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相豊ハンマー
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玄能日記
日々感じる事を思いのままに書き連ねてみます。
2021/12/31 好きな事を仕事にして失敗する人は其れだけで稼ごうとするから。取り敢えず稼げる事で当座を凌ぎ好きな事を掘り下げ続けるのだ。好きな事で稼げる様に成ったならその周辺も探り掘り下げていく。すると好きな事だけでも充分に稼げる様になっていく。嫌な仕事を止める事も断る事も出来る様に成るだろう。
2021/12/30 褒められたり叱られたりして素直に従う子供が気持ち悪い。子供の頃から思ってきたが今では更に強く思う。従順で無個性な子供が増えてみえるからだ。だがその反面で不登校の子供も増えている。社会の仕組みが従順な子供に有利に出来ているからだ。個性的な子供には学校が以前にも増して耐え難く成った。
2021/12/29 悪戯した時の反応は様々だった。中には些細な悪戯に激高する人も居た。そんな人は激高する自分にイラつき更に激高するから面白い。役に立たない怒りの感情に支配される姿は滑稽でしかない。そんな姿を見て仲間共々反省したふりをして陰で笑っていたものだ。悪戯三昧な子供時代に多くを学ぶ事が出来た。
2021/12/28 悪戯をしては周りの反応を確かめる。好奇心を満たしつつ人間の心理を学んでいるのだ。子供はこの様にして社会との繋がりを創り上げる。其れは商売にも言える事だ。商品を提示して周りの反応を確かめる。微調整して更に反応を観る。その繰り返しが売れる商品を創り上げる。悪戯上手はきっと商売上手だ。
2021/12/27 玄能は使用による摩滅が極めて少ない。即ち出来が悪ければ醜態を晒し続ける。そのうえ粗末に扱われたなら更なる醜態を晒し廃棄されたりする。翻って出来が良ければ大切に扱われて摩滅は更に遅れる事に成る。なれば世代を超えて使用してもらえるだろう。そう考えるなら精度高く創りたくなるのが人情だ。
2021/12/26 歪みや不均一を手作りの味と言った職人が居る。一方で歪みなく揃っている事を手作りの価値と言った職人が居る。其の言葉からは両者の覚悟の違いがよく分かる。だが其の様に受け取らない消費者もいる。歪みや不均一を味と捉えて有難がる人も多いのだ。だが機能を阻害する要素は味ではなく癖でしかない。
2021/12/25 鍛冶屋に成りたての頃に東急ハンズを訪れた事が有る。手道具のコーナーに工芸品と工業製品が並べて展示されていた。明らかに工業製品の方が精度高く見えた。これでは工芸品の手作りである意味がない。工業製品に成し得ない精度を出せる事が工芸品の価値である筈なのに。お陰で私の進むべき道が見えた。
2021/12/24 褒められも叱られもせずに放ったらかされて育った。だから自分で決めて行動するしかなかった。お陰で雑音に左右されず自分らしく生きることが出来る。所で最近はやりたい事が分からないという人が多い。他人に指示されないと何もできないのだ。褒められたり叱られたりして自分を見失っているのだろう。
2021/12/23 子供は生まれて直ぐに資質(得意)を活かして動き始める。所が親は他所の子供と比較し出来ない事があれば苦手の克服を迫る。すると得意を活かした活動は其処で中断されてしまうのだ。だが苦手は得意を活かす中で必要に応じて取り組めばいい。得意を充分に活かせたならばそもそも苦手など気に成らない。
2021/12/22 苦手の克服はしない。苦手は其れが得意な人に任せている。自分が得意で他人が苦手な事を徹底的に掘り下げるのだ。すると競争とは無縁に生きられる。苦手とは他人には容易だが自分には難解な事に他ならない。克服した所で他人より得意には成り得ないのだ。競争と無縁ならばそもそも苦手は気に成らない。
2021/12/21 10年前に10年後の自分を予想してコラムを書いた。体調を崩しているが仕事は続けていると書いてある。当時は腰痛が酷く其れが永遠に続くとも思えた。だがリハビリを続けたお陰で今ではそれほど辛くない。左様に慢性的な苦痛が永遠に続くと思えば絶望もする。だが続けていれば改善する事もあるのだ。
2021/12/20 鍛冶屋を始めた頃は体調を崩していた。出来る事に限界が有り周りの協力を得る必要があった。核に成る仕事に集中し其れ以外は外注していた。お陰で身体を労わりつつ速やかに上達することが出来た。今では弟子達にきつい仕事はお願いしている。身体が弱く不器用だったお陰で頭を下げる事が苦にならない。
2021/12/19 群れる事は少ない。私は興味があっても執着しない。勝敗に拘る事が少なく競争しない。故に群れる必要がないのだろう。師匠は「周りを気にするな」と諭してくれた。人は周りに引きずられて容易に我を忘れてしまうからだ。競争は其の最たるものだろう。執着のない私にさえ師匠は危うさを感じていたのだ。
2021/12/18 人は無意識に競争を始めてしまう。其れが進歩を促す事は否定しない。だが競争は自らを縛る側面もある。規則や相手に自らの行動が規制されてしまうのだ。まるで「星の王子様」に出て来るバオバブの様ではないか。油断していると何時の間にか自由を奪われてしまう。バオバブは周りに無数に存在している。
2021/12/17 恫喝されようが舐められようが狼狽える必要はない。具体的に何も変わらないからだ。所で世の中は自己顕示欲の強い人で溢れている。多くの人は意味のない競争や論破が大好きなのだ。ならば一寸だけ負けてやり気持ちよく成ってもらえば良い。その隙にやりたい事をやりたい様にやらせてもらえば良いのだ。
2021/12/16 毎日コラムを書いていると自らの醜い感情に驚く事が有る。そんな時には心を静め表現を改める工夫をしている。例えば後ろ向きな言葉を前向きな言葉に変換するのだ。すると醜い感情も扱い方次第で如何様にも変換できると気付いた。お陰で毎日の玄能創りも狼狽える事なく穏やかに出来る様に成ったと思う。
2021/12/15

毎日のコラムは愚痴を書く事が多い。多くはその日の出来事に対する愚痴なのだ。愚痴と気づかれぬ様に書くのは面白い。書く事で自分と向き合えるのは楽しい。何よりも自分を深く知ることが出来るのが愉快だ。怒りの感情すら咀嚼すれば他愛無い事と分かる。怒る事が馬鹿らしくなり怒る事が少なく成った。

2021/12/14 悪口を言われて凹む人は多い。だが言われて何かが具体的に変わる訳ではない。凹んでいたら相手の思う壺だろう。そもそも悪口を言う人は無知な故に間抜けな事をぬかしている。私も悪口を言った後で無知を悔いた事が幾度もある。故に悪口を言われても凹まず、言いたく成ったなら自らの無知を疑えばいい。
2021/12/13 舐められるのは未熟だから。舐められて腹が立つのは過信しているから。そんな風に思えれば精進できる。逆に他人を舐めるのは未熟だから。舐めたくなるのは自信が無いから。そう自覚できても精進できる。左様に未熟を自覚できれば素直に受け入れ精進の動機に出来る。舐めてくれる人は有難い存在なのだ。
2021/12/12 未だ出来ていないと認める。ずれを調整しつつ細部を詰めていく。脳が感覚の再構築を繰り返し感覚の欠落部分を埋め始める。すると見えていなかった本当に大切な事が漸く見え始める。其れが感覚を研ぎ澄ますという事であり感性が磨かれるという事。一芸に秀でる人はこの感覚を抽象化して他に応用できる。
2021/12/11 師匠の下を訪れる前の私に居場所は無かった。声を掛けてくれる人は居たが其処ではないと感じた。そんな私を見かねた鍛冶屋が師匠を紹介してくれた。彼も師匠も見返りを期待しなかった。その瞬間にお金以外で繋がれる共同体に所属出来たと感じた。大切な事は目に見えない。故に感性を磨くしかないのだ。
2021/12/10 目に見えない共同体が存在する。私にも最初は見えていなかった。師匠の下で学び始め其の存在を感じ始めた。進むべき道は全て整っていた。後は其処に繋がれば良いだけだった。繋がる為に大切なのは自らの価値を提供し共同体の役に立つ事。得る事を先に考える人には其の共同体は絶対に見えてこないのだ。
2021/12/09 馬鹿に見える人を活かすコツは馬鹿でない所を見つけてやる事。そもそも誰しも自分の中に賢い所と馬鹿な所を併せ持つ。賢く見える人は賢い所を運良く見つけ活かせた人だ。馬鹿に見える人は賢い所を見つけられず活かせていないのだ。賢い所を見つけ活かせたなら馬鹿な所は馬鹿なままでも賢く成れるのだ。
2021/12/08 馬鹿は死ななきゃ治らない。所が馬鹿を改めさせようとする馬鹿は多い。所で馬鹿と鋏は使いようとも言う。馬鹿を馬鹿なままで上手く使いこなす賢人も居るという事だ。さて自らを振り返ってみるといい。もしも馬鹿に振り回されているならば馬鹿に依存している証拠だ。主導権を取り戻す必要があるだろう。
2021/12/07 出来ずに苦しむ弟子達を見ると昔の自分を思い出す。当時の私は「これだけ難しい事に取り組む人は他に居ないだろう」と考えていた。そんな風に思える事が嬉しかった。悔しくて泣きながらも普通に続けられた。好きな事に取り組むとはそういう事なのだろう。弟子達も同じ様な気持ちで居るなら安心できる。
2021/12/06 見切りを付ければ夢は叶い易い。「まあ、こんなものだろう」と見切れば新たな知恵も浮かんでくる。しがみ付く程に囚われ依存し視野は狭く成っていくのだ。新型コロナでさえ皆が見切りを付ける頃に落ち着くだろう。所で諦めなければ夢は叶うと言う。その為にも多くの事に見切りを付ける必要があるのだ。
2021/12/05 痩せれば異性にもてる。髪が増えれば好感を持たれる。体毛を処理すれば清潔感を得られる。身体を鍛えれば健康に成れる。読書をすれば賢く成れる。競争に勝てば幸福でいられる。お金が有れば安心できる。人は変われば幸せに成れる。相手が変われば上手くできる。しかし変えるべきは自らの心の有り様だ。
2021/12/04 背中を見せるだけでいい。分かり易く洗練させて見せればいい。滞りなく流れる様に見せてやればいい。やってもらいたい事は普段から当たり前にやってみせればいい。弟子達は其れを全身で感じてくれればいい。やり方は自らの適性に合わせ編み出してくれればいい。後は出来るまで辛抱強く待つだけでいい。
2021/12/03 全ての製品に作業工程や製品寸法及び使用道具等を記した覚書を準備している。弟子達は其れを見ながら作業する訳だ。覚書通りに作業をしても最後まで辿り着く事は困難を極める。故に弟子達は必死に試行錯誤を繰り返す。其の様子を横目で見ながら私は自らの作業を進める。手取り足取り教える必要はない。
2021/12/02 喧騒が苦手で興奮する事は大嫌い。根暗で何時も眠そうにしている。其れが幼い頃からの私だ。だが気持ちは何時も充実している。其れなのに元気を出せと周りから言われてきた。私の様な根暗な人間を見ると不安に成るのだろう。だがその不安は自ら創り出しているのだ。是非元気を出してもらいたいと思う。
2021/12/01 玄能の創り方は自ら編み出すしかなかった。良い玄能を創る為に少しずつやり方を変えながら試してきた。十中八九失敗するが大きな進化を遂げる事もある。お陰で少しは良い玄能が出来る様に成ってきた。左様に私の玄能創りは失敗の集大成の上に成り立っている。失敗せずに上手く成るなどあり得ないのだ。
2021/11/30 正当なやり方で玄能を創れと師匠は言った。専門書通りの作り方は玄能にとって正当とは言えないのだ。専門書は科学で証明された僅かな一部にしか触れていない。良い玄能は其れを逸脱した領域で完成されるのだ。故に創り方は自ら編み出すしかない。所が其れが実に面白い。辛抱を辛抱と感じる必要もない。
2021/11/29 苦手の克服ほど無茶な事はない。得意を掘り下げる機会を逃すからだ。得意を掘り下げれば新たな扉が次々と開く。未知の世界を軽やかに探索できるのだ。其処での気付きは膨大なモノに成るだろう。翻って苦手の克服では問題の表面をなぞる程度が関の山だ。しかし嫌な事を我慢してやる訓練にはなるだろう。
2021/11/28 色々な事に挑戦してみればいい。苦もなく出来てしまう事に巡り合う筈だ。まるで出来ない事にも巡り合う筈だ。その経験を繰り返せば得手不得手を明確に掴み取れる。その上で得手を掘り下げるだけ掘り下げてみるのだ。すると問題解決の秘訣が身に付いていく。なれば不得手にも容易に対処できる様に成る。
2021/11/27 幼い子供は向き不向きに関わらず何にでも挑戦する。赤ちゃんは果敢なチャレンジャーだ。所が何時の間にか挑戦を止めてしまう子供は多い。大人の都合で善悪良否を押し付けられるからだ。幸いにも私の子供時代は放って置かれた子供が多い。そんな子供は先入観なしに挑戦しつつ資質を掴んでいけたと思う。
2021/11/26 誰しもカフカの「変身」には身の毛がよだつだろう。だが今の自分に不満を持つ人の多くが変わろうとする。自分らしさを取り戻すなら其れも良いだろう。だが違う誰かに成ろうとすれば自分らしさを見失い混乱するに違いない。かく言う私も自分らしくない事をしていた頃がある。思い出すと身の毛がよだつ。
2021/11/25 子供の頃は一人遊びが出来た筈だ。自分らしい遊びを創り出していたに違いない。所がルールに縛られる事を始めるに至り創り出す能力を失っていく。学校やスポーツクラブで従う事に慣らされてしまうのだ。競争を始めれば益々ルールに縛られる。自分らしさはルールを自ら創り出す事で保たれるというのに。
2021/11/24 遊び惚けるには遊びを自ら編み出す必要がある。誘われてやっているだけでは手持ち無沙汰に成るのだ。既にある遊びではそもそも物足りない。誰も思いつかないヘンテコな遊びを始める事に意義が有るのだ。すると完璧にカスタマイズされた遊びが出来上がる。言わばブルーオーシャンを創り上げられるのだ。
2021/11/23 子供の頃は恐るべきほど遊び惚けていた。様々な状況で遊び惚ける事で自らの得手不得手や好き嫌いを明確に意識できた。お陰でやりたい事が明確に成り自ずと資質を伸ばす事が出来たと思う。その一方でやりたい事が分からないと言う人も多い。きっとやりたい事に巡り合う程に遊び惚けていなかったからだ。
2021/11/22 好かれたい気持ちが強すぎれば自分らしくない事を始めてしまう。自分らしくないと自覚すれば恥ずかしくも成るだろう。周りからも可笑しく見えるに違いない。ならば自分らしさを存分に発揮すればいい。その姿は可笑しいどころか輝いて見えるに違いない。自分らしく溌溂とすれば自ずと人は集まり始める。
2021/11/21 玄能鍛冶に成ると言ったら多くの人が笑った。所が良い所に目を付けたと評価した人も居る。前者と後者の違いは正に目の付け所が違うのだ。前者は玄能が時代遅れで掘り下げる価値が無いと思っている。後者はだからこそ価値が有ると思っているのだ。逆張りはへそ曲がりなのではなく目の付け所が違うのだ。
2021/11/20

チビデブで毛深い変人の虐められっ子だった私は其れでも幸せな子供だった。何が有ろうと精神は侵されないと信じていたからだ。自由であるかどうかは自ら決める事だと知っていた。故に先生に脅されてもチンピラに殴られても言う事を聞かなかった。お陰で益々毛深い変人に成ってしまったが満足している。

2021/11/19

見る目がない人が多いのは我々の責任でもある。良いモノを創らずに良さそうなモノを作り続けてきたからだ。儲ける為に手を掛けずに良さそうに見せる事に血道を上げた。お陰で作り手までもが見る目を失くしてしまった。今後益々モノは売れなくなっていく。良さそうなだけで売れる時代も終わりつつある。

2021/11/18

本当に良いモノを求める人は少ない。良いモノの定義を持ち合わせていないからだ。例えば良い玄能の定義は精度高く創られている事。其れ以外は良い玄能と言えない。だが其れは私の定義なので各々で定義付ければ良いと思う。しかし知れば知る程にそれ以外に定義付ける言葉が見当たらない事も事実なのだ。

2021/11/17 良いモノよりも良さそうなモノの方が売り易い。そして其の方が作るのも容易だ。故に多くの人が良いモノを作る気概を失くしてしまった。使用者は見る目を失い良さそうなモノに飛びついている。お陰でこの有様だ。それでも本当に良いモノを作れば認められると私は信じたい。そして其れを証明してみたい。
2021/11/16 下手なのに自信満々な人が居る。故に油断して精進を怠ってしまう。そもそも見る目が無いから至らなさに気付けないのだ。一方でとても上手いのに自信を持てない人が居る。故に油断せずに精進を続けられる。見る目が有るから至らなさに気付いてしまうのだ。巧拙と自信の有無には関連性が無い事が分かる。
2021/11/15 漢字の書き取りが苦手だった。勉強しても覚えられなかった。だから今でも漢字は書けない。一方で工作は得意だった。見本を見れば作り方を編み出す事が出来た。一工夫加えて見本よりも良いモノを創り出す事も出来た。左様に人間の能力は極めて偏っている。同じ事で競争させるのが如何に残酷か分る筈だ。
2021/11/14 独立して5年間は社会を知る為に頼まれ事は断らないと決めていた。其処で気付いたのが他人は私の適性を見ていないという事。お陰で苦手な事を引き受けて体調を崩し死ぬ思いをした。そもそも多くの人には資質を活かすと言う概念がない。頑張れば誰でも出来ると考えているのだ。とは言え自業自得だろう。
2021/11/13 好奇心の赴くまま生きれば苦手は意識される事なく乗り越えられる。夢中で取り組めば自然に自分らしいスタイルが出来上がるだろう。一方で興味が無い事をやれば些細な事にも苦手意識が湧いてくる。其の克服の度に自分ではない何者かに成っていく気がする。好奇心は自分らしく生きる為のセンサーだろう。
2021/11/12 鍛冶仕事は謎だらけで努力だけでは乗り切れないと悟った。だから心底楽しむ必要があったのだ。その為に出来るだけ楽しめるやり方を考えた。資質を最大限かつ最善に活かせる環境を整え続けた。すると唯一無二のスタイルが出来上がってきたのだ。楽しむ事を優先したら自分らしいスタイルが出来上がった。
2021/11/11 毛深い人が脱毛すれば異性にもてる?太った人は痩せれば夢が叶う?何方も幻想に過ぎないだろう。褒められたくて高級車に乗る。目立ちたくてブランド物を身に纏う。何方も同類の目を引くだけで終わってしまう。左様に劣等感を植え付けられて混乱している人は多い。溌溂としていれば人は輝くというのに。
2021/11/10 毛深くて困る事はない。劣等感を持つ謂れはないのだ。では何故若い頃の私は劣等感を持ったのか?其れは周りが指摘して劣等感を植え付けたからだ。所がそんな手法で成り立つ商売は多い。奴らは生えていれば多過ぎると言い、生えていなければ少な過ぎると煽る。指摘されて狼狽える人が気の毒でならない。
2021/11/09 学歴も身長も収入も低いが劣等感はない。だが子供の頃は身長の低さと毛深さを気に病んでいた。それも自分に出来る事が増えてくると気に成らなくなった。自分の中に有るモノに着目出来る様に成ったからだろう。キムタクに対してさえ劣等感はない。何故なら私は玄能を作れるが彼は其れが出来ないからだ。
2021/11/08 劣等感の克服が劣等感をより強くしてしまう。強く意識する事で囚われてしまうからだ。だから私は苦手な人混みには行かない。濃すぎる体毛の処理をしない。軟弱な身体を鍛える事も無い。ただ受け入れて放って置くだけにしている。お陰で劣等感を感じなく成ってきた。劣等感は単なる思い過ごしだと思う。
2021/11/07 例えば髪型を変える。そんな些細な変化が意外な気付きを与えてくれる。鍛冶仕事も同様だ。例えば腰掛ける位置をずらす。そんな些細な変化を起こす事で多くの気付きを得る事が出来る。伝統は革新の連続などと大風呂敷を広げる必要はない。意図して起こす些細な変化による気付きの蓄積が大きな力に成る。
2021/11/06 科学を頼りに仕事をすればブレは少なくて済む。だが勘を頼りに仕事をすれば多少のブレは生じてしまう。だがこのブレが予期せぬ発見を促すのだ。例えるなら科学は点で勘は面でモノを捉える。勘によるブレが今よりも広い世界に気付かせてくれるのだ。今の延長線上にない所に進化の可能性は広がっている。
2021/11/05 商品が良いだけでは売れないと言われてきた。お陰で品質以外にコストが割かれ品質自体は疎かにされている場合も多い。皆が気付いている筈だ。昔よりも最近のものは貧弱で壊れやすい事に。挙句に良いモノを探しても見つからない事も多い。若しかしたら商品が良いだけで売れる時代が来たのかもしれない。
2021/11/04 大きな魚ほど釣り難い。学習して生き延びてきたからだ。また個体数が多いほど学ぶ対象も多く生き残る確率は増える。だが個体数が減ればそうはいかない。更には一度絶滅すれば放流された所で無垢な魚は直ぐに釣られてしまう。生き残るには絶えず一定数以上が必要なのだ。其れは人間界でも同じ事だろう。
2021/11/03 釣り堀の魚は年々釣り難く成る。新たに放流された魚が先に放流された魚の行動を学習するからだ。生き残る為に魚は必死なのだ。鍛冶仕事も同様だろう。親方と一緒に仕事をするだけで多くの事を学べる筈だ。その状況で出来る様に成らないならば向いていないのだ。教えないと出来ない様では生き残れない。
2021/11/02 質量体積が同じなら洋釘よりも和釘の方がよく効く。何故なら丸断面の洋釘よりも角断面の和釘の方が表面積は広いから。即ち木材に接する面積が広いから摩擦抵抗力が大きく成りよく効く訳だ。ならば抜け難い玄能柄の仕込み方もそれに倣えばいい。ヒツ穴内部全面に木柄を密着させられる様に仕込めば良い。
2021/11/01 若者の恐れを知らぬ好奇心に圧倒される時が有る。老人の達観に畏れを感じる時が有る。両者共にとても輝いて見える。以前の私には若者は節操のない未熟者に見えた。老人は老害を垂れ流す邪魔な存在に見えていた。其の見え方が著しく変わってきているのだ。年を取ると丸く成るとはこういう事なのだろう。
2021/10/31 若い頃は新たに挑戦できるのに年を取ると難しく成る。やり遂げる難しさを知ってしまうからだ。だが年寄りはやり続ければやり遂げられるという事も学んでいる。ならば補い合えば良い。若い人には難しさを知らない為に始められる勇気が有り年寄りには難しさを知りながらも続けられる知恵が有るのだから。
2021/10/30 上手く成る程に自らの未熟さに気付いていく。故に出来ると思い始めた事が実は難しいと気付けたなら其れは好機だ。本当の難しさに気付ける人は稀なのだから。簡単だと思っているうちはまだ何も分かっていない。難しいと思える事自体が確実に上達している証と信じればいい。それが自信なのではないのか。
2021/10/29 先生は好奇心を潰しに来るから気を付けろ。叱られたら言う事を聞くふりをすれば良い。褒められても真に受けてはいけない。私は子供達に其の様に諭した。だが倅は言う事を聞かずに混乱していた。やりたい事が分からないと言うのだ。最近になり漸く私の言った事の意味を理解し興味ある事に挑戦し始めた。
2021/10/28 釣りをしていると猛禽類が狩りをする姿を見る。実に巧みで惚れ惚れとする。彼等には頑張りや自信という概念は要らない様に見える。ではなぜ人には必要なのか?其れは資質から外れた事をやるからだろう。嫌な事をやらせる為に意図して創られた概念ではないのか?皆が其々の資質を活かせたら素敵なのに。
2021/10/27 教え方や褒め方叱り方が議論に成る事は多いが人其々で良いと思う。私は教える事も褒める事も叱る事も必要ないとさえ思う。背中を見せてやり寄り添い共感してやれば良いと思っている。だから子供達は其の様に育てた。弟子達も同様に育てている。お陰で時間は掛かるが自ら考えて出来る様に成ってくれる。
2021/10/26 教えられ、褒められ叱られ人は個性を失っていく。かつて子供は親方の傍で見様見真似で仕事を覚えた。やり方は資質を活かして編み出すしかなかった。お陰で資質は活かされ個性豊かに育っていった。所が工業社会では個性が邪魔になる。従順で平均的な労働力を大量に作り出す為に義務教育が役立ったのだ。
2021/10/25 玄能を活かしきれていない人は多い。柄の作り方や仕込み方が間違えているのだ。私が使う玄能は私流の柄の作り方と仕込み方をしている。すると緩む事も抜けてくる事も殆どない。水に浸けてから使う小槌でさえも数年間は全く緩まない。だがその仕込み方の詳細は教えない。試行錯誤して辿り着いてほしい。
2021/10/24 面白いだけでは物足りない。もっと心地よく成りたい。その為に深く学ぶようにしている。奥深さが分かれば更に興味が湧きもっと学びたくなる。すると其れなしには居られなくなる。翻って私の創るモノにもそんな風に接してもらえたら嬉しい。深く知る程に興味を持てる様なモノ創りを続けられたら嬉しい。
2021/10/23 玄能鍛冶を志し始めた頃の事だ。問屋に見本を渡されて同じモノを作れと指導された。見本通りに丁寧に作ると最初は売れたが売れ続かない。其の後に幸三郎師匠に弟子入りし玄能を学び直した。学んだ通りに創ったお陰で今でも売れ続けている。学び直したお陰で珍妙な玄能を作る事に熟練せずに済んだ訳だ。
2021/10/22 個別の技能に熟練していても上手くない人が居る。一方で技能は未熟でも上手くまとめ上げる人が居る。前者は現状に疑いを持たずに同じ事を繰り返す。故に未熟なやり方に熟練しているのだ。後者はやり方を編み出して調整し続けている。慣れよりも進化を優先しているのだ。編み出して調整が上達の秘訣だ。
2021/10/21 世の中に同じモノは無い。同じ事が繰り返される事も無い。例えば同じ釣り方を繰り返しても獲れる魚は少ない。同じ魚種でも個々の魚は極めて個性的だから。故に適宜釣り方を編み出さなくては釣れ続かない。教えないと出来ない様では飢えてしまう。釣り方を教える事は魚を与える事と大差ないと分る筈だ。
2021/10/20 釣り方を教えてはいけない。釣り方の編み出し方を伝えるのだ。其れは抽象化能力を鍛えさせる事。関係なさそうに見える事柄から関連性を導き出して活用する能力を養うのだ。一を聞いて十を知る人はこれが出来る。活躍し続けられる人もこれが出来ている。抽象化能力の高い人には世界が違って見えている。
2021/10/19 僅かな知識から答えを導く人が居る。一方で多くの知識を持ちながら答えを導けない人が居る。違いは知識を抽象化して活用出来る状態に変換出来るか否か。天才とはその能力が極めて高い人だ。だがその能力は予測不能な事態に対処し続ける事でも鍛えられる。鍛冶仕事は抽象化能力を鍛えるのに最適だろう。
2021/10/18 精神状態が品質に強く影響を与える。些細な動揺が勘を狂わせてしまうのだ。以前よりも品質の僅かな差異を感じ取れる様に成ったからだろう。お陰で下手糞に成ったと感じてしまう事も多い。所で達人と呼ばれる閾値を超えられる鍛冶屋は稀だ。精神状態を制御できる程に成熟できる鍛冶屋が稀だからだろう。
2021/10/17 流されるだけなのは嫌だ。流れに全く乗れないのも嫌だ。良い流れが来た時に取り敢えず乗ってみるくらいが丁度良い。其処にはヒッチハイクの様な不確定要素が有る。後戻りが良い結果をもたらす事もあるだろう。気が変わったなら目的地を変えていいだろう。未来は見え過ぎても見えな過ぎても面白くない。
2021/10/16 続ける事、止める事、始める事を意識して生きてきた。其れでも惰性で続けてきた事は有る。弟子の育成の為に準備した簡単に出来る仕事だ。だが弟子も玄能が創れる様に成ってきた。其処で弟子達が鍛冶仕事に集中できる様に事業を再編したい。これからやる事は相豊ハンマーにしか出来ない仕事に成る筈だ。
2021/10/15 今年に入り自分らしくない仕事を積極的に断ってきた。例えば自分以外にも出来る仕事。自分にしか出来ない事に時間を費やしたいから。例えば大量の鋼材と燃料を消費する仕事。環境負荷を出来る限り抑えたいから。お陰で売り上げは激減したが時間はたっぷりと出来た。早速自分らしい仕事を掘り下げたい。
2021/10/14 親世代の鍛冶屋はタフだった。驚く程に重い鋼材を片手で操っていた。私より遥かに小さな体躯にも関わらず。だから私にも出来ると思っていたが無理な様だ。身体の使い方がまるで違うのだろう。現代人は何故こんなにも貧弱に成ったのか?学校の体育やスポーツクラブの教えが間違っていたとしか思えない。
2021/10/13 鍛冶仕事は重労働だが筋トレは要らない。筋力に頼らず身体を活かして作業するからだ。長く続けるには精妙な身体操作を身に付けなくてはいけない。筋力に頼ってばかりでは其れが身に付かないのだ。例えば若くして故障するスポーツ選手がいる。一方で80歳を超える現役の鍛冶屋が居る。其れが証だろう。
2021/10/12 子供の頃から身体を使う事が好きだった。バランスをとりタイミングを見計らう事が得意だった。言わば負荷を掛けずに身体を操る事が得意だったのだ。今ではその能力を鍛冶仕事に活かしている。筋力に依存せずに僅かな負荷で仕事ができているのだ。だが年老いて更に負荷を抑えた動きが必要に成ってきた。
2021/10/11 学ぶ事は好きだが学校は嫌いだった。理不尽な価値観を押し付けられ気力は萎え屍の如く過ごした。だが家に帰れば溌溂と学ぶ事が出来ていた。お陰で学校の記憶は少ない。所で29歳になる倅も学校が嫌いだった。だが家では黙々と学んでいる。人はそもそも学ぶ事が好きなのではないのか。学校って何なの?
2021/10/10 100メートルを9秒台で走る事に興味はない。自分の中に其れを尊ぶ価値観がないからだ。私はのんびり景色を眺めて歩きたい。誰しも本来はそんなものだと思う。百人百様の価値観が有って然るべきと思うのだ。本日は倅と一緒に近所の川沿いをのんびり散歩してきた。川を覗くと鮭の遡上が始まっていた。
2021/10/09 私の玄能の創り方は我流だ。師匠から創り方を教えられていないからだ。所で学び方や創り方は百人百様で良いと思っている。だが今の日本では我流はよくないと言われる。しかし世間で言う正しいやり方も所詮は誰かの我流にすぎないだろう。成長できないのは我流だからではなくやり方が間違えているのだ。
2021/10/08 社会に積極的に参加する意欲や能力を養う為に教育は行われる。言わば勇気をもって人と関わる能力を養うという事だ。それは平均的な能力を磨く事ではない。自分らしさを磨いて替えの利かない自分を作り上げる事だ。その上で互いを尊重し合える社会ならば誰でも勇気をもって其処に参加したくなるだろう。
2021/10/07 曲がっている、捻じれている、左右及び上下が非対称。ヒツ穴が大きすぎる、ずれている、曲がっている、捻じれている、形状が不揃い。ヒツ穴内部のテーパーが強い。ヒツ穴脇の肉が薄い。打面が傾いている。熱処理が不適切。これらの一つでも該当すれば効かない玄能と言える。そしてそもそも美しくない。
2021/10/06 叩き玄能は直線的に振り下ろして使う。故に直進安定性と打撃力の向上の為に細長く創る。すると打面は狭く成り打ち損じる危険性が増える。この相反する状況を改善する為に打面に肉を寄せて創る。すると更に安定性は向上し打面も広く出来る。重いモノほど動き出しが鈍いという慣性の法則を活かしている。
2021/10/05 機能を優先して創れば玄能は美しく出来上がる。よく効く様に創る事で美しく成る訳だ。其れは左右対称であったり上下対称であったりする。打面の形状及び表面精度は狂いなく。ヒツ穴は小さめで中心に真直ぐ捻じれなく。其れで重力を最大限に活かせる様に成るのだ。自然の法則に則れば自然に美しく成る。
2021/10/04 機能を優先すれば美しく出来上がる。機能と表現のせめぎあいは更に美しい姿を創り上げると言う。例えば日本刀がそうだ。所で玄能も機能を優先すれば美しく出来上がる。更に精度を高めればより機能的により美しく出来る。故に玄能は精度を高める事が最大の表現に成りうる。機能と表現を両立できる訳だ。
2021/10/03 素人の私に玄能の依頼が来た。竹中大工道具館に玄能造りの映像が有る事を思い出す。三条商工会議所に購入してもらい其れを見て玄能を作る。其の評価を信頼する包丁鍛冶に依頼する。長谷川幸三郎さんが引退したから行ってこいと勧められる。幸三郎さんの下に押し掛け今に至る。繋がりで人生は築かれる。
2021/10/02 師匠の下を訪れるまで本物の玄能を知らなかった。其れまで玄能だと思っていたモノは玄能ではなかったのだ。しっかりと勉強しているつもりがとんだ的外れをしていた。左様に本物は人の目に極端に触れ難くなっている。検索エンジンでも本や雑誌でも見つけ難い。人との繋がりと出会いで見つけるしかない。
2021/10/01 私の玄能を見て目を丸くした人が居る。見た事が無い肌の色をしていると言うのだ。師匠の玄能も同じ色をしているというのに。所で玄能の焼き入れを適切に行うと肌は青緑色を纏う。手際が悪いと黒や茶に変色する。更に酷いと白く成る。焼き入れの巧拙は如実に肌に現れてしまう。言い逃れは出来ないのだ。
2021/09/30 辛い経験を水に流して大らかに成れた人。ただ単に鈍感な故に大らかに見える人。人事を尽くして神仏に願う人。何もせずに神仏に依存する人。鍛冶仕事に於いて必然的に表れる景色。目立つ為に作り込まれた嘘の景色。これらは素人目には同じ様に見えるがまるで違う。世の中は似て非なるモノで溢れている。
2021/09/29 機能を追求して創る事により得られる姿が最も美しい。故に意図して奇麗に作る必要はないと師匠は言った。確かに師匠の言う通りに創れば形の揃った奇麗なモノが出来上がる。だが其の理屈を本当に理解できる人は少ない。理解できても辛抱強く続けられる人は稀なのだ。簡単な理屈ほど理解も実践も難しい。
2021/09/28 私の実力では付き合えない雲の上の人達を師匠は紹介してくれた。だがその人達の存在を私は知らなかったのだ。左様に未熟な私に見えていた世界は未熟者で構成された世界。未熟者が目を凝らしても熟達者の世界は見えてこない様だ。玄能を創れる様に成ったお陰で様々な分野の熟達者と知り合う事が出来る。
2021/09/27 人付き合いが苦手だ。所謂コミュ障なのだ。だが様々な事を鍛冶仕事に関連付けて語る事なら出来る。また鍛冶仕事での経験を活かし日常の出来事を分析する事も出来る。即ち鍛冶仕事をコミュニケーションツールとして活かしている訳だ。得意な事を介せばコミュニケーションは円滑に出来る様に成るだろう。
2021/09/26 私の考える優れた玄能の定義は師匠に弟子入りして変わった。見えていない所にこそ本質が有ると教えられたからだ。端的に言えば精度の高い玄能が優れた玄能。成形精度だけでなく組織の状態や硬度の分布が大切なのだ。其れは見た目では分からないが使えば分かる。精度の高い玄能は清々しく良く効くのだ。
2021/09/25 玄能鍛冶を始めた頃は問屋の見本通りに作っていた。美しい意匠だが売れ続けなかった。其の後師匠に弟子入りして教え通りに創ると売れ続けた。先の問屋の教えは格好良く作る事で機能は後回しだ。師匠の教えは精度高く創る事で良く効く事を最優先している。美しかろうが照準の狂った銃では戦えないのだ。
2021/09/24 大物がひそむ近所の川で釣りをする人は少ない。釣れない事を楽しめる人が少ないからだろう。私も最初は釣れなかった。釣れる方法を模索し徐々に釣れる様に成った。だが多くの人は少しやってみて釣れないと諦めてしまう。釣り方の編み出し方を知らないからだ。玄能創りと同様に其れが楽しいというのに。
2021/09/23 五十嵐川が釣れないと多くの釣り人が言う。だが私は釣りが下手にも拘らず普通に釣れている。同じ釣り方を繰り返さずにやり方を変えながら釣れる方法を探り続けているからだろう。この手法は玄能作りと同じで互いの経験を活かし合うことが出来る。両者共に熟達は大切だが編み出す力はもっと大切なのだ。
2021/09/22 悪口や恫喝に耐性が有る。殺伐とした環境で育ったせいだろう。お陰で状況をつぶさに観察し分析できた。悪口を言ったり恫喝したりする人は自らの無能を曝け出す。即ち弱みを露にして其れに気付いていない事が分かる。単に受け身でいたら恐れたかもしれない。だが主体的に観察したお陰で恐れずに済んだ。
2021/09/21 玄能は欠けてはいけない。まくれてもいけない。其の矛盾を成立させる必要があるのだ。そこで様々な方法を試みたが稀に苦情が来ていた。そしてある日の事、悪口を書き連ねたメールが送られてきた。熟読したところ矛盾を成立させる足懸りを得ることが出来たのだ。悪口も冷静に対処すれば逆転可能に成る。
2021/09/20 往時は気に病む事もあったが今なら悪口を活かす事が出来る。そもそも私が独特過ぎる故に悪口は言われ慣れてしまった。気分はよくないが狼狽える事なく相手の意図を冷静に分析する事が出来る。稀に悪口の中に鋭い洞察があり得難い足懸りを得る事さえある。反射的に避けずに悪口も活かせたら良いと思う。
2021/09/19 玄能を作り始めた頃は悪口を言われていた。悪く言われて仕方ない程に下手だった。だが誰でも最初は下手なのが当たり前。悪口を気に病んでも始まらないのだ。そもそも人の口に戸は立てられない。たとえ誤解であろうと解く事は難しい。今でも悪口は言われている。悪口を気に病んでいたら人生が勿体ない。
2021/09/18 モノは良いだけでは売れない。周知する為に目立つ工夫が必要なのだ。其処で派手な装飾やパフォーマンスが繰り広げられる事に成る。だが却って悪目立ちして信用を失っている様にも見える。では本当に良いモノをどうやって目立たせるのか?良いだけで目立ってしまう程の品質に磨き上げるしかないだろう。
2021/09/17 師匠の映像を見れば動作が正確で速い事には誰もが気付くだろう。だが速く動こうとして力一杯頑張っている訳ではない。結果としてそうなっているだけなのだ。その証拠に息が上がる様子はない。極めて穏やかに作業は進められている筈だ。本当に上手い人は身体の使い方の質が違う事に気付いてもらいたい。
2021/09/16 科学的に体系化された鍛冶仕事を川の中層以上の確認できる小物を狙う魚釣りに例えるなら、勘を頼りに未解明な技術に取り組む鍛冶仕事は確認の難しい川底に居る大物を狙う魚釣りに例えられる。言い換えれば前者は顕在顧客を狙った釣り。後者は潜在顧客を狙った釣りと言える。仕事と釣りはよく似ている。
2021/09/15 近所の川には治水の為の土嚢や金籠が沈められている。故に魚釣りでは根掛かりが多く釣り難いこと甚だしい。だが大物は底に居るので疑似餌は底を通す必要がある。この難題を解決できれば大物を釣る事が出来る訳だ。私にとって其の感覚は鍛冶仕事に似て楽しすぎる。だが多くの人は嫌に成り諦めてしまう。
2021/09/14 釣れる見込みの全くない魚釣りは楽しくない。だが誰でも簡単に釣れるのも楽しくない。難しいけれど努力に応じて釣れる様に成るから楽しいのだ。仕事も同じだと思う。最初は全く儲からないけれど努力を続ければ儲かる様に成る。私はそんな塩梅で気持ちよく働けるのだ。おまけに其の塩梅は競合が少ない。
2021/09/13 能力不足なのに簡単に出来ると言ってしまう人が居る。見栄を張っているのではなく本当にそう思っているのだ。周りからは自信満々に見えるらしく流石だと感心する人さえいる。自信満々に見える人の多くは単なる見当違いな人なのに。そもそも本当に出来る人は簡単そうに見える事にさえ気配りを怠らない。
2021/09/12 地元には時を経ても色褪せずに輝き続ける創造物が多い。神社や寺院が多く境内で日が暮れるまで夢中で遊び惚けた。石川雲長の彫刻を何時でも見る事が出来た。国登録有形文化財の武徳殿で日々剣道の鍛錬ができた。時を経ても価値を失わない優れたモノに囲まれ安心出来た。だが新たに創られる事は少ない。
2021/09/11 私の幼い頃は「鍛冶屋は良いモノを創り出すだけではいけない、メディアに露出して宣伝する必要が有る」と言われていた。そして写真週刊誌に商品が掲載され物語が語られ販売促進に利用された。其れが50年以上も前の事だ。今でも同様な事が繰り返されるが良いモノを創り出そうとする人は激減している。
2021/09/10 師匠の玄能には師匠の人柄が表れている。私の玄能には私の人柄が表れていると思う。左様に出来たモノにはその作者の人柄が端的に表れる。そして時を経るにつれ出来上がり具合は変化していく。その変化は人柄の進化を反映しているのだ。故にモノを見ればその人の成熟度が分かる。迂闊なモノは作れない。
2021/09/09 教えるのは気持ちが良い。相手の心を一時的にでも支配できるからだ。教えられるのも気持ちが良い。相手に依存できるからだ。故に互いに気持ち良く成り依存関係が成立する。そして互いに縛り合い離れられなくなる。所で職人の世界では丁寧に教えたり褒めたりはしない。其れは後進を自立させる為なのだ。
2021/09/08 甲野善紀氏の手裏剣を拝見したことが有るが極めて精度高く作られていた。同様に長谷川幸三郎師匠の使用道具も極めて精度高く作られていた。またビデオを見て分かる様に作業場は整理整頓され身なりも洗練されている。左様に達人は全てに於いて気配りが行き届いているのだ。凡人は先ず其れを知るべきだ。
2021/09/07 浩樹印玄能を売り始めたが玄能の精度を上げられずに悩んでいた。たまたま付けたテレビに手裏剣術を行う甲野善紀氏が映っていた。手裏剣を打つ身体の精妙さと精度に目が釘付けに成った。そして玄能の精度も同様に上げられると直感した。即ち身体と使用道具の精度を共に上げる事が肝心だと気付いたのだ。
2021/09/06 師匠のビデオは興味深い。いとも容易く玄能が出来てしまうのだ。動作に躊躇う様子など微塵もない。作業の流れを止めて様子を確認する事もないのだ。身体に矩が出来ていて揺らぎが全く感じられない。正に神業と言えるだろう。普段の言動にも揺らぎが感じられず目指すべきものを全て見せられた気がする。
2021/09/05 玄能のヒツ穴を抜く際には目打ち金という鏨様のモノを打ち込む。打ち込む位置や角度が少しでも狂えば正確なヒツ穴は開かない。目打ち金を「もう少し右」とか「もう少し傾ける」では駄目なのだ。瞬時に「中心に真っ直ぐに垂直」を目指さなくてはいけないのだ。その為には身体の中に矩を作る必要がある。
2021/09/04 玄能のヒツ穴を正確に抜く手掛かりは甲野善紀氏の手裏剣投げからも得られた。的との距離が変わろうが垂直に手裏剣を打つ身体の精妙さに驚いた。そしてヒツ穴抜きも同様に出来ると直感した。手裏剣投げよりも近い距離だから出来ない訳がないと。関連性の無さそうな技能からも手掛かりは見つかるものだ。
2021/09/03 先人の知恵を借りるには先人の感性で臨まなくてはいけない。感性を同調させないと正確に見えてこないのだ。弟子入りの際に師匠は言った。「科学的知識は目を曇らせるから暫くの間は忘れる様に」と。私の感性を先人の感性に近付けようとしてくれたのだ。お陰で自らの感性の精妙さに目覚める事が出来た。
2021/09/02 便利な機械器具が無い中で先人は知恵を絞り作業を進めた。其の試行錯誤は大いに感性を刺激した筈だ。当時は温度計や硬度計はなかった。それでも充分に良いモノを作り続けた訳なのだ。所で私は先人の知恵を借りて作業を進めている。だが簡単に借りられた訳ではない。感性を同調させる必要があったのだ。
2021/09/01 鋼を加熱すると約550度で火色が付き始める。其の後600度では暗赤色に、800度では橙色に成る。では火色が付く前はどの様に温度を判断するのか?例えば玄能の焼き戻し温度が約180度。玄能に油を塗って其れが乾く温度が約180度。玄能に水を垂らしてコロコロとこぼれる温度が約180度。過去の工人の教えだ。
2021/08/31 磁石が付かなくなるまで加熱した鋼を冷ます過程で磁石が付き始める温度は一定ではない。更には磁石が付く強さも一定ではない。加熱速度や最高加熱温度および加熱状態での保持時間により異なるのだ。故に磁石が付き始める温度と磁石が付く強さを考え合わせる事で金属組織の状態をより詳細に推測できる。
2021/08/30 焼き入れ温度に加熱する過程の磁石が付かなくなる温度はほぼ一定だ。だが冷ます過程で磁石が付き始める温度は一定ではない。加熱速度や焼き入れ温度での保持時間及び加熱不足や過熱により異なるのだ。加熱操作の違いで鋼の組織に違いがでると推測できる。左様に磁石は金属組織の状態まで見せてくれる。
2021/08/29 鋼の温度を上げていくと黒色から赤色、橙色へと変化する。赤色から橙色に近付くと磁石が付かなくなる。其の温度から僅かに加熱した温度が焼き入れに適した温度で焼き入れ温度と言う。其の温度から炉内で少し冷してから水を掛けるが其の時の温度を急冷温度と言う。磁石が火色を見る目を補正してくれる。
2021/08/28 鍛冶屋は温度計を使わずに温度が分かる。火色で温度を判断しているのだ。鉄や鋼は温度を上げる程に黒色から赤色、橙色、黄色へと変化する。其の色を見ながら炎の強さを調整し出来上がり具合を検査する。其れを繰り返して作業に最適な火色を見つける訳だ。故に温度を数値ではなく色として認識している。
2021/08/27 小さな玄能は作るのが大変だ。箸でつかみ難いし金床の上では座りが悪い。火床の中で見失い易く見失えば赤め過ぎてしまう。火色は分かり難く焼き入れで混乱する事もある。左様にとても氣を使う。だがコツは有る。重力や磁力などの自然法則を活かし対処するのだ。自然法則の活かし方が巧拙の境目に成る。
2021/08/26 黒肌仕上げには勇気と根気が求められる。鍛冶屋の技量が如実に表れるからだ。黒肌は焼き入れしたまま何も手を加えていない姿。その表情は炎の管理の巧拙を証明する。即ち鍛冶作業全般に関わる炎の管理の巧拙を代弁している訳だ。赤め過ぎも手際の悪さも全て黒肌に現れる。黒肌に弁解の余地はないのだ。
2021/08/25 私の玄能は黒い塊にしか見えない。故に全く目立たない。多くの場合は目立つ工夫をして売ろうとする。だが其の手間は経費として代金に上乗せされる。私は使用者に余計な負担を掛けたくない。故に費用対効果の高い黒肌で売っている。黒肌は過不足のない理想の姿。これ以上は何も削ぎ落とす事が出来ない。
2021/08/24 初見では全く分からないだろう。手にしてみても分からない筈だ。ご使用者にさえ深く理解されているとは言い難い。故に玄能を知る為の切っ掛けを提供しているのだ。最初は一寸だけ気にしてもらえる様に。一寸知ったらもう一寸知りたくなる様に。でも目立ち過ぎない様に。そんな気持ちで書き続けている。
2021/08/23 放って置くと勝手に競争を始める子供がいる。其れを見た大人達は褒める事で益々競争を煽る。その姿は互いに依存し反応し合っているだけに見える。だが不思議にもその窮屈さに誰も気付いていない様だ。何故互いに縛り合う不自由を自ら選択するのだろう?競争以外の生き方の方が遥かに選択肢は多いのに。
2021/08/22 励む人にも二通りある。一方は好奇心に駆られて励む人。もう一方は勝ちたい気持ちで励む人。前者は好奇心が枯れない限り続けることが出来る。超えるべき相手は今迄の自分だから。所が後者は競争相手が居なくなれば情熱は失せてしまう。相手に依存した情熱だから。競争による上達は何時か袋小路に入る。
2021/08/21 玄能を作り始めた頃の事。師匠に紹介された大工道具の目利きを訪ねた。曲尺や三条市の過去の名工について聞かされた。玄能だけでなく其の周辺も広く学べと言うのだ。私は感銘を受け早速学び始めた。所が同時期に同じ目利きを訪ねた鍛冶屋は言った。学ぶべきモノは無かったと。大体はそんなものなのだ。
2021/08/20 目利きと接すれば価値観の違いに戸惑うだろう。彼等は我々凡人の延長線上に居ないからだ。故に多くの人は違和感から彼等を否定してしまう。だが素直に耳を傾けたい。其れは新たな人生の出発点に成るからだ。他人も自らをも変える必要は無い。価値観が更新され世の中の捉え方がまるで変ってしまうのだ。
2021/08/19 師匠に紹介頂いた目利き達は想像を遥かに超えていた。彼らの思考は私の延長線上にはなかった。即ち目の付け所が全く違ったのだ。故に正直に接するしかないと直感した。そして彼らに認めてもらう為に出来る事に集中した。即ち良いモノを創るしか方法はないのだ。目立つ必要も有名に成る必要も全くない。
2021/08/18 同業者の動向に気を揉む私に師匠は言った。上達して然るべき目利きに認められるだけで良い。他は気にするなと。多くの使用者は玄能の良否を明確に判断できないという。故に判断を目利きに委ねている場合が多いのだ。そこで師匠の忠告に従い自らと向き合い続けた。そして自らも目利きを目指すと誓った。
2021/08/17 他人に負けた悔しさを糧に励む人が居る。一方で自らの情熱に駆られて励む人も居る。前者は勝つ為に相手と向き合っている。後者は動機を探りつつ自らと向き合い続けている。故に前者は勝ったなら他人を見下してしまうだろう。後者は深く弁え益々謙虚に成るだろう。成熟は自らと向き合う事で叶うからだ。
2021/08/16 釣り堀に初心者親子が居た。釣れても釣れなくても楽しそうだった。所が多くの場合は上手く成る程に釣れないと不満に成る。周りと自分を比べ始めるからだ。そんな人は競争を止めればいい。楽しかった頃を思い出し自らの内面と向き合い直せばいい。すると淡々と出来る様に成り其れが上達への近道に成る。
2021/08/15 釣りを始めた子供は誰とも競争していない。魚と戦っている訳でもない。自らと向き合っているだけなのだ。所が次第に周りを気にし始めて競争を始めてしまう。すると周りの言動に惑わされ自らが何者であるのかさえ見失う。自らと向き合い続けるだけで十分な筈なのに。人を負かしたい気持ちは猛毒なのだ。
2021/08/14 かつて地元には鍛冶に関する誤った情報が溢れていた。その情報を基に商売する人も居たので軽率に否定は出来ない。師匠はそんな不利な環境で良い玄能を作り正当と認められる様に成ったのだ。もしも私が同じ立場なら挫折しただろう。私は師匠という巨人の肩に乗れたお陰で余計な苦労をせずに済んだ訳だ。
2021/08/13 地元で私を知る人は少ない。玄能鍛冶である事を近所の人でさえ知らない。だが知ってほしい人に知ってもらえているからこれで良い。余計な声を掛けられる心配もなく穏やかに暮らせるのは心地良い。所で究極のマーケティングは何もしないで売れる状態を作る事。即ち重要な事に集中できる事が大切なのだ。
2021/08/12 人の声がよく聞こえない。静かな所なら良いが少し騒々しいと聞き取れない。だから学校の授業はほぼ聞き取れなかった。今でも会議などではとても神経を使う。そんな私だから「言ったはずだ」と何時も怒られる。言えば伝わると思っているのだ。伝えるとは相手の理解を促す為に寄り添う事だと思うのだが。
2021/08/11 魚を与えず釣り方を教えろと言う。だが私は釣り方も教わりたくなかった。そもそも既存の釣り方に興味はなかったのだ。即ち新たな釣り方を編み出したかった。所が教えたがり屋は釣り方を教えたがる。私は逃げ出し長谷川幸三郎さんに弟子入りした。師匠は釣り方の編み出し方の秘訣を丁寧に説いてくれた。
2021/08/10 出来ない事が出来る様に成るのは楽しい。出来る方法を編み出すのはもっと楽しい。だから他人に安易に教えを乞う事はない。故に出来ない姿を晒す事も厭わない。即ち私は出来ない事を楽しんでいるのだ。所が出来ない事を過剰に恥じて始めない人が居る。達人でさえも最初から出来た訳ではないというのに。
2021/08/09 知人の子供を魚釣りに連れていった。所が出来ない姿を晒すのが嫌だと言って始めようとしない。きっと口やかましく監視されて生きてきたのだ。本来ならば出来ない事を楽しめるのが人間だろう。出来ないからこそ出来る様に成る事が楽しいのだ。出来なくても待ってくれる環境が人間の成長には欠かせない。
2021/08/08 優秀な玄能を作る為に鍛冶関連の書籍を読んで勉強した。所が参考にできるものが余りにも少ない。他の鍛冶屋に聞いても埒が明かない。玄能はとても特殊なのだ。そこで長谷川幸三郎さんを訪ねた訳だ。其の後も鍛冶関連の書籍を読み続けている。一番参考に成るのが日本刀関連の書籍。玄能は日本刀に近い。
2021/08/07 職人の育成を科学的に証明されたやり方に則り行う事業者は多い。便利な機械器具を使い勘に頼る作業を最小限に抑えて失敗を防ぐのだ。だが其れは職人の育て方でも工芸品の創り方でもない。作業員の育て方であり工業製品の作り方だ。そもそも科学的な証明は勘により得られた成果の後付けに過ぎない筈だ。
2021/08/06 便利な機械器具を使って作れば均一さは担保される。だが同じ事を繰り返すだけで新たな発見は望めない。翻って勘を頼りに仕事をすれば多少の狂いは免れない。だが僅かな狂いが大きな発見をもたらす事が有る。故に過去の名工は極めて優れた作品を残せた訳だ。名工は狂いさえも味方に付けていたと言える。
2021/08/05 毎日やり方を変えながら玄能を作っている。同じ事を繰り返しても上達は望めないからだ。即ち変えれば違う結果が現れる。その蓄積が視野を広げ上達を促してくれるのだ。所が日本のコロナ対策では同じ事を繰り返して違う結果を得ようとしている。無学な鍛冶屋でも分かる理屈を彼らは分かっていない様だ。
2021/08/04 毎日やり方を変えながら玄能を作っている。他人が見ても気付かない程度の変化だ。だが出来た玄能には違いが現れる。それとて他人が気付かない程度の違いなのだ。そんな些細な違いを感じ取りながら作業をするから感覚は鋭く成る。すると益々少しだけ変えてやってみたくなる。だから引退は要らないのだ。
2021/08/03 出来ない人は目立とうとする。虚勢を張るだけでなく其れ以上に出来ていない事に気付いていないのだ。翻って出来る人は目立とうとしない。謙虚なだけでなく其れ以上に本当に出来ていないと思っているのだ。左様に目立ちたがり屋は上手く成らず、出来る人はより上手く成るのは当たり前の理屈だと分かる。
2021/08/02 鍛冶屋に憧れた若者が3年前に新潟を訪れた。憧れの鍛冶屋に弟子入りを断られ偶然私の下を訪れた。私の事を何も知らないと言うので直ぐに帰ってもらった。だが彼は私の事を調べ改めて弟子入りを志願した。所で私は進んでマスコミに露出する事はない。だが私を知りたい人には豊富な情報を準備している。
2021/08/01 鍛冶屋を始める前は師匠の事を何も知らなかった。達人が居ると知ったのは鍛冶屋を始めてからの事だ。玄能作りに行き詰り知人に長谷川幸三郎さんを紹介された。訪れる為に住所を調べて直ぐ近所だと知り驚いた。其れほど師匠は地元では目立っていなかった。目立つべき所とそうでない所を弁えていたのだ。
2021/07/31 目立てば8割成功と聞いた事が有る。だが闇雲に目立てばいい訳ではない。誰に対してどの様に目立てば良いのかが肝心なのだ。理想は見つけてもらいたい人にだけ目立ち其れ以外の人には目立たないこと。所が多くの人が不特定多数を相手に目立とうとする。間違った目立ち方は不自由をもたらすだけなのに。
2021/07/30 自信など儚い。少し挫ければ消し飛んでしまう。ならば自信がなくても出来る様にすればいい。そもそも目立ちたいから自信が必要に成る。負けたり失敗したりして恥をかく事で自信を無くしてしまう。ならば目立とうとする事を止めればいい。密かにやっていれば自信が無くても出来る様に成るのではないか。
2021/07/29 師匠には正当な鍛冶仕事に徹する事を約束させられた。感性を研ぎ澄まして勘を頼りに仕事を進めろと言うのだ。マニュアル化された科学的な作り方では絶対に辿り着けない。科学への依存は感性を鈍らせ道半ばで満足させてしまうのだ。感性が鋭ければ自らの作ったモノの稚拙さに意気消沈し続ける事に成る。
2021/07/28 クズを出さない鍛冶屋は上手い。精度高く火造りして短時間のヤスリ掛けで完成できる鍛冶屋だ。即ち材料と完成品の重量差が少ない。所が下手なうちは其れが出来ない。故に大きな材料を使い雑に火造り沢山削って形にしてしまう。だが其れでは永遠に上手く成れない。最初からクズを出してはいけないのだ。
2021/07/27 夢中に成れるから続けた。得意に成れるから楽しんだ。思わず考えてしまうから直ぐに取り掛かった。それが魚釣りやモノ作りや読書だった。そしてそれらに共通して必要となるのが分析力。故に分析力を活かせる鍛冶仕事を始めるに至った。人生は細切れにせず一貫性をもって生きた方が絶対に楽しいと思う。
2021/07/26 鍛冶屋を始めたのは35歳だ。周りは遅すぎると警告した。だが鍛冶屋に生まれ作業の詳細を見て育った。学生時代に新商品の開発も手掛けてみた。故に遅すぎるとは思わなかったのだ。簡単に出来ない事でも然るべき所に身を置いていると自然と身に付いていく。門前の小僧習わぬ経を読むとは正に私の事だ。
2021/07/25 ルアーフィッシングは愉快だ。偽物の餌を巧みに操り魚を欺く駆け引きは堪らない。だがちょっと待て。いい加減なモノを巧みに売り込む詐欺師と変わらないではないか?実は誰しもそんな性癖を持つのかもしれない。だから噓つきが多いのだ。思慮深く丁寧に生きる事で対人関係では嘘をつかずに済ませたい。
2021/07/24 出来たモノを見れば製作者の本性が分かる。未だ下手だが人の役に立とうと努力している人。器用で上手いが人を欺こうと手を抜いている人。そんな心根が出来たモノに如実に表れる。師匠は言った。「稀だが目利きは居る。絶対に手を抜いてはいけない」と。即ち全力で丁寧に取り組まなくてはいけないのだ。
2021/07/23 良い刃物が手に入らないと問屋が嘆いた。売る事ばかりに力を注ぎ職人が腕を磨こうとしないのだと言う。ならば職人にとっての好機ではないか。向上心の欠けた職人を尻目に工場に引きこもり腕を磨けばいい。周りが気付いた時には手も足も出なくなっている筈だ。今こそ腕が良い事が最大の武器に成る時代。
2021/07/22 夏に成ると鍛冶屋は暑くて大変ですねと言われる。だが全く平気なのだ。クーラーや扇風機を使い快適に作業しているからだ。左様に気候は制御できないが作業環境は整える事が出来る。即ち相手を変えようとせずに此方が変われば良いだけなのだ。所が天に向かって暑さを非難するような事を人はしてしまう。
2021/07/21 鍛冶屋を始めた頃は名工を目指す人は稀だった。他人に作らせ売る事に専念する後継者が後を絶たなかった。手仕事の技能は継承されず機械器具に頼る生産方式に取って代わられた。工芸品と工業製品の違いを意識できない人達で溢れ返った。私はこれを好機と捉えた。良いモノを創るだけで飯が食えそうだと。
2021/07/20 未熟な職人の作る玄能は乱暴に扱われる。精度が低く価格も安い故に舐められているのだ。だが其れが職人を鍛えてくれる。乱暴な扱いに耐えうる玄能を作る好機と捉えたい。故にクレームは代え難い暗示と思えば良いのだ。売れないのは宣伝が足りないからではない。売れない真の理由から逃げているからだ。
2021/07/19 後継者育成事業の講師が経営者は現場に居てはいけないと言った。真に受けた後継者は技能継承できずに苦境に立たされた。翻って私の師匠は現場の大切さを諭してくれた。鍛冶屋は鍛冶場で泣く事が仕事だと教えてくれた。だから何時でも私は鍛冶場で泣いている。そして其れが一番効率的な事も知っている。
2021/07/18 売価千円の玄能を小売屋は問屋から五百円で仕入れた。問屋は鍛冶屋から二百五十円で仕入れた。鍛冶屋は材料費や燃料費を払えば手元に幾らも残らない。これは古い話だが鍛冶屋に価格決定権は無かった訳だ。今でも替えの利く鍛冶屋に価格決定権はない。替えの利かない存在を目指す事が如何に大切な事か。
2021/07/17 夜明け前の山奥のダムに疲れ果てたお父さん達が集まってくる。虐められて傷付いた心を癒す為に週末に成るとやって来るというのだ。一日魚釣りを楽しめば回復して翌日には何時もの生活に戻る。自然の中での孤独な時間が充分に心身を癒してくれる訳だ。山奥での湯治で心身が癒されるのも同じ理屈だろう。
2021/07/16 中学生の頃は同級生のチンピラに毎日の様に殴られていた。身体中が腫れ上がり歩く事もままならなかった。だが精神的に参る事は少なかった。何故なのだろう?きっと人間関係を離れて一人で完結できる魚釣りなどの趣味を持っていたからに違いない。孤独な時間が傷付いた心を癒してくれていたに違いない。
2021/07/15 子供の頃はテレビを見ると馬鹿に成ると言われていた。現に多くの人が影響を受け同じ事を言い同じ様に行動した。話を合わせる為に同じアニメやドラマを見る子供も多かった。だが私はテレビを見なかった。やりたい事をやる時間を奪われるからだ。やりたい事が分からない人は優先順位を間違えてきた人だ。
2021/07/14 子供の頃からゲームやスポーツが苦手だ。テレビゲームはやりたくない。オリンピックは見た事がない。押し付けられる感じが嫌なのだ。そんな私は鍛冶屋をしている。鍛冶仕事は未だ解明されない謎が多い。だが誰もその解明を押し付けない。そもそも誰も鍛冶仕事を勧めない。故に自由に出来る余白が多い。
2021/07/13 あれこれと出来た方が良い事を世間は勧めてくる。だが世間が勧める事など大抵は誰にでも出来てしまう。真に受けて努力しても大勢の中の一人にしか成れない。故に誰にでも出来る事は他人に任せればいい。自分にしか出来ない事に徹底的に時間を費やすのだ。気付けば代えの利かない存在に成れている筈だ。
2021/07/12 失敗も隈なく弟子達に見せる様にしている。改善する姿も分かり易く見せている。失敗は恥ずかしい事ではない。進化する為の好機と捉えたい。また長年続けてきた事でも進化の見込みがなければ直ぐに止めてみよう。そして未練なく違うやり方に取り掛かろう。変化を厭わない事が進化を加速させる筈だから。
2021/07/11 優れたやり方でもそれ以上に進化できない袋小路に入る事は有る。多くの人は其れに気付かず生涯続けてしまう。例え気付いてもやり直す勇気を持てる人は極めて少ない。だが中には更に進化できるやり方を編み出しやり直せる人が居る。周りからは変人に見えるかもしれない。だが天才の生まれる瞬間なのだ。
2021/07/10 系統樹の袋小路に入り後戻りを余儀なくされた事が有る。だが後戻りできる人は幸いなのだ。多くの人は袋小路に入ったことに気付けない。気付いても後戻りする勇気を持てない人も多い。だが私は師匠の体験を知り勇気を得た。何度でもやり直せる事を学ぶ事が出来た。後戻り出来る勇気が有れば挑戦できる。
2021/07/09 今後の鍛冶屋は科学を取り入れ失敗しないで上達すべきと説かれた事が有る。だが其れは最悪だ。科学を取り入れる最大の問題点は失敗を許さない事。即ち新たな事に挑戦する意欲を奪うのだ。例えば今の日本は失敗を過度に批判する人と恐れる人で溢れている。故にコロナ問題も先送りされるだけではないか。
2021/07/08 得意なモノ作りで貢献したいと思った。所が級友達は安定した職業なら何でもいいと言った。中には肉体労働を志す私を蔑む者まで居た。所で娘も中学校の進路指導の際に希望先を全否定された事が有る。だが自ら資料を取り寄せ先生を説得した。左様にやりたい事が明確である事が強靭な心を創り上げるのだ。
2021/07/07 儲ける為に手段を選ばない人が居る。そんな人は儲からなければ不幸に成るだろう。翻って手段を選び其の道の達人に成り収益化を目指す人が居る。そんな人なら儲からなくても納得できるだろう。左様に自分を社会に合わせるのか。それとも自分を選んでもらうのか。二通りの生き方が有り自由に選べるのだ。
2021/07/06 顧客獲得費用をゼロに近付けるコツは既存顧客を大切にする事。既に商品は流通しているから顧客の存在は確認済み。属性も把握できている。ならば買い続けてもらう為に出来る事も分かり易い。ならば魚も顧客と同じではないか。なんて事を魚釣りをしながら考えていた。同じ川に通い続けているからだろう。
2021/07/05 大物が釣れたからと其の釣り方に執着しても釣れ続ける確率は低い。大物ほど賢く学習能力が高いからだ。仕事も同様に上手く出来たやり方を続けても売れ続ける確率は低い。良いモノを提供する程にお客の目は肥え期待は膨らみ続けるからだ。故に出来ている事に執着せず技を組み替え続ける事が大切なのだ。
2021/07/04 科学的に作れば失敗も少なく安定したものが出来上がる。だが更なる高品質を目指すなら科学的思考は邪魔に成る。故に思考の枠組みをそっくり組み替える必要があるのだ。その為には出来ている事でさえ否定する必要がある。其れ迄の感覚や感情さえ疑ってみる必要があるのだ。達人はその恐怖に勝てた人だ。
2021/07/03 師匠は唐突に質問を繰り出した。答えていると見えていなかった世界が見え始めた。其れは存在にすら気付いていなかった未知なる世界だ。私は未熟な自分を恥じると共に其の瞬間をとても心地良く感じた。そして見えない世界の存在を自ら進んで探す様に成っていったのだ。師匠はアメもムチも持たなかった。
2021/07/02 達人は凡人の延長線上に居ない。例えば凡人は怒りをコントロールしようとする。達人はそもそも怒らずに済む心の有様を探る。凡人は出来ない人に教えたり褒めたり叱ったりする。達人は出来ない人の自発性を促す方法を探る。凡人は出来ている事にだけ磨きを掛ける。達人は同時に新たな方法を探り続ける。
2021/07/01 相手の失敗を責めているうちは相手に囚われ身動きが取れない。相手が変わらない限り自らも前に進めないからだ。そもそも出来ない相手を責めた処で出来る様に成りはしない。出来る様にさせてやるのが自らの役割の筈なのだ。相手の失敗を自らの不徳と捉えられる様に成れば世界は違って見えてくるだろう。
2021/06/30 他人の失敗を責める人は多い。責められた人は気に病み殻に閉じ籠る。気力は萎えて能力を発揮する機会を逃してしまう。ならば失敗した時にこそ励ます事が肝心だろう。背中を押して軽やかに前に進めてやれば良い。すると不思議と自らも軽やかに挑戦できる様になるのだ。他人を許せば自らも自由に成れる。
2021/06/29 より良いモノを創る為にやり方を少しずつ変えながら進めている。だがその行為が失敗を呼び寄せてしまう。異なる経験に成功の芽を見出そうとするからやむを得ない。故に失敗を水に流せる環境でないと出来ないのだ。失敗に対し反省や責任を求める人は多い。だが大切なのは軽やかに次に進める環境なのだ。
2021/06/28 漫画GANTZの登場人物は制限時間内に生き残れば瀕死状態でも肉体を再生できる。生き残れば何度でもやり直せる訳だ。だが我々だって何度でも再生できる。失敗したら水に流して意識を再生すればいい。失敗に囚われるから努力や自信が必要に成る。水に流せば意識は初期化され軽やかに再挑戦できる筈なのだ。
2021/06/27 自らの哲学や理論を商品に反映させるだけでは足りない。理解してくれる人が居る事で商売として成立するからだ。所が誰もが最初は未熟な故に未熟な商品に満足できる未熟な客が集まりだす。すると哲学や理論の検証が正しく出来ないのだ。故に最初の客に誰を選ぶかが人生を決めると言っても過言ではない。
2021/06/26 自らの考えを言葉だけで発信しても率直な意見を聞ける事は稀だろう。所が商品ならば販売すれば評価は直ぐに表れてしまう。故に私は自らの考えを玄能に注ぎ込む様に創り上げている。玄能が売れる事を考えが認めてもらえている証と捉えている訳だ。左様に仕事は自らの考えを世に問う絶好の機会と言える。
2021/06/25 教えないと宣言して弟子達を受け入れた。故に作業のやり方を彼等が聞く事はない。だが身体中で敏感に感じ取っている事は分かる。着実に上達しているからだ。左様に彼等は自立した行動を選択して生きている。子供の頃の何処かの時点で其の様に選択したのだ。資質なのか後天的なモノなのか実に興味深い。
2021/06/24 教えたり褒めたりしないとやらない人は手に負えない。手間ばかり掛かる上に何時までも自立してくれない。だがそんな人にしたのは自分なのだ。出来るまで待てずに直ぐに教えていないか?急がせる為に褒めたりしていないか?それらの行為が自立出来ない人を作っているのだ。急がば回れと言うではないか。
2021/06/23 教えないと宣言して弟子を受け入れた。教えないから出来るまで時間は掛かる。だが出来始めれば自ら目標を立て仕事に臨み始める。やり方も自ら編み出し自らのスタイルを創り始める。丁寧に教える事は弟子の自ら考える機会を奪うに等しい。弟子が技を盗める様に成れば師弟共に自由を手に入れられるのだ。
2021/06/22 小学生の頃は子供の多くが放って置かれた。故に遊び惚ける子供で溢れていた訳だ。所が中学生に成ると極めて勉強が出来る子供が現れた。夢中で遊び惚ける事で観察力と洞察力が育まれたのだろう。即ち技を盗む力が磨かれた訳だ。技を盗める様に成れば勉強のやり方や適した環境を自ら編み出せる様になる。
2021/06/21 技を盗むにはそう有るべき理由を理解する必要が有る。理解できて初めて盗む準備が整ったと言える。先ずは理解できる所から少しだけ盗んでみる。それを掘り下げれば更に多くを盗める様になる。これは具体と抽象を往復する極めて洞察力を試される作業だ。技を盗める様になれば何からでも学べる様になる。
2021/06/20 近所の川にとても上手い釣り人が居る。他の釣り人とは明らかに釣り方が違う。釣り方は自ら編み出すと言っていた。夢中に成る事で創造力が自然と鍛えられるのだろう。私は遠目で技を盗ませてもらっている。所で彼と話すのは本日で2回目だ。人見知りの私だが創造力の豊かな人とは旧知の仲の様に成れる。
2021/06/19 面倒な事はやりたくない。だがやらずにいられない面倒な事を見つけてしまった。玄能作りだ。所で玄能作りは資格が要らない。だからやり方は自ら編み出さなくてはいけない。更には経済的に成り立つ保証が全くない。其れは他人にとって苦痛で面倒な事だろう。だが私には苦も無く出来てしまう面倒なのだ。
2021/06/18 鍛冶仕事を始めた頃は体中が痛かった。腰痛を悪化させ再起不能と言われた事もある。故に身体の使い方を工夫する必要があった。その際には鍛えるよりも調和を意識し続けた。お陰で老化による衰えは顕著だが今でも普通に仕事が出来ている。左様に無理なく長く続けるには強さよりも調和が大切な気がする。
2021/06/17 元気や努力や根性が分からない。やる気や自信はもっと分からない。それらを必要と感じないからだ。所で有名スポーツ選手が引退する度に思う。彼らにはやる気や自信が必要だったのだろうと。だが鍛冶屋に引退は要らない。生涯に渡る進化が許されている。鍛冶屋は焦らず丁寧に技能を磨き上げ続けられる。
2021/06/16 元気のない私は元気を出せと周りから言われて育った。だが興奮する事が嫌いなので元気は出したくないのだ。その代わりに元気が無くても出来るやり方を考え続けてきた。元気の様な一時的な高揚を必要としない丁寧で長続きできる生き方を模索してきた。お陰で品質の安定した玄能を作れる様に成ってきた。
2021/06/15 千代鶴是秀翁は言った。「越後の鍛冶屋さんは伸びろ伸びろと言って叩きますが、私は伸びるな伸びるなと言って叩きます」と。大きく変え様として頑張るのではなく丁寧に整える事を意識しているのだろう。同様に人間も変わる為に頑張るのではなく丁寧に整える事を意識した方が健全な人生を送れると思う。
2021/06/14 物心つく頃にはモノ作りと魚釣りに明け暮れていた。魚釣りに行く為に自転車やオートバイに乗り始めた。其方に興味が移り魚釣りから離れていた。最近になり怪我を避け自転車やオートバイを止めた。そしてモノ作りはずっと続けたまま魚釣りを再開した。定められた運命の内に最適解を探していた気がする。
2021/06/13 近所の川で釣りを始めて1年経つ。無理せず長く続けられる様に試行錯誤してきた。自動車免許返納後も気軽に楽しめる様にする為だ。お陰で徒歩五分の所でも充分に楽しめる様にできた。ヤマメ、ニジマス、ナマズを始め様々釣れて堪らない。努力や根性は一切いらない。ただ楽しむだけの準備が出来たのだ。
2021/06/12 早生まれなので身体は小さく勉強も出来なかった。頑張る事すら難しかっただろう。故に知恵を絞らざるを得なかった。早めに準備を始めて遅れない様に努めた。中学生に成る頃に漸く周りに追いついた。気付けば頑張らずに出来る方法を身に付けていた。チビで馬鹿だったお陰で却って得をした様な気がする。
2021/06/11 直ぐ身に着けたいなら教えられた通りにすればいい。だがしっかり身に着けたいなら独自のスタイルを創る方が先だ。低負荷で飽きずに長く続けられる方法を編み出すのだ。そしてそれを考える事が考えるとは何なのかを考える良い訓練にもなる。しっかり身に付かない人は頑張るだけで実は考えていないのだ。
2021/06/10 勉強のやり方が分からず成績は最悪だった。中学入学の際に様々なアドバイスを試みたが埒が明かない。そこで時間をかけて自分なりのやり方を編み出してみた。すると少しは勉強ができる様になったのだ。習得できない人はそもそも習得の仕方を習得できていない。間違ったやり方では何時迄も埒は明かない。
2021/06/09 未だ上達している実感がある。成長の余地が残されているという事だ。言い換えれば未だ下手糞という事。当分楽しめるという事でもある。左様に気付けば下手糞を楽しむ余裕が出来ている。上達のコツを少しは掴めたのだろう。所で上達のコツは他人からは教われない。資質を活かし感性を磨くしかないのだ。
2021/06/08 人々が体毛の濃さに悩み始めたのは何時からだろう?私の子供の頃は体毛の薄さを嘆く人が居たというのに可笑しな話だ。無いモノに見切りを付け有るモノに感謝できたらどれ程穏やかに暮らせるだろう。子供の頃に森鷗外の高瀬舟を読みそう考える様に成った。お陰で体毛に感謝しネタとして使う事が出来る。
2021/06/07 魚釣りの帰りに土手で偶然知人に会った。彼は昔の川を懐かしんで不満を口にした。だが失くしたモノや変えられないモノにすがり付いても始まらない。今有るモノや変えられるモノに注目する事が大事なのだ。すると目の前の景色も全く違って見えてくる筈だ。今ならモンスター鯰との格闘だって出来るのだ。
2021/06/06 近所の川で魚釣りをしてきた。購入したての頑丈な竿とリールを早速試してみた。すると75センチの大物が釣れた。道具に合わせて釣り方を変えた結果だ。以前の道具でも十分に釣れていたが満足できなかった。お陰で居ると思わなかった大物に遭遇できた。やり方を変えると世界が変わって見えてくるのだ。
2021/06/05 工芸品と工業製品は明らかに違う。工芸品は際限なく進化させていくもの。工業製品は均質に作り続けるもの。厳密な定義ではないが私はそう定義している。左様に定義付けする事で見慣れたモノが違って見え始める。些細な違いを大きな違いとして認識できる様になる。故に定義付けは感性を磨く訓練になる。
2021/06/04 褒める先生を見て友人と議論した事が有る。この行為は多様性を認めて共生を目指しているのか。多様性を否定して矯正しようとしているのか。同様に世の中には同じに見えて全く違う意味合いのモノが多い。故に違いを見極める感性を磨けと師匠に諭されていた。本人さえ違いに気付いていない事が多いのだ。
2021/06/03 腱鞘炎が辛い。完治は無理だろう。道具を改良しつつ身体の使い方を工夫するしかあるまい。師匠もかつて同様に言っていたと聞いた。そんな師匠が使用した小槌を形見として貰っている。見ただけで丁寧な仕事ぶりと道具に対する愛着が偲ばれる。道具の扱い方一つ取っても優れた人格をうかがう事が出来る。
2021/06/02 上手く成れば売れると思った。売れれば尊敬されるとも思った。だが人柄が悪ければ協力者は現れず上手く成れないと知った。売れる事と尊敬される事に関連が無い事を理解した。師匠から諭され目が覚めたのだ。上手く成り売れ続けるには他人の協力が不可欠だ。恵まれた資質を持つ人ほど其れに気付けない。
2021/06/01 優れた資質を備えた人は多い。並み外れた活躍で耳目を集める事も有るだろう。だが活躍し続ける人は少ない。精神の成長を伴わない人が多いからだ。己惚れた根性では周りが見えなくなる。歪んだ幼稚さが他人を遠ざけてしまう。師匠は厳しく諭してくれた。腕を磨くだけでは足りない。品格を磨き続けろと。
2021/05/31 魚釣りでは多くの道具を携えて状況により使い分ける。だが徒歩で釣行する私は道具を最小限にとどめたい。所がこの不自由が実に興味深かった。道具の選択と性能の枠を超えた使いこなしに知恵を絞る事が楽しすぎるのだ。加えてお金も掛からない。自由な選択による発見は多いが制約による発見も侮れない。
2021/05/30 情熱に駆られて生きれば自らを最大限且最善に活かせると信じている。内から湧き出る活力と感性が最適な人生を勝手に探り出すと考えるからだ。所が外からの圧力でその活力と感性を台無しにしている場面を多く目にする。動機が内からなのか外からなのかで乗り越えられる壁の高さは大きく異なる筈なのに。
2021/05/29 より良い玄能を作る為に師匠は其れ迄の玄能を作る事を止めた。良い玄能は手間が掛かる故に単価は上がり取引先に迷惑をかけた。業界のルールを破った訳だ。取引先に仕事を干され苦労をしたが理解される努力を続けた。お陰で少しずつ仕事は戻り不動の地位を獲得した。好奇心と情熱に勝るものはないのだ。
2021/05/28 地元では無双の師匠が東京の金物店で大見得を切った。所が其処の主人に玄能が出来ていないと指摘された。技術力は高いが玄能の基本を外していると言うのだ。そこで師匠は勉強し直しその後の快進撃に繋がる訳だ。所でこの豹変はなかなか真似できない。情熱に対する従順が素直な変質と飛躍を生んだのだ。
2021/05/27 世の中のルールに多くの人は素直に従ってしまう。だがルールは怖い。従う程に思考停止してしまう。だからルールの不具合に気付いたなら幸運だ。自分を鍛える好機なのだ。どうせ他人に相談しても取り合ってくれない。一人で改善して知らん顔していればいい。皆が気付く頃には相当に鍛えられている筈だ。
2021/05/26 玄能鍛冶に成りたての頃に業界のルールを問屋に諭された。多くの鍛冶屋が信じる事を絶対に否定してはいけないと。たとえそれが間違いであっても言ってはいけないのだと。師匠にも同様に諭された。だが私は其処にチャンスが有ると直感した。声に出して否定する必要はない。こっそり改善すればいいのだ。
2021/05/25 スポーツのルールにさえ不自由を感じる為にスポーツが出来ない。故に自ら遊びを考え独自のルールで楽しんでいる。お陰でとても自由で愉快なのだ。所が多くの人は既存のルールに疑問を持たない。自分に合った最適なルールを作ろうとしない。そもそもルールは守るよりも作る方が遥かに面白いというのに。
2021/05/24 行列に並ばない。渋滞に巻き込まれない。私の周りは何時も人口密度が小さい。そもそも人は多様性を持っている筈だ。自ら考えて行動していれば分散する筈ではないのか?なんて子供の頃から不思議に思っている。中心市街地を流れる川でさえ魚釣りをしていても周りには誰も居ない。自然を独り占め出来る。
2021/05/23 多くの人は周りに合わせて自分を変えようとする。故に苦手の克服や我慢を強いられ心は弱り不安に成る。一方、私は自分に合わせて周りの環境を整える。資質を活かして周りとの調和を図ろうとする。故に好きや得意が活かされ心は満たされ不安に成る事が少ない。私に迷いが少ないのはそのせいなのだろう。
2021/05/22 25年前に中国の工場を視察した。機械化が進み従業員はとても若い。同じ事をしたら確実に負けるだろう。故に私に出来て彼等がやらない事を考え続けた。辿り着いた答えは手間が掛かる上に儲かりそうにない仕事だ。其れを儲かる様に出来たなら負けずに済みそうだ。そこで様々試して鍛冶屋に辿り着いた。
2021/05/21 帰宅部だった。管理されるのが嫌だから。所で帰宅部は大変なのだ。カリキュラムも指導者も励ましてくれる人も居ない。やるべきことは自ら生み出し孤独に遂行しなくてはいけないのだ。お陰で独自の素敵な遊びを沢山生み出すことが出来た。自ら率先して行動できるようにもなった。帰宅部は人間を鍛える。
2021/05/20 魚釣りでは魚の居そうな所に餌を流して状況を探る。経験を積めば見えない水中の様子も手に取る様に分かるのだ。所で鍛冶屋の若手が刃物の良し悪しの基準を聞いてきた。お客様が進んで購入する刃物が良い刃物なのだと諭した。それでは分からないと彼は怒った。餌や流す場所が違えば釣れる魚も違うのに。
2021/05/19 鍛冶を始めた時に驚いた。多くの職人が勘を頼りに仕事をする事を否定するのだ。機械器具に頼り記号や数値で商品の良し悪しを判断しろとも言う。しかし其れは工業製品の考え方だ。私は工芸品を作りたいのだ。故に機械器具にできるだけ頼らずに勘を頼りに仕事をしている。お陰で自然に差別化できている。
2021/05/18 職人は本を読まないものだと諭した鍛冶屋が居る。良いモノを作ると他の職人に迷惑を掛けるとも諭された。だが馬鹿の一つ覚えを避けるには本を読み知識の分母を増やすしかない。また良いモノを作らないのは使用者を裏切る行為に違いない。左様に馬鹿げた常識を押し付ける人は多いが距離を置くしかない。
2021/05/17 既存のルールの中で自らを最適化できる人が居る。一方でルール自体の最適化を目指す人が居る。前者は数多ある既製品で満足できる多数派だ。後者は枠に囚われない唯一無二を目指す極少数派だ。故に後者は孤独を味わう事に成る。だが類が友を呼び孤独は次第に解消される。そして其の友は生涯の友となる。
2021/05/16 片道徒歩1時間以内で楽しめる釣り場を開拓している。出来る限り気ままに趣味を楽しみたいからだ。残念ながら近所の川はドブの様に汚れてしまった。だが子供の頃とは異なる魚が知恵を絞れば沢山釣れる。左様に自らルールを創り出せば楽しさは無限大だ。自分らしくのびのび自由に生きるには其れが一番。
2021/05/15 世の中の常識には息が詰まる。故にカスタマイズして楽しんでいる。魚釣りも教科書通りにやりはしない。子供の頃からカスタマイズして自分らしく楽しむ様にしてきた。所でカスタマイズには具体と抽象の往復が必要に成る。それを子供の頃に経験できた訳だ。常識嫌いがカスタマイズ能力を伸ばしてくれた。
2021/05/14 頭だけで考えているから観念的に成る。行動すれば自ずと答えは導かれる。即ち身体感覚は率直で残酷なのだ。空を飛べるつもりで高所から飛び降りれば死ぬ。背丈程度の高さからなら飛び降りられる。そんな事すら頭だけで考えていては答えが出ない。赤ちゃんだって熱いモノに触れば二度と触ろうとしない。
2021/05/13 文句を言う人は自らの問題を他人の問題にすり替える。自らの無能を棚に上げて他人を非難する。お願いすれば聞いて貰える筈なのに其れが出来ない。それ自体も無能な証なのに認められない。左様に他人の足を引っ張る人は無能を認められない人なのだ。逆に本当に有能な人ならばそんな人とも仲良くできる。
2021/05/12 ある職人が上手い職人に作業を見せてもらった。分かったつもりでやってみたが出来なかった。すると上手い職人に嘘を教えられたと言いふらしたという。所で「知識」が「出来る」に進化するには思考を巡らす必要がある。職人仕事では身体の使い方の工夫も大切に成る。彼には其の楽しさが分かっていない。
2021/05/11 鍛冶仕事をしていると世界の見え方が変わる瞬間が来る。其れまでとは頭の使い方も変わってしまうのだ。視界は広がり見えないモノも透けて見えてくる。複雑なモノも単純に感じ始める。きっと人類もこの様に進化してきたのだ。道具を使うことで進化が早まり道具を作る様に成ると飛躍的に進化が加速した。
2021/05/10 PDCAなんて子供の頃は普通にやっていた。面白い遊びを考えては仲間と遊びながらより面白く進化させた。所が大人はルールで子供を縛る事が大好きだ。勉強もスポーツも形通りにやらなければ矯正する。お陰で子供はルールを守る事に汲々としてPDCAを忘れてしまう。手間暇かけて子供を無能にしているのだ。
2021/05/09 若い頃は様々な事に挑戦したが今では誘いも断る事が多い。其れは可能性を閉じているのではない。使命を自覚し其の可能性に掛けているからだ。何にでも成れると信じて可能性を探り続けるのも良いだろう。だが一事を深く掘り下げる機会を逃しているとも言える。見切りを付けることはネガティブではない。
2021/05/08 スキー検定の一級を受ける際に初心者用のスキーを履いて受験して落ちた。そこで二回目は上級者用に履き替えて受験し合格した。正しい道具で正しい動作が促され正しい結果に辿り着いた訳だ。所でこれは知識と思考そして答えの関係に似ている。正しい知識で正しい思考が促され正しい答えに辿り着く訳だ。
2021/05/07 答えを欲しがる人は答えを手にして満足する。分かったつもりに成るからだ。一方で自ら答えを探る人は手にした答えに満足しない。より優れた答えを探る為には既存の答えを手放す事も厭わない。左様に前者は知識と思考の違いが分かっていない。後者は知識が思考の出発点に過ぎないことを知っているのだ。
2021/05/06 若い頃、訓練の為に鍛冶後継者育成事業に参加していた。担当講師は一度やって見せるだけで後は放って置いてくれた。他の講師はそれを不親切だと抗議した。傍にいて丁寧に教えろと言うのだ。其れでも担当講師は放って置いてくれた。私の様に自ら考えて取り組む生徒は放って置かれた方が確実に上達する。
2021/05/05 「悪い行いは注意しましょう」と先生に言われて真に受けている生徒は自立できない。相手を矯正できると思っているうちは成長も自立も望めない。相手を活かして変化させられる人が成長し自立できるのだ。大人の中にも何度も同じ注意を繰り返す人が居る。同じ事を繰り返しても違う結果は得られないのに。
2021/05/04 子供の頃は思う存分に遊び惚けていた。野山を駆け巡り虫や魚を捕えては自慢し合った。変なモノを集めてきては変なモノを作り悦に入った。お陰で身体感覚が育まれてコツを掴む事が容易になった。得手不得手も明確に成り進む道が見え始めた。身体感覚を通して観ていたから見え難いモノも見えたのだろう。
2021/05/03 未熟なうちに自然の中で遊び惚ける事は大切だ。余計な知識がない故に何にでも挑戦してみたくなる。すると身体感覚を通して多くの情報を得られる訳だ。得手不得手が身に染み自らの資質にも気付くだろう。そんな子供がやりたい事が分からない訳がない。身体感覚を活かす事は人格の形成に欠かせないのだ。
2021/05/02 小さなゴミを踏んでいるだけで体の重心はぶれてしまう。柱や床が傾げていれば乗物酔いの様に気持ちが悪くなる。モノが正しく配置されていなければ調子は狂ってしまう。身体感覚を鍛えていれば僅かな歪みは大きく感じられる。故に整理整頓が欠かせないのだ。工場を見れば家人の力量は概ね知れてしまう。
2021/05/01 鍛冶仕事をすれば身体の使い方の下手糞さが身に染みる。それは身体の疲労や故障そして玄能の出来に端的に表れる。だから毎日身体の使い方を少しずつ変えてみる。すると単にその場に立つ事でさえ難しい事に気付く。即ち何でも簡単ではない事に気付く事が出来るのだ。身体感覚は思考の潤滑剤に成る訳だ。
2021/04/30 周りを変える必要が無い事に気付いた。自分すら変える必要はなかった。自らに出来る事を精一杯やり続けるだけでよかったのだ。すると出来る事が増えて周りに対する不満は消えていく。即ち周りに対する依存心が消えていくのだ。周りに問題がある訳ではなかった。自らの依存心が不自由にさせていたのだ。
2021/04/29 穏やかに暮らしたい。子供の頃からそんな事ばかり考えていた。だが起きている事は変えられない。他人を変える事も出来ない。自分を変える事だって簡単ではない。そこで何も変えようとせずに自らの出来る事に集中することにした。すると全てが何時しか変わっていたのだ。自立とはこういう事なのだろう。
2021/04/28 競争を繰り返して頭一つ抜け出たところでドングリの背比べ。所詮は十把一絡げから抜け出せない。同じ土俵で戦っている限りは勝ち残っても何時かは負ける時も来る。負けない為には土俵を降りこと。即ち他人との競争を止めるしかないのだ。負け犬の遠吠えの様に聞こえるが極めて知恵と勇気を必要とする。
2021/04/27 SF小説「星を継ぐもの」には四つの人類が登場する。一つ目と二つ目は互いに競争を繰り返して驚異的進化を遂げるが精神的未熟さ故に自滅してしまう。三つ目は争いを嫌い遥かな時を経て進化し精神的及び文化的に成熟し神の様な存在となる。四つ目はその中間の我々人類だがはたしてどちらに向かうだろう?
2021/04/26 見る目が無いと技は盗めない。技の本質を見抜けて初めて盗める様になるのだ。所が未熟者は真似る事と盗む事の違いが分からない。真似る事はなぞる行為であり目に見える行動に過ぎない。盗む事は見抜く行為であり目に見えない思考が中心に成る。指導者は盗む事の本質を先ずは辛抱強く伝える必要がある。
2021/04/25 理解力の未熟な人に難しい事を伝えるには二通りある。一方は一般化して分かり易く伝える方法。即ち取り敢えず分かったつもりにさせる方法と言える。もう一方は理解力の向上に合わせて少しずつ伝える方法。即ち本当に分かってもらう方法であり難しい事を難しいままに伝える事で達成されると思っている。
2021/04/24 曖昧さの解消の為に分かり易く数値化することが有る。すると便宜的な数値が曖昧さの全体を象徴する事に成る。これがいけない。些細な一部を全体として捉えてしまうからだ。すると数値に目を奪われて豊穣な周辺は霞んでしまう。競争による順位付けは一部に光を当て全体を見ようとしない怠慢に違いない。
2021/04/23 分かるとは知識の有無ではない。関係性を紐解き空白を埋める行為なのだ。例えれば知識は目に見える天体や惑星だ。宇宙はそれ以外にも見えない何かで溢れている。それを見えるモノで推測する事が考えるという事。見えなかった何かが見えてくる事が分かるという事。分かるとは極めて能動的な営みなのだ。
2021/04/22 東大を目指した甥が諦めて一橋大学に入学した。東大に行く奴は特別だと甥は吐き捨てた。本当に分かった上で勉強が出来る人とテクニックで勉強が出来る人の違いなのだろう。鍛冶業界でも分かって出来ている人とテクニックで出来ている人の作るものは全く違う。見た目は似ていても内容は全く異なるのだ。
2021/04/21 営業活動をすることはない。イベントに出る事も少ない。理由は出来る限り鍛冶場に居たいから。そして死ぬまでに出来る限り上達したい。弟子達には出来る限りの作業を見せてやりたい。故に出来る限り鍛冶場に引き籠り作業に集中していたい。そして其れを実行している。随分と勝手な生き様だが其れが私。
2021/04/20 私は褒めも叱りもそして注意する事も少ない。他人は変えられないと思っているからだ。だから現状を丁寧に説明した上で振舞いは相手に委ねている。そして自らの出来る事に集中している。所で私に体毛の未処理を注意した人は気付いていない。その行為が自粛警察や煽り運転をする人と何ら変わらない事を。
2021/04/19 若い頃に腰痛のリハビリでスポーツジムに通っていた。其処で体毛の未処理をルール違反だと注意された。私は気にしなかったが多くの人は不快なのだろう。所でこの注意するという行為が不思議でならない。認識なき過失ならば注意で改善も有りうるだろう。だが殆どの場合は軋轢しか生まない気がするのだ。
2021/04/18 多くの人は行き詰ると周りに答えを求めようとする。そして見通しのきく所に光明を見つけ安心する。だが本当の答えは見えない山の向こう側に有る。故に山を越えなくてはいけないのだ。そして其処で見つけられる答えは他人には見えない。其処に至る経緯を他人は経ていないからだ。分かるとはこういう事。
2021/04/17 授業で「分からない」と先生に言うと周りの生徒が驚いた。答えを提示されているのに分からないとは何事かと。だから私は彼らに問うた。問題と答えの関係性を本当に理解できているのかと。所で現代は答えを教えるビジネスで溢れている。それは「分かる」という事を分かっていない人で溢れているからだ。
2021/04/16 教えたから分かる訳ではない。解釈出来て分かるのだ。だから「何度教えたら分かるのだ」なんて怒る人は間抜けなのだ。一方で教えられれば分かると思っている人も居る。知識と思考を取り違えている人だ。分かる為には知識を活用して思考しなくてはいけない。其れが分からないと教えられても分からない。
2021/04/15 職人は一人前に成るのに10年掛かると言われる。其れを短期間で成す為に懇切丁寧に教えたがる人が居る。単なる労働力で済ませるなら其れも良いだろう。だが自立させるなら放っておくくらいで丁度良いのだ。その上で親方は毎日軽快な仕事ぶりを見せてやれば良い。やり方は自ら編み出してもらえば良い。
2021/04/14 何をすればどの様になるかは経験則で概ね分かる。だがその法則を説明するのは難しい。何故ならば法則は知識ではなく思考だから。知識は答えなのでやり取りができる。所が思考は答えが無く人其々に異なるのだ。だから人生の法則は他人から得られるものではない。自ら編み出し続けなければいけないのだ。
2021/04/13 人の話を聞く時にメモを取ってはいけないと師匠は言った。その場で全て覚えろと言うのだ。当時は一期一会の大切さを諭したものと思った。所がそれだけではないらしい。師匠に聞かされ覚えた話の本当の意味が漸く解り始めてきたからだ。そっくり其のまま覚えておけば後々多くの気付きを得られるようだ。
2021/04/12 ふとした事に違和感を持てたなら幸運だ。立ち止まりしっかりと受け止めてみよう。理解しなくていい。ただそのまま感じてみればいい。すると周りに存在する未知なる多くのモノに気付き始めるだろう。所が多くの人は違和感に既存の知識で解釈を加えてしまう。するとその瞬間に何も見えなくなってしまう。
2021/04/11 温度計などの便利な器具を使わない決心をするのは容易ではなかった。使えば容易に答えが出ることが分かっていたからだ。だが使えば感性が鈍くなる事も分かっていた。だから歯を食いしばり感性を磨き続けた。お陰で今では便利な器具は必要ない。この経験は玄能作りに限らずあらゆる事に活かされている。
2021/04/10 エビデンスを振りかざす知的な人達は感覚的なモノを既存の知識に置き換えて理解したり説明したりする。故に未知なモノを受け止めない。それは立体を面の様に面を点の様に受け止めるが如く既知と既知の間に有る膨大な未知を切り捨てている。師匠はその未知を感じ取る感性の大切さを最初に説いてくれた。
2021/04/09 子供の頃から感性を否定され続けた。何よりも周りと言葉が通じないのだ。幾ら説明しても分かってもらえない。世界の見え方が私と周りとでは違うようなのだ。だが私は自らの感性を大切に生きてきた。お陰で長谷川幸三郎さんと出会い教えを受けることが出来た。師匠も私と同じ感覚で生きてきたと言った。
2021/04/08 プラモデルは部品単位で組み立てて最後に全体を組み上げる。実は玄能も同じだ。玄能の頭は一塊で出来ているが部分ごとに必要とされる役割がある。だから先ずは的確に部分ごとに要素分解する必要がある。そして各部に必要な調整を施し最後に全体を調和させるのだ。見えない所まで作り込まれている訳だ。
2021/04/07 低難度の仕事から始めた職人も上達と共に高難度の仕事に挑戦したくなる。そこで低難度の仕事を後進に譲り渡せば次に進むことが出来る訳だ。所が鍛冶業界では譲る相手が既に居なくなった。更に上を目指すには後進を育てるしかないのだ。後進の有無が先進の到達点にも深く影響する事に気付きたいものだ。
2021/04/06 日増しに体力は衰えてきた。以前にも増して身体の使い方を工夫しないと動けない。若い頃から其れを見越して工夫出来ていたならと反省する。衰えないと気付けないのが愚かしく悲しい。もしも若い頃に今の状況を予習できていたなら達人に成れただろう。老人を観察する事で2手先3手先を読めた筈なのに。
2021/04/05 子供達には受験までの時間が限られている。だから効率を求めて丁寧に教え矢鱈と褒めてやる気を引き出す。そうやって飼い慣らされた子供達は自ら決めて行動できない。自粛と言われて引きこもり解除されて羽目を外すのはそんな子供達の成れの果てだろう。目先の事に囚われずに2手先3手先を見越したい。
2021/04/04 自粛と言われて引きこもり解除されれば羽目を外す。指示されなければ動けない自ら決められない人達だ。一方で自粛警察の様に他人の行動に苛立ちを隠せない人が居る。彼等も自ら決めている様でいて反応しているだけなのだ。何故彼らは自ら決める事を放棄したのか?それにすら気付いていないのだろうか?
2021/04/03 時間の節約の為に丁寧に教えれば早く習得できる。一方で教えず寄り添うだけなら習得に時間は掛かる。だが教えれば編み出す能力が育まれず自立に時間が掛かる。教えなければ自ら編み出し始めて早く自立できる。そして親方も早く自由な時間を手にできる。互いに其れが理解できている師弟関係なら幸運だ。
2021/04/02 師匠は褒めない人だった。作為的に私を導く様な事もしなかった。ただ私の話を聞いてくれていた。だから自ら判断して進めるしかなかった。其れは大きな不安ではあったが師匠は寄り添ってくれていた。だから安心して不安と上手く付き合うことが出来た。寄り添ってもらえたから私は勇気を振り絞れたのだ。
2021/04/01 誉めそやされれば褒める相手に依存し始める。相手の顔色を窺い本意でない事に忙殺され自らを見失う。だが厄介なのは誉める側も依存してしまう事だ。相手の言動に囚われ褒める事に忙殺され教育の目的である自立は後回しにされる。犬がよだれを垂らしたら慌ててベルを鳴らして餌を与えに行く様なものだ。
2021/03/31 誉めそやして育てた孫が先生に褒められずに落胆していると朝刊に投書があった。褒めない先生を批判しているが問題を作り出しているのは投稿者本人だ。誉めそやされた孫は他人の言動に依存する習慣を身に付けた。投稿者も孫や先生の言動に依存しきっているのだ。無自覚な善人が孫から自由を奪ったのだ。
2021/03/30 長谷川幸三郎氏に教えを乞う為に訪問した時の事だ。開口一番「何か持ってきただろう」と言う。其処で精一杯作った玄能を差し出した。その後質問攻めにあった。全ての問いに簡潔に答えた。後日弟子にしてくれると言ってくれた。何も持っていかなければ追い返された筈だ。覚悟を認めてくれたのだと思う。
2021/03/29 玄能作りを学びたいと言う鍛冶屋が訪れた。見るだけなら良いと言って勘所を見てもらった。所が其の後に連絡は来なかった。街で会った際に経過を聞いたら上手く出来ずに諦めたと言った。何もやってみもしないで訪れた事から察しはついていた。私が教えを乞うならば精一杯やってみた上で訪れたいと思う。
2021/03/28 師匠は強制しなかった。私は自ら決める自由を得ていた。だから言い訳は出来なかった。所で師匠は自らの経験を話してくれた。多くの人は教えても最後までやらない。そして出来なければ俺のせいにするのだと。そもそも教えられないとやらない人は自ら決めたがらない。未熟さを相手のせいにしたいからだ。
2021/03/27 新出英単語の意味調べの宿題を出す先生が居た。無意識に生徒の支配を企んでいるのだ。真面目な生徒は其の宿題をやる事で支配されていく。賢い生徒はやらずに済む方法を考え支配を免れる。選択の余地は充分にあるのだ。私は先生の悪口を言っているのではない。先生からは多くを学べると言っているのだ。
2021/03/26 師匠は私を見下していなかった。褒めも叱りも教えもせずに対等に接してくれた。私は自ら決めて自由にやることが出来た。故に起きた事に対する責任は私が取るしかなかった。この状態はある人にとっては耐え難いだろう。だが私にとっては自由で軽やかな状態なのだ。学校もこうだったら楽しかっただろう。
2021/03/25 大工道具店の店主は納めた玄能を評価してくれない。自ら判断しろと言うのだ。師匠も同様に評価してくれなかった。そして私も弟子達の玄能を評価しない。私に依存せずに自立してもらいたいからだ。教える事も褒める事も叱る事も相手を此方に依存させてしまう。店主や師匠は其れを承知していたのだろう。
2021/03/24 師匠の仕事を直に見た事はない。作業映像を見た事があるだけだ。具体的な作業のやり方も教えられていない。だが師匠は単なる技術ではなく鍛冶の世界を見せてくれた。雑談だけでとても多くの事を学ばせてもらった。多くの人は其れで玄能作りが上達すると思わないだろう。だが学び方も人それぞれなのだ。
2021/03/23 師匠はやって見せなかった。言って聞かせも褒めもしなかった。たださせてみるだけだった。そして出来たものを前に「おまんはどう思う」と質問した。私は答えているうちに自ら答えを導き出した。すると「おまんが思った通りにやってみなさい」と更にさせてくれた。人生で最高に自由な学びの場と感じた。
2021/03/22 洞察力の足りない人は見えるモノに執着する。全体を捉えきれずに表面上に現れる一部分に囚われてしまう。即ち行間が読めていない。そんな人に抽象的な表現は通用しない。個別具体的でないと分かってくれないのだ。所が師匠は抽象的な表現を多用していた。全体をくまなく伝えるには其れが最適だからだ。
2021/03/21 見たモノしか信じないと言う人は見ても理解できない。理解に必要なのは視力ではなく洞察力だから。即ち見えるモノよりも見えないモノを感じる力が大切なのだ。卓越者を認められない人は其れが足りない。即ち見ているつもりでも見えていないのだ。見たモノしか信じないと言う時点で洞察力は欠けている。
2021/03/20 見えなかったモノを師匠は見せてくれた。見えないモノを見る術を授けてくれたのだ。だが多くの人は見えないと言って師匠の言葉を否定した。彼らは直ぐに結果の出る事にしか興味が無いのだろう。直ぐに結果は出ないが結果が出た時には頭一つ抜け出している2手先3手先を師匠は見せようとしていたのだ。
2021/03/19 鍛冶仕事に行き詰り書籍やネットで糸口を探したが見つからなかった。周りの鍛冶屋に聞いても答えは出なかった。途方に暮れていた時に長谷川幸三郎氏が引退したと聞いた。直ぐに連絡を取り訪問した。すると問題は直ぐに解決できた。本当に貴重な知識は其の道の卓越者に学ばなければ得られないと知った。
2021/03/18 師匠の知識量には驚かされた。何でも即答してくれた。だが師匠は其の知識を口外しなかった。端から否定されるからだ。確かに師匠は地元で変人扱いされていた。とても勿体ないと思った。知らない事、出来ない事、理解できない事を多くの人は否定してしまう。お陰で私だけが貴重な話を聞くことが出来た。
2021/03/17 知らない事、出来ない事、理解できない事を否定する人は多い。未知な事を知る絶好の機会なのに其れを無駄にしている。挙句に秀でた人の非難まで始めてしまう。秀でた人は口をつぐみ優れた話は世に出る機会を失う。だが私は優れた話をもっと聞きたいのだ。秀でた人が活躍する姿をもっと見てみたいのだ。
2021/03/16 人を変える事は出来ない。変えられるのは自分だけ。だが変えられる事は他にも有る。其れは環境だ。人が自ら変わろうとする環境に変えていけば良い。先ずは整理整頓と面白く仕事が出来る方法作りから始める。気持ち良く出来て思わず上手くなってしまう環境を目指すのだ。何よりも其の作業自体が楽しい。
2021/03/15 弟子を取ると言うとクズしか来ないから止めろと言われた。良質な出会いを運次第だと思っているのだ。だが自ら制御できる事は沢山有る。出会いは類が友を呼ぶ事も知っている。師匠は私に言ってくれた。腕を磨くと共に品格を磨けと。故に労働環境を改善し品格を磨けば良い弟子が来てくれると信じていた。
2021/03/14 鍛冶屋の子供として生まれた。鍛冶場はとても汚く雑然としていた。母親が熱湯の鍋を倒して足に大火傷を負った事がある。暫くして完治したがすぐに同じ事故を起こした。私は鍛冶場の整理整頓を促したが聞く耳を持たなかった。両親は坊さんに厄除けの経を唱えてもらっていた。当然何も改善されなかった。
2021/03/13 子供の頃は鍛冶屋で溢れていた。鍛冶場の多くはとても汚れていた。職人の多くはだらしない姿をしていた。お陰で事故や怪我が絶えなかった。子供心に絶対にやりたくないと思った。そして殆どが廃業してしまったのだ。この事実からはとても多くの事を学べる。衰退の原因は需要の減少だけではないだろう。
2021/03/12 整理整頓を欠かさない。動線も確保している。全ての炉に排気装置を備えている。回転工具による粉塵は集塵機で回収する。工場内の空気は換気扇で清浄さを保つ。材料や仕掛品が散乱している事はない。床は掃き清められ何時でも清浄だ。休憩室には書籍も充実させている。良い環境から良いモノは生まれる。
2021/03/11 人生は成る様にしかならない。ならばその中の最高を目指したい。だから自らの資質に真剣に向き合い其れを十全に活かしたい。すると最高の成る様になれるのではないか。所が見栄を張り欲張るから本当の自分や適切な居場所を見失う。世間が言う最高を目指すよりも自分にとっての最高を目指したいものだ。
2021/03/10 大人は子供を偏った基準で評価し順位を付ける。進学先や就職先にも順位を付けて競争を煽る。すると子供達は他人の評価に依存して自分の人生を決め始める。故に他人の評価を気に病む人間に成長するのは当然なのだ。そして残念ながら学校教育のシステムは変わらない。気付いた大人が変わるしかないのだ。
2021/03/09 師匠は私の全てを受け止めてくれた。それは評価を加えず私を味方と見なしてくれていたのだ。だが過去を振り返れば多くの人が私を評価し非難していた。それはまるで私を敵と見なしているかの様だった。左様に不寛容な人は歪んだ価値観で他人を評価する。そして自らを脅かす存在と見なし怯えているのだ。
2021/03/08 自分の強みを知り其れを磨く事に精を出せ。其の道の達人に成る事も夢ではない。だが本当に強く成るには自分の弱みを深く知る必要がある。自らの弱さを受け入れ他人に寛容に成らなくてはいけないのだ。すると漸く人を活かせる様になり本当に強く成れる。私の尊敬する達人たちは皆とても強く優しいのだ。
2021/03/07 他人には簡単に出来る事が私にはできない事が多い。だが其れを負い目に感じる事は少ない。むしろ有りの侭を受け止めてその状態での快適を追求している。お陰でとても変な人に成ってしまったが困る事はない。だってそれが自分だから。自分に無いモノを欲しがらなかったお陰でシンプルに生きていられる。
2021/03/06 仲間からは難聴とからかわれ先生からは真面目に聞けと怒られた。聴覚情報処理障害はよく聞こえるのに聞き取れないのが厄介なのだ。だから静かな場所に一人でいる事が多かった。お陰で大好きなモノ作りに集中して取り組むことが出来た。左様に障害を活かして今の浩樹が出来上がっている様なものなのだ。
2021/03/05 湧き上がる感情や思わずしてしまう行動の意味を深く考える事は大切だ。そんな子供は感性が磨かれ自らの本質をつかみ始める。所が杓子定規に褒めたり叱ったりする善意の大人が口を挟む。すると子供は思考停止し自らが何者であるかを考えなくなる。左様に無邪気な大人が鈍い子供を大量生産しているのだ。
2021/03/04 子供の頃はテレビアニメの歌やセリフが聞き取れなかった。成人してからはミスチルやドリカムの歌詞が聞き取れない。私は聴覚情報処理障害なのだ。それは他人と違う感覚で生きているという事。お陰で無用な苦労も多いが他人に出来ない経験ができる。他人とずれているという事は意外にも幸運な事なのだ。
2021/03/03 目の前の人参を欲しがらなければ自由に成れる。人参とは虚栄心を満たす事だ。例えば褒められたい、目立ちたい、金持ちに成りたい、威張りたい。そんな思いが行動の選択肢を減らしてしまう。所が多くの人は虚栄心を満たすことで自由に成ろうとする。その考えが自らを縛り不自由にさせているというのに。
2021/03/02 自分で決めて行動したい子供だった。そんな私を大人は褒めたり叱ったりして操ろうとした。だがそんな浅薄な手に乗る訳がない。バレない様に綿密に計画を立て実行するのみだ。チクる奴がいるので友達にも言わなかった。お陰で何でも自由にすることが出来た。出来ない理由は考えるだけ時間の無駄なのだ。
2021/03/01 37歳の時に病気で歩けなくなった。身体の使い方を工夫して歩く訓練をした。その経験は多くの事を気付かせてくれた。例えば何時迄も元気ではいられない事。工夫すれば動ける様に成る事。左様に同世代が考えずに済む事を逸早く考える機会に恵まれた訳だ。お陰で麻痺を補いつつ仕事を楽しく続けている。
2021/02/28 人生は長い。だから短期的な事に囚われずにやりたい事をやって過ごしたい。やりたい事が分からないのは他人の目を気にしているから。褒められたい気持ちが心の目を曇らせているのだ。虚栄心に囚われると人はやりたい事を忘れ始める。短期的な栄光を得る為に疲れ果てても人生はその後も長く続いていく。
2021/02/27 小学生の頃は仲間と毎日遊び惚けていた。面白い遊びを考えては互いに自慢し合ったものだ。成績は最低だったが誰も気に留めなかった。所が中学に上がると仲間達の成績はみるみる良くなった。自分達でも驚くほどの成長だった。無我夢中で遊んだお陰で感性が研ぎ澄まされ洞察力が鍛えられたからだと思う。
2021/02/26 管理されて育った子供は社会に出てから途方に暮れる。決められた課題をこなすだけでは高く評価されないからだ。それでも褒められている貴方は新たな管理の中にいる。即ち他人のルールで生かされているのだ。自分らしく生きたいなら管理から抜け出す必要がある。即ち褒める人には近付かないという事だ。
2021/02/25 自分の考えを追随者になぞらせるだけの指導者がいる。其れは色指定した塗り絵を塗らせる様なものだ。其処でできる事は丁寧に完成させるだけ。だから早晩行き詰ってしまう。上達とは自分だけの絵を完成させる手続きなのだ。巧拙の基準は新しいものを生み出せるかどうかであり丁寧はその過程に過ぎない。
2021/02/24 変えられるのは自分だけと言うが性格を変える必要はない。性格は活かさなくてはいけないのだ。私ならば生来の根暗に磨きを掛けた方が感性は確実に活かされる。その上で他人は変えられないと肝に銘じ相手の事は相手に任せると決める。すると人生の舵取りを自ら行える様に成り自由を手に入れられるのだ。
2021/02/23 変えられるのは自分だけと学校の先生は言った。だが教える事も褒める事も叱る事も相手を変える行為に違いない。それでは相手が変わらない限り何も変えることが出来ない。即ち相手の行動に依存しているのだ。故に先生はイラついていた訳だ。自分が変われば世界が変わると気付かせてやるのが教育なのに。
2021/02/22 人生には獲得した常識を捨てる必要に迫られる時がくる。例えば弟子入りの際には師匠から科学的知識を一旦捨てる様に諭された。記号や数値の様な分かり易い知識が視野を狭め感性を鈍らせるからだ。同様に学校で身に着けた習慣の多くも捨てる必要がある。捨てなければ進化の袋小路に入ってしまうだろう。
2021/02/21 同じ事象に対して師匠は遥かに多くの情報を獲得できた。導かれる解釈も私の想像を超えていた。圧倒されて当初は会話すら成立しなかった。そこで師匠に近づく為に感性を高める必要があった。即ち獲得できる情報量を増やし解釈の幅を広げるのだ。指導者が超一流でも追随者が鈍ければ何も得られないのだ。
2021/02/20 私は鍛冶屋の家に生まれた。周りも鍛冶屋だらけだった。だが楽しそうに仕事をする鍛冶屋は稀だった。だから鍛冶屋を継ごうと思えずに他所に就職した。だが他所から見ていると鍛冶屋の仕事は楽しそうに見えた。そこで初めて自分に最高の条件が揃っている事に気付いたのだ。幸せの種は足元に有った訳だ。
2021/02/19 管理されたり監視されたりすると逃げ出したくなる。応援や表彰にすら管理の匂いを感じて居たたまれなくなる。私はただ見守られていると思えれば安心して力を発揮できる。だが本当に見守られている必要すらない。そう思い込めれば充分だ。見守られているという丁度良い距離感が自由をもたらしてくれる。
2021/02/18 寄り添い見守るつもりでいても多くの人は管理し監視してしまう。子供達は其れを敏感に感じ取り期待に副う様に行動し始める。だが其の動機は不安でしかない。故に自信を無くしやりたい事を見失う。安心させるには教えず褒めず叱らずに寄り添ってやればいい。管理する人は教えて褒めて叱ってしまうのだ。
2021/02/17 鍛冶仕事は楽しい。毎日が気付きと進化の連続なのだ。何よりも其の微妙な進化を嗅ぎ取る良質な使用者が居てくれる事は心強い。だが彼らは微妙な退化にも敏感だから気を抜く事が出来ない。所がその緊張感が堪らなく心地良いのだ。きっと監視されているのではなく見守られていると感じられるからだろう。
2021/02/16 弟子を募る為に毎日コラムを書き続けた。お陰で弟子が来てくれて楽しくなった。弟子が楽しく仕事ができる様に毎日話しかけている。お陰で話す事が苦でなくなり更に仕事は楽しくなった。左様に書く事も話す事も苦手な私が其れを苦も無く続けている。夢中で続けていれば苦手の克服を気にする必要はない。
2021/02/15 大人は褒めたり叱ったりして子供の虚栄心をくすぐる。すると子供は他人の目ばかり気にする様になる。そして自分で決めずに周りに忖度し始める。所が褒められる事も叱られる事も気にしない子供も居る。そんな子供は自信がなくてもすぐに決めて始めてしまう。虚栄心がないから他人の目を気にしないのだ。
2021/02/14 出る杭は打たれる。出過ぎた杭に成れば打たれない。だが其処に安息はない。自らを他人と比較している限りは何時か負けてしまう日が来る。その恐怖に耐えられるならば出過ぎた杭に成ればいい。私はとても耐えられない。だからドンドン深く潜っていく。誰にも気付かれずに思う存分に深く掘り下げていく。
2021/02/13 こんな故事を子供の頃に読んだ。政治家を目指す若者が遊説の為の乗馬の稽古に明け暮れた。お陰で政治の勉強を疎かにし政治家に成れなかった。左様に多くの人は問題の周りを回るだけで核心に取り掛からない。例えば幸せに成りたいなら幸せを感じる事を始めればいい。お金や称賛を求める必要はないのだ。
2021/02/12 互いの長所を活かし合う社会は素敵だ。だが現実は他人の短所ばかりをあげつらう。挙句に不必要と見なし排除にかかる。子供達はその様子をつぶさに見ている。だから他人の目を気にして苦手の克服に精を出す。長所を伸ばす事を怠り失敗しないだけの人生を選択する。そして大人を手本に他人を虐め始める。
2021/02/11 競争すれば互いに囚われ似通い始めて個性は薄くなっていく。故に競争は激しくなるばかりで勝ちは遠のいていく。他人を意識せずに自らを高める事に集中すれば個性は磨かれ続ける。故に勝つ事を必要としない競争のない世界に生きる事になる。勝ちを意識するほどに益々勝てなくなる理屈が其処にあるのだ。
2021/02/10 同じ事を繰り返しても上手くならない。上達するには動きの質を変化させ続ける必要があるのだ。出来たならば少しだけ変化を加えて先に進む。すると一度身に着けた技を直ぐに捨て去る習慣が身につく。其の感覚は技の上達に限らず思考を深める際にも応用できる。即ち身体感覚を磨けば思考も磨かれる訳だ。
2021/02/09 仕事の断捨離を進めている。先ずは弟子の育成の為にやってきた下請け仕事を止める。成長に合わせて次の段階に進ませる為だ。次に主導権を握られている仕事を止める。煩わされて他の仕事に支障を来すからだ。最後は他所でも出来る仕事を止めてしまう。すると競争とは無縁なのんきな鍛冶屋が出来上がる。
2021/02/08 師匠は丁寧に私に接してくれた。其れだけで師匠が真面目に生きてきたことが分かる。だから玄能も真面目に丁寧に作られている訳だ。左様に人間は分ける事の出来ない存在なのだ。所が不真面目な人は丁寧にやれば自分にも出来ると勘違いする。そんな人は丁寧とは何なのかを真面目に考えたことが無いのだ。
2021/02/07 やりたい事が分からない人が居る。不安で前に進めない人が居る。其れは虚栄心が行動を規制しているからだ。もし誰にも気づかれなければ何をやるだろうか?お金儲けの必要が無いならばどう始めるだろうか?そんな風に考えてみたらどうだろう。小さな一歩が踏み出せれば目の前の扉は確実に開いてくれる。
2021/02/06 職人の世界では何故技を盗ませるのか?上手くできた時に何故褒めないのか?失敗した時に何故叱らないのか?大切な事なのに答えられる人は少ない。所で展覧会に子供達の絵を見に行った時の事だ。展示された猫の絵は皆同じに見えた。教えて褒めて叱って描かせたに違いない。才能の芽は摘まれてしまった。
2021/02/05 師匠は私を大切にしてくれた。何時でも丁寧な言葉で対等に接してくれた。威張る様子は微塵もなく寄り添ってくれた。褒めも叱りもせずにただ話を聞いてくれた。学ぶに際しこれ程の幸せを感じたことはない。師匠は私の資質を最大限且最善に活かそうとしてくれていたのだ。学校は何故これが出来ないのか?
2021/02/04 人は変えられないと言う指導者でさえ無自覚に褒めたり脅したりして人を操ろうとする事がある。だが感性の鋭い人は軽く扱われている事を容易に見抜く。そもそも指導者と追随者に上下関係はない。互いに敬意を示す事から信頼関係は生まれ始める。雲の上の存在だった師匠は私に対して対等に接してくれた。
2021/02/03 得意を伸ばす行為は自らのルールで新たな世界を切り開いていく事だ。それは肉食獣が狩りの腕前を上げていく様なものだ。苦手の克服は誰かのルールに縛られて不自由させられている様なものだ。それは野生動物が飼い慣らされて家畜にされていく様なものだ。私は新たな世界を見たいので得意を伸ばしたい。
2021/02/02 誰しも苦手な事は沢山あるのになぜ特定の苦手の克服に拘るのか?其れは間違いなく誰かの差し金だろう。褒められたり叱られたりして操られているのだ。そもそも苦手は其れが得意な人に任せればいい。その上で自分の得意に集中して磨きを掛けるのだ。すると益々苦手な事はやらずに済むようになるだろう。
2021/02/01 褒めるのはよくない。上下関係を植え付けてしまうからだ。褒められた人は相手に依存し始める。自ら考えなくなり褒めないとやらなくなる。褒めることは相手をマウントする行為と違わないのだ。ならば「ありがとう」と感謝したならどうだろう?感謝された人は自信を持ち自発的に周りに貢献し始める筈だ。
2021/01/31 お礼は相手の価値を認める行為だ。だから相手は自信を持ってくれる。自信を持てば勇気を持てる。勇気を持てば挑戦できる。挑戦すれば更に良いサービスを提供できる。それは此方にとっても都合が良い事だ。故にお礼は相手の為だけではないと分かる。そもそもお礼をすると自らも笑顔に成れるではないか。
2021/01/30 地元から離れたことが無い。興味ある事が此処に溢れているからだ。主体的に取り組むから尽きる事なく興味は湧く。故に面白可笑しく苦労をせずに上達できる。それで社会に貢献できるから言う事はない。きっと大志を抱き外に飛び出すことも楽しいのだろう。だが足元を執拗に掘り下げてみるのも悪くない。
2021/01/29 物心ついた時には何かを作っていた。飽きれば近所の川で魚釣りをした。身体を思う存分に働かせて楽しんだ。生きている実感がして幸せだった。社会に出てからは様々な仕事や趣味に取り組んだ。だが気付けば幸せだった場所に戻っていた。今では身体を思う存分に働かせて玄能作りと魚釣りを楽しんでいる。
2021/01/28 周りの期待に応えようと思わなかった。自らのやりたい事に何時も向き合っていた。他人の目を気にせずに何でもできる自分が好きだった。周りからは変人扱いされていたが其れも気に成らなかった。そして今でもやりたい事が明確にある。周りの評価を気にしていたらやりたい事すら見失っていたことだろう。
2021/01/27 繊細過ぎて生き辛いことはない。繊細さを活かして楽しんでいるくらいだ。刺激が強すぎる時には休むか避ければいい。主体的に行動すれば感情は充分に制御できる。そもそも繊細さを弱点だとも思っていない。事象から受け取れる情報量が多いのは大きな武器に成る。私が玄能作りに向いている所以でもある。
2021/01/26 繊細過ぎて買い物さえも緊張する。特に支払いの時だ。そこで勇気を出してレジ係に「お世話に成ります」「有難う」と挨拶してみた。すると次第に緊張しなくなった。主体的に働き掛ける事で感情の舵取りが容易に成ったのだ。左様に少しずつ世間に馴染める様に訓練して生きてきた。これが結構楽しいのだ。
2021/01/25 鍛冶仕事は自らとの約束を守る事で成されていく。合格の基準を作り達しないモノは潔く廃棄する。その基準はモノを試すだけでなく自分を試している。故に些細な失敗も潔く認めざるを得ない。そしてそれは誰かに評価されて成される訳ではない。自らとの約束で成されるのだ。其れがプライドというものだ。
2021/01/24 自尊心を育みたいなら「叱られるから」とか「褒められたいから」を動機にしてはいけない。他人の顔色を伺う事なく本当にやりたい事をやるしかないのだ。其れは些細な事で良い。自分で決めてそれを守り続けるのだ。すると其れが自信に成り自らを好きに成る事が出来る。大層な事を始める必要は全くない。
2021/01/23 自尊心は自ら決めて行動する事で育まれる。所が大人は子供を褒めたり叱ったりして操ろうとする。それが子供の自ら決める機会を奪っているのだ。更に子供は褒めてもらう為に競争を始めてしまう。競争相手に心奪われ益々我を忘れ決められなくなる。自尊心は他人とも自分とも争わない状態で育まれるのに。
2021/01/22 プライドとは自尊心の事だ。自尊心は自らとの約束を守る事で高められる。他人に影響を受けるものではない。所がプライドを傷つけられて腹が立つと言う人が居る。其れは自尊心ではなく虚栄心。虚飾の化けの皮を剥がされたから腹が立つのだ。自尊心は自らを解き放ち虚栄心は自らを世間の目に縛り付ける。
2021/01/21 子供の頃からやり方を編み出す事が好きだった。出来るよりも出来る方法を考える事に興味があった。所が頼みもしないのに先生はやり方を押し付けてくる。放って置いてくれと頼んでも聞く耳を待たない。最後は癇癪を起し私はつまみ出された。私の様な分析好きな変人の居場所が学校に有ればいいと思った。
2021/01/20 やって見せれば弟子達は出来る様になる。きっと子供の頃からそうだったのだ。周りが放って置いてくれたからか?自ら孤独を欲したからか?定かではないが過剰な干渉を避けられたのだ。多くの子供が幼少期から過剰に干渉される。だから依存させられ自ら考え始めない。出来るまで放って待ってやれば良い。
2021/01/19 子供を二人育ててみた。同じ様に育てたが全く違う人生を歩んでいる。倅は指示された事を黙々とこなす事で安心している。娘は自ら道を切り開く事を楽しんでいる。同じ事を同じ様にやらせても幼少期から全く反応は違った。其れが個性で有り其処に優劣はないと気付いた。すると子育てはとても楽になった。
2021/01/18 37歳の時に一時的に下半身不随になった。少し動ける様に成ってからも其れ迄の動き方では思い通りに動けない。色々と試して少しずつ歩ける様に成った。其の後に細部を微調整して仕事に復帰した。今でも負荷の掛からない身体の使い方を探り続けている。人生の危機が身体の使い方を学ばせてくれた訳だ。
2021/01/17 子供の頃に某健康器具の宣伝により貧弱な坊やの筋トレブームが起きた。貧弱の権化の様な私も筋トレに励んだが貧弱なままだった。そこで身体の使い方を工夫せざるを得なくなり身体感覚が磨かれた。もしも余計な筋肉を付けていたなら今の様に動けていなかった筈だ。年齢を重ねる程に痛感させられている。
2021/01/16 鍛冶仕事を短距離走の様に行なう人が居る。息を止め我武者羅に槌を振る。身体は強張り細部に気を配る余裕がない。一方で静かな息遣いで穏やかにこなす人が居る。肩の力は抜けて細部に気を配る余裕が見える。前者は筋力に依存し後者は感覚を活かしている。加齢による筋力の衰えと共に違いは顕著になる。
2021/01/15 馬鹿にされても腹が立たない。微笑ましく思うくらいだ。貧乏と馬鹿にされて益々貧乏になる訳ではない。馬鹿と言われて益々馬鹿になる訳でもない。以前と何も変わらない。変わるとすれば自分の気持ちだけ。其れも変えなければ馬鹿にした相手が悔しがるだけ。すると益々馬鹿にされても腹が立たなくなる。
2021/01/14 子供の頃は自然の中で遊び惚けていた。お陰で五感が鍛えられ自らの資質に気付くことが出来た。得手不得手が明確に成り向かうべき方角が見えた。だから周りに流されずにやりたい事ができた。そもそも資質はご先祖から与えられた代え難い祝福である。ならば資質を存分に活かして自らを全うしたいものだ。
2021/01/13 鍛冶仕事を始めた頃は重労働だと感じた。今では軽やかに仕事が出来る。特に筋トレ等はしていない。身体の活かし方を工夫できたからだ。多くの人は身体を活かそうとせずに筋肉を鍛えて対処しようとする。だから身体感覚は鈍くなり資質を活かし切れないのだ。元気な田舎の老人は筋トレ等とは無縁の筈だ。
2021/01/12 豪雪地に暮らす弟子の老母は弟子と同程度に雪かきをこなす。体力の衰えを身体を活かして補う事が出来ているのだ。もしも我々が体力に勝る若い頃にそれが出来たなら凄いだろう。だが若い頃は体力に任せ身体を活かす事を疎かにしてしまう。果ては筋トレで更に体力を付け身体を活かす機会を逃してしまう。
2021/01/11 若い頃は鍛える程に上達できる。所が年齢を重ねる程に同じ事をしても上達できなくなる。だが安心してほしい。衰えという新たな身体感覚を獲得しているのだ。その感覚を基に新たな鍛え方を編み出せばいい。若い頃には想像できなかった新鮮な感覚を楽しめる筈だ。そしてそれは成熟に向かう門出でもある。
2021/01/10 職人は身体の微調整で精度を上げる。僅かな身体の不調が精度を乱す。不調の最たる原因は加齢による衰えだ。職人ならば身体の衰えが精神の衰えよりも遥かに早い事を知っている。所が近年では身体を使い慣れていない故に衰えに鈍感な人が増えた様だ。多くの老人が運転を止められずに重大な事故を起こす。
2021/01/09 半日雪かきをした。スコップやスノーダンプの使い方を工夫すると楽しく作業が出来る。まだ充分に体力も持ちそうだ。なんて思っていたら気持ち悪くなってきた。体中も痛くなり始めた。きっと年寄りが山菜取りや登山で遭難するのはこんな感じなのだろう。故に後進の育成は早過ぎるくらいで丁度いいのだ。
2021/01/08 近年は少しの降雪で大渋滞する。観察しているとキープレフトを守る人が少ないことが分かる。多くの人が道路の中央寄りを走る為に道路外側が圧雪されない。だから徐々に通行可能な道幅が狭くなるのだ。そしてすれ違いも困難に成ってしまう。なんていう事を分析しながら運転していると通勤も楽しくなる。
2021/01/07 あれくらい俺にも出来るという人は間抜けだ。真似出来るなら真似してみろと粋がる人も間抜けだ。出来たモノややり方を見てしまえばある程度は出来てしまうものなのだ。私は師匠の仕事を直に見たことが無い。仕事は四苦八苦しながら自ら編み出した。だが弟子達にやって見せれば直ぐに出来てしまうのだ。
2021/01/06 子供の頃から今のままの私だ。性格も志向も何も変わらない。何故か?知らない事は調べたり他人に聞いたりする。情報収集も人並みに行っているつもりだ。だが決める時には他人に一切相談しない。自らの本質に介入されるのを嫌うからだ。左様に決断を他人任せにしない事が自分らしさを守る秘訣だと思う。
2021/01/05 師匠は一寸だけヒントをくれた。それを基にやり方は自分で編み出せと言う。そして出来不出来も自分で判断しろと言うのだ。だが其れで充分に深く学ぶことが出来た。所で師匠亡き後に奥さんが私に言った。一寸のヒントでやってしまう私を師匠は面白がっていたと。相性が良いとはそういう事なのだと思う。
2021/01/04 良質な師弟関係は相性によって決まる。相性が良いとは感覚の属性が一致すること。例えば同じものを見ても人によって違って見える。しかし感覚の属性が近いなら師匠の見ているものを弟子は感じ取れる。即ち労せずして両者のベクトルは同調できるのだ。これはあらゆる人間関係に当て嵌まるのではないか。
2021/01/03 感性を磨く事が大切と言うとポカンとする人がいる。それこそが感性が鈍い証なのだ。そんな鈍い指導者に師事した追随者は災難だ。狭い枠に嵌め込まれ更には急がされて感性を麻痺させてしまう。感性の鋭い指導者ならば追随者の資質を先ずは見極めようとする。そして褒めず叱らず出来るまで見守り続ける。
2021/01/02 鍛冶屋を続けるのは暗闇を手探りで進む様なもの。誰も経験のない時代でありお手本が存在しない。未知の正解を導く為に決断し続ける必要がある。そして決断する際に大切なのが感性の鋭さ。鋭い感性は暗闇を照らす光に成る。だから後進に正解を教えてはいけない。自ら正解を導く習慣が感性を鋭くさせる。
2021/01/01 25年前に中国を視察した。躍動する姿に感銘を受けた。成熟に向かう日本が中高年なら中国は少年だ。同じ土俵で勝負したら確実に負ける。そして現在確実に負けている。更にコロナへの対応の違いで経済格差は開くばかり。だからこそ新たな道を探る良い機会にもなる。私は穏やかに成熟する道を探りたい。
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玄能日記 私のどうでもいい日記です。
お暇な方だけどうぞ。(笑)