ばれたネットワークに支えられて事なきを得た。この度も其のネットワークを信頼して淡々と仕事を続けたい。平常心で良いモノを創り続ける事だけに集中したい。
2020/04/08 習得した技能を発揮する際に必要に成るのが集中力だ。気合や根性や自信などに依存したがるのは訓練が足りていない証拠だ。また依存する気持ちは集中力を高める際の妨げにも成る。因みに周りの声援ですら集中力の妨げに成る場合が多い。無観客試合の方が良い結果を出せる選手が多い事からも其れが解る。
2020/04/07 目覚めて直ぐには起き上がれない。ストレッチで体を慣らしてからでないと具合が悪くなる。心も少しずつ慣らして仕事をする頃には心身共に整う様にしている。楽に快適に生きる方法を絶えず考えているから出来る様に成った技能ともいえる。適切に取り組みさえすれば気合や根性などは必要ない事が分かる。
2020/04/06 私にとって「根性」や「気合」や「自信」等は意味不明な謎の言葉だ。其れが有れば出来る様に成ると思うのは幻想に過ぎないだろう。幻想を作る為の造語ではないかとさえ思えてならない。適切な取り組み方で為すべき事を淡々と続けてこそ出来る様に成る筈だ。出来ないのは取り組み方が間違えているのだ。
2020/04/05 かつて人は新しいモノを生み出すことで需要を創り出した。需要が飽和し始めると需要の奪い合いで競争が激しくなった。だが需要が激減する現在では奪い合う需要すら無くなりつつある。だから奪い合って稼いだ人は方向転換を余儀なくされる。奪い合いから分かち合いにパラダイムシフトが求められている。
2020/04/04 雨が降ったら自ずと傘をさすようにゴミが落ちていたら黙って拾えば良い。自ら解決できる事に文句を付ける必要は無いのだ。其れなのに人は犯人を捜して非難を繰り返す。相手にしたら余計なお世話で改心する事は稀だろう。黙ってゴミが拾えるように成るだけで随分と穏やかな気持ちで暮らせるというのに。
2020/04/03 競争している時には競争のない世界を想像できない。奪う事でしか生きられないと思っているからだ。だが自分にしか出来ないモノを相手に与え始めると、自然と向こうからお返しにやってくる。私は師匠の教えで「奪い合い」から「分かち合い」にパラダイムシフト出来た。進化とはパラダイムシフトなのだ。
2020/04/02 相手先ブランドでの販売は競争が激しかった。名指しでの注文を期待して藤六印で販売を始めた。品質向上で差別化を狙ったが藤六印のままでは難しかった。広輝印で更なる高級路線を目指したが其れ迄の作り方では品質向上に限界が有った。作り方を一から学び直して浩樹印を生み出し競争は遠のいていった。
2020/04/01 手にしたモノを手放して自由を得なければ進化出来ない。ならば後進に受け渡せば良いのだ。すると上位ブランドを創り上げる余裕が出来る。私は「藤六」から「広輝」そして「浩樹」へと進化させた。大切なのは新たなブランドに込める価値を全く変えてしまう事。これを繰り返す事で伝承も可能に成るのだ。
2020/03/31 一度手にしたモノは手放し難く多くの人が其れに固執してしまう。そして自らを其の枠に嵌め込み其の中で進化しようと試みる。だが其れは不可能だ。私の知る達人は手にしたモノを他人に伝える事で受け渡し、自らは軽やかに枠を飛び越え進化していく。進化は大きな青虫に成る事ではなく蝶に成る事なのだ。
2020/03/30 何時も通りの明日が来るとは限らない事を多くの挫折から学んだ。だから毎日を大切に生きてきたのだ。だが今はもっと大切にしなければならないと強く思う。だから得たモノや創り出したモノを後進に受け渡す事に力を注ぎたい。過去と未来の橋渡しが私の役割でありそれが成せたなら静かに枯れていきたい。
2020/03/29 校則を守り多くを諦める人が多いが私は諦めなかった。当時はバイクの免許を取る事もバイクを買う事も乗る事も禁止されていた。だが私はキャンプツーリングや県外の競技会に自走で参加したりしていた。見つかれば停学なので安全運転に徹した。やりたい事をやるには困難を伴うが確実に成長できると思う。
2020/03/28 嫌な仕事を我慢してやる人はお金を稼ぐ理由を考えてみよう。幸せに暮らす為ならそれは本末転倒だ。その行為自体が貴方を不幸にしている。やらずにいられない仕事を選択するか楽しく出来る方法を試してみよう。それだけで幸せを感じられる筈だ。何時死ぬか分からないのに我慢などしている場合ではない。
2020/03/27 人はうんこをする為にトイレに集中する。所が不特定多数の人が使用するトイレは感染症のリスクを伴う。もしもトイレ以外でうんこが出来たなら、人の集中による感染症のリスクを大幅に減少できる。要するにうんこの処理を集中から分散に発想を転換する訳だ。そこで考案したのが折り畳みスコップなのだ。
2020/03/26 趣味や外食に出かける事は殆ど無い。外出は自宅と工場の往復くらいで、ついでにスーパーで買い物する程度。工場では四季を通して長袖シャツと長ズボン姿で帽子とマスク及びメガネは手放せない。作業者同士の距離も充分保たれ会話も必要最小限だ。来客も極めて少ない。後は手洗いをマメにしようと思う。
2020/03/25 競争をする事も見る事も苦手な私はスポーツ競技に興味がない。所が殆どの人が興味を持たない玄能造りには思い入れが強いのだ。左様に志向の異なる人間が共存するのに世界は少数派が存在しないが如く動いている。だから隠れた少数派を探し出し役に立てれば、其処は競争と無縁の世界に成る可能性が高い。
2020/03/24 自分の行動を分析するのは面白い。何故あんな風に振舞ったのか?何故やろうと思ったのか?何気なくやってしまう事を分析すれば、それらの全てに深い意味が有ると分かるだろう。そして自分の事を良く知る事で自らを正確に制御出来る様に成る。これは鍛冶仕事で良いモノを創り出す時の必須能力だと思う。
2020/03/23 映画「アバター」は自分の人生を見ている様だ。期せずして主人公は居場所が変わり眠っていた感性が目覚め世界の見え方が変わる。奪い合う関係に嫌気がさして分かち合う関係の大切さを知る。世界は既に繋がっており其の中に自分の役割が有る事に気付く。そして最後に自分の居るべき場所に落ち着くのだ。
2020/03/22 淡々と長く続ける事で成果を上げたいと思っている。興奮する事は嫌いで何気ない日常に充分な喜びを見出すことが出来る。仕事と生活を分けて考える事は無く引退も考えていない。だが大した成果を上げられずに死んでも良いと思っている。成果だけでなく調和のとれた人生そのものに喜びを感じているから。
2020/03/21 他人の作ったモノを見て「もっと上手く出来る」とか「簡単だ」とか言う人が居る。だが本当に出来る人はどんなモノからでも謙虚に学ぶ筈なのでそんな事を言わない。他人のモノに反射的に対抗心を燃やす事自体が主体性の無い未熟者である証にもなる。だがそんな輩に腹を立てる自分の未熟さに泣けてくる。
2020/03/20 千代鶴是秀さんはビジネスモデルの礎に分かち合いを据えていた。儲けを独り占めせずに世話になった人にも利益が及ぶようにしていたのだ。お陰で戦時中のモノ不足に於いても燃料等の援助を受け仕事を続けることが出来た。左様に困った時に周りから手を差し伸べてもらえるビジネスモデルは最強だと思う。
2020/03/19 鍛冶屋で生活できるビジネスモデルを思い付けずに辛かった。師匠のビジネスモデルがそのまま私に通用するとは思えなかったからだ。試行錯誤して今のビジネスモデルに至ったが新型コロナで完成度が試されている。千代鶴是秀さんが戦時中でも何時も通りの仕事をしていた様に私も出来たら成功なのだろう。
2020/03/18 其の道で生きていくつもりなら習作や納得いかないモノを人目に晒してはいけない。ましてや売ったら必ず後悔するだろう。これは師匠の教えだが当初はよく分からなかった。だが未熟な頃に受けた取材の記事や商品を目にする度に背筋が冷たくなる。過去の過ちは何度でも顔を覗かせ自らの足を引っ張るのだ。
2020/03/17 噛み合わない人を説得しようとは思わない。同じ事象でさえ互いに違って見えるのだから意思の疎通は図れないのだ。歩み寄る事も大切だが多くは裏切られてしまう。だから正しいと信じる事をやり続けて賛同者を集める方が遥かに健康的だ。商売も同様に売り込まずに賛同者に見つけてもらう様にすれば良い。
2020/03/16 知人の電気屋が言った。「近所の老人が蛍光灯を交換してくれと言ったが儲からないから嫌だ」と。そこで私は提案した。「自ら進んで家庭内の情報を開示してくれる人に対して、蛍光灯以外にも有益なサービスを提供できるのではないか」と。他人の知り得ない情報を得ながら活用しない人がなんと多い事か。
2020/03/15 新型コロナウイルスにより全てが停滞している様に見えて実は変化が加速している。人は困難が訪れて初めて変わろうとするからだ。必要と不必要の定義が大きく入れ替わり消費の傾向は暫く混沌とする。そして売れるモノと売れないモノが激変し、沢山の下克上が見られる筈だ。正にピンチはチャンスなのだ。
2020/03/14 簡単に出来る方法なんて本当は無いのだ。出来ているつもりにさせているだけなのだ。其処で褒めたりするからなお質が悪い。確実に成長は止まってしまう。だから難しい事は難しいままにやらせた方が良い。楽しく出来る方法を考えてやり、出来ている姿を親方が間近に見せてやることが何よりも大切なのだ。
2020/03/13 簡単に出来る方法や便利な機械器具及び低予算で出来る宣伝方法の導入が伝統工芸品の質を落としたのではないのか?不便を乗り越えて鍛錬することで出来る様に成り、上手く成らなければ有名に成れない環境でこそ良いモノが生まれるのではないのか?誰でも出来る方法の導入が質の低下と競争を招いたのだ。
2020/03/12 伝統工芸分野の後継者不足が叫ばれて久しい。そこで簡単に出来る方法や便利な機械器具やPR方法が導入された。だが簡単に出来ないから楽しいのであり、不便だから五感が冴え技能が向上するのではないのか?簡単かつ便利の導入で伝統工芸品は工業製品と同じ土俵に上げられ、益々後継者不足に陥った訳だ。
2020/03/11 利益追求の際には過剰は過少よりも質が悪いという。お客の気付かない程度の手抜きが大切というのだ。だが伝統工芸品にその考えは詰まらな過ぎる。多少の損を承知で手を掛けて良いモノを創り、人気が出たなら価格を上げつつ更に良いモノを創り続ける。その方が作者もお客も幸せに成れる気がするのだが。
2020/03/10 便利な機械器具も使用するが出来るだけ勘に頼る手作業で作りたい。良いモノを創る為だが仕事を面白くする為の工夫でもある。勘を研ぎ澄ませば全身の細胞は目覚め力が漲る。不便が感性を刺激して沢山の気付きを与えてくれる。結果として上達は早まり魅力的なモノも出来上がる訳だ。面白くない訳が無い。
2020/03/09 長く続いて伝統になるのは実用性だけでなく情緒的豊かさが大切にされてきたからだ。所が戦後になり戦勝国の合理性を導入し、一見無駄にみえる不思議さ面白さ等の情緒的豊かさを疎かにしてしまった。閉塞感の漂う今こそ日本人の心身をホカホカさせてきた伝統工芸品の魅力を再認識する絶好の機会なのだ。
2020/03/08 常識としてまかり通る事でも検証すれば間違いと分かる事は多い。だが多くの人は検証しようとしない。だからそこに好機が有る。例えば同形状の玄能でも精度を上げて造ると遥かに効きが良く成る。即ち精度を上げれば形状の自由度を増やすことが出来るのだ。精度を上げる事で常識を覆らせることが出来る。
2020/03/07 鍛冶屋に成りたての頃は失敗続きで作業が深夜に及ぶこともあった。損失を出し続けて精神的に追い詰められたが壁を乗り越え今に至っている。好きだからこそ乗り越えられた壁だ。だから娘の中学卒業の際には好きな事に全力で取り組めと言葉を送った。その娘がレギュラーを務めるアニメが今夏から始まる。
2020/03/06 自分自身を良く理解せずに世間に同調するから自分らしくない事をやる羽目になる。世間の常識を動機にするのではなく自分の資質を動機にすれば自分らしく生きられるというのに。だから自分がどんな人間なのか定義してみるといい。好きな事や得意な事を定義の要にすれば自分らしい姿が見えて来るだろう。
2020/03/05 面白い事をやろうとすれば誰よりも真面目に成らざるを得ない。並の真面目さでは並の事しか出来ないからだ。そこで間違えてはいけないのは真面目とは褒められる事をやることではない。其れは誰かに操られているのと変わらないのだ。真面目とは褒められずとも自らの信じる事に誠実に取り組むことなのだ。
2020/03/04 真面目な人が褒められる時代が続いた。今は真面目な人が馬鹿を見る時代に成ったと言われる。だが世の中が求める真面目の定義が変わっただけなのだ。以前は真面目に従う人が求められたが、今は真面目に自ら行動出来る人が求められている。真面目に従うだけの人は不真面目で使い物に成らない時代なのだ。
2020/03/03 真面目過ぎて面白みがないと忠告され続ける私だが、この程度の真面目さでは物足りないくらいだ。師匠に品格を磨き続けろと指導された通り、上手いだけでは足りず、真面目さが信頼関係の要に成る。有象無象の忠告通り調子良く生きていたなら、今の環境は手に入らず浩樹玄能も世に出ていなかっただろう。
2020/03/02 自らの考えている事の正否を確かめるのに仕事は最適だ。正しければ売れるし間違っていれば売れないから分かり易い。また評価がすぐに表れて速やかに対処できるのは短気な私に喜ばしい。得られる評価に甘える隙が無いところは趣味や遊びと違って潔い。仕事とは自らの哲学や価値観を世に問う行為なのだ。
2020/03/01 手作業を機械化して大量生産する時代が続いた。機械化に伴い細部への拘りが排除され作るモノが平均化され始めた。差別化が難しく競争が激しく成ると益々合理化が進み平均化は進んだ。需要が飽和した今では作るモノの本質すら知らない職人が多い。故に本質を弁えた丁寧な職人には競争の必要が無いのだ。
2020/02/29 言葉や文章に出来ない人は正確に理解できていない。分かったつもりでいても細部は曖昧なのだ。だから深く考えて上達した人は言葉や文章に出来る人が多い。だが慣れだけで上手く成った(つもりの)人は其れが出来ない人が多い。自分が本当に理解できているのか確認するには言葉や文章にしてみれば良い。
2020/02/28 自動車の挙動を見れば運転手の感性の貧富が分かる。丁寧な運転手は感性が豊かで気付きが多い故に運転を楽しめている筈だ。乱暴な運転手は感性が乏しく気付きが少ない故に運転を楽しめていない筈だ。これは全てに当てはまる。感性を鍛える人は何でも楽しめるが、感性を鍛えない人は何も楽しめないのだ。
2020/02/27 勘に頼るとやる度に微妙な狂いが生ずる。だが偶然の狂いは良い結果をもたらす事も多い。僅かなずれが何時もと違う発見を促すのだ。但しこれは勘を研ぎ澄ませていなければ絶対に気付けない微妙だが大きな発見になる。勘を頼りに正確な作業を目射すからこそ、勘の狂いも進化に役立てることが出来る訳だ。
2020/02/26 ネットで人名を検索すれば多くの情報が手に入る。普段の書き込みから人格の察しも付き易く、ネット上で丁寧に生きている様子が窺えれば安心して付き合えるが、陰で毒づいている様子が窺えれば距離を置きたくなる筈だ。善人はより好かれ悪人はより嫌われる時代が来るという事だ。もう隠し事は出来ない。
2020/02/25 上手い指導者は相手に合わせて指導法をカスタマイズできる。様々なやり方を試した経験が有り引き出しが多いからだ。下手な指導者は自分のやり方を押し付けてしまう。経験の多様性に乏しく引き出しが少ないからだ。挙句に出来ない相手に素質が無いなどと言って罵ったりする。素質が無いのは自分なのに。
2020/02/24 簡単に出来るやり方を身に着け其れに固執する人が居る。その人はより良い成果を得る為の新たなやり方を試すことをしない。同じ事を繰り返す事に恐れを抱いていないのだ。身に着けた技を手放し続けなくては上達できないというのに。上達できる人と出来ない人の境目は得たモノを手放せるかどうかなのだ。
2020/02/23 鍛冶は科学で解明されており継承が途絶えても再現出来るとか、組織と硬度を検査すれば刃物の良し悪しが分かるとか、高級な鋼を使用すれば良い刃物が出来るとか、玄能の打面の内側は固く外周部は柔らかいのが理想であるとか、多くの間違いがまかり通っているが、誤りを認めない限り文化は廃れてしまう。
2020/02/22 手道具の誤った知識が蔓延し危機感を募らせていると相談を受けた。誤った知識を基に商売する人が多すぎて簡単に改善できないのだ。故に私は自分の信じる玄能理論をブログで公開しているが、出来る事はその程度だ。だから有志で正しいと思う事を発信し続けようではないか。他人に頼らず自分でやろうよ。
2020/02/21 新型コロナウイルスの感染者数や死亡者数を聞くと怖くなる。だが詳細を知ればインフルエンザよりも怖くないと分かる。道具の性能も同様に、有難そうな材質名や硬度を記号や数値で示されると良さそうに感じる。だが其処に根拠は無いのだ。分り易い記号や数値を示されると人は正常な判断が出来なくなる。
2020/02/20 実現出来るかどうか分からない事を始める時はとても不安になる。だが普段から誰かの出来ている姿を見ているのなら其れは単なる日常でしかない。ならばこれから始める人に勇気や自信を求める必要はない。普通に出来ている姿を見せてやれば自然に始めてしまうだろう。勿体ぶらずに見せてやるのが秘訣だ。
2020/02/19 曖昧模糊では不安なので確かな実感が欲しくなる。だから人は頭で考えるだけでなく身体感覚を大切にするのだ。中でもモノ作りは成果を実感し易く上達の楽しみが大きい。道具を使いこなす楽しみも格別なのだ。そこでノミを叩くなら木槌ではなく玄能を使ってみてほしい。効かす確かな実感を得られる筈だ。
2020/02/18 競争は楽なものだ。誰かがやる事を真似れば良い。誰もやらない事をするのは恐ろしい。何が起こるか分からないからだ。だがそもそも人は誰とも違い、故に習慣を少し変えるだけでも新しいモノが出来上がる。ならば大それた事を始めなくても、少しずつ変え続けるだけでブルーオーシャンに辿り着けそうだ。
2020/02/17 良く効く様に考えて作っている。すると無駄は削ぎ落とされ見た目は単純になる。その姿が好きでありそんな風に生きたいとも思う。だが始めた頃は違った。師匠の教えもまるで理解できなかった。感性を微調整しながら教えに寄り添い続ける事で見え始めたのだ。これが見えないモノを見る為の秘訣だと思う。
2020/02/16 素材の不良が原因で失敗する事が有る。但し素材の不良なのか自分の未熟さからなのか判断するのは難しい。そこで簡単に素材のせいにせずに技術力で補えると信じて試行錯誤してみる。乗り越えられる時もあるし解決できない時も有る。だが自分のせいにすることで一寸位は成長できると信じてそうしている。
2020/02/15 少し見たり聞いたりしただけで嫌いと決め付けるのは勿体ない。初めての経験では何も分かっていないのだ。だから一寸だけ辛抱して寄り添ってみるといい。すると気付けなかった不思議さ面白さに気付き始めるだろう。好きな事が見つからないという人は、既に目の前に有るのに気付いていない事が多いのだ。
2020/02/14 事象をありのままに捉えているつもりでも実は何も見えていない事が多い。理解できない事を人は無意識に拒絶することが有るからだ。だから事象に歩み寄る必要が有る。千代鶴是秀さんの玄能「山彦」を見た時がそうだった。歩み寄るように感性をチューニングして初めてその素晴らしさが分かる様になった。
2020/02/13 不機嫌になる事で主導権を取ろうとする人が居るが不思議でならない。例えば国会中継を見てもそうだ。生徒を怒る教師がそうだ。夫に切れる妻がそうだ。不機嫌な人は周りを不機嫌にするだけで何も変えられない。其れなのに何故かそれを繰り返すのだ。不機嫌は社会において最も幼稚なマナー違反だと思う。
2020/02/12 仕事を楽しく出来ない人は仕事に意味付けが出来ていない。ならば今日これが出来たら明日は何が出来、将来どう成れるかを具体的に想像させてやれば良い。其の為には率先垂範が大切だが、親方自身も成長した互いの姿を想像しそれを楽しめば良い。豊かな将来を想像できれば、楽しく成らない訳が無いのだ。
2020/02/11 自らが経験した苦労を後進に押し付ける人が居るが一寸待て。経験済みの苦労などは少しの工夫で楽しく出来てしまう事さえ多い。だから軽やかに乗り越える為のコツを授けてやれば良い。苦労を苦労と感じもせずに夢中で取り組む人は楽しく出来る工夫を怠らない。後進にもその様になってもらえば良いのだ。
2020/02/10 無暗に知識や筋肉を付ければ身動きが取れなくなる。答えを知ればそれに囚われて他の答えを探ろうとしなくなり、余計な筋肉は有益な筋肉の感覚を邪魔して鈍らせてしまう。そもそも知力や筋力に頼り過ぎれば精妙さは身に着かないものだ。心身の可動域を広げる為には要らない知識や筋肉を捨てた方が良い。
2020/02/09 限りなく個体差の大きい人間を一つの観点で比較するのは馬鹿げている。結果を導く為に皆に同じやり方を押し付ける事はもっと馬鹿げている。今迄は効率的だと信じられてきたルールの多くが人間を蝕んでいる。ならば気付いた人から抜け出れば良い。大半の人が抜け出たならばルールも改善される筈だから。
2020/02/08 長く続けて苦にならない仕事を選んだ。修得に時間が掛かる仕事なら参入者が少なく競争も少ないからだ。其れが玄能鍛冶だった。私が鍛冶屋として出来る事は多くない。だが長く続ける覚悟が出来ているので良い支援者に恵まれた。正当な支援者に支えられ正当な玄能造りが出来ている事が私の最大の強みだ。
2020/02/07 誇りが無いから誰にでも頭を下げられた。だが空っぽな私の話など誰も聞きはしなかった。私なりに最善を尽くし始めると話を聞いてもらえる様に成った。そこで様々な所に出掛けて頭を下げて相談に乗ってもらった。今の私は人との出会いで活かされているのだ。良い人との出会いが人生を豊かにしてくれた。
2020/02/06 直ぐに成果を求めるから頑張り過ぎて続けられなくなる。早く勝とうとするから無理をして心身を壊してしまう。人生は長いのだ。自分に合った調子で少しずつ積み上げればいい。其のうち周りは疲れ果て、残るは貴方一人に成るかもしれない。早く成功しても後は落ちるだけだ。のんびりと成功した方が良い。
2020/02/05 自信が無く且つ頑張る事が大嫌いな私だが、臆せずやれるし長く続けることも出来る。それは直ぐに結果を求めていないからだ。指導者が「自信を持て」や「頑張れ」と発破を掛ける場面をよく見るが、直ぐに結果を求めるから自信や頑張りが必要に成る。長期的計画で行えば自信も頑張りも要らなくなるのだ。
2020/02/04 鍛冶仕事は勘に頼る部分が多く、全工程において五感を研ぎ澄ませて行う必要が有る。体調管理の為に規則正しい生活を余儀なくされるが、それでも僅かに感覚は狂い悔しい思いをすることがある。そしてその感覚の狂いは以前より小さい筈なのに、大きくさえ感じてしまうのだ。自信など終生持てそうにない。
2020/02/03 淡々とした人を冷めた人だと言う人が居るが本当だろうか?例えば何でも他人のせいにする依存的な人は些細な事で騒ぎ立てて自己主張する。ところが自分の責任で前向きに生きる人は自分の尻を自分で拭いて淡々としていられる。故に淡々とした人は却って責任感の強い情熱的な人が多いのではないだろうか?
2020/02/02 簡単に出来る宣伝方法を指導する書籍やコンサルは多い。其れは使い回しが簡単だから。だが良い商品やサービスの創り方や磨き方を指導できる人は少ない。其れは使い回しが難しいからだ。使い回しのきく方法を選べば競争に成るのは当然。競争が嫌なら使い回しの難しい独自の方法を編み出すしかないのだ。
2020/02/01 下積みは要らないと思う人は直ぐに宣伝すれば良い。上手くやれば直ぐに有名に成るだろう。だが直ぐに結果が出る事ならば誰でもやるから競争に成る。競争すれば翻弄されて上達は難しくなる。だが下積み期間に達人の技を間近に見て研究できれば、競争の要らない腕前に成れる可能性を手に入れられるのだ。
2020/01/31 短期間で出来る様な事は誰にでも出来てしまう。競争を避けたいなら長く続けないと出来ない事をやった方が良い。その際の秘訣はやる気が出ないと出来ない事は避けるということ。やる気が無くても淡々と坦々と出来る事を見つけなくてはいけない訳だ。長く続けている人は意外と頑張っていないものなのだ。
2020/01/30 生涯掛けてもやりきれないから継承が必要に成る。だが、するのもさせるのも一人では難しいのでチームが必要になる。とはいえ全員が最大限かつ最善に能力を発揮しない限りは実現が難しい。だから自らも最大限かつ最善に能力を磨く必要が有る。故に長く続けようとすれば淡々とやらざるを得なくなるのだ。
2020/01/29 成功を急いでジタバタすれば知識や人脈は豊かに成る。だが知識や人脈に依存するあまり編み出す力が身に付かない。だから人真似は出来ても何も創り出せないのだ。淡々と出来る人は知識や人脈を増やすだけではなく活かすことを知っている。活かす力は編み出す力に成り新たなモノを創り出すことが出来る。
2020/01/28 出来るつもりでやり始めても出来た頃には出来ていない事に気が付く。今度こそはと掘り下げたなら更に先が有ることに戸惑う事に成る。そんな事を繰り返しているとジタバタしても始まらないと分かる。すると漸く肩の力が抜け淡々と出来る様に成るのだ。そしてもっと早く気付いていればと悔しく思うのだ。
2020/01/27 若い頃に損得抜きに夢中で取り組んだ経験の有る人は幸運だ。夢中で掘り下げる経験が事象の奥深さを見極める眼を鍛えるからだ。その経験を経ずに大人に成れば損得が頭をよぎり眼は鍛えられない。もっと掘り下げられるのに早期に満足してしまうだろう。技能の上限は奥深さを見極める眼で決まる気がする。
2020/01/26 職人仕事では良いモノを創る為の工程の見直しや最適化は技能と品質の向上に欠かせない。しかし誰でも均質に出来る様に作業を標準化する所は多い。それは進化の途中を切り取り定着させるもので、出来てしまうと更なる進化を望まなくなる恐れがある。進化を望むならやり方は定着させない方が良いと思う。
2020/01/25 モノは良いだけでは売れないと言ってコンサルが様々な手法を紹介する。無料でマスコミに取り上げられる方法や効果的な物語の作り方を指導するが、既に競争が激しくて効果は期待できそうもない。ではどうしたら良いのか?モノは良いだけで売れると信じ、徹底的に技能を磨き品質を上げるのが良いと思う。
2020/01/24 究極は「北風と太陽」の様なものなのでしょう。思いがけなく欲しく成り買ってしまい、後にその理由が分かり納得し、より深く知りたくなり知ったならもっと欲しくなる、みたいな感じが私の理想なのです。自ら選択して買っているとお客様に感じてもらえる様な柔らかなアプローチが出来たら素敵だと思う。
2020/01/22 群から離れて自立する人を褒める人は少ない。自立とは孤独との戦いなのだ。もがき苦しみ光明が差し始める頃に成り漸く少しだけ褒められる様に成る。褒められないとやる気が出ない様な人が其れ迄辛抱できるとは思えない。早い頃から褒められずとも淡々と出来る様にしておかないと、自立は難しいと思う。
2020/01/21 教育の目的は依存状態から解放し自由に生きられる様にする事だと思っている。だが実際には束縛して思い通りに動かす事を目的として行われる場合が多い。誰からも認められず褒められもしないと嘆く人は典型的なその被害者だろう。褒められないと不安で何も出来ない人は洗脳され飼いならされているのだ。
2020/01/20 税金の計算などの雑務が嫌いではない。パズルを解く様で楽しいのだ。其れは仕事全般についても言える。毎日が謎解きの連続で面白くて堪らない。弟子達も同様に答える。所が面白くて始めたのに続けられない人は多い。面白さは与えられるものではなく、作り出すものだということに気付かないのだろうか。
2020/01/19 遠く離れて無関係に見える事象の中に関連性を見つけ、思い切り跳躍して其れを掴み取ってくる人が居る。目の前の事象だけに固執せず、彼方に有る不思議さ面白さにまで好奇心が及んでいるのだ。一寸だけ面白い事象に固執してその最適解を探し続けるだけの人には絶対に真似の出来ない跳躍を見せてくれる。
2020/01/18 個別具体的な説明がないと理解できない応用力の欠けた人が増えているようだ。私の子供の頃は自然環境や自由時間に恵まれ運動やモノ作りで遊び呆けられた。お陰で身体感覚が研ぎ澄まされて事象の変化を関連付ける習慣が出来た。だから自然と応用力は鍛えられた。身体を使い遊び呆ける経験は貴重なのだ。
2020/01/17 弟子達を見ていると目の前の事象から得られる情報量の多さに驚かされる。繊細な性格故では有ると思うがそれだけではないだろう。二人の共通点は自然溢れる環境で育ったこと。田舎故の季節の移ろいや濃密な人間関係を肌に感じ、感受性が研ぎ澄まされたのだろうか?決して努力では補えない貴重な才能だ。
2020/01/16 軽々しく好きだなどと言ってはいけないと思っていた。好きと言うからには他の誰よりも情熱を傾けることが出来ないといけないと思っていた。何があろうと周りに流されずに淡々と続ける覚悟が必要だと思っていた。玄能造りが好きと言える様に成ったのは、この道で生き抜いていく覚悟が出来てからなのだ。
2020/01/15 熱狂的に好きに成ってくれる人達に見つけてもらうのは容易ではない。だから彼等に影響力を持つ人を探すのだ。自分の仕事に関する造詣の深い一流の人、出来れば第一人者を探す訳だ。そして認めてもらう為の努力を惜しんではいけない。そのたった一人に認めてもらえば、多くの人が振り向いてくれる筈だ。
2020/01/14 多くの人が欲しがるモノは大手に任せ、鍛冶屋は人の欲しがらないモノを創れば良い。殆どの人は欲しがらないけれど百万人に一人が熱狂的に欲しく成るモノを創るのだ。すると大手は絶対に参入できず納期に充分な余裕も出来る。世の中に合わせるのではなく、自分に合ったお客に見つけてもらえば良いのだ。
2020/01/13 自己啓発で賢くなった気がしても、我に返れば元に戻ってしまう。ダイエットで生まれ変わった気がしても、気を抜けば元の姿に戻ってしまう。だが無理から解放されて心身は喜んでいるのではないのか?その状態こそが正常であり自分らしい姿なのではないのか?自分らしくない事は継続も維持も難しいのだ。
2020/01/12 幼い頃から今のままの私だ。生まれ持った資質が強化されただけで何も変わらない。人はそもそもそうなのだと思う。足掻こうとも違うモノには成れないのだ。ならば好奇心に従い最善を尽くせば良い。好奇心は直感を鍛え進むべき路を示すだろう。足掻いて混乱するよりも、気持ちよく資質を強化すれば良い。
2020/01/11 娘のプリンをこっそりと食べた事がある。泣いたので謝ったら直ぐに許してくれた。娘の描いた水彩画を覗き込んだ時に大量の鼻水を垂らした事がある。画は台無しに成ったがその時も直ぐに許してくれた。そして娘はケロリとして次の行動に移った。責める人はそこに留まり、許す人は前に進むことが出来る。
2020/01/10 分かり易さ故に一寸だけ上手い人を手本にするのは賢明でない。分かり難かろうが可能な限り最高の達人に師事するのが賢明なのだ。長く師事すればその達人の達人たる所以が見えて来る。実は其れこそが上達の秘訣なのだ。上手い人は数多いるが達人に成れるのは極僅か。その違いを理解する事が大切なのだ。
2020/01/09 人は余りにも個体差が大きい。同じ事をするにも適したやり方は大きく異なるのだ。だから先ずは個々人に適う環境を整えたい。それをやらずに個々人の努力や頑張りに依存するから人は壊れていくのだ。環境が整えば人は勝手に成長していく。頑張っても出来ない人が居たなら、先ずは環境を疑った方が良い。
2020/01/08 自分の居るべき場所に移ると周りの人達と共に変化が始まる。波長の合うもの同士が出会い化学反応が起き、有り得なかった気付きを得るからだ。そんな環境に身を置けば体は勝手に動き出す。躓き転んでも直ぐに立ち上がるだろう。自分に向いた環境に身を置けば、好奇心から人は勝手に成長していくものだ。
2020/01/07 努力が報われ難いのはそれが間違えた努力だから。最たるものは間違えた場所での努力だ。大好きな事でも間違えた場所で其処にいる人と其処のやり方でやれば嫌いで苦手に成る。其処で苦手の克服を強いられたなら更に嫌いに成るだろう。どんな事でも考えうる最善の場所でやらない限りは努力が報われ難い。
2020/01/06 学校が大嫌いだった。体育の授業は特に苦手で辛かった。学校生活は人生の無駄遣いの様な気がしていた。何故なら学校の外でする勉強や運動はとても楽しく愉快だから。左様に多くの人が間違った場所で間違った人に間違ったやり方でやらされて嫌いに成ってしまう。自分の為にこそ孟母三遷を肝に銘じたい。
2020/01/05 中学生の頃、先生に依存させられ思考停止する友人を見て恐怖した。私は聴覚情報処理障害の為に先生の話がよく聞こえない。故に先生に依存せずとも自分らしく勉強出来る方法を模索した。お陰で自らやりたい様に出来る様に成れたと思う。守破離は大切だが、油断すると守で依存させられ破に辿り着けない。
2020/01/04 刀匠の鍛えた鏃(やじり)を見せられた。素材や製作工程の説明は無いが大凡の見当は付く。ところが殆どの人が製作工程はおろか素材さえ見当が付かないと言う。標準化及び細分化されたマニュアル通りに生きてきて感性を鈍らせたのだ。感性を高めるにはマニュアルを疑う事から始めないといけないのだが。
2020/01/03 偶然にも上手いモノを食べてしまうと不味いモノは食えなくなる。知ってしまうと以前の状態には戻れないのだ。だが知ることを偶然に頼っていては効率が悪すぎる。必然にするには感性を高めるしかないのだ。感性を高めるとは、未だ見えていないが確実に何か其処に有ると感じ取るセンスを磨くことなのだ。
2020/01/02 インターネットの影響力の強さを師匠から諭されたことがある。良い事も悪い事もネットで拡散されてしまう隠し事の出来ない時代が来たのだ。故に現実社会だけでなくネットでの自分の扱われ方にも注意を払う必要が有る。師匠は腕と共に品格を磨き続けろと言ったが、それが尚更に大切な時代に成った訳だ。
2020/01/01 「自分の玄能は自分で売り込むな。但しインターネットは上手く使え。」と長谷川幸三郎師匠は言った。売り込まずとも顧客が興味を持ち、進んで他人にも勧める様な仕組みを創れというのか?ならば精度高く魅力的な玄能を創り、その哲学を物語として発信すれば良い。玄能ではなく世界観を披露すれば良い。
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玄能日記 私のどうでもいい日記です。
お暇な方だけどうぞ。(笑)