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相豊ハンマー
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玄能日記
日々感じる事を思いのままに書き連ねてみます。
2016/12/31 今年一年お付き合い頂き、誠に有難う御座いました。私の様な我儘な変人にお付き合いしてくれる人は、とても心の広い優しい人達だと思います。皆様の様な人達が増えたら、虐めなど無い素敵な世の中になると思います。来年も間違いなく皆様にご迷惑をお掛けすると思いますが、よろしくお願いいたします。
2016/12/30 傍から見て大変そうな仕事でも、自分が納得できているなら、苦労を感じないはずです。そもそも、お金がいらないと思える程に楽しく仕事が出来たなら、それは苦労ではなく快楽に成ります。人生の充実の為にお金が必要と考える前に、仕事を充実させることこそ、人生を豊かにする最善策だと思っています。
2016/12/29 本は取り敢えず全部読み切り、分からなかった所を後で読み返す方が、理解しやすい場合が有ります。作業も同様に、上手く出来てから先に進むのではなく、取り敢えず先に進んで最後までやり切った方が、習得しやすい場合が有ります。きっと、先に進んで振り返った方が、視野は広がっているからでしょう。
2016/12/28 多数決を取ると何故か何時でも少数派で、周りからは変人と思われている人がいます。彼には世の中が普通の人と違って見えるので、受け取る情報も違い、当然考え方も変わったものに成ります。集団行動もせず、周囲に流されることも無いので、益々ヘンテコな感性は研ぎ澄まされ、面白い事を始めるのです。
2016/12/27 若いうちに然るべき技能を身に付けてしまえば、加齢による体力の衰えを技能が補ってくれます。同様に、気配りや思いやりも若いうちに身に付けてしまえば、年老いてからも優しい人でいられるでしょう。ですが、もしも身に付けていないとしたら、年齢と共に益々情け容赦ない人になってしまう気がします。
2016/12/26 どんなに難しい物を作るにしても、一連の作業の中には、誰にでも出来る簡単な作業が散りばめられています。ですから、既存の作業を分解し、その中から初心者にも出来そうな作業を抽出して、新人さんが何時入ってきても良いように準備していました。初心者向けの新しい仕事を準備した訳ではないのです。
2016/12/25 作ろうとする物を良く調べないで始めたり、自分がやっている事の意味を良く考えずに進めたりしてはいけません。良い物と駄目な物の区別もつかないままにいたら、迷子になってしまうだけです。もしも、見当違いに駄目な物を手本にしていたら、どんなに洗練させても、洗練された駄目な物しか出来ません。
2016/12/24 毎日絶好調で玄能造りが出来ている訳ではありません。時には身も心も疲れて、意気消沈している時もあります。ですが、そんな状態でも頑張ることなく仕事は出来ています。生前に師匠が「仕事にやる気は必要ありません」と言っていたことを思い出しますが、その本当の意味が、今になり漸くわかりました。
2016/12/23 「鍛冶仕事での失敗は、使用する道具や材料、又は燃料に起因するのでなく、殆どの場合、作業者本人に問題が有ります」と教えられました。納得できない私は、考えうる限りの良い環境を整え、材料や燃料も吟味して作業した所、上手くいきました。結局、自分に問題が有ったことを証明してしまった訳です。
2016/12/22 映画「スターウォーズ」の中で、主人公を悪役が怒りや恐怖の感情で支配しようとする場面が出てきます。それを見た当時学生だった私は、正に学校そのものじゃないかと思ったものです。受験のライバルに対する怒りや、追試や落第と言う恐怖で生徒を思いのまま操る手法は、正にシスの暗黒卿そのものです。
2016/12/21 性格が悪くてもある程度上達できますが、それ以上は無理なのです。上達するには多くの準備が必要であり、その全てを自分一人では賄いきれません。性格が悪く信用されないならば、協力を得られず、腕を上げる機会を逃してしまいます。ですから、本当に腕の良い職人の殆どは、善人であると思っています。
2016/12/20 師匠の下に通い始めた頃、帰り際に「これもってけ」と、曲尺を渡されたことが有ります。最初はその意味が解りませんでしたが、暫くして、出来た玄能の打面が傾いていたことに気付きました。曲尺で確認しろと言うことでしょうが、仕事の核心に触れることは、答えを教えずに、ヒントをくれるだけでした。
2016/12/19 他の鍛冶屋に負けたくないという感情を露わにし、師匠にたしなめられたことが有ります。他人に勝ちたいと思うのではなく、良いものを沢山見て、それに負けないものを作る努力をしなくてはいけないと諭されたのです。現存する鍛冶屋にではなく、歴代の名工の作品に対して、挑戦しろと言うことでしょう。
2016/12/18 上達の動機を競争だけに求めるのは拙速です。上達の動機を他人に勝つことによる快楽とするならば、あまりにも優しさに欠けた行為であると共に、いずれ自分の力が落ちた時には、惨めになるでしょう。周囲に喜びを与える事や感謝してもらう事も、上達の動機に成ることを、覚えておいても損はありません。
2016/12/17 どんなに優秀でも、性格が極端に悪ければ支持されません。どんなに性格が良くても、スキルが全く足りてない様では支持されません。他人に支持されるには、スキルと人間性の両方が必要ですが、一方が他方を補うことは可能でしょう。ですが、長期間支持されるには、やはり両方高める必要が有りそうです。
2016/12/16 可笑しな習慣を変えない人は、それを注意されても変えないのです。その可笑しさに気付かない場合も有りますが、多くの場合、以前にそれを褒められたことや、それで良い思いをしたことが有るからです。良かれと周りが褒めたために、変な習慣が身に付いてしまった人が、世の中には溢れている気がします。
2016/12/15 基本が大事と言われますが、何時までも最初に覚えた基本にしがみ付いていたら、上手くなれません。出来る様になったら、新たな段階に合った基本を身に付ける必要が有りますが、意外と気付かない人も多いようです。スキーであれば、プルークボーゲンに磨きをかけても、深雪を滑れるようにはなりません。
2016/12/14

進化しているつもりでも、お客様に喜んでもらえないと意味が有りません。また、お客様の見る目によっても評価は分かれるので、誰に評価してもらえば正しく進化できるのか、よく検討する必要が有ります。それを間違えてしまうと、どんなに努力しても、進化の系統樹の行き止まりに辿り着いてしまいます。

2016/12/13 人を雇うことは楽しいのです。先ずは雇うと心に誓います。そして、人を雇えるだけの仕事を確保し、初心者でも直ぐに出来る様に段取りを工夫します。ですが、求人しても個人の鍛冶屋になど応募する人はいません。そこで、応募してもらう為の方法を考える訳ですが、この作業が予想外に楽しかったのです。
2016/12/12 自信を付ける為に努力を続けていると、少しだけ自信が付いてきたと思えた瞬間に、新たな扉が目の前に開き、自分が未だヒヨッコだったことに気付きます。そんなことを随分と繰り返してきましたが、そんな経験も満更悪くないと思える様になってからは、自信などなくても、何も困らないと思えてきました。
2016/12/11 「その日に作ったものの形状は、全て揃うようにしなくてはいけません」と、師匠は言いました。手作りなのだから、形が揃わないのも味であると言う鍛冶屋が多い中で、その言葉は胸に突き刺さります。幾つ作っても同じものが出来ると言うことが、技術・技能を完全に制御出来ているという証明に成ります。
2016/12/10 玄能鍛冶は刃物鍛冶より低くみられており、それを目指す私は、不思議がられると共に、絶対に失敗すると笑われていました。ですが、皆が私の事を甘く見て油断しているすきに、じっくりと腰を据えて、目立たない様に精進を続けたお蔭で、誰にも邪魔されずに、のびのびと楽しく仕事が出来たという訳です。
2016/12/09 年を取り、一人で出来たことも徐々に出来なくなると気付いたなら、今から準備して置く必要が有ります。車の運転が出来なくなるなら、他の交通手段を考えておくか、移動せずに済ませる方法を考えておく必要が有るでしょう。何よりも、常日頃から周囲に優しく接し、好かれておくことが大切だと思います。
2016/12/08 私は師匠の仕事を生で見たことが無い上に、具体的なやり方も教えられたことが無いので、とても多くの時間が掛かりました。ですがそんな作業でも、新人さんにやって見せるだけで、下手なりに直ぐに出来てしまいます。正しい作業を生で見る大切さと、一度中断した技術の再開の難しさを強く感じています。
2016/12/07 昔ながらの鍛冶屋を馬鹿にしている成功した元鍛冶屋を見て、ある人が言いました。「彼は腕が悪かったので、腕のいい鍛冶屋を見返してやろうと、必死に努力しました。ですが、成功して金持ちに成っても、心の隙間は埋めることが出来なかったのです」と。それを聞いて、可愛そうで胸が苦しくなりました。
2016/12/06 他人のやらない事や出来ない事は、世に溢れるほど有るので、やればオンリーワンに成れますが、商売にするなら、需要の有るオンリーワンに成る必要が有ります。でも、誰かが需要が有ると気付いていれば、既にされている筈なので、需要がなさそうだけど、本当は需要が有るものを選ぶ必要が有りそうです。
2016/12/05 色付糸なら糸の動きが良く見え、魚のアタリを取りやすいのですが、慣れたら透明糸を使う方が良いでしょう。色付糸は魚からも良く見えてしまい、警戒されてしまうからです。何でもそうですが、簡単な方法で上手くいくと、それに固執してしまいますが、上達したいなら、潔く捨て去らなければなりません。
2016/12/04 主役がどんなに頑張っても、周りの協力無くして、主役は引き立ちません。ですから、業界の発展の為、スターを創り上げ注目を集める場合には、スターにその自覚が必要でしょう。私は主役を生かすも殺すも背景次第だと思っており、そもそも背景の各々が、重要な役割を担う主役であるとさえ思っています。
2016/12/03 玄能だけではパッとしません。浩樹が作ったと分かっても、大差ありません。問屋さんに買ってもらい、小売屋さんで売ってもらい、御使用者様が買い求め使用し、喜んでもらった結果、口コミが広がって初めて、浩樹玄能が少しだけパッとします。絵画と同様に、背景が有って始めて、商品は際立ってきます。
2016/12/02 一人で出来ないことは、他人に協力してもらう必要が有ります。そのためには、相手に対しても自分が役立つ存在である必要が有るので、充分なスキルは必須です。ですが、性格が悪くて嫌われてしまっては元も子もないので、好かれたい人に好かれる能力は、スキルと共に常に磨いておく必要が有るでしょう。
2016/12/01 失敗した時には、修正するか、初めからやり直すかの二通りの判断が出来ますが、出来た製品を見れば、その作者がどう判断して作ったものかは、直ぐに分かります。とくに経験の浅いうちは、直すより捨てた方が上達も早く、将来的には捨てる数も少なくなるので、中断して初めからやり直す勇気が大切です。
2016/11/30 「腕を磨くと共に品格も磨きなさい」とは師匠の教えですが、人を雇うまでは自分の成長の為に磨く必要を感じていました。ですが、これからは従業員の成長の為に磨く必要を強く感じています。ところで、自他ともに認める下品な私が人を採用出来たのですから、少しは品格も磨かれていたのかもしれません。
2016/11/29 釣り雑誌を読み続けていますが、新しい理論が次々と飛び出し、活気に満ちています。なにより、既存の理論を先入観なく検証する姿勢に感動します。鍛冶仕事をしていても毎日新しい発見が有りますが、その情報交換の手段は有りません。お互いの発見を共有出来たら、業界はもっと活気付くと思っています。
2016/11/28 何時までも下手なままの人は、自分が出来ていないという事に気付いていません。他人を差別する人は、相手のことを何も解っていません。威張り散らす人は、相手の事だけでなく、自分の事すら何も解っていません。先ずは自分の無知に気付く必要が有りますが、それが怖くて、気付けないのかもしれません。
2016/11/27 他人を不快にしない方法が分かりませんでした。ですが、他人の不快が自分の不快から生まれると分かり、自分の愉快は他人の愉快に通じる事にも気づきました。自分が愉快になるには、自分を認める必要が有るので、自分の天性を活かすことで他人を愉快に出来れば、自分も他人も愉快になれる気がしました。
2016/11/26 自分の性格が嫌いでしたが、血の滲む努力の結果、少しは改善したようです。しかし、その努力出来るということも、元々持っていた性格の一つですし、改善したようにみえる事も、元々持っていた性格が引き出されただけかもしれません。やはり性格は、変えるのではなく、活かす工夫が大切な気がしました。
2016/11/25 敵意を持った相手と競争して一番になっても、有頂天になれるだけです。もっと上を目指そうとしても、もう上はいませんから、途方に暮れてしまうでしょう。憧れの人に近づこうと努力する人は、追い付く頃になって、憧れの人の目指していたものが見えてくるはずなので、もっと上を目指すことが出来ます。
2016/11/24 勉強やスポーツでは競争が盛んですが、競争を動機付けに使うと、次第に競争相手の言動やその環境に心が支配され、身動きが取れなくなっていきます。自由に生きるには、他人に勝とうとするのではなく、自分の最高である状態を想定し、それを目指して、今の自分に勝ち続けて行くことが大切な気がします。
2016/11/23 目的達成の方法は様々なのに、子供の頃から押し付けられています。多くの指導者や権力者が、目的達成の方法として競争を強います。私は競争が大嫌いなので、避けてきましたが、多くの人達が競争により自他ともに傷付き、疲弊しています。そろそろ違った方法で、目的達成を目指した方が良い気がします。
2016/11/22 教えることは2度学ぶことと言いますが、学ぶことは本当に楽しいのです。ところで、私が今までに経験したことの無いような失敗を、新人さんはやらかしてしまいます。すると、これまで考える必要の無かった事を考える機会が訪れるので、人生をもう一度楽しめているような、とても得した気分になります。
2016/11/21 過去の工人の作品を模写する場合、似せて作るだけでは只の物真似になり、大きく変えてしまえば模写になりません。出来る限り似せて作りながらも、そこに自分の最も得意とする技を投入することで、似てはいるが自分の個性が匂い立ってくるものを、原作者に敬意を払いつつ、創り上げなくてはいけません。
2016/11/20 「様々な事に挑戦するのは良いが、実験的なものを世に出すことは控えなさい」と教わりました。中途半端なものを世に出してしまうと、取り返しがつかなくなるからです。確かに上手くなる程、他人に見せても良いものと悪いものの判断が出来る様になるので、名人は何を作っても名品になるのだと思います。
2016/11/19 納めた品物の出来が良すぎて売るのが勿体ないと、問屋さんや小売屋さんに言われることが有ります。お世辞にも程が有りますが、とても嬉しくなります。ですが、次に納める品物はもっと良いものを目指すので、今あるものは安心して売ってもらいたいのです。職人の作るものは、進歩し続けるものですから。
2016/11/18 生れつき優しい子も、次第に世間擦れして、優しさを失って行きます。大人になっても優しさを失わない人は、世間の裏側を知った上でも、優しくありたいと努力して、それを維持したのだと思います。ですから、子供と大人の優しさは根本的に違うので、何もしなかったら、優しくない人になるのは当然です。
2016/11/17 鍛冶の世界は未だに謎だらけで、科学で証明出来ることなど極僅かです。また作業者の個性や鍛冶場の道具立ても様々ですから、他人がやっていることをそのまま真似ても、上手くいかないものです。ですから、出来るだけ早いうちに沢山失敗して、その改善を高速で繰り返すことが、上達には不可欠なのです。
2016/11/16 今迄の鍛冶屋は失敗しながら上達してきたが、これからは科学で証明されたマニュアルを使い、失敗しないで上達しなさいと言われたことが有ります。ですが、上手くいっている時よりも、失敗した時に得られる情報の方が、遥かに多いものです。私は師匠に「上達したければ鍛冶場で泣け」と教えられました。
2016/11/15 問題が起こりその解決方法を考えた時、大抵の場合は今置かれている状況で何とかなります。普段は絶対にやらないから気付いていないだけで、問題解決のツールは既に目の前に有ったりします。そうであるなら、自分が本当にやりたいと思っている事の準備は、自分以外はすべて整っているのかもしれません。
2016/11/14 何時まで続くか解らない事は、人を不安にさせます。例えば大病を患っても、完治すると分かっていれば我慢できます。ですが、生死に関わる病気でなくても、何時完治するか分からないのは辛いものです。ですから、新しい事を始める時には、期限を決めて始めた方が、始め易いし、続け易いと思っています。
2016/11/13 人生をやり直したいかと聞かれたら、このままで良いと自信を持って言いたい。何故なら、今迄の経験の全てが今の自分の人格を作っており、それを否定することは、今の自分を否定することにもなるからです。過去の失敗も含めて、今までの人生を受け入れたほうが、気持ちよく毎日過ごせると思っています。
2016/11/12 安っぽい商品は、何故そう見えるのでしょうか?商品は品質が良いだけでは売り難い為、良さそうに見せる必要が有ります。その為に広告宣伝などの経費を掛けすぎると、商品自体に掛けるべき手間を減らさざるを得ません。その結果、価格の割に品質が悪くなり、安っぽく見えるのでしょう。皮肉なものです。
2016/11/11 うちの新人さん、指示を出せば躊躇なく始め、出来ないなりに進めます。上手く出来たら喜んで、失敗したらやり方を改めます。自分の非はすぐに認め、謝ります。礼儀をわきまえ、周りに気を配ります。一体全体、どんな親に育てられたら、こんな素直なオッサンに育つのか、毎日不思議に思っているのです。
2016/11/10 些細なことにクヨクヨするなと言いますが、私はクヨクヨしたいのです。他人が気にも止めない些細なことを深く考えれば、考えない人の何倍も賢くなるでしょう。ならば、その分野で間違いなく秀でることが出来る筈ですから、クヨクヨせずにはいられないのです。そんな風にして、私の玄能は出来ています。
2016/11/09 高度なもの作りには、感受性の豊かさと身体の健康が不可欠です。感受性が豊かなだけでは心を壊すかもしれませんが、丈夫な身体は繊細な心を支えてくれます。その為には、情緒豊かな人や本に接し、無理な運動を控え、心身の状態を最善に整えておく必要が有ります。ですから、寝酒を止める事にしました。
2016/11/08 2〜3度やってみせるだけで、後は放って置きます。すると、期待通りの失敗をしますが、それでも放って置きます。そこですぐに聞いてきても教えません。自分の頭で考えてもらうためです。精一杯考えたすえに、出来なくて聞いてきたなら、一寸だけやってみせます。上手く出来た時に、軽くうなずきます。
2016/11/07 大工手道具は必需品ではなく、贅沢品の領域に入りつつあります。ですから大工道具鍛冶も、それを意識したもの作りをしないと、立ち行かなくなる可能性が有ります。そこで私は、贅沢品と実用品の違いを吟味して、贅沢品に限りなく近いけれど、実用品の領域から決して外れないもの作りを目指しています。
2016/11/06 好きでも得意でもないと思っていた玄能造りですが、夢中で作った玄能を長谷川幸三郎さんに見てもらい、指導してもらうに従い、それが自分に向いている事だと気付き、上達すると共に、好きになりました。きっと、自分の才能すら自分では気づきにくく、それを見分けてくれるのが、その道の大家なのです。
2016/11/05 もの造りが大好きだと言っていますが、本当は大好きなのかどうかも分かりません。ただ、得意な上にやらずにはいられないから、大好きなのだろうと思っているだけです。ただし何でもそうですが、興奮してやっているうちはまだ序の口であり、本当に好きになったら、淡々とできるものだとも思っています。
2016/11/04 スポーツをすると健康になるって本当?随分前の事ですが、元気一杯の人が病弱な人に「俺はスポーツしているから、風邪も引いたことが無い」と自慢していました。乱暴な事を言うものだと思っていたら、気の毒にその人は病気で早逝してしまいました。健康だからスポーツが出来ていたということでしょう。
2016/11/03 今春、後ろ髪を引かれる思いでバイクを売りましたが、もっと早く売ればよかったと思いました。乗っていた当時は必要でも、今は不必要になったからでしょうが、同様に、要らなくなったのに、なんとなく辞めずに続けている事は沢山有りそうです。ならば、定期的にいらないもの検査が必要かもしれません。
2016/11/02 仕事で結果を出すには、先ずは目の前の事実をありの儘に受け止める素直さが求められますが、経験を積むほどに先入観が増えてしまい、とても難しいのです。ですから、素直さは生まれつき備わっているものではなくて、意識して鍛えないと身に付かないという事実を、ありのままに受け止めたいと思います。
2016/11/01 新人さんの面倒を見ながら、仕事に必要な事を考えていました。的確な目の付け所。周囲に影響されない集中力。間違いを認めてやり直すことの出来る柔軟性。他人の話を聞ける謙虚さ。朗らかさ。礼儀正しさ。心身の健康。様々ありますが、全てが素直な心から引き出され、育まれていくものだと思いました。
2016/10/31 夜中に酔っ払いが大声で喚き、暫くして近所の自動車の防犯装置が作動し、クラクションがけたたましく鳴り響き、未明には屋根の上でハクビシンとカラスがバトルを繰り広げていたお蔭で、本日はずっと眠いのです。このハクビシンは隣の空き家に滞在している様ですが、こんなインバウンドは御免なのです。
2016/10/30 色付糸から透明糸に変えて、糸の動きを見て合わせる釣り方から、他の感覚に頼る釣り方に変えました。透明糸は見えにくいので、自然と手や腕の感覚に意識が向かい、それまで感じなかった僅かな変化に気付き、充分にアタリが取れます。今迄は目にみえる物に頼り過ぎていて、窮屈だったことが解りました。
2016/10/29 人を雇おうとすると「鍛冶仕事は一人前になるまでに時間が掛かるから、鍛冶屋が人を雇うには、丁稚奉公させるしかない」等と言われて、諦める様に諭されてきました。左様に、私の望みは何時も否定されてしまいますが、却ってやる気の炎に油を注ぐことに成ることを、多くの人に気付かれてしまいました。
2016/10/28 私は諦めの悪いしつこい奴と言われる一方で、何をやっても続かない飽きっぽい奴とも言われますが、そのどちらも正解です。目標達成の為に新しい事に挑戦すれば、不必要になる多くを捨てなくてはいけません。ですから、捨てるところを見た人は飽きっぽいと言い、真意を察する人はしつこいと言うのです。
2016/10/27

なんと、昨日から新人さんが来てくれました。求人連載ブログを1年間続けても採用に至らなかったのに、私のことを何も知らない人がハローワークの紹介で訪れ、採用が決まりました。30代半ばと若くは有りませんが、じっくり育てたいと思います。今迄応援下さった多くの人達に、心から感謝いたします。

2016/10/26 未経験な事に挑戦する時は不安になりますが、不安を紛らわすために自分を鼓舞し、興奮して進めても、冷静になるにつれて、不安が頭をもたげてきます。ですが、最初から淡々と準備を進めていけば、知識が増えることで度胸も据わり、冷静に周りを見ることが出来るので、少ないチャンスをものに出来ます。
2016/10/25 若しかしたら勝てるかな、と相手に思わせてはいけません。その為には、出来たからといって直ぐに見せるのではなく、相手が絶対に真似できないレベルに達してから、やんわりと出します。その時迄は、どんなに馬鹿にされようとケツに聞かせておいて、見えない所で一寸だけニヤニヤしていればいいのです。
2016/10/24 麓から見たら易しそうな山も、頂に近づいて初めて、厳しさに気付くことが有ります。ですが経験を重ねれば、それも平気になります。一方で、山に登ることもなく、その厳しさに気付けないが故に、平気な顔をしている人達もいます。そして、何時も不平不満や悪口を言っている人の多くが、後者に属します。
2016/10/23 沢山釣っている人達を見ると、道具立ても釣り方もまるで違っているのに、同じように上手く釣り上げています。ですがよく観察すると、バラバラな事をしている中にも、共通点が見えてきます。そして、共通点を注意深く考察すれば、釣る為の基本が読み取れますが、こうした場面で目の付け所は試されます。
2016/10/22 5年前に書いた目標を何気なく見たら、叶っていました。当時は出来たら凄いなと思っていたことも、今になったら、なんじゃこりゃです。目標を立てたことすら忘れていましたが、書いておくと叶うものですね。今後の目標も、なんじゃこりゃと後になって思えるように、しっかりと書いておくことにします。
2016/10/21 ずっと夢見て努力していたことでも、叶うと分かると、少しだけ物悲しい気持ちになります。もの作りの場合でも、完成してしまったものには、興味が無くなります。苦労して釣った魚をリリースするのも、なんだか似ています。そう考えると、人は少しだけ足りていない状態が、一番幸せなのかもしれません。
2016/10/20 私の作業を見た人は「それだけ?」って顔をしますが、ほんのこれだけです。目を三角にし、炎を吹き上げ、息を弾ませ、矢鱈目ったら槌を叩きつけたりしません。穏やかな顔で、出来るだけ弱い炎で、息を整え、必要なだけ叩きます。誰にでも出来そうに見えますが、本当の大変さは、目には見えないのです。
2016/10/19 止めたり断ったり出来ずにやりたくない事を続けても、上手く行かずに自分も周りも不幸にしてしまいます。又、本当にやりたい事をする時間が無くなり、生きている実感も持てないでしょう。もしも相手に不快感を与えずに、思い通りに止めたり断ったり出来たなら、想像以上に多くの事に挑戦出来る筈です。
2016/10/18 始めるには勇気が必要ですが、止める方がはるかに難しいものです。とにかく始めて、上手くいかなければ止めればいいと言いますが、しがらみが増え、止め難くなります。少し上手くいってしまうと、更に止められません。ですから、一度始めたことをきっぱりと止められる人は、本当に強い人だと思います。
2016/10/17 私の様に仕事を楽しむ職人は少ないそうですが、初めは苦しみました。ですが、好きで得意な事で世の中に貢献出来る事を夢見て、物作りに専念すると共に、それ以外の事を止め始めてから運が上向き、仕事を楽しめるようになりました。結局は、やって楽しい事をやったから、楽しくなっただけなのでしょう。
2016/10/16 求められないものを提供しても売れませんが、今求められているものを提供しても、競争になるし、提供するものが自分の価値観に合わなければ、長く続けられないでしょう。ですから、自分の価値観に合っていて、今は求められていないが、見せたら欲しくなるものを提供し続ければ、売れ続ける気がします。
2016/10/14 師匠も亡くなり、地元の鍛冶屋ともほとんど交流の無い私ですが、得ることの出来る情報は、とても多い気がしています。その理由は、問屋さんや小売屋さんが、様々な情報を提供してくれるからですが、出来たものを売ってもらった上に、多くを教えてもらえるのですから、なんとも贅沢な身分だと思います。
2016/10/13 玄能の基本と思われるものを自分なりに吟味し、有触れた形状のものに、それを付加してみます。すると、今までのものとは少し違った、独自な形状が生まれます。左様に、何が基本なのかは、人其々に考えが違うので、奇をてらわずに基本だけで形状を組み立てても、充分に自分らしいものが出来上がります。
2016/10/12 生活の為には、時代の要請に合ったものを作る必要が有りますが、土台に揺るぎない信念を置かないと、基本から外れて迷子になります。この日記は、玄能造りに対する私の信念を再確認し、それを土台に定着させるために書いている側面もありますが、書く程に、時代に合わせなくても良い気がしてきました。
2016/10/11 良い玄能の定義は様々で、作り手側と御使用者側でも意見は分かれます。常日頃私は、御使用者に使いよいと褒めていただけることを、一番に目指していますが、良い玄能の定義はと聞かれたら「時の試練に耐え、100年後でも高い評価を得ることの出来るもの」と、勇気を出して一寸だけささやいてみたい。
2016/10/10 人は皆、ジグソーパズルのピースの様です。入る所をすぐに見つけられる人もいるし、そうでない人もいます。微妙な違いで入れない時に、無理に自分の形を変えて入ってしまうと、そこに入るべき人が入れません。自分が無理せずに入れる所が必ずあると信じて、旅を続けていくのも悪くないと思っています。
2016/10/09 やるほどに感覚が研ぎ澄まされ、毎日新しい気づきに溢れ、飽きることが有りません。その反面、課題も多く見え、何時までも達成感が無く、自信も付きませんでした。ですが、そんな状態でも淡々と続けられる事実こそ、それが自分に向いており、上達に無くてはならない素質で有る事に、漸く気付きました。
2016/10/08 上達の切掛けは景色の変化で気づきます。昨日までの景色が違って見えたり、見えていなかったものが見え始めたりしたら好機です。立ち止まって、その理由を考えてみます。すぐに分からなくても構いません。一度立ち止まるだけでも、効果は充分です。先を急ぎ走り続けていたら、上達は逃げてしまいます。
2016/10/07 やる気が大切だと言われますが、やる気が無くても元気に仕事が出来ます。以前は、やる気が出ない事に罪悪感を持ちましたが「仕事にやる気は必要ない。やるべきことをやるだけ」と師匠に教わり、それからは淡々と仕事が出来ています。自信が無い時も同様に、取り敢えず始めれば、なんとかなるものです。
2016/10/06 ヒツ穴周りの肉はたっぷりと残し、その他の部分で意匠を凝らし、個性を表現します。基本を押さえつつ、わずかな遊べる箇所で工夫する訳です。左様に、先達の積み上げてきた基本に、一寸だけ自分らしさを上乗せした上で、洗練させていきます。すると、それが自分の型となり、熟成され、味が出てきます。
2016/10/05 偉大な師匠を持つと、比べられて大変でしょうと言われますが、到底敵わないと思っているので、至って平気です。ですから、持つべきは一流の師匠なのです。ところで最近気付いたのは、上手い仕事の本質を見抜き、敵わないと思える事も才能だということです。敵わないと思えば、のびのびと出来ますから。
2016/10/04 成長するには危機感を持つことが大切と言われますが、危機感を持たなければ出来ないなら、きっとそれはやりたくない事なのでしょう。やりたい事が明確ならば、やらずにはいられないはずですから、そちらの方がパワーを発揮出来る筈です。ならば、とっとと本当にやりたいことを探した方が良さそうです。
2016/10/03 園芸ブームの時は園芸用品を、刃物ブームの時は刃物を作れと急かされました。私はやりませんでしたが、多くが作り始め、出来上がった頃にはブームは去っていました。現在は包丁ブームだそうで、気付いたら多くの鍛冶屋が包丁を作り始めています。またしても私は、ブームに乗り遅れてしまったようです。
2016/10/02 一流の師匠がいとも簡単に成果を出すので、見ている弟子は、自分にも出来そうな気がしてきます。そこで張り切って始めますが、簡単には出来ないので、挑戦心に火を付けられ、謙虚に精進します。三流の師匠の仕事を見ても、弟子は出来そうな気になりますが、本当に出来てしまい、調子に乗っちゃいます。
2016/10/01 仕事について相談に乗ってくれる、強力な支援者が沢山います。それは問屋さんや小売屋さんですが、私が良いものを作るほど沢山売れるのですから、喜んで協力してくれます。最近では、彼らの存在を無駄だと切り捨てる人も増えましたが、私の様な未熟者にとっては、無くては成らない大切な先生なのです。
2016/09/30 玄能を百個も作れば、中に一つ位は幸三郎に負けない物が出来ると言った鍛冶屋がいますが、分かってないにも程が有ります。玄能に限らず、同じ様な事を言う人は沢山いますが、出来ていない人ほど変な自信を持っています。幸三郎さんには到底叶わないと思っている私は、自信が無くてよかったと思います。
2016/09/29 他人のせいにして何も努力しない人には、何を言っても無駄なので、自分に出来る事をするだけです。たとえ、注意しなければ直らないと思っても、ほぼ徒労に終わるので、自分に出来る事をするだけです。左様に、他人に変わってもらうより、自分に出来る事をした方が、随分と幸せになれる気がしています。
2016/09/28 基本を押さえつつ内容を洗練させていくと、同じ様な形状に落ち着いてしまいます。例えば、現在試作中の玄能に、自分なりの特徴を出そうと工夫してみましたが、その後師匠の玄能と比べたら、そっくりでした。きっと同じ様な思考の道筋で、この形状に辿り着いたからでしょう。嬉しくも哀しい出来事です。
2016/09/27

理解できない可笑しなことをする人がいても、私に知識が無いだけなのだと、自分を納得させることにしています。事実、可笑しなことだと思った事が、世の中の標準になったりします。どんなに馬鹿げたことを言っても、それが多数派ならば、通用してしまいます。事実、日本は民主主義で成り立っています。

2016/09/26 誰かが成してしまえば、当たり前に感じてしまうことでも、誰も成さなければ、そんなことが人間に出来るとすら気付けないことが有ります。幸三郎さんが高品質な玄能を造ってくれたのは幸運です。彼が成さなければ、玄能がこんなにも探り所の豊富な物であることに、多くの人が気付けなかった筈ですから。
2016/09/25 始めたことを精一杯にやると、続けるか辞めるかの判断が直ぐにつきます。大凡2年くらいで先が読め、3年くらいで方向付けできるでしょう。これが、船頭が多い場合には、何時まで経っても結論が出せません。先が見えず不安になった時こそ、群れることなく、自分の足で前に進むことが大切だと思います。
2016/09/24 変わった形状の玄能を試作していますが、基本の形は八角形です。八角玄能は勿論、丸玄能も四角玄能も一文字型も、全て基本の形は八角形です。これが分かっているかいないかで、完成度は大きく異なりますが、意外と誰も考えていないようです。こういった事を発見するのが、もの作りの醍醐味なのにな〜。
2016/09/23 学生時代の不良が大人になり事業に成功すると、真面目になったと感心されますが、本当でしょうか?彼らは自分の性格を活かせる仕事に巡り合えただけで、真面目になったわけではない気がします。大人の世界は清濁併せのむ許容力が有り、どんな性格であれ、活躍出来るチャンスが有ると言うことでしょう。
2016/09/22 子供達が幼い頃、喜んで通っていたテニス教室の指導員に、素質が無いから止めろと言われ、止めてしまいました。その程度で止めるのも、いかがなものかと思いますが、素質が無いからとは一体何を指しているのでしょう。やりたいと思う気持ちこそ尊い素質だと思っていた私は、とても考えさせられました。
2016/09/21 頑張らずに生きていますが、世間は矢鱈と頑張れと急かします。ですから、此のままでいいのだろかと、時々心配になりますが、何を頑張っていいのか分からないので、やはり今まで通りにしか出来ません。私は今のままが丁度良いと思っていますが、「丁度良い」を見つけられただけでも、幸せだと思います。
2016/09/20 「名人は何を作っても、それは名品になります」これは若い頃、玄能の自分の型を模索している時に、有る方からいただいた言葉です。名人の域に達すれば、基本から外れていない限りはどんな型であれ、洗練された最高の状態を作り出すことが出来るので、つべこべ言わずに名人を目指せと言うことでしょう。
2016/09/19 最初は玄能など造りたくありませんでしたが、諸事情でやむを得ずやったら、なんとなく出来てしまい、その気になりました。左様に、天職と思われる様な事でも、偶然が切掛けの場合も多いでしょう。ですから、やりたい事が分からないなら、他人に付き合ってやってみることから始めるのも良いと思います。
2016/09/18 同じ経験でも人其々に感じ方は異なるのに、なぜ意見をまとめようとするのか。ある随筆家の文章が国語のテストに出た際に、著者の心情を推測する問の答えを見た当人が、こんな心情ではなかったと言っていました。左様に、答えの無いものに答えをこじつけて他人をコントロールすることは往々にあります。
2016/09/17 老眼鏡をかけたら、世界がまるで違って見えました。出来ているつもりでいた事が、出来ていないのに気付き、とても恥ずかしくなりました。ですが、気付いてしまえばこっちのものです。幾らでも改善する方法は思いつきますから、後は行動するのみです。一番困るのは、出来ていない事に気付けない事です。
2016/09/16 商品やサービスは目立たせる必要が有ります。すると、多くの場合は露出を増やしますが、私のお客の小売屋さんは「浩樹」が何処の誰なのか、尋ねられても教えなかったそうです。お蔭で謎めいて、より御需要者様の興味を引くことが出来ました。敢えて情報を絞り、目立たなくすることで目立たせた訳です。
2016/09/15 最近の製品精度が凄いと、目利きのお客様に褒められました。ですが、私は普段通りに仕事をしているだけで、特別な事は何もしていません。強いて言えば、老眼鏡をかけただけ。この様に、何の努力も無しに飛躍的に進歩する方法も有るのですね。上達を目指す人は、意識して取り入れる必要が有りそうです。
2016/09/14 私は仕事が上手いと思ったことが有りません。自信が無いから、毎日努力出来ます。また、自信が有るとはどんな状態なのか、とても興味が有るので、自信をつける為に努力します。ならば、自信が付いたなら努力しなくなるのでしょうか?それも自信が付いてみないと分からないので、取り敢えず努力します。
2016/09/13 思い通りにならないと腹を立てる人がいますが、直ぐに思い通りになることなど、高が知れています。ままならないから、何とかしたい、挑戦したいと思えるのであり、直ぐに出来てしてしまいそうなことなど退屈ですから、放って置けばいいのです。なにより、なかなか実現できないことほど長く楽しめます。
2016/09/12 「浩樹さんは有名だから、訪問者が絶えず大変でしょう」と言われますが、ピンときません。引き籠りな上に、人を寄せ付けないオーラが出ているらしく、訪問者も有りません。近所の人も私が何者なのか知っている人は少ないようです。ですが、仕事は成立しているので、お客さんだけには有名なのでしょう。
2016/09/11 人間が自由意思で行動している事を科学では証明できません。考えて行動しているようでいて、実は既にプログラムされた通りに行動しているとも言えるそうで、実にややこしいのです。ですがそんな難しい話ではなく、悪口を言われて反応的に腹を立てている様では、自由意思が有るとは言えないのでしょう。
2016/09/10 「誰かの成し遂げたことであれば、誰でも出来る筈です。同じ人間のやったことですから、レベルは違っても、近いことは出来るでしょう」なんて、気楽に考えられたら、色々と挑戦できそうです。そして、成功する人はそう考えているのでしょう。そう考えるか、そうでないかが、人生の分かれ道になります。
2016/09/09 他人から苦労が足りないと言われますが、然り。良い師匠やお客様に恵まれて、とても順調に来ました。時には上手く行かずに作業が深夜に及ぶことも有りますが、絶対にできると信じているので、それ程苦痛に感じません。きっと、こう感じることが出来る事が、大好きな事を仕事にしたご褒美なのでしょう。
2016/09/08 私の鍛冶仕事にイメージトレーニングは欠かせません。無意識に出来るくらいまで頭の中で繰り返し動作を確認すると、作業の本番前には、既に上手く出来た気分になります。これって神仏に願い事をするのに似ていますよね。強く願うことで叶った状態を強くイメージできれば、願いは叶いやすくなる訳です。
2016/09/07 世の中は科学で証明されていないか、その必要すらない事で満ち溢れているのに、科学的でないからと多くを否定してしまうのは、誠に勿体ない話です。又、科学で証明されたことは絶対だと言う人も居ますが、反証可能が科学の前提ならば、それ自体が科学的ではありません。そこに人のエゴが隠れています。
2016/09/06 嫌々仕事をしている人には申し訳ないのですが、私は仕事が楽しくてなりません。そもそも大好きな事を仕事に選んだので、楽しいのは当たり前ですが、同時に、出来るだけ好きな人と一緒に仕事が出来る環境も整えてきました。そこで気付いたのは、誰と一緒にやるかで、楽しさは格段に違うと言うことです。
2016/09/05 コロンブスのアメリカ大陸発見やイエーガーの音速の壁突破など、それが可能と解れば、多くがそれに続きます。それとは反対に、簡単に出来る事でも出来ないと思い込んでいたら、始めようとも思いません。ですから、超一流の人の出来ている状態を見て、自分にも出来そうだと勘違いすることが第一歩です。
2016/09/04 充分な地位やお金が有ったら、自分は何をしたいと思っているだろうか?大きな家に住み、高級車を運転し、貧乏人を笑うのだろうか?実は全く想像がつきません。きっと私が金持ちに成れないのは、そうなった時の自分を想像出来ないからで、そもそも金持ちに成りたいとすら思っていないのかもしれません。
2016/09/03 鍛冶仕事の上達には現場での訓練が欠かせませんが、同時に頭の中での訓練も欠かせません。必要な知識を身に付けたり、段取りの確認をしたり、常日頃から意識して取り組む必要が有ります。ですが鍛冶仕事が好きならば、無意識に四六時中考えてしまいますから、頑張らなくても勝手に上達してしまいます。
2016/09/02 難しい事を難なくこなすと、他人には簡単そうに見えます。簡単な事でも苦労していると、難しそうに見えます。何かを始めるのに、上手い人を見るか、下手な人を見るかで、難易度の印象は随分と変わります。初めて師匠の仕事を映像で見た時に、凄そうだけれど出来そうな気がしたのが、まさにこれでした。
2016/09/01 子供の頃からもの作りが大好きでしたが、出来上がると捨てていました。表彰されたりした賞状も、すぐに捨ててしまいます。釣った魚の大きさを測ったり、写真を取ったりもしません。これは過去に未練やこだわりが無いからなのでしょうが、お蔭で何時も前だけを向いて、元気に生きてこられた気がします。
2016/08/31 気付いて試してみると、いきなり上手くなることが有りますが、これが上達です。意識せずとも少しずつ上手くなっていくのは、上達ではなくて慣れです。ですが、慣れることで無意識に出来る事が増えると、新たな上達のヒントが露わになってきます。ですから、上達にはそれを意識した慣れが必要なのです。
2016/08/30 変な物を見ると目が腐るので、良い物だけを見なさいと師匠に教わりました。ですが、最初は変な物と良い物の区別がつきませんでしたが、自分の目指す方向が決まると、区別がつくようになりました。ですから、世の中に絶対的な変な物と良いものが有るのではなく、自分の中にそれを作る必要が有るのです。
2016/08/29 繊細過ぎる神経は脆いと言われ、鋭すぎる刃物は長切れしないとも言われます。では、どのくらい鈍ければ人は強くなり、刃物なら長切れするのでしょうか?その丁度良い塩梅を見きわめるには、やはり感性に繊細さや鋭さが必要なのではないでしょうか。これは矛盾しているようで、そうでもない気がします。
2016/08/28 間違いに気付いた時の感情にも、二つあることに気付きました。誠実に対応しているつもりで間違えてしまった時には、自分に進歩の余地が有る事に希望が持てます。いい加減に対応して間違えてしまった時には、自分の馬鹿さ加減にただ呆れてしまいます。どうせなら、希望の持てる方が良いなと思いました。
2016/08/27 ネアンデルタール人はヨローッパにとどまり、滅びました。現生人類は世界各地に移動し、生き残りました。この違いが好奇心の多寡によるものだとすると、現生人類の中においても、好奇心の強いものが生き残り、そうでないものが滅びるのかもしれません。好奇心を持ち行動することの大切さを痛感します。
2016/08/26 玄能は硬すぎれば使っていて欠けることが有り、軟らかすぎればまくれてしまいます。そこで玄能鍛冶は、欠けずまくれずの丁度良い硬さを目指して作業を進めますが、それは人生も同じだなと感じました。自分にとっての丁度良い加減を、言い換えれば自分らしさを追い求め、日々もがき苦しむ様なものです。
2016/08/25 下手な人ほど教えたがるといいますが、確かにそのようです。上手な人は教えないのかと考えると、確かにその傾向は有ります。その理由を考えてみれば、下手な人は教えられなければ上達できず、上手い人は教えられなくても上達できたからでしょう。であれば、上手な人は教える訓練が必要になりそうです。
2016/08/24 最近は成金趣味な人が増えている気がします。以前なら下品と捉えられる様な身なりや振る舞いを、当たり前に目にします。少しくらい高価なものを身に付けても、誰も振り向いてくれないので、益々エスカレートするのでしょう。そういった意味では、相対的にお金の価値が下がってきているといえるのです。
2016/08/23 好奇心旺盛で多くの事に手を出してきましたが、やるほどにそれが自分に向いているのかどうかの判断は早くなります。それでも時々、向いていないと思う事でもしたくなり、他人に最近読んで面白かった本を聞いて読んだりしています。すると、自分の知らなかった楽しい事に出会え、とても嬉しくなります。
2016/08/22

自分らしく生きることで得る対価は、お金に換算すると低い場合もあるでしょう。ですが、生き生きと生きていれば、ストレス解消の為に散財することも無いので、意外と貧乏でも構わないのかもしれません。既に充分成熟した日本では、それで生きていける事に気付き始める人が、益々増えていくと思います。

2016/08/21 自分らしく生きている人は、自分らしく生きている人が周りに集まり、益々生き生きとしてきます。自分らしく生きていない人は、自分らしく生きていない人が周りに集まり、足を引っ張ってきます。どちらも自分で選ぶことが出来ますから、私は前者を選び、沢山の素敵な人に囲まれ、励まされ生きています。
2016/08/20 私は直感をとても大切にしており、それが正しい場合が頻繁にあります。先日、工場内に設置した棚の位置が気になり、移動しないと危険だなと思っていたところ、翌日にその棚と荷物を載せた台車の間に左手親指を挟み、爪を剥ぎました。滅多に怪我をしない私ですが、直感を信じなかった罰が当たりました。
2016/08/19 玄能造りは資料が少なく、パズルの抜け落ちたピースを探すような地道な作業になります。そんな作業が嫌いな人にはまるで地獄の様ですが、好きな私にとっては胸高鳴る魅惑的な仕事です。そしてこの仕事を始めたのも偶然でなく、必然だと分かっています。人生もパズルのピースを探すような作業なのです。
2016/08/18 最初は金属組織や硬度、或いは意匠等の表面的な知識を頼りに仕事をしていましたが、良いものは出来ませんでした。師匠の下に通い始め、玄能を造るのであれば玄能を学びなさいと言われ、玄能の本質を探究し始めたら、金属組織や意匠等の枝葉末節は、後から自然に付いてきました。順番がとても大切です。
2016/08/17 職業訓練校に入りもの作りの道に進みたいと言ったら、何故大学に行かずに肉体労働の道を選ぶのかと、クラスメートに叱られました。勉強は未来の選択肢を増やすためのものと思っていたのに、彼等には減らすためのものだったようです。どんな生き方も選べるはずなのに、なぜに自分を縛るのか不思議です。
2016/08/16 もの作りが大好きで良いものを見続けてきたせいか、自分の作る物が良いものに見えません。まだまだ上がいることを良く知っているし、自分は不器用だとも思っています。ですが、そう思えたことは不幸ではなく幸いでした。お蔭で、自分の作るものに満足することなく、毎日楽しく挑戦することが出来ます。
2016/08/15 子供が小さい頃、困っている人に「だいじょうぶ?」と声を掛けたことに驚きました。誰も教えないのに、本能なのでしょうか。それと比べて、自分は他人を思いやる気持ちが、其処まで有るのかと自問すれば、恥ずかしくなるばかりでした。人は何時の時点から、思いやりの気持ちを失ってしまうのでしょう。
2016/08/14 作業を見せることは滅多にありませんが、普段から見られても恥ずかしくないように心掛けています。大好きなバーのマスターを見ていても思いますが、些細な動作に至るまで、見られて恥ずかしくないように振る舞う事こそ、格好良いなと。見られていようがいまいが、同じように振る舞えることが目標です。
2016/08/13 若い頃は全能感が有り、無茶な事にも挑戦できます。年を取ると自分の限界も見え、落ち着く所に落ち着きますが、それを諦めと言う人も居ます。ですが、挑戦したうえでの落着きは、自分の適正を見つけたという事であり、素敵だと思います。挑戦せずに落ち着いてしまうことが、私は諦めだと思っています。
2016/08/12 通学中の子供たちはニコニコして楽しそうですが、通勤中の多くの人は不機嫌です。私はこのギャップこそが、世の中をギクシャクさせている元凶だと思っています。どこかの段階で価値観がすり替えられているのであり、それは「楽しむための人生」から「勝たなければいけない人生」への変化だと思います。
2016/08/11 乗物や人混みが苦手なので、出来るだけスキー場に行かずに、イメージトレーニングでスキーの上達を目指し、1級を取ったことが有ります。人の脳ミソは現実とイメージの区別がつかないそうなので、もしも四六時中考えていても苦にならない事であれば、イメージするだけで上達は約束された様なものです。
2016/08/10 中学生になった時、同級生が成績で一喜一憂している姿を見て、他人と同じ様に自分も成績が上がると嬉しいのかどうか気になりました。そこで勉強して一番を取ってみましたが、別に嬉しくなかったので、自分には学校の勉強が向いていないと思ったものです。当時から相当にへそが曲がっていたのでしょう。
2016/08/09 ある鍛冶屋が言いました。「これは手作りだから良いもので、形が揃っていないのは味です」と。この「手作り」や「味」を商品の付加価値とするテクニックを指南する人も居ますが、そんなものは甘えでしかありません。はっきり言っちゃいますが、私の商品が揃っていないのは下手だからです、御免なさい。
2016/08/08 鍛冶屋は儲かる仕事ではありませんが、真面目にやっていれば、現在でも充分に仕事は有ります。私は欲張らないせいか、有りがたい事に数年先まで仕事の予定が入っており、毎日穏やかな気持ちで、楽しく生きることが出来ています。若い頃からの想像通りに、お金や権力など無くても充分幸せになれました。
2016/08/07 他人と自分を比較したり、競ったりすることが嫌いな私ですが、もの作りなら、今まで作ったものよりも良いものを作る事を目指すので、言わば今迄の自分と競い、自分の既存品と比較し評価します。ですから他人と競うこと無く、気兼ねなく上達を楽しむことが出来ます。戦う相手は自分で選べば良いのです。
2016/08/06 やっつけ仕事だからといって、気を抜いてしまうのは勿体ないのです。そんな時程、段取りや体の使い方を工夫するチャンスです。余裕を持ってできる分、色々とアイデアも浮かぶことでしょう。そんな風に思えたならば、嫌々していた仕事も、楽しくなるかもしれません。仕事は楽しくやった者勝ちですから。
2016/08/05 師匠の鍛冶理論は理解しづらく、習得にも時間が掛かるために、地元では蔑ろにされてきました。師匠も無理に解ってもらう気も無かった様ですが、私はその理論に惚れ込んでいるので、是非多くの人に知ってもらいたいと思っています。その為にも、私は毎日良い玄能を造り続ける必要が有ると考えています。
2016/08/04 考えるより行動しろと周りは尻を叩きますが、間違った努力をすればするほど、間違いに気付いた時に、後戻り出来難いものです。師匠は言いました。「技術を身に付ける前に、作るものを学びなさい。そうすれば、必要な技術が見えてきます」と。先に技術を身に付けてしまうと、それに固執してしまいます。
2016/08/03 出来ていない人ほど出来ていると思い、出来ている人ほど出来ていないと思っています。これは当然ですが、威張っている人も同じだと思います。威張ってはいけない人ほど威張ってしまい、もっと威張ってもいいのに、と周囲が思う様な人ほど、自分はまだまだと思っていて、やたらと腰が低いので驚きます。
2016/08/02 手間に見合わない仕事をしてはいけないと言われますが、つい夢中になってしまい、手間を掛け過ぎてしまうことがあります。ですがそのお蔭で、お客様から喜んでいただき、口コミと紹介のみで仕事が出来る様になりました。ですから、合うか合わないかは、何を得たいのかによって変わってくると思います。
2016/08/01 子供の頃から、真面目なだけの無能と言われてきました。何でも丁寧にするので、他人より時間が掛かりますし、急がされても急げませんから、何時も叱られてばかりです。ですが、今では同じ仕事をするのであれば、他人よりも遥かに早く出来てしまいます。ですから、真面目は立派な才能だと思っています。
2016/07/31 「焼入れに使う水は人肌が最適」「焼入れ温度は一寸高めが良い」とは師匠の言ですが、言われた当初はよく意味が呑み込めず、師匠は理由を教えず、ニヤニヤしているだけでした。あれから15年以上がたち、ようやくその意味が理解できました。亡くなられた後も、ずっと私は試されていたということです。
2016/07/30 意外かもしれませんが、私は業界最後発のヒヨッコ爺です。当初その遅れを取り戻すために、我武者羅に取り組みましたが、全く売れませんでした。そこで、玄能の本質が何なのかを改めて探求し、辿り着いた答えが「良く効く」でした。そしてそのためにどうしたら良いのかを考え続けて、今に至っています。
2016/07/29 過去の工人の偉業の数々を、科学で証明出来ないからと蔑ろにし、科学で証明された近年の細やかな発見を、大層なものとして宣伝に利用するのは、如何なものでしょうか?人が解り易いものに飛びつき易いという性質を、上手く商売に結び付けたいのでしょうが、みすみす進歩の機会を逸することになります。
2016/07/28 屑を出さない鍛冶屋は上手いと言われます。失敗の屑を出さないだけでなく、加工方法にも屑の出ない工夫をします。玄能ならば、メクソ(ぬきカス)は小さいほうが良く、ヤスリ掛けも出来るだけしなくていいように、精度高く火造らなくてはいけません。実はそんな工夫を楽しめる人が、上手くなるのです。
2016/07/27 水道水の温度が高くなっても安定して焼入れ出来る様に、春から仮説を立て検証してきましたが、この度証明できました。今迄は本に書いてある通りにやって、上手く行かなかったのですが、これからは大丈夫そうです。いくら偉い人が書いたバイブルのように読まれている本でも、疑ってみる価値は有ります。
2016/07/26 毎日驚くことばかりですが、殆どの事は直感的に理解できます。ですが時々、凄いと思うけれど、何が凄いのか、自分でも良く分からない事に遭遇します。そんな時には素通りせずに、時間を取って理由を考えてみることをお勧めします。私はそんな時、人生を変えてしまう程の事実に気付くことが有りました。
2016/07/25 世の中は、ごく普通のものを良さそうに見せて高く売る方法で溢れています。モノやサービスの質はそのままで、物語やパフォーマンスで良さそうに見せる訳です。ですが、結局は皆が同じことを始めるので、競争は激しくなるばかりです。ならば、少しでも良いものを作った方が、高く売れそうな気がします。
2016/07/24 本に書かれたことを再現するには、それと自分の現場とでの条件が異なる為に、多くの調整が必要です。又、古い書物からの情報は、現在否定されていることも多く、やはり其のままやってみても上手く行きません。ですが、全く上手く行かない訳では無く、なんとなく出来てしまうのが、とても厄介なのです。
2016/07/23 最初の頃は他の鍛冶屋のことが気になり、心身共に委縮していました。それを止めたら、心身は解き放たれ、出来なかったことが出来るようになったのです。他人との競争を意識した時点で、心が囚われていたのでしょう。意識が外に向かうと思考は内向きに成り、意識が内に向かうと思考は外へと向かいます。
2016/07/22 「玄能の焼入れには人肌(温度)の水が最適」とは師の言ですが、難しいので普通はやりません。水の温度は低い方が失敗し難く、それで充分に良い焼きが入るので、そこで満足してしまうからです。ですが、理想を目指すならば人肌に挑戦するべきで、出来て初めて、今まで見えなかったものが見えてきます。
2016/07/21 どんなに忙しい時でも、鍛冶仕事をすると落ち着きます。揺らめく炎を見ていると、穏やかな気持ちになります。何よりも、本当にやりたいことが出来ている実感が持てることで、安心できるのかもしれません。若い頃は、お金持ちに成りたかった時も有りましたが、それより大切な物を見つけられたようです。
2016/07/20 今の私は大人しい老人ですが、若い頃はもっとギラギラしていた気がします。年齢と共に色々な事が解ってきて、怖くて何も言えなくなったのでしょう。ですが本当は言いたくてたまらないので、こんな風に毎日つぶやいています。なんだか最近、溜まっていたマグマが吹き出しそうで、むずむずして来ました。
2016/07/19 分からないと大きなことが言えますが、分かってくると何も言えなくなります。ですが、そこを乗り越えて、分からないなりに解ったことだけでも、上手く表現する必要が有る気がしてきました。すると、しばらくして本当に分かった時には、理解者が周りに出来て、自分は言わずに済むようになる気がします。
2016/07/18 上手く行かずにストレスが溜った時というのは、問題を解決出来ないうちは解放されません。そこから逃げたところで、何時までも追いかけてきて、益々深刻になるばかりです。此処はやはり、問題に正面から立ち向かい、とっとと終わらせた方が、結局は早く楽になれると、何時も自分に言い聞かせています。
2016/07/15 流行に流されることなく技を磨き続け、遂に世の中に認められ、不動の地位を築いた長谷川幸三郎師匠。とても憧れますが、何よりも素晴らしい事は、その技を後進に伝えることが出来たことです。それは物作りに長けていただけでなく、人間的魅力も併せ持っていた証でしょう。品格の大切さを強く感じます。
2016/07/14 知人に虐められているオッサンがいます。家が貧乏で、子供の頃から何時もからかわれていました。一時はグレたりしましたが、必死で稼いで起業し、今も一生懸命に仕事に励んでいます。ですが世間は今でも虐め続けます。抵抗すれば、益々虐めはひどくなるばかりです。見ていると悔しくて涙が出てきます。
2016/07/13 著名人を好きになり、もっと深く知ろうと調べたり、著書を読んだりしていると、その人に思考が似てきます。そして、自分の考えを発信していると、何故か当人に知られ、連絡を頂いたり、出会いのチャンスが巡ってきたりします。全ての人は何処かで結び付いており、色々な人脈を辿り、繋がるのでしょう。
2016/07/12 期待されると応えたくなります。相手は私なら出来ると思い期待してくれるのだから、嬉しくもなります。そして何よりも嬉しいのは、自分には出来ないと思い、意識すらしていなかったことに、挑戦するチャンスをもらえることです。人は期待されて初めて、自分に出来そうなことに気付くことも有るのです。
2016/07/11 子供の頃から引っ込み思案な私ですが、何時でも誰かから声を掛けられて、人前で何かしていたような気がします。今でも相変わらずの引っ込み思案ですが、多くの人にあちこちと引っ張り出されて、何かしている気がします。目立たない様にとコソコソしているので、余計に目立ってしまうのかもしれません。
2016/07/10 私の場合には釣れても釣れなくても楽しいのです。自分の思った通りに釣り道具を操作し、期待通りに釣れれば、その再現性を高めます。思ったように釣れなければ、問題点を探り、解決策を練ります。釣りはこの作業が楽しいのであり、簡単に釣れないから楽しいわけで、そこに勝ち負けや損得は有りません。
2016/07/09 あらゆるものに基本は有りますが、それには許容幅が有り、自分に丁度良い基本を身に付ければいいのでしょう。それを繰り返すことで自分の中に軸が出来て、あらゆることを自分らしく判断し、行動できるようになる気がします。そうなって初めて、松岡修造さんに煽られても、平常心でいられると思います。
2016/07/08 他人の幸せを自分の幸せと思える人は、とても強い人だと感じます。それは他人の為に辛抱出来る人だと思うからで、尊敬させられます。自分の幸せだけを考えている人は、自分の為だけにしか辛抱出来ません。多くの人の為にする辛抱と、自分の為だけにする辛抱では、人間的強さがあまりにも違いすぎます。
2016/07/07 私は見るからに元気が有りませんが、これでも結構元気です。その証拠に、毎日楽しく生きることが出来ています。きっと、生きるのに必要な元気の量は、人其々に違うのでしょう。ですからもっと元気を出せと言われて、松岡修造さんの様になったら、具合を悪くしたり死んだりする人が多く出る気がします。
2016/07/06 凡人は自分より少しでも上手い人を見習ってしまいがちですが、それは大きな間違いです。本当に上手くなる人は、自分よりも遥かに上手い人を手本にします。ですから、先ずは本当に上手い人が何処にいるのかを調べなくてはいけませんが、殆どの人は、身近にいる一寸だけ上手い人を手本にしてしまいます。
2016/07/05 威張っている人を見ると、この人は何に怯え、何を守ろうとしているのだろうと、何時も考えます。心が満たされているならば、周りに優しく出来る筈ですから、心は空虚なのでしょう。ならば威張ることにより、心を満たそうとしているのでしょうか?もしもそうなら、死ぬまで満たされる事は無いはずです。
2016/07/04 スキーを始めた時の衝撃は忘れません。引力に体を任せ、少し体を傾げただけで、行きたい方に曲がるのですからビックリです。実はこれ、鍛冶仕事にとてもよく似ています。槌は振り降ろすというより、落ちていく槌に体の動きを合わせた方が、楽に正確に作業出来ます。漸く、年を取ってから気付きました。
2016/07/03 それまでモヤモヤして出来なかったのに、解った瞬間に出来てしまうことが有ります。さらには、人間に出来ないと多くの人が思っていたことを誰かが成し遂げたとたんに、次々と出来る人が現れたりします。ですから、自分にも出来ると希望を持ち、そのやり方が解ってしまえば、夢は叶うのかもしれません。
2016/07/02 あからさまに職人を馬鹿にする人がいますが、今すぐに止めた方が良いと思います。職人は馬鹿にされると意固地になり、益々一生懸命に仕事をして、どんどんと良い品物を作ってしまいます。ですから、もし見返されたくなかったら、馬鹿にするのではなくて、適当にチヤホヤしておいた方が良いと思います。
2016/07/01 グローバル化は世界の人々を、否応なく同じ土俵で戦わせます。それまで各々の地域で一番だった大勢の人達も、同じ土俵なら一番は一人に絞られます。又それは、他流試合で勝手の違う戦いを強いられることにも似ています。私はそんなのはとても嫌なので、自分の土俵を見定めて、コツコツやっていきます。
2016/06/30 15年ほど前の事、ある若手鍛冶の作る小刀を二人の鍛冶屋が見て言いました。一人は「基本に忠実で、手を掛けるべき所をわきまえている」と。もう一人は「素っ気なさすぎて、見栄えがしない」と。先の若手鍛冶は現在素晴らしい実績を上げていますが、後の二人の現在は、皆さんのご想像にお任せします。
2016/06/29 既に完成されていて進化の余地が無いと思われているものを進化させるのが楽しいのです。もの作りの醍醐味がそこに凝縮されている気がします。誰も気付いてない進化の余地を探り、そこに工夫を加え、それを世間がどの様に評価するのか、楽しみに待っています。時には叱られますが、それも良い勉強です。
2016/06/27 誰かに勧められている訳ではありませんが、一寸ずつでも昨日とは違う事を試しています。その変化は微妙すぎて誰も気付かないので、褒めも注意もされません。ですから、何時でも大きな孤独と共に進めることになりますが、何をするのも自分次第なので、これが本当の自由なのかな、なんて気がしています。
2016/06/26 私だって他人の失敗を喜んでしまうことは有ります。そんな気持ちで仕事をしている時は、自分も失敗しがちです。では、他人の成功を喜びながら仕事をすれば、上手く行くのかといったら、そんなことも有りません。只々目の前の事に集中し、良いものを作る事だけを考えた時に、上手く行く様な気がします。
2016/06/25 師匠が言いました。「俺は玄能に少し変化を付けたが、あんたは俺の真似をしちゃあいけない。自分の型を作らなくてはいけません。だから、出来るだけ変化を付けずに真っ直ぐに作りなさい。それが一番、玄能が効く形なのだから」と。言葉にすると簡単そうですが、「真っ直ぐ」は途轍もなく難しいのです。
2016/06/24 一人では何も出来ないけれど、人は決して一人ぼっちではありません。一人ぼっちだと思っているのは、多くの支援者がいる事に気付いていないからです。それに気付くには、自らの能力を高め、人格を磨く必要が有りますが、もしもそれが出来たなら、沢山の人が手を差し伸べているのが見えてくるはずです。
2016/06/23 町工場ならぬ「待ち工場」ではいけないと言いますが、冗談でしょう?売れる仕組み作りがマーケティングなら、その究極は何もせずに注文が来る仕組みづくりでしょう。ならば「待ち工場」は理想的な形ではないですか。注文が来ないのに待ってばかりいてはだめですが、目指すは「待ち工場」だと思います。
2016/06/22 苦労は買ってでもしろと言いますが、何をしたって突き詰めれば苦労は付き物ですから、買う必要は有りません。そして、どうせ苦労するなら、好きな事で苦労した方が良いでしょう。だって、他人が苦痛だと感じて青筋立てている事でも、それが好きな人なら、さほど気にせず、さらりとこなせる筈ですから。
2016/06/21 仕事で成果を上げさせたくない人がいたら、先ずは徹底的に仕事を教えることです。そうすれば自分で考えることを止め、常に貴方を頼らずにいられなくなるでしょう。逆に、意地悪をして何も教えないと、必死に自分で考えるようになり、貴方を凌駕する成果を上げ、とっとと独り立ちしていくことでしょう。
2016/06/20 他人の褌で相撲を取るのはいけませんが、本当に褌の貸し借りは止めた方が良いでしょう。剣道をしていた学生の頃に、袴を忘れて先輩のものを借りたことが有ります。袴の下はパンツをはきませんが、そのせいもあって、酷いインキンタムシをうつされてしまいました。暑くなると思い出す、素敵な教訓です。
2016/06/19 ストレート麺よりも縮れ麺の方がスープの絡みが良いと信じられていますが、実験すれば全くの逆だと分かります。これくらいは少し考えればわかりそうですが、多くの人が言っていると信じてしまいます。左様にどんなに間違った意見でも、多数決では多数の意見が通ってしまうので、選挙って怖いですよね。
2016/06/18 未熟なうちは些細な事に感動し、そこから大きな影響を受けてしまいますが、成熟すると解ったつもりになり、感情が鈍くなってしまいます。ですが時々、昔の感動した記憶を思い出して、未熟なりの誠実さに触れると、あの頃の感情を忘れずに成熟できたなら、とても素敵な大人になれるような気がしました。
2016/06/17 おもちゃコンテストで落選したおもちゃ屋ケンちゃんのパパを、ケンちゃんが慰めた時にパパが言うのです。納得のいかない未完成なままで出品した自分が悪いのだと。それを聞いて、他人の目は節穴でない事と、最善を尽くすことの大切さを強く感じたという、インチキばかりしていた10歳頃の思い出です。
2016/06/16 どんなに優れた道具でも、下手くそならば使いこなせず、駄作と判断されるかもしれません。多少拙い道具でも、上手な使い手ならば上手く使いこなして、名品と呼ばれるかもしれません。左様に同じ品物であっても、駄作とも名品とも判断されますから、名品になるには、それを使いこなせる名人が必要です。
2016/06/15 本当に大切な事をするには、それ以外の事を止めなければいけないこともあるでしょう。そんな犠牲を払ってまで求めた「大切な事」ですら、始めてみたら思っていたほどに重要でない事に気付き、がっかりすることも有ります。ですが、そうやって日々価値観を更新することが、とても大切な気がしています。
2016/06/14 何度でも思い出してしまう過去の過ちは、自分の価値観を映し出す鏡です。何故それを思い出すのかを深く考察すれば、自分が何者であり、何処に向おうとしているのかが見えてくるはずです。他人を裏切ってしまった記憶等は忘れたいものですが、忘れられない過ちの記憶には、沢山の示唆が含まれています。
2016/06/13 同じ物を見ていても、各々の見方が全く違うことに驚きます。良い所を見つけて褒める人。悪い所を指摘して非難する人。作り方を考える人。手触りを確かめる人。値段を気にする人等々、見ていて飽きません。こんな風に、同じ場所で同じ事をしていても、人其々に全く違う世界を生きていることが解ります。
2016/06/12 師匠の下に通っている時には答えを聞きませんでした。うっかり答えを聞いても、師匠は教えてくれませんでした。お蔭で、自分で考える習慣が付きましたが、もしもそれが出来ていなかったら、師匠亡き後は誰も指導してくれる人がいなくなり、途方に暮れていたでしょう。師匠はそこまで考えていたのです。
2016/06/11 鍛冶仕事は見える事から見えない事を想像しながら作業します。金属組織や硬さなどは、作業中には確認できませんが、五感を研ぎ澄まして、あたかも目で見ているかの様に頭に像を描きます。でも考えてみれば、世の中は全てそんなものなのかもしれません。見えている事なんて、ほんの一部分なのでしょう。
2016/06/10 鍛冶屋に成ると決めてから浩樹銘で販売出来るまでの数年間は、今思い出しても吐きそうになります。どんなに頑張っても上手く出来ずに、孤独と不安で頭がおかしくなりそうでした。それを乗り越えられたのは、多くの人達の協力は勿論、物作りが大好きで、それで生きて行く覚悟が出来ていたからでしょう。
2016/06/09 仕事で失敗した時に、以前ならば材料や燃料等の自分以外を疑いました。今では、不注意や未熟な故に失敗することを良く知っていますから、直ぐに検証して、同じ失敗をしないように気を付けています。失敗した時に「自分が悪い」と確信を持てるようになるのに、どれ程多くの時間が掛かったことでしょう。
2016/06/08 仕事を通しての気付きを商品に反映させて、お客様に提供すると、直ぐに反応が帰ってきます。その反応は商品についてのみならず、仕事の進め方や哲学にまでおよび、全てが自分の評価となって現れます。これって素晴らしい事だと思いませんか?仕事は自分の考えを世に問うための、絶好のツールなのです。
2016/06/07 しくじった場合に、直しても痕跡が残りそうな時にはすぐに捨てます。出来上がったものでも、気に入らなければ捨てます。それにも拘らず、売られている商品を見ると「あちゃー」と思うことが有ります。そんな時には、評価基準の低さを反省しますが、これが無くなった時が進歩の終焉なのかもしれません。
2016/06/06 へなちょこなのに自信がある人を見る度に、なんじゃこいつは?と思っていました。ですが、赤ちゃんはどんどんと色々なことに挑戦していきますから、誰にでも生れながらに根拠のない自信が備わっており、へなちょこの彼はそれを持ち続けているのでしょう。それはとても素晴らしい事なのかもしれません。
2016/06/05 製造業者が問屋さん小売屋さんをないがしろにする姿を目にします。私は下手で売れない頃から、問屋さん小売屋さんに買い支えてもらい、生かされてきました。もしも彼等が滅んでしまったなら、そんな風に支援してくれる人はいなくなりますから、若い職人は育ちません。そんなのは寂しいじゃないですか。
2016/06/04 失敗する時は何らかの予感が有りますから、その場合には原因が解ります。予感が無いのに失敗した時は、その原因を探るために仮説を立てて検証し、問題を絞り込んでいきます。そして解決の暁には間違いなく上達しているのですから、失敗は有りがたいものです。なんて、素直に思えずに悔しがっています。
2016/06/03 一生懸命に取り組んでいる人にも2種類あるように思います。1つは、やりたいことに素直に取り組んでいる人。もう1つは、本当にやりたいことに気付くのが怖くて、やりたくない事に忙しく取り組んでいる人。この両者の違いが何処から来ているのか、子供の頃からずっと考えているのですが、解りません。
2016/06/02 自分にとっての理想のものを作ると、そうでないものを作っている人の反発を受けるので、止めた方が良いと言われました。私は自分の作ったものが一番良いなどとは思っていませんが、自分の理想を体現しているつもりですから、まさに反発を受けていることに成ります。では何を作ったらいいのでしょうか?
2016/06/01 ベテランの鍛冶職人が言うのです。どんなに良いものを作っても、食べていけなければやる意味は無いと。ですが、最初から儲かる仕事ならば誰でもやると考え、そうでない事を私は選びました。その結果何とか生活できていますが、最初から儲かることを選んでいたら、恐らく今も生活できていないでしょう。
2016/05/31 「知名度が高いのだから直販すれば儲かるのに」と言われますが、それは勘違いです。製作側の知名度が高いほど、流通側とチームを組んだ方が相乗効果は高くなります。ですから、出来るからといって良く考えずに始めてしまうと、得をしているつもりで、取り返しのつかない損をしてしまうことが有ります。
2016/05/30 特許申請済みの新商品を日本最大手メーカーに真似されたことが有ります。そこで改めて勉強する為に、工業所有権の講習会に参加しました。講習の第一部は工業所有権の取り方を、第二部は他社が取得済みの工業所有権の上手いかわし方を教えるというものです。私は馬鹿馬鹿しくなって会場を後にしました。
2016/05/29 男の顔は履歴書と言いますが、作られた物は製作者の履歴書です。製作者が何を考えてその作業を行ってきたのかが、そこに如実に現れます。自分の作ったものを見てもそれが解るのですから、目利きの第三者が見たらもっと強く感じるでしょう。人は顔にも製作物にも責任を持たなくてはいけないと思います。
2016/05/28 他人がどんなに腰が引けてしまう事でも、いとも簡単に成し遂げてしまう人がいます。無理をして頑張っているようには見えないし、却って楽しそうにさえ見えます。きっと情熱に駆られて、ただやりたいからやっているだけなのでしょう。強い情熱は、その人を目的地に向けて自動操縦するのかもしれません。
2016/05/27 百年後の大工の会話。「ビルゲイツ?無断で他人の窓を交換する奴だって?知らないね。それよりもこの芯が通ってキレッキレの玄能もその頃出来たらしいよ。この浩樹って奴は全身毛深くて蚊に刺されたことが無いんだが、猟師に撃たれたことが有るらしいぜ。全くすごい奴だ」こんな風に褒められたいです。
2016/05/26 鍛冶屋を始めたのが35歳なので、急いで一人前になる必要が有りました。そこで、師匠の「鍛冶屋は工場で泣くことが全て」との言葉を信じ、自分以外でも出来る事は全て他人に任せ、ひたすら工場で泣きました。他の鍛冶屋が私の存在に気付いた時には手遅れになる領域まで、息を止めて突っ走ったのです。
2016/05/25 小売屋さんから直接ご注文いただいても、地元の問屋さんをご紹介させてもらっています。するとその問屋さんは、私以外の鍛冶屋の商品も小売屋さんに紹介することが出来て、その鍛冶屋の商品も売れることに成ります。こうして分かち合うことにより、多くの人が幸せになりますから、私も幸せになります。
2016/05/24 手先が器用で上手いだけでは物足りません。鋭い感性を働かせて、一般人が気付かない進歩の余地を見つけ、それを具体化します。皆が気にかけていない所にこそ、変化をもたらしビックリさせるのです。その為にも日々の鍛練は欠かせませんが、楽しく仕事が出来なかったら、それも続かないと心得ましょう。
2016/05/23 師匠の長谷川幸三郎さんが目標とした千代鶴是秀さんは不世出の名工と言われ、師匠は300年に一人の名工と言われました。私だって少しは褒めてもらいたいと思っていますが、凡百の職人の一人と思ってもらって結構ですから、何とか死ぬまで可愛がってもらいたいと思います。一生懸命に仕事しますから。
2016/05/22 人は出来ると思うとやってしまい、もっと得意になり止められなくなります。勉強のできる人は偏差値の高い学校へ行き、人気企業に就職したりしますが、それは誰にとっても幸せなのでしょうか?どんなに得意でも、自分の本当にやりたいこと以外に時間を費やしていたら、才能を潰すだけだと思っています。
2016/05/21 人は生れながらに自分に相応しい役割を持って生まれて来ます。ですがそれが何か分からないので、見つける為の長い旅をすることになります。そして多くの人は目の前にその役割が現れても、もっと相応しい役割が有るのではないかと、何時までも探し続けてしまいます。悪い事にはそれを周りが応援します。
2016/05/20 出来るとはどういう状態なのかを、先ずは経験する必要が有ります。ですから最初は遅くても構いません。最初から急がせると、出来ている状態を思い描けず、何時までも良い仕事が出来ません。暗闇に手探りでは正しい所に辿り着けないのです。これからの時代は特に、急ぐより丁寧が大切な気がしています。
2016/05/19 こいつは凄いなと唸ることが有ります。他人より周回数が滅茶苦茶多いのに、周回遅れの人と同じ様に振る舞っているので、多くの人が気付きません。そして周りが気付いた時には、手の届かない領域に至っています。日々淡々としているので目立ちませんが、一番強いのはそういった人なのだと思っています。
2016/05/18 ヤスリは強く押し付けたからといってよく削れるものではありませんが、弱すぎても上滑りするだけで削れません。そこには丁度良い加減が必要です。この加減は、削る素材の違いだけで無く、作業者の体形や体力による個人差によっても変わりますから、自分に合った「丁度良い」を見つける必要が有ります。
2016/05/17 心の乱れは製作物の乱れになって現れるので、良い仕事のために平常心を心掛けています。その為には自分の精神状態を常に把握する必要が有りますが、心が乱れている時でも、自分と向き合うだけで不思議と心は穏やかになり、対処の必要は無くなります。ですから、職人に瞑想は必要ないのかもしれません。
2016/05/16 相手を素敵だと思い恋は始まりますが、時を経ると嫌な所が目につき始め、冷めてしまうことも有るでしょう。ですが、嫌な所も含めて素敵だと思えるように成れたら、それは愛に変わります。同じ様に、全業務が素敵だと思える仕事など有りませんが、嫌な所も含めて好きになれたら、それは天職に成ります。
2016/05/15 基本通りにやったのに上手く出来ないからといって、簡単に諦めてはいけません。基本と違うやり方で上手く出来ても、必ず何処かで行き止まります。多くの先人が試し続けた結果、一番と判断された方法が基本なのですから、きっと貴方にもそれは当てはまります。今出来ないのは、単に下手くそだからです。
2016/05/13 幾らでも見せてやるから、真似出来るなら真似してみろと、有る職人が言うのです。とても自信ありそうな事を言いますが、世の中には見ただけで出来てしまう人は沢山います。今迄真似されないのには他の理由が有るのかもしれません。自分に出来ないからといって、他人も出来ないと思ったら大間違いです。
2016/05/12 良い刃物ほど使われ、研ぎ減らされて消滅していきますが、玄能は使われても減ることが有りません。そして良いものほど使い続けられますから、500年後、1,000年後に使われている可能性もあり、銘入りなので名前も残ります。玄能鍛冶の仕事はなんて遣り甲斐とロマンに満ち溢れているのでしょう。
2016/05/11 完成後に現れる姿にも2種類あります。1つは、求められる機能を追求した結果として現れる姿。もう一つは、その姿を作る為だけに作られた姿。深い思考を伴った上で現れる姿は、付き合う程に趣が増します。機能を伴わない姿は、安っぽく飽きられ易いものですが、目が肥えていないと騙されてしまいます。
2016/05/10 師匠の作ったものを見ると、どの様に作ったのか解らないものが沢山有ります。ですが、必ずヒントが有り、それを頼りに試作を繰り返すと、正解に辿り着けます。ですが、そんな呑気な事をする人は限られているので、似て非なるものが世の中に出回り、伝統が失われたことにすら、多くの人は気付きません。
2016/05/09 釣り堀での何時もの光景です。とても上手い人は自分と向き合い黙々としています。上手い人はとても上手い人の仕草を静かに注視しています。少し上手い人は同じ程度の人と教え合っています。そして下手な人は、自分より下手な人に口うるさく教えています。ひとの悪い私はそれを見てニヤニヤしています。
2016/05/08 解ったつもりで満足してはいけません。無意識に何度でも同じように出来るまで鍛錬が必要です。条件が変わっても同じ様に出来なくてはいけません。何時でも10回やって同じように出来た時をスタートだと思うくらいで丁度良いのです。そうなって初めて、先人の創り上げて来た伝統の重さが解るはずです。
2016/05/07 鍛冶屋に成りたての頃は、私の話に耳を傾けてくれる人はいませんでした。ですが実績を重ねてくると、少しずつ話を聞いてくれるようになりました。私は同じことを話しているのに、これは大きな変化です。ここから分かる事は、信頼を得るには誠実なだけではだめで、実績を作る必要が有るということです。
2016/05/06 熟達してくると、些細な現象から多くの情報を得ることが出来ます。一瞬で出来不出来が決まる焼入れも、何処からどの様に冷えて、どう変化していくのかが、まるでスローモーションの様に見えます。一瞬がとても長く感じられるのです。又、目の前に集中している筈なのに、周りがとても良く見え始めます。
2016/05/05 昭和44年初版の岩崎航介著「刃物の見方」を読むと、著者の業績が三条の刃物文化に及ぼした影響が絶大な事が解ります。氏の教えで「教えてはいけない」「仕事場を見せてはいけない」「金持ちを希望する人は駄目」等とありますが、現在それを守れる職人は皆無でしょうから、氏の憂いは増すばかりです。
2016/05/04 日本の伝統工芸は貧乏を承知で夢中になれる魅力を持っていましたが、現在では生活出来なくなることも有り、魅力を失ってきました。ですが、生活できるような仕事のやり方を新たに築き上げれば、継承も可能でしょう。そして、それは何時の時代でもやってきた事であり、それが革新につながる気がします。
2016/05/03 人が丸くなる事は、刃物でいえば軟らかくなったり、刃先が丸まったりする印象が有り、そんな風に鈍くなるのはいやだなと思っていました。ですが鋭ければ他人を傷つけるので、丸くなることは大切です。玄能の面取りの様に、欠け難く、相手に傷を付け難く、且つ思い切り使えるようになるのなら素敵です。
2016/05/02 日本古来のたたら製鉄は、砂鉄から直接に鋼を作ります。現代では先ず銑鉄を作り、それを加工して鋼を作る2段方式で、効率を考えると後者が、出来た鋼の純度では前者が優秀です。これは、直接幸せな働き方をするのか、儲けてからそのお金で幸せな事をするのかという、幸せの求め方に何故か似ています。
2016/05/01 ドМを告白しますが、子供の頃の座右の銘が「苦は楽の種」でした。実践して分かったのは、苦しいだけの苦と楽しく出来る苦の二種類有る事で、前者も楽の種にはなりますが、心身を病んでしまいそうです。苦しいはずなのにそれを楽しめる苦こそ、本当に自分を鍛え、楽をもたらしてくれるのだと思います。
2016/04/30 変わっていると言われ続けて五十有余年、私はこれで至って普通なのです。ですから普通に考えて行動するだけで、周りの目には独創的に映るようで、自分ブランド創りにとても重宝しています。ですから、変人と言われて悩んでいる人は、それが掛替えない才能で有り、褒め言葉だと思っていればいいのです。
2016/04/29 五感を研ぎ澄まして得られた情報を元に、足りない情報を想像するのです。すると、目に見えていない火床の奥にある材料の温度や、槌で叩いている材料の組織状態でさえ、見えている感覚を持てる様になります。自分が行っていることで、何が起きているのかを想像しながら作業を進めることが大切なのです。
2016/04/28 自分のしている作業の意味を良く考えて、金属内でどのような変化が起きているのかを想像しながら作業します。出来たものを分析して、自分の思っていた様になっているか確かめ、そのフィードバックを次の作業に活かしながら、また想像しながら作業するのです。この想像することが、とても大切なのです。
2016/04/27 ご使用者様から直接ご注文いただいた時には、小売店様を紹介させていただいています。すると、ご使用者様だけでなく、小売店様や問屋様も私を大好きになってくれます。こうして大好きな人が増えると、私も張り合いが出ますから、もっと良い玄能を造ることが出来て、益々好きになってもらえるわけです。
2016/04/26 人生は短いと言われますが、結構長いと感じています。振り返れば、落ち着き無く色々とやってきたお蔭で、結構身に付いていることが多くて驚きます。ただしその身に付いた事に対する他人の評価は、即お金になることを良しとするのか、人生の充実に繋がることを良しとするのかで、人それぞれに別れます。
2016/04/25 新しい事に挑むときは、やり方を考えて、現場で試行錯誤します。上手く行きそうな方法を見つけたら、工程を組み立てて、通してシミュレーションします。あとは何度もイメージトレーニングをして、実際に作業してみます。それで上手く行ったら成功ですが、上手く行かなかったら、最初からやり直します。
2016/04/24 前をノロノロ走る車がいれば、追い越したくなり、隣の人が魚を釣り上げれば、もっと大きく、もっと沢山釣ってみたいと思う。これは人間の本能であり、進化の源泉でもあると思いますが、同時にとても不幸にしている気がします。他人よりも少しでも良くありたいと思う気持ちは、永遠に続くでしょうから。
2016/04/23 出来なかったことが出来るようになると、ステージが上がり視野も広がります。すると、より自分の事が良く見えるようになるので、出来ていないことの多さにも気付いてしまいます。ですが上達し続ける人はめげるどころか、それを心地よく思い、より高みを目指します。あいつらは間違いなく変態なのです。
2016/04/22 私は非常に短気なので、丸くなる決心をしたのです。まず、車を運転している時に横断歩道に人がいたら、必ず止まることにしました。それが出来るようになったので、ノロノロと走る車の後ろについても、絶対に追い越さないと決めたのです。ですがそれを実行していると、なぜか涙が出てくるのです。(笑)
2016/04/21 焼入れで肌が荒れてしまうので着色することが有ります。左様に対症療法も必要な場合もありますが、出来れば根本から解決したいものです。どうしたら肌が荒れない様に出来るのかを考え、それが出来たなら、後工程は必要なくなるのですから。師匠の言う正当なもの作りとは、そういう事なのだと思います。
2016/04/20 無意識に出来ている事でも、奥深いものは数多く有ります。歩行であれ車の運転であれ、工夫することでより楽しく、より上達出来るのに、殆どの人は何も考えずに行っています。ですが、どんなに簡単そうなことでも、その中に難しさや奥深さを感じ取れる人は、人生をとても豊かに送ることが出来そうです。
2016/04/18 どんなに嫌いな事でも、始めれば出来る様になりますが、これが厄介なのです。人は出来たことに執着して、それを手放せなくなり、新しい事に挑戦する気概を無くしてしまいます。ですがそれを好きになったなら、夢中で取り組むことで次々と新しい扉が開き、否が応でも新しい事に挑戦したくなるはずです。
2016/04/17 嫌いな事を我慢してやっていても、楽しくありません。興味が持てません。周りが見えません。集中できません。覚えられません。上達しません。誇りが持てません。生きる意味を見出せません。ですが、やってみもせずに嫌いだと決めつけるのは、自分の可能性を潰し、折角のチャンスを逃すことに成ります。
2016/04/16 やれば出来るようになるのは当たり前なので、始めることは大切ですが、出来たらそれが好きになるかといったら、そうとも限りません。私は訓練して人前で話したり歌ったりすることが得意になりましたが、いまだに大嫌いです。出来るからといって未練がましく続けることが、一番いけない気がしています。
2016/04/15 年を取ると丸くなると言われますが、残念ながらそんなことは有りません。多くの年寄りは、益々意固地になり意地悪くなっていきます。中には丸くなったように見えて、実は人生を諦め、元気が無くなっているだけの人も少なくありません。ごく少数の丸くなる準備の出来ている人だけが、丸くなれるのです。
2016/04/14 厳しい試練に耐え自分一人を鍛え上げれば、一度きりの勝負では勝てるかもしれません。ですが勝ち続けるには、周りの協力を得て戦う必要が有ります。そこで一番大切なのは、直接の協力者だけでなく、戦う相手をも尊重することです。ですが、それが出来たなら、勝敗は結果にすぎない事に気付くでしょう。
2016/04/13 起業するには忍耐強く自分を律する必要が有ります。起業後にその事業を継続するには、協力者に対して忍耐強く寛容であることが求められます。ところが、自分に厳しい人は他人にも厳しくなりがちですが、起業して経営を続けるには、自分に厳しく他人に寛容であるという、忍耐強さの使い分けが必須です。
2016/04/12 難しい事を為すには、その根幹をなす多くの簡単な事が無意識に出来る必要が有ります。ですがどんなに簡単な事でも、最初は出来るまで時間が掛かるので、それを続ける必要が有ります。この「続ける」ことが一番難しく厄介なのですが、これが出来ると、何時の間にか難しい事が出来るようになっています。
2016/04/11 自分の車の前をノロノロと走る車がいてイライラする時には、自分は忍耐力が無いなと思います。地道に訓練を重ねて、出来なかった玄能が出来るようになると、自分は忍耐力が有るなと思います。この他人に対する忍耐力と自分に対する忍耐力の両方が付いた時に初めて、本当に幸せになれる気がしています。
2016/04/10 先を急ぐあまりに、途中の工程を省いてはいけません。必ずしっぺ返しを受ける事になりますが、世の中はそれが出来るかの様な宣伝で満ち溢れています。その点大工道具は正直で、使いこなすのにズルは許されません。玄能も自分で柄を削り仕込むことが出来て初めて、上達のスタートラインに着けるのです。
2016/04/09 子供の頃から苦手な事が多く、それを他人が平気ですることに驚いていました。なんとか苦手を克服しようと努力して、克服出来たことも有りましたが、益々嫌いになったことの方が多い気がします。ですが、私が得意で他人には苦手な事も多い事に気付き、自分と他人を比べることの愚かさを痛感しています。
2016/04/08 全ての人間には、独自の生まれ持っての役割・使命が有ると信じています。ですから他人には上手く出来ないけれど、自分なら上手く出来る事を子供の頃からずっと探して来ました。それを見つけ、思う存分に力を発揮して世の中に貢献できたなら、間違いなく幸せに生きることが出来る気がしているからです。
2016/04/07 以前やってみて駄目だったからといって、それが本当に駄目とは限りません。その時の能力が不十分なだけで、今の自分なら上手くいくかもしれません。同様に、どんなに間違えているように思える事でも、今の自分には理解出来ないだけかもしれないので、すぐに否定してしまうのは止めた方が良さそうです。
2016/04/06 何でもお金に換算することを多くの人が無意識にしておりますが、お金を価値の基準にしていることは、考えてみると気持ち悪いです。確かに価値を比較しにくいものをお金に換算して比較することは便利ですが、その行為がお金に代え難い多くの尊いものを、とても安っぽくしているように思えてなりません。
2016/04/05 好奇心旺盛な人は新しい興味の対象を見つけようと、何時も周りを気にしています。好奇心の少ない人は、既存の興味有る事だけに集中し、周りで何が起きようと無頓着です。この両者は同じ環境に居たとしても、見えたり感じたりするものに雲泥の差が有りますから、全く別の世界を生きているのと同じです。
2016/04/04 金槌が造れるからといって、玄能も造れると思っていたら大間違いでした。同じ素材を使い、同じ設備が有れば出来ると思っていたのは勘違いだったのです。そもそも金槌は金物を叩く道具であり、玄能は木槌から進化した鑿を叩く道具です。見た目が似ているからといって、同じ様に造っては用を為しません。
2016/04/03 管理釣り場(釣り堀)の脇をカモシカが歩いていきました。それを見た人達が「大きな犬だ」とか「ヤギがいる」とか「牛が逃げてきた」とか言うのです。カモシカを見たことのある人なら一目見てそれと分かりますが、知らない人には犬やヤギや牛に見えてしまうのです。これはとても大きな教訓になります。
2016/04/02 師匠は魚の釣り方を教えるかわりに、魚の釣り方を自分で考える習慣を私に付けてくれました。きっと師匠は、自分が何時までも元気でいられる訳では無く、自分がいなくなった後でも、私が十分に活躍できるように、配慮してくれていたのだと思います。お蔭で、今でも何とか自分で問題を解決出来ています。
2016/04/01 子供の頃から身体を動かすことが大好きで、剣道や水泳で体を鍛えていましたが、試合や競技会は興味が有りませんでした。競争することが嫌いなせいなのですが、負けたくないという気持ちを持った時点で、既に相手に感情を支配されている様な嫌な気持ちになるからです。なんて面倒臭い性格なのでしょう。
2016/03/31 師匠は答えを教えてくれず、自分で答えを出すことを私に求めました。師匠が亡くなられてからは、玄能造りの具体的技術について相談できる人はいませんが、困ることは有りません。何故なら自分で考えて答えを出す習慣が付いているからで、50歳を過ぎた今でも、日々着実に上達している実感が有ります。
2016/03/30 物心付いた頃には玄能を握りものを作り、その後は魚釣りにはまり、水泳に明け暮れ、自転車とオートバイを乗り回し、剣道とスキーで体を鍛え、詩を吟じ、社交ダンスで女子にもて、キャンプで自然を満喫してきました。今ではそのほとんどを止めてしまいましたが、結局元に戻り、玄能を握っているのです。
2016/03/29 仕事だと夢中になり我を忘れてしまいますが、趣味は長続きしません。それが何故なのかずっと考えていましたが、解った気がします。その理由は飛び抜けて好きな事を仕事にしてしまったためでしょう。又責任感を伴う事も楽しいですし、楽しんだ上にお金がもらえることも、夢中になる要因かもしれません。
2016/03/28 百聞は一見にしかずと言いますが、たとえ同じものを見たとしても、人により見え方が違うだけでなく、人によっては全く見えない事も有ります。他人のやっていることを見て、自分ならもっと上手に出来ると思った時には、もしかしたら自分には何も見えていないのかもしれないと、注意した方が良いのです。
2016/03/27 やりたい事が見つからないと言う人がいますが、なんじゃそりゃと思うのです。そういう人は子供の頃に何をしていたのでしょうか?周りの大人の言うことを鵜呑みにして、やりたくない事ばかりやっていた訳では無いでしょう。何か一つでも好きな事をやっていたはずです。それがやりたい事ではないですか?
2016/03/26 玄能鍛冶になる前の事です。ある人に玄能鍛冶になりたいと言ったら、金持ちに成りたかったら玄能鍛冶などやらない方が良いと言われました。私は金持ちに成りたいから玄能鍛冶になりたい訳では無かったのですが、その人は金持ちに成ることが一番の目的で、その為に何をやるかは二の次だったのでしょう。
2016/03/25 以前「玄能鍛冶は歯が命」というコピーで「キシリトール入り玄能」を作ったことが有ります。その際に特保を申請したのですが、あっさりと断られてしまい悔しい思いをしました。そこでこの度は、舐めるだけで鉄分その他のミネラルを補給できる「ミネラル玄能」を作り、特保を申請してみるのです。(嘘)
2016/03/24 高校生の頃のことです。私は飲み込みが悪いために授業に付いていけず、何時も他の生徒に迷惑を掛けていました。そこで、自分のペースで勉強したいから、そういった変わった生徒専用のクラスを作ってくれと作文に書いたら、弁論大会の代表になってしまいました。きっとこれは公開処刑だったのでしょう。
2016/03/23 誰とでも仲良くしろとか、親孝行しろとか押し付ける人がいます。誰とでも仲良く出来ないから戦争は起こるし、暴力的な親は子供を殺すことさえありますから、どうしても合わない人とは、距離を置くことも許してやった方が良いと思います。心無いアドバイスで、どんなに多くの人が苦しんでいるでしょう。
2016/03/22 前の職場では一生懸命なだけの無能と言われ、馬鹿にされ続けましたが、周りをみても一生懸命な人は僅かですから、一生懸命なだけでも、それは能力だと思っていました。今は一生懸命なだけで応援してくれる人が沢山いますが、私は何も変わっていないのに、周りの反応がこんなに違うのは面白いですよね。
2016/03/21 鍛冶屋になる決心をした私は、やるだけの事はやってみたものの、どうしても越えられない壁にぶつかりました。そこで周りに助けを求めたのですが、世の中は優しい人がいるもので、多くの人に助けられて今の私がいる訳です。師匠には何時も「あんたは図々しい人だ」と笑いながら言われていましたけれど。
2016/03/20 今日出来たから明日も出来るとは限りません。明日になれば多くの条件が変わり、特に自分自身はとても大きく変わります。これを最初の頃に私は良く分からず、失敗の原因が燃料や材料等にあると思っていたのですが、今では自分の感情や感覚が原因だと気付いており、訓練の大切さが身に染みているのです。
2016/03/19 お金が儲かるからだけでなく、それをすることで世の中に貢献している実感を得たいのです。それも苦手や嫌いな事では無くて、最大限且つ最善に自分の力を発揮できるであろう得意で好きな事で、それを実現したいのです。仕事をすること自体に喜びと幸せを感じたいのです。笑いたい人は笑えばいいのです。
2016/03/18 子供の頃から目標を決めたらじっくりと腰を据えて取り組むタイプの私を、周りはグズと呼びましたが、気にせずケツに聞かせていました。そういった経緯で出来上がったのが今の私です。ですから、巧遅は拙速に如かず等と無理強いされて、どれ程多くの人が能力を発揮出来ずにいたかを考えると悔しいです。
2016/03/17 黙読の際に文章を音として認識している人と、そうでない人がいるらしいです。私は音として認識しているので、誰もがそうだと思っていたので驚きました。同様に、自分は簡単に出来るので、他人も簡単に出来ると思っていたら、全く出来なかったなんてことが有ります。それこそが商売のチャンスなのです。
2016/03/16 他人への憧れは大きな力になります。その人に強烈な興味を抱き、あんなふうになりたい、あんなふうに振る舞いたいなど、自然に考えて行動に移します。また、その人の言動を肯定的にとらえ信じることで、効果的に行動出来ます。ですから、憧れの師匠を持つだけで、上達は約束されたようなものなのです。
2016/03/15 見るからに変人が言うのです。子供の頃から自分の性格が嫌で、それを変える努力をしたおかげで普通になりましたって。彼の持つ滅多に無い可笑しな性格を活かせば、他人のやらない事や、やれないことが出来たはずなのに、なんてもったいない事をするのでしょう。普通なんてものが一番つまらないのにね。
2016/03/14 脳みそは夢と現実の区別がつかないと聞いたことが有ります。確かにリアルな夢を見ると、現実と区別がつきにくいことが有ります。イメージトレーニングが上達に有効なのも、同じ理由からでしょうから、イメトレを最大限且つ最善に活かすためにも、最高のお手本になる師匠を見つける必要が有りそうです。
2016/03/13 釣り針は素人目に同じに見えても、出来の良し悪しで釣果が驚くほどに違います。ですが初心者は釣り針が悪い事に気付かず、自分の腕が悪いと思ってしまいます。腕が悪いと判断し努力するのは結構ですが、道具が悪いと腕も良くなりません。又、道具を見る目が肥えることで、道具文化は進化するものです。
2016/03/12 足りないものを足すことが「教える」だとすると、既に有るものを最大限且つ最善に活かすことが「育てる」なのでしょう。そもそも人は足りないことだらけですが、足りないからと何でも足していくと、既に有るものを殺してしまうことがあります。有るものを活かすように足していくのが教育なのでしょう。
2016/03/11 師匠の話は知らない事ばかりで、何時も驚かされました。ですが興味深く聞く人は、殆ど居なかったそうです。あるセミナー講師に聞きました。人は自分の知らない事を聞くより、知っていることを聞いて安心したいのだそうです。きっと知らないことを聞いて、自分の無知に気付くのを恐れているのでしょう。
2016/03/10 上達すれば安心できると思い、ひたすら仕事に励んできましたが、どうやら間違いのようです。やればやるほど、それまでは気づけなかった不手際が気になり出し、それを解決するほどに、次の不手際が目に付きはじめます。仕事嫌いには無間地獄そのものですが、ドМな仕事好きにとっては極楽浄土なのです。
2016/03/09 自分を最大限且つ最善に活かすことが、この世に生を受けた者の務めだと思ってきました。ですが、それぞれに生きたいように生きているのですから、そんな風に考えるのは余計な御世話なのだと気付いたのです。蟻だって2割は怠け者らしいです。人間だって2割の怠け者がいても良いんじゃないでしょうか。
2016/03/08 色々と挑戦してきましたが、自分らしくない事をどんなに頑張ってしても、ストレスが溜るばかりで、上手く行くことは有りませんでした。ですがやってみないことには、それが自分らしい事なのか、そうでないのかよく分からないので、他人に勧められた事は、騙されたつもりでやってみるのも良いものです。
2016/03/07 1つの事に最善を尽くそうとすると、その他の事は疎かになってしまいます。ある人はその最善を尽くしている部分を見て感心し褒め、有る人は疎かにしている部分を見て落胆し非難するのです。左様に、同じ人物でも人により印象が違ってくるので、誰からも好かれようとすること自体、無駄な努力なのです。
2016/03/06 競争が嫌いなので、他人のやらない事や出来ない事をやり、人の眼に出来るだけ触れないようにしてきましたが、とても目立たないはずなのに不思議と人脈には恵まれており、そのお蔭で穏やかな気持ちで生きることが出来ています。間違いなく世界には目に見えないネットワークが張り巡らされているのです。
2016/03/05 スポーツ選手が地元の小さなチームから徐々にメジャーなチームに出世していく様に、職人も出世していける筈です。その為にも、一人で出来る事には限界が有るので、得意を活かし不得意は補い合う様に、お互いの資質を分かち合いながら切磋琢磨出来たなら、職人だけでなく、産地自体が出世するでしょう。
2016/03/04 20代の頃は50代のおっさんを見て、もう進歩など何もないただの年寄りだと思っていました。ですが50歳を過ぎて、ようやく頭の中の整理整頓が付きはじめ、見えていなかったことが見え始めました。そして本当の幸せが、得ることではなく与えることだということにも、一寸だけ気付くお年頃なのです。
2016/03/03 しくじったものをどんなに修正しても痕跡は残り、誰も気付かないと思っていても、目利きにはばれてしまいます。そして目利きであるほど世の中に影響力を持っているので、悪い評判は立ちやすく、逆に目利きに認めてもらえるならば、良い評判が広がります。どんな業界にも目利きが居る事を知るべきです。
2016/03/02 玄能を始めた頃は、見える部分だけにこだわって作っていました。ですが研究するにつれて、見えない部分こそが大切だと気付き、それからは見える部分を後回しにしたのです。すると不思議にも、見えない部分が上達するにつれて、見える部分までもが磨かれてきました。左様に人間と玄能は似ているのです。
2016/03/01 他人には出来ても私には出来ないことが沢山有るので、その穴をどうやって埋めるか考えていた時に、はっと気付きました。竹輪には穴が有りますが、有ると言っても何もないから穴であり、穴が有るから竹輪なのです。他人に有っても私にはないものが有って私なので、竹輪と私はとても似ている気がします。
2016/02/29 掛け算九九をどんなに早く暗唱できても、方程式が解ける様にはなりません。普段の仕事がどんなに上手く出来ても、より難しい仕事が出来る様にはなりません。ですから、難しい仕事の依頼が無くても、普段から訓練しておかないと、売れなくなった子役の様に、いつの間にか通用しなくなってしまうのです。
2016/02/28 売れている成功本は、当たり障りなく多くの人に好まれる内容になっているので、言うなれば大量生産の既製品です。参考になることが有れば取り入れればいいでしょう。ですが、成功の定義は人それぞれに違い、その導き方も千差万別ですから、自分らしく生きたいなら、自分流を特注で創る必要が有ります。
2016/02/27 そもそも正解だと思っている事が間違えているなら、どんなに真面目に努力しても、間違えた結果にしか辿り着けません。世間の同調圧力に流されて自分で思考することを放棄していると、この罠に嵌ることがよくあります。ですから、烏合の衆がもっともらしく言っている事やアドバイスには注意が必要です。
2016/02/26 商品開発など馬鹿馬鹿しい。売れている物を真似ればいい。これは以前同業者から聞いた言葉で、金物問屋さんも推奨していました。私の地元は他所で売れている物を真似て、何処よりも安く作ることで栄えてきた側面が有りますが、物が売れない昨今はその安さがあだとなり、地場産業が地盤沈下しています。
2016/02/25 興味無い事に一生懸命に成れと言われてもやる気になりませんが、大好きな事ならやるでしょう。ならば、他人の役に立つことの素晴らしさを説き、大好きな事を発見する方法を指導できる先生がいたら、子供たちは放って置いても大好きな事で世の中に貢献したいと考え、一生懸命に勉強するのではないかな?
2016/02/24 年を取ると、それまで気付けなかった新しい発見が有ります。体力の衰えを工夫する為に身体の動かし方を工夫すると、人間の潜在力に気付きます。視力の衰えを補う為に老眼鏡をかけると、何も見えていなかったことに気付きます。そして、不自由な人の気持ちが解るようになる等、結構いいことが有ります。
2016/02/23 頑張らないと出来ない事は、きっと向いていません。それが大好きなら続けてもいいと思いますが、そうでないなら早く見切りを付けた方が良いのです。幸せに生きる秘訣は、やらずにはいられないことを早く見つけて、それを淡々とやることだと思います。何故なら、思わず一生懸命になっている筈ですから。
2016/02/22 最近は矢鱈と前向きになれとか元気を出せとか喧しいですが、前向きでなくても元気がなくても、立派に生きている人は沢山います。皆がジョブズになりたいわけではないし、中には良寛さんを慕っている人も居るでしょう。ですから、人間はもっと自分の個性を生かして、のびのびと生きて良いと思うのです。
2016/02/21 何時でもやりたいことがはっきりとしている私は、暇というものが有りません。子供の頃からそうなので、暇がどんなものなのかも解りません。時には意識して暇な時間を作ろうと、一人で何もない山奥に行ってみたりするのですが、その環境をつい満喫してしまいます。昼寝すら一生懸命にしてしまうのです。
2016/02/20 戦後直後の日本は、稚拙な技能でも出来る仕事が沢山有りました。ですが今の成熟した日本では、最初から高度な技能を求められるので、それを持つ一部の人とそうでない人で、収入格差は益々開きます。努力しても収入の見返りの少なくなる大多数は、お金に変わる新たな価値を見出す必要に迫られています。
2016/02/19 若い頃の様には体が動かないので、色々と工夫します。それは体の使い方だったり、使う道具の改良だったりしますが、一寸の工夫でとても楽に、そして上手い具合に作業出来るので、もっと早くにやっておけば良かったと、何時も悔しがるのです。しかし、身体が痛くなって初めて、気付くことが多いのです。
2016/02/18 上手く行かない時に、一度に多くを変えてしまうと迷子になります。だから先ずは一つだけ変えてみる。それでだめなら元に戻って、他を一つだけ変えてみる。それで少しでも改善したら、そこを軸足にして、また一つだけ変えてみる。これを繰り返していくことで、迷子になることなく目的地に辿り着けます。
2016/02/17 目の前で起きていたはずなのに、ある日突然それに気付くことが有ります。出来ていると思っていても、出来ていなかったと気付くことも有ります。もの作りは毎日が勉強であり、気付きの連続ですが、気付く準備が出来ていないうちは、自分に何が足りないのかさえ気付けないので、絶対に威張れないのです。
2016/02/16 問題を一つずつ潰していくと次の扉が見えてきます。それを開けるともっと厄介な問題だらけですが、実はそれに気付けること自体が才能です。ですがそれ故に、何時になったら答えにたどり着けるのか不安にもなりますが、もしも不安よりワクワクの方が大きいなら、それが貴方に向いている事なのでしょう。
2016/02/15 焼入れの際に玄能を加熱し、硬くしたい所に水を掛けて急冷しますが、焼きが入り硬くなった所は急激に膨張し、そうでない所との境目にヒビが入ることが有ります。ですが、焼入れ前の鍛造でしっかりと鍛え上げておけば、ヒビを防ぐことが出来ます。人間も同じで、日々の鍛練は心と体のヒビを防ぐのです。
2016/02/14 手っ取り早く便利な手法を取ると、感覚が身体から離れていきます。すると、勘に頼れば簡単に出来る事まで、機械や器具に頼ることになり、益々勘が鈍くなります。そして勘を磨く面白さが忘れられ、上達する楽しみまで失われてしまいます。ですから、便利は勘を鈍くし、楽しみまで奪うことが有るのです。
2016/02/13 子供の頃から、自分は価値の無い人間だと思っていました。しかし仕事を始めると、喜んでくれる人がいるのです。それまでは自分のやることに喜んでくれる人などいなかったので、夢中で仕事をしたものです。私にとって夢中になれるかどうかは、誰かの役に立っているという自覚の有無なのかもしれません。
2016/02/12 1件の新しい優良なお客さんとお取引出来たなら、嫌なお客を1件だけ切っていいと、ある社長が社員に言いました。ですが、私なら嫌なお客と縁を切ったのちに、新しいお客さんを探すと思います。何故ならば、優良なお客さんは、嫌なお客とお付き合いの有る人とは、お取引したいと思わないでしょうから。
2016/02/11 仕事ばかりしていると飽きてくることも有るので、たまには趣味をしてみたりしますが、仕事ほど夢中になれないのです。何故なのか考えてみたのですが、趣味は夢中になる人が多く競争が激しいので、勝てる見込みが有りませんが、仕事は夢中になる人が少ないので、勝てそうな気がするからかもしれません。
2016/02/10 世間は貴方に「巧遅は拙速に如かず」と言って急かしますが、「急いては事を仕損じる」とも言います。急ぐことも大切ですが、たった一つでいいので、時間を掛けて深く掘り下げてみると、見えていなかったことが見え始めます。そしてその経験は、人生のあらゆる面に素敵な影響を及ぼすに違いありません。
2016/02/09 失敗はその瞬間ではなくて、ずっと以前に問題の芽を抱えていることが多いので、過去に遡りそれを排除しなくてはいけないのですが、それが難しいのです。何故ならば多くの人は、築き上げてきたものの否定を無意識にためらってしまうために、年齢を重ねるほどに、過去の過ちを素直に振り返れないのです。
2016/02/08 仕事の報酬は仕事であり、それも今迄より自由に、そしてより楽しく出来る条件付きの仕事なのです。もしもそれが実現できたなら、同じ仕事をしても、より良いものが出来て当然ですから、そのサイクルを回し続けさえすれば、お客様も自分も、そして関わる人全てが、より幸せに生きることが出来そうです。
2016/02/07 子供の頃から物作りが大好きで、何時も小遣いを注ぎ込み、何かを作り続けていました。それはプラモデルや木の工作だったりしたのですが、出来上がると直ぐに全てを捨てていたのです。それが今では、大好きな玄能作りをして、それが売れてしまうのですから、なんだか申し訳ない気がしてならないのです。
2016/02/06 「玄能の評価を聞かせてください」と師匠にお願いしても「あんたはどう思っているのだ」と言われただけでした。お客様に同じことを聞いても「悪かったら言うから」と言われるだけなのです。そこで自分で考える訳ですが、不思議と自ら気付くことが多いのです。答えは何時でも自分の中に有るのでしょう。
2016/02/05 趣味は楽しい事ばかりでしょうか?苦しい時も有りますよね?仕事は楽しい事ばかりでしょうか?苦しい時もありますよね?それでは、趣味と仕事の違いは一体何なのでしょう?それはやりたくてやっているか、そうでないかの違いだけなので、やりたいことを仕事にすれば、それは趣味になってしまうのです。
2016/02/04 接客の勉強をするのに、お役所はピッタリです。随分待たせた挙句、横柄で不親切な対応と、何度でも手間取らせる良く分からない説明で気持ちを逆なでる。それでもお客さんはそこでないと出来ない手続きの為に、歯を食いしばって辛抱するのです。お客の心をつかんで離さないお役所の接客はすごいのです。
2016/02/03 商品は良さそうに見せなければ売れません。ですが、志向がバラバラな不特定多数を対象に良さそうに見せると、商品の特徴がぶれてしまいます。ですから、誰に対して良さそうに見せるのかが大切になりますが、私なら儲けさせてくれそうな人よりも、大好きな人が喜んでくれるものを作りたいと思うのです。
2016/02/02 出来た物の検査を装置に頼れば点ですが、勘に任せれば面で確認できます。例えば玄能の硬度の検査を硬度計に頼れば、一度に一点しか測れませんが、砥石で研げば、砥石の上での滑り具合や研ぎ面の光沢を身体で感じることで、面全体を一度に確認できます。どちらの情報量が多いのかは推して知るべしです。
2016/02/01 自己顕示欲の強すぎる人は無能に見えて嫌いでした。ですがよく考えてみると、有能で自己顕示欲が強く、それが大いに歓迎されている場合もあることに気付きました。自己顕示欲は誰もが持っており、それ自体は善でも悪でもないけれど、顕示されるものの質によって、嫌われたり歓迎されたりするのですね。
2016/01/31 大好きな事をやった素敵な思い出は、何時までも心に残ります。嫌いな事を我慢してやった嫌な思い出は、早く忘れたいものです。人生を学び多き有益なものとするには、自然とやる気になり、やった記憶が何時までも残ることをした方が良さそうです。ならば、やはり大好きな事をやらざるを得ないでしょう。
2016/01/30

上手い下手以外にも、その人の品格やその時の感情が出来たものに現れます。それは誰かに指摘されなくても、本人が一番解るものです。もしも解らないとするならば、その作業が好きではないのでしょう。ならば上達も望めませんから、向いていないと見切りを付けて、早く違うことを始めた方が良いのです。

2016/01/29 自信のない自分を時々責めてみたりしますが、自信を持たなくてはいけないという強迫観念から脱した時に、自信はついているのかもしれません。それは即ち自信の有無などに関わりなく何でもできる状態なので、やることに対して無理せず自然に出来ているなら、自信などそもそも必要ないのかもしれません。
2016/01/28 肉体労働を見下す人でも、究極の肉体労働であるスポーツの観戦はします。そして、そのパフォーマンスに大喜びします。では鍛冶屋も訓練を重ね、良い商品を創り上げさえすれば、大喜びさせられるのでしょうか?私は出来ると思います。ですが、「良い商品」の定義を先ずは決めなくてはいけないでしょう。
2016/01/27 地元の鍛冶屋が私に言うのです。自分は何でも作るし、玄能作りも鋼付けも簡単だと。私は他人の作るものが簡単そうに見えることは少ないので、そんなことを言える人は自信が有って羨ましいですが、そういう人に限って大した仕事をしていないのが、一寸だけ気になります。自分の事は見えにくいものです。
2016/01/26 「オンリーワン」とは誰かにとっての「ナンバーワン」な訳で、故にただ「一生懸命になればいい」訳ではなく、誰に対してどんな状態であるのかが大切なのだと思います。もしかして、その誰かは「そのままの君が好きなのだから、花なんか咲かせるなよ」と言うかもしれません。独りよがりは禁物なのです。
2016/01/25 玄能鍛冶を始める前は幸三郎さんの玄能を見ても何も感じませんでした。自分でやってみると、徐々にその素晴らしさと製作上の難しさが身に染みてくるのです。ですから物事を客観視することは大切ですが、どっぷりと浸からない限り解らない事の方が多いのかもしれません。他人の苦労は解りにくいのです。
2016/01/24

騙されたと思ってやってみろと言われても、騙されると思えばやりません。ですが、その花を咲かせることだけに一生懸命になればいいなんてSMAPに言われたら、その気になってしまいます。どちらも何の根拠もないのに物は言いようですが、実は誰にそう言われたかで、人は決めているのかもしれません。

2016/01/23 職人仕事の衰退は時代の趨勢とはいえ、あまりに急過ぎます。もっと掘り下げるべき事が有り、新しい発見も有るはずなのに、多くの人が止めてしまった様です。お金だけを求め、目に見えるものだけを信用し、感覚的なものを疎かにしたからでしょう。科学の発達が人間の五感を著しく鈍らせてしまいました。
2016/01/22 技術的に行き詰った際に、幾度も科学的な技法を取り入れようか迷いました。ですが思い止まり、師匠の教え通りに自分の感覚を頼りに仕事を進めてきたのです。そして時間は掛かりましたが、一旦身に付いてしまえば極めて単純な工程で作業出来、精神的余裕も出来たため、伸び代が大きくなった気がします。
2016/01/21 これさえ出来れば自信が付くと考え、難しい事に挑戦しますが、出来た瞬間に大したことは無いと気付くと共に、新しい課題が見えてきます。その課題をクリアできれば自信が付くと考えて取り組むのですが、また同じことの繰り返しなのです。左様に何時までも自信はつかない訳ですが、これが楽しいのです。
2016/01/20 加齢により無理が効かなくなり、それと共に自分の限界が見えてきたおかげで、生きているうちに出来そうな事とそうでない事の境目が、ようやく解るようになってきたのです。お蔭で、本当にやりたいこと以外を他人にお願い出来るようになりましたが、もっと沢山お願いしないと、何も出来ずにお陀仏です。
2016/01/19 所属することには、守ってもらえるという長所と、支配されるという短所が有ります。支配が嫌なら所属しなければいいし、所属後に自立したいなら、早くその準備を始めなくてはいけません。そうでないと支配されていることを忘れ、自分の実力で全部出来ていると勘違いし、自立の際に足元をすくわれます。
2016/01/18 作業の記録を取ることを習慣にしていますが、大雑把だと後で読んでも解りません。細かすぎると細部に囚われて技能の更新が難しくなります。その丁度良い塩梅は、新しい事を追加して不要な事を捨てた増減の無い状態ですが、この不要な事とは、文字のレベルを超えて、感覚として既に理解できたことです。
2016/01/17 人は生まれてそこにいるだけで、周りに希望を与え幸せにします。なのに、その素晴らしさを次第に忘れ、向いてないことに一生懸命になれとか、頑張れとかけしかけるのです。そして折角の素質を殺し、本人のみならず、周りも巻き込んで不幸になります。人は一体、何処で何を間違ってしまうのでしょうか?
2016/01/16 何かを始めるのにお金が無い事を言い訳にするなと言われました。お金が無くても頭を使えば、なんだってできるとも言われたのです。ならば、慌ててお金を稼ぐ必要もなくなりますから、のんびりと好きな事をやって生きて行けそうです。因みに、こう言ったのは、お金を稼ぐ秘訣を教えるセミナー講師です。
2016/01/15 私は学校に行く目的が解らずに低学歴ですが、知的好奇心を満たす為の勉強は大好きだったのです。同じ様に仕事でも、お世話になっているお客様の為にはパワーが漲ってくるのですが、目的もわからない事には元気も出ず、やる気も起こりません。ですから、一生懸命になるには、確たる目的が必要なのです。
2016/01/14 売るために作ったものをタダでくれるのはいけません。相手に失礼ですから。くれるには、そのために作らなくてはいけないのです。又くれた物の評価を真に受けてはいけません。どんなに拙くても、きっと相手は褒めてくれるはずですから。これらは些細なことかもしれませんが、物作りの落とし穴なのです。
2016/01/13 誰かの口車に乗り、頑張ることが良い事だと信じていると、いらない資格を取るために浪費したり、ストレス解消のために散財したりで誰かの思う壺です。のんびりと倹しく暮らしている人を見下し、自分は最先端で活躍していると思っていても、実は誰かの思い通りに動かされているだけなのかもしれません。
2016/01/12 豊かな老後のためだけにひたすら稼ぎ続けていると、現在の豊かな時間を犠牲にしたあげく、来るはずと信じていた未来が、違った形に変化するかもしれません。ですから、自分がどんな風に生きて行きたいのかを決めた上で、今を大切にしながら、将来必要な事をのんびりと準備していけばいいと思うのです。
2016/01/11

苦労は買ってでもしろと言いますが、あえて嫌な事を勧めている様で、私は馴染めません。例えば新しい事に挑戦すれば想定外の困難に合うことも有りますが、大好きな事をやっているならば、大して苦労と思わないはずです。ですから「苦労と感じないほど夢中になれる事を見つけよう」と応援したいのです。

2016/01/10 言えばやらざるを得なくなり、やれば次の扉が開きます。扉の向こうは得てして想像とは違います。何故ならそこは、それまでの自分の思考レベルでは理解できない所だからです。それは楽しみでもあり恐怖でも有りますが、やると言ってしまえば情報が集まりますから、先ずは言ってみることが大切なのです。
2016/01/09 根暗な性格を改善する為に色々と試してみましたが、やるほどに深く考え込んでしまい、益々根暗になってしまいました。本を読み、セミナーに参加して勉強したのは楽しかったけれど、根暗のまんま。「人は変わることが出来る」なんて言う人は、統計を取り、それを証明してから言ってもらいたいものです。
2016/01/08 何時でも不平不満や他人の悪口を言っている人が、まれに人を褒めている場合に、うっかり同意の相槌を打ってはいけません。そういう人は最初褒めている様でも、そのうちに「それに比べて〜といったら」といった具合に、悪口が始まります。うっかり相槌を打ってしまった貴方は、もう逃げられないのです。
2016/01/07 物心付いた時からもの作りが大好きです。進学は職業訓練校の精密機械科を選択しましたが、肉体労働を見下す同級生にバカにされました。何故好きな事をやるために好きな学校へ入るのを馬鹿にされなくてはいけないのか?倅が同じ学校を志望した時に、あそこは止めた方が良いと、先生に言われたそうです。
2016/01/06 私は考え過ぎだとよく言われますが、私が尊敬する人達は皆とても良く考えるのです。軽く考えるだけだと、頭の中に余計なごみを溜め込み面倒くさいことに成りますが、深く考えることで、それを整理整頓できます。ですから、シンプルに生きようと思ったら、混沌とした状態を経る必要が有ると思うのです。
2016/01/05 酒席で仕事の話はいけないと、若い頃に職場の先輩に注意されました。酒席では楽しい話や夢のある話をしろと言うのです。ですが、私は仕事が楽しく、そこに夢を持っていたので、変な事を言うものだと思うと同時に、同じことを楽しいと思える人と一緒に仕事がしたいと思い、そこを辞めることにしました。
2016/01/04 古い牛タンを食べてしまったのです。賞味期限が1月13日だったので安心して食べたのです。少し酸っぱかったので改めて賞味期限を見直すと、2015年の1月13日だったのです。母親に「子供の頃の浩樹はすぐに腹を壊すから、手が掛かった」と言われ、負い目を感じていましたが、犯人はお前じゃね?
2016/01/03 大工道具でいう偽物とは、本物でないものでは無くて、本物ぶった物なのです。それは本物より本物らしい特徴をてんこ盛りしており、素人にはそれらしく見えますが、玄人には直ぐにばれます。人間も同じ様に、どんな人に好かれたいのかを良く考えて行動しないと、素敵な人ほど自分から離れていくのです。
2016/01/02 馬鹿な事をしている人を見ると馬鹿だなと思うのですが、それをあからさまに馬鹿にしている人も馬鹿だなと思うのです。ですがそんな風に馬鹿にしている自分も馬鹿だなと思うので、他人を肯定的に見る難しさを何時も感じているのです。そしてこんなことに正月から悩んでいる自分が呑気に思えてきました。
2016/01/01 若い頃から飲食に関心が薄く、カロリーを取るだけの食事をしてきました。最近ではSNSで食べ物の画像をアップする人が多い事を不思議に思っていたのですが、それだけ関心が高いのでしょう。今でも適当に口に放り込んで飲み込むだけのことが多いので、今年からはもう少し味わってみようと思うのです。
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玄能日記 私のどうでもいい日記です。
お暇な方だけどうぞ。(笑)